85.古き神の寵児
青い顔で完全にグロッキーになった瑞希が横たわっているベンチの前に、エステルを抱えたアニカと、左腕を血で染めたユリアンが戻ってきた。
遅れてきた騎士たちと合流し、止血は終わっているが、ユリアンの傷は痛々しく目に映る。
「ユリアンさん……怪我をするなんて珍しいね。
でも、エステルを取り戻してくれてありがとう」
ユリアンが微笑んで瑞希に応える。
「アニカさんのお手柄よ?
彼女が誘拐犯を追い詰めて取り返してくれたの。
私はちょっとドジって怪我しちゃっただけよ」
アニカが慌てて声を上げる。
「何を言っているのですかユリアン様! これは――」
叫びかけたアニカの口を、ユリアンの人差し指が塞いでいた。
ユリアンはアニカにウィンクをして微笑む。
「いいから、そういうことにしておきなさい。
――ミズキさん、生きて捕まえることが出来たのは一人だけよ。
この人はどうする?」
瑞希が青い顔で応える。
「ちょっと今は魔術を使うのは無理かな……
あとで取り調べするから、自殺しないように見張っておいてくれる?」
アニカが怪訝な顔で瑞希に尋ねる。
「殿下、先ほどよりお加減が優れないようですが……なにがあったのですか?」
シュワルツ公爵が呆れた顔でアニカに告げる。
「霊脈に酔った状態で、無理やり魔術を行使していたからな。
最悪の体調でアニカとエステルの位置を示す術式を維持していた。
途中で限界が見えたから魔術を中断させたが、あと三十分は起き上がる事もできまい」
ユリアンが瑞希に告げる。
「おかげでなんとか追いつくことが出来たわ。
さすが、母は強しね。
でも、無理をし過ぎても良くないわ。
少し回復出来たら、馬車を借りて今日は引き上げましょう」
瑞希が傍に居るカタリナに尋ねる。
「そちらの護衛は今、どうしてるのかな?」
「路地を手分けして捜索している最中ですが、じきに神殿に戻ってくるでしょう。
神官たちに伝えておけば、勝手に撤収してくるはずです」
レッド公爵がユリアンの傷を見て告げる。
「酷い傷だね。手首の腱を痛めている。
それではもう、満足に左腕は使えないだろうに。
君ほどの騎士がそこまでの深手を負うなんて、どんなドジを踏んだんだい?」
ユリアンが微笑んで応える。
「恥ずかしくって、とても人には言えないわね」
アニカはそんなユリアンを見つめ、目に涙をためていた。
レッド公爵が見定めるように二人を見つめた後、フッと微笑んだ。
「……アニカ、心配しなくていい。
そのぐらいの傷なら、リーゼロッテが癒せるよ。
――リーゼロッテ! ちょっとこちらへおいで!」
ミハエルと一緒に、とてとてと近寄ってきたリーゼロッテが笑顔で告げる。
「なーに? 赤竜おじさま」
「ユリアンの傷を癒してあげなさい。傷跡が残らないように、完全にね」
「そんなに目一杯?
ちょっと疲れるけど、わかったー!」
リーゼロッテが祈りを捧げる姿勢をとると、その体が白く輝き始めた。
それと同時にユリアンの左腕が同じ輝きに包まれていく。
ユリアンたちが呆然としている間に光が消え、リーゼロッテの祈りも終わった。
「――これで治ったはずだよ?」
ユリアンが左手の動きを確認しながら、呆然と呟く。
「嘘でしょ……治癒術式でも治らない深手のはずよ……」
リーゼロッテが胸を張って告げる。
「創竜神様の加護だよ!
癒すのは得意なんだ!」
レッド公爵が微笑みながら告げる。
「君たち霧の神の信徒は、馴染みがないから知らなかっただろう。
創竜神様の加護は、癒しと守りが本領だ。
救済こそが、創竜神様のお力なんだよ」
アニカが涙を零しながらユリアンの左腕に抱き着いていた。
「良かった……ユリアン様が救われて……本当に良かった……っ!」
ユリアンは困ったように微笑みながら、アニカを抱きとめていた。
「あらあら、そんなに泣いたら可愛い顔が台無しよ?
きちんと笑顔で喜びましょう?
私もこれで、あなたに服を作ってあげられそう。それがとっても嬉しいわ」
****
瑞希たちは白竜神殿の用意した馬車に乗り、王宮に向かっていた。
まだ横になっている瑞希に、ユリアンが声をかける。
「馬車に揺られて大丈夫?
苦しいなら速度を落としてもらうけど」
「このくらいなら大丈夫だよ。
霊脈から遠くなるにつれて、気分が良くなってるし。
王宮に着くころには、ほとんど治ってるはずだよ。
――エステルの様子はどう?」
シュワルツ公爵が瑞希に応える。
「術式で眠らされていたようだが、今は目を覚ましている。
体調に異常は見られないから、安心しろ」
「そっか、ありがと。
――んー? 誘拐犯の人、創竜神の信徒じゃないの?
貧しい生活をしてる人みたいだね。
なんだか悪い因果の気配ばっかり漂ってる。常習犯かな」
「瑞希お前、その体で素性調査してるのか?
無理はするなと言ってるだろうに」
「だから深くは追ってないよ。
でも信徒じゃない人が神殿に来ることってあるんだね。
赤ん坊がさらわれる事も、よくあるの?」
カタリナが眉をひそめて応える。
「貧民区画の住民が紛れ込んで、時折さらうことはあります。
エステル殿下の外見は整っていて、非常に珍しい物です。
人買い商人に高く売れると判断したのでしょう」
「そっか、創竜神の敬虔な信徒が多い国でも、治安はそんなものなのか。
貧民区画って、どこの国でも扱いに困ってるんだね」
「生まれで差別されたり、社会に馴染めない者が貧民に身を落とします。
難民なども、その中に入りますからね。
戦火の絶えないこの大陸では、難民が発生する事は防げません。
どうしても貧民区画は生まれてしまいます」
「んーそうか、難民の子供は差別されちゃうのか。
それで貧民区画から抜け出せなくなっちゃうんだね。
社会に馴染めない人は仕方ないけど、生まれで差別されちゃう人は手を差し伸べられそうだなぁ」
「そういったことを考える国もあります。
ですがその噂を聞きつけ、各地の難民がその地に集まり、国の予算が足りなくなるのです。
そうなってしまえば、大きな貧民区画が出来上がるだけになります。
迂闊に手を出して良いものではありませんよ」
「うへぇ……手を出したくても出せないってことかー。
よっぽど大きな国じゃないと無理なんだろうね。
どのくらいの大きさなら、そんな救いの手を差し伸べられるかなぁ?」
「想像もつきませんね。
少なくとも百万人規模の国家でなら、いくらか吸収できるできるのではないか、と思うくらいです。
ですが国家が救いの手を差し伸べられない分は、白竜教会が救いを与えています。
多くの信徒たちの支援を受けながらですが、教育を施し、病気や怪我を治療しています。
それだけでもだいぶ違いますよ」
「ドライセン王国は三十万人、属国を入れても六十万人に届かないくらいだから、規模が全然たりないかな。
霧の教会も似たようなことはしてるけど、信徒の数が白竜教会より少ないから、できることもそんなに多くないしなぁ。
民衆のモラルを底上げするのは、宗教の力を借りるしかないかなぁ。
貧困の再生産はなんとか断ち切らないと切りがないし、国と教会で協力してできる対策を考えないとなぁ」
シュワルツ公爵が楽しそうに微笑んだ。
「王族が随分と板についてきたな、瑞希」
瑞希が苦笑を浮かべながら、ゆっくりと上体を起こした。
「そりゃあ、王太子妃だからね。
足元をしっかりさせないと、これから起こることに対応するのが難しくなっていくし。
打てる手は早めに打ちたいだけだよ」
「これから起こること、だと?
何が起こると考えているんだ?」
瑞希が小さく息をついて応える。
「南西のシュトルム領周辺だけじゃなく、こんな東にあるシュティラーヒューゲルの信徒まで、全員があの大奇跡の映像を見せられてる。
ライツラー侯爵の予想通り、多分大陸に住む創竜神の信徒全員があの映像を見てると思ってもいいんじゃないかな。
あれほど大きな力を振るえる存在が、ドライセン王国に居るってのはそのうち噂が出回るよ。
その力を欲しがるのか、脅威に感じるのかはわからない。
けどあの戦争みたいに、周辺国がドライセン王国の地方に手を伸ばしてくる可能性は考えておかないといけない。
外敵に対応する力を付けておかないと、王国が食われちゃうよ。
――それに多分、悪魔も動いてる」
シュワルツ公爵の片眉が跳ね上がった。
「それは、根拠があっての話なのか?」
瑞希が肩をすくめて応える。
「あれだけ霊脈の気配に溺れてたら、兆候くらいは感じ取れるよ。
封印されてる悪魔の居る方角に向かう、変な祈りの力が少しだけあったからね。
まだ大きな動きじゃないみたいだけど、アラーニアみたいな悪魔の勢力が活動をしてるのは間違いないよ。
白竜教会と悪魔の戦いに口出しするつもりはないけど、戦争で助けてもらったんだから、助けられる局面なら、私は手助けをするつもり」
シュワルツ公爵がレッド公爵を見る――レッド公爵が頷いてから告げる。
「我々も霊脈の気配は常に監視している。
その中で今現在、大きな変化はない。
おそらく以前から潜伏して活動を続けている組織だろう。
今後も問題になる程の活動を起こすとは思えないし、瑞希が気にするような事ではないと思う。
だが今より大きな動きを察知したなら、その時は教えて欲しい。
早いうちに芽を摘むに、越したことはないからね」
「りょーかーい」
瑞希の気の抜けた声で、車内は和やかな空気に包まれていた。
****
――某国、貴族の邸宅。その応接間。
一人の老年の貴族が、グラスを片手に告げる。
「社交界はすっかり、『あの映像』の噂ばかりだな。
お前はそれがどこの映像か、調べは付いているのか?」
正面のソファに腰かける、壮年のスマートな男性が、グラスを傾けながら応える。
「あの時期にそれほどの兵力を起こした戦争の噂、となると大陸北部になりますね。
『古き神々の叡智』が眠る国がある、という噂もあります。
創竜神を超える、我らの宿敵とも言える勢力でしょう」
老年の貴族が顔を歪めて応える。
「創竜神すら拮抗するのが限界だというのに、相手が古き神など、勝ち目がないではないか!
このままでは我らの宿願など、夢のまた夢だぞ!」
壮年の貴族がにこやかに微笑んで応える。
「逆の考え方もできますよ?
その映像が事実であれば、それほどの力を振るえる存在がその地に存在する、ということになる。
竜の寵児を超える、格好の生贄となり得ます。
創竜神を超える力を持つ、古き神の寵児、といったところでしょうか。
公爵閣下どころか、魔王陛下すら復活させることが出来るでしょう」
老年の男性が考えこんだ。
「……一理ある。
だが大陸北部では、我々が手出しをするには遠いだろう。
どうするつもりだ?」
壮年男性の手の中で、グラスの中の氷が甲高い音を立てた。
「直接手出しをできなくとも、やりようはあると思いますよ。
仕込みに時間はかかりますが、やるだけやってみても面白いでしょう。
ですがまずは、地域の特定が先決ですね。
現在、情報収集を急がせています」
老年男性がグラスを呷った。
そのままテーブルにグラスを叩きつけて告げる。
「お前の遊び癖に付き合うつもりはない。
迅速に事を運べ」
壮年男性が肩をすくめて微笑んだ。
「承知しました。
努力はいたしましょう」
老年男性が立ち上がり、部屋を出ていった。
壮年男性は静かにグラスを傾ける。
「……古き神に一矢報いる日がやってくる、か。
浪漫溢れる話だな」




