82.春の訪れ
シュティラーヒューゲル王国までの道中、瑞希はこっそりアニカとユリアンの様子を観察していた。
アニカは馬車の外で指揮を執るユリアンを時折見ているようだった。
瑞希の視線を感じると、アニカはさっとユリアンから視線を外してしまうのだが、またしばらくするとユリアンを見ているようだ。
宿場町に付き、ユリアンが部屋の点検をしていく。
瑞希たちが見守る中、ユリアンが振り返った。
「――はい、大丈夫よ。
それじゃあ、あなたたちはゆっくり休みなさい」
瑞希が立ち去ろうとするユリアンの服を掴んだ。
「ちょーっとまった!
今日は定期連絡もないし、ユリアンさんも少しくらいはゆっくりしてもいいと思うんだ!
――どうかな? 一服でいいから、少しおしゃべりしていかない?」
きょとんとしていたユリアンが、瑞希の顔を見て微笑んだ。
「いいわよ? もう部下に指示は出してあるし、そのくらいの時間はあるわ」
ソファに腰を下ろした瑞希が告げる。
「アニカもザビーネも、ちょっとお茶を飲んで休もうよ。
二人きりだと、おしゃべりも寂しいしさ」
瑞希の隣にアニカが、ユリアンの隣にザビーネが腰を下ろし、全員がゆっくりと紅茶を口に含んでいた。
ユリアンがアニカに優しく告げる。
「あなた、アニカさんっていったわね。
馬車の中から私を見ていたみたいだけど、何か言いたい事でもあった?
――ああ、この前の事なら、キツイ言い方をしてごめんなさいね。
あの時は私も、少し熱くなり過ぎたわ」
アニカは俯いてゆっくりと首を横に振った。
「いえ、あの言葉はとても胸に響きました。
私をあのように心配してくださる方は、今までいませんでしたので。
――申し遅れました。私はオーバードルフ子爵の娘、アニカと申します」
ユリアンが微笑んで応える。
「そう、オーバードルフ子爵の子なのね。
それで護身術を嗜んでるのかしら。
でも、あなたを心配する人間が居なかったなんて信じられないわね。
周りに居た人間は何とも思わなかったのかしら」
アニカが紅茶に目を落としながら、苦笑を浮かべて応える。
「私は『利用しやすい人間』に見えるようです。
周囲は、都合よく動く私を重宝しているようでした。
友人にも恵まれず、人を信じるのが怖くなって、男性とも疎遠のまま今まで生きてまいりました。
こんな自分が時々、嫌になってしまいますが、それでも国のために働く職を得ました。
今ではこれが天職だと思い、日々を過ごしております」
ユリアンが優しく微笑んで告げる。
「悪い男には引っかからずに済んだのね。
それだけは幸運だったわ。
あなたを見ていると、なんだか放っておけなくなるのよね。
危なっかしさは、ミズキさんといい勝負じゃないかしら」
エステルを胸に抱いた瑞希が、唇を尖らせてユリアンに告げる。
「私のどこが危なっかしいのかなぁ?!
これでもしっかりしてるつもりなんだけど!」
ユリアンが微笑みながら唇に人差し指を立てた。
「しーっ。エステルが起きちゃうわよ?
――あなたは強い力を持ってるけど、ふらふらとどこかへ飛んで行ってしまいそうな気がするのよ。
だからきちんと、進むべき道を教えてあげたくなるの。
――アニカさんも同じね。
自分を守る力を持っているとしても、その使い方を間違えてる気がするわ。
あなたはもっと日の当たる道が似合う人。
血生臭い道は似合わないわ。
陽だまりの中で微笑む方が、ずっとあなたらしくて素敵だと思うの。
そんな自分になれるよう、生きてみたらどうかしら」
アニカが戸惑うような表情で、ユリアンの顔を見ながら告げる。
「今さら生き方を変えるなんて器用な真似は、私にはできません。
どうしたら陽だまりに辿り着けるかも、私にはわかりません。
私は殿下やフェッツナー伯爵のように、強く生きることはできないのです」
ユリアンが微笑みながら応える。
「あなたと私は同じ職場の同僚よ?
相談ならいつでも乗ってあげる。
力が足りないなら、私が添えてあげるわ。
そのために私は仕立師になったんだもの」
アニカが困惑した表情でユリアンに尋ねる。
「そのために? どういう意味でしょうか」
「女性は着飾ることで、どんな姿にもなれる。
どんな自分にも変われるのよ。
着ている服から力を貸してもらえるの。
私は自分が作った服を通して、女性に力を与えたいのよ。
私はこんな個性だから、直接女性を支えることは望めなかったわ。
でも仕立師としてなら、女性は素直に私の力を受け取ってくれるの。
それが、私が仕立師になった理由よ。
アニカさんが望むなら、あなたに似合う服を作ってあげる。
それであなたも、少しは自信を持てるようになるはずよ?」
「フェッツナー伯爵は、異性愛者、ということなのですか?
女性に興味がない方だと、ずっと思っていましたが」
ユリアンが苦笑を浮かべて応える。
「よく誤解されちゃうのよね。
それもこれも全部、自業自得なんだけどさ。
私だって、お嫁さんが欲しいと思った時期くらいはあったのよ?
でも私の個性をみんな嫌って、距離を取られちゃうの。
私を初見で嫌わなかったのは、ミズキさんくらいね」
「今はもう、妻を娶ろうとは思わないのですか?
上位貴族で近衛騎士団の隊長、次期団長の噂まであるフェッツナー伯爵なら、望めば応じる令嬢はおられるのでは?」
「あらやだ、そんな噂まであるの? どこから漏れたのかしら……。
でも私も今年で二十七だもの。婚姻をするには少し、遅いわね。
その上、私の個性は有名よ。
そんな私に嫁ぐ人は、必ず良くない噂にさらされるわ。
そんな不幸な婚姻を女性にさせるつもりはないの。
前にも言ったけど、女性が不幸になるのを見過ごすなんて出来ないのよ」
わずかな沈黙が訪れた。
その沈黙を破るように瑞希がユリアンに告げる。
「じゃあさ、ユリアンさん。
アニカのことはどう思う?
アニカなら、そんな噂は平然と受け流せると思うよ?」
アニカが真っ赤な顔で瑞希に振り向いた。
「殿下?! 突然何を仰るのですか?!」
ユリアンがきょとんとした後、微笑んで告げる。
「……んー、そうね。可愛らしい人だし、妻として不足を感じることはないかしら。
でもアニカさん、私より年下でしょう?
こんなおじさんを相手にするのは、もったいない気がするわ。
それだけ綺麗なんだから、もっと相応しい、男らしい人が出てくるんじゃない?」
瑞希がアニカに尋ねる。
「アニカ、何歳だったっけ?」
真っ赤な顔のアニカが俯いて応える。
「二十四です……」
「ユリアンさんのこと、おじさんだと思う?」
「いえ、たった三歳の差ですし、その……綺麗な男性だと思います」
ユリアンが微笑んでアニカに告げる。
「あら、綺麗だなんて嬉しいわね。
日々のお手入れを頑張ってた甲斐があるわ」
瑞希がアニカに再び尋ねる。
「ユリアンさんって、アニカに相応しいと思う?」
「そんな! 私なんかにはもったいない、素晴らしい男性だと思います。
伯爵ですし、子爵の娘である私では釣り合いません」
瑞希が微笑んで二人に告げる。
「つまり、お互いがお互いを評価して、自分にはもったいないって思ってる訳だね!
じゃあさ、試しにお付き合いしてみたら?
私は、二人はもっとお互いを知るべきだと思うな!
――ユリアンさんはこの提案、どう思う?」
ユリアンが楽しそうに微笑んで応える。
「ミズキさんあなた、それが言いたくて私とアニカさんをお茶に誘ったのね?
――私は構わないわよ?
アニカさんさえよければ、婚約を申し出るわ。
さすがに、婚約もなしでお付き合いはできないものね」
別に婚約をせずに交友関係を育むことも、おかしなことではない。
だがそれは後々、『婚前に異性と遊んでいた』という噂の元になり得る。
婚約を申し出るのは、ユリアンの持つ誠実さの表れだろう。
アニカに少しでも悪評が立たないよう、配慮したのだ。
アニカが真っ赤な顔で俯いたまま応える。
「あの……私と婚約など、フェッツナー伯爵に悪い噂が立ってしまいます。
もったいないお話過ぎて、すぐにお返事する事が難しいです」
ユリアンが優しい微笑みでアニカに告げる。
「あらそう?
私も、無理強いをするつもりはないわ。
でも、危なっかしいアニカさんを傍で支えられるなら、それもいいかなって思ったの。
この旅程の間、じっくり考えてみて頂戴。
答えは、王都に帰ってからで構わないわよ?
それに婚約しなくても、お友達になってくれたら嬉しいと思うわ。
今度、あなたに似合う服を作ってあげる。
それを着たら、もう少し自分に自信が持てるはずよ。楽しみにしていてね」
アニカが俯きながら「はい」と小さい声で応えた。
その様子を見たユリアンが、アニカに告げる。
「アニカさん、焦らなくていいわよ?
自分の心と向き合って、自分が幸せになれると思う道へ進んでごらんなさい。
そのための手助けなら、いくらでもしてあげるわ。
私の服で、自分に自信をもって、陽だまりの中を歩いて欲しいの。
あなたはきっと、その方がずっと魅力的なはずよ。
その隣に立つのが私でなくても、私は心からあなたを応援するわ」
ユリアンが立ち上がり「お茶、ごちそうさま」と言い残して部屋を去っていった。
真っ赤になって俯いたままのアニカに、ザビーネが告げる。
「――アニカ、今晩はエステル殿下の世話を、私が変わります」
アニカが弾けるように顔を上げた。
「ザビーネ様?!」
ザビーネが柔らかい微笑みでアニカに告げる。
「あなたは一晩、フェッツナー伯爵の言葉を噛み締めて、よく考えてごらんなさい。
自分が後悔しないような道を、あなたは選べるはずです。
少なくとも彼は、あなたの信頼を裏切る男性ではない、とだけ伝えておきます」
ザビーネが四人分の紅茶をかたずけてから、瑞希からエステルを受け取った。
瑞希がザビーネに告げる。
「さっすがザビーネ、気が利くね」
「それが殿下のお望みとあらば、私が手助けするのは当然です」
アニカはソファでしばらく物思いに耽ったあと、静かにベッドに潜り込んでいた。
夜中授乳で起きた瑞希が様子を伺うと、アニカは眠れぬ夜を過ごしているようだった。
(もしかして、アニカの初恋だったのかな?
だとすると、私と同じで、自分の気持ちに戸惑ってるのかな?)
瑞希は、温かい気持ちを思い出しながらアニカを見守っていた。
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その後も宿に着くと、国王とヴォルフガングの行う定期連絡の後に、ユリアンを招いて一服するのが恒例になっていた。
シュティラーヒューゲル王国に着くころには、アニカはユリアンに対して微笑みを見せる程度に打ち解けているようだった。
シュティラーヒューゲル王国の王都は、ドライセン王国一行を盛大に迎えてくれた。
国王に言われ、瑞希は馬車の中から外に向かって手を振り、声援に応えていく。
リーゼロッテもまた、同じように馬車の中から国民に笑顔を振りまいていた。
(うわー、なんかすごい人気だな。
白竜教会で絶大な影響力を持つ、竜の寵児のリーゼロッテ王女はわかるけど……
私への声援も、ほとんどそれと変わらないぞ……)
国王が満足げな笑みを浮かべて瑞希に告げる。
「さすが救国の英雄だな。
ミズキの外見はこの世界で目立つ。
一目で誰か分かるというのは、お得だと思わないか?」
瑞希が外に微笑みながら、国王に応える。
「でもエステルが大きくなったら、区別が付かなくなるよ?」
王妃が小さく笑いながら瑞希に告げる。
「その時は、年齢で区別がつきますよ」
アニカが馬車の外を眺めながらぽつりと呟く。
「あんな人混みだと、ユリアン様が大変そうですね」
耳ざとく聞きつけたソニアが、口元を隠して楽しそうに笑った。
「あら、アニカったらいつのまにファーストネームでフェッツナー伯爵を呼ぶようになったの?』
瑞希が椅子に座り直してソニアに応える。
「えーっと、三日前だったかな?
ユリアンさんが『堅苦しいのは好きじゃないの』って言ってさ。
私も同じことを言われたんだよーってアニカを説得して、ようやくファーストネームで呼ぶようになったんだよ」
真っ赤になって俯くアニカを、楽しそうに質問攻めにするソニアを見ながら瑞希は満足感を覚えていた。
(そーいえば私の時も、ソニアは散々私をからかってたっけ)
唐突に瑞希がソニアに告げる。
「ところで、久しぶりにオリヴァーと会えるね!
とうとうソニアの結婚式だよ!
どう? 待ち遠しかった? 寂しかった? 会いたかった?」
今度はソニアが真っ赤になりながら応える。
「そんな! 寂しいとか会いたいとか! そんな訳ないじゃないですか!」
「ふーん? じゃあその言葉、そのままオリヴァーに伝えておくね?」
「姉様! それは止めてくださいませ!
オリヴァーは爽やか系に見えて、へそを曲げるとアルベルト兄様よりめんどくさい人なんですから!」
それは中々にめんどくさそうだ。
「あ、そうなのか……じゃあ止めといたげる」
ソニアの侍女が静かな表情で告げる。
「ソニア殿下は毎晩、オリヴァー王子の名前を呟く程度しか寂しがっておられませんでしたので、そうお伝えください」
瑞希がとてもいい笑顔でサムズアップして頷いた。
「引き受けた! 確実に伝えておくよ!」
「姉様?!」
和やかな車内の空気は、王宮に着くまで続いていた。
王宮に付き、瑞希たちが降りていく。
兵士や騎士が整列し、歓迎の隊列を組んでいた。
国王が馬車から降り、前に進む――出迎えたシュティラーヒューゲル国王と、固く握手を交わしていた。
これから両家は親戚関係となる。
そのことを互いに喜び、歓迎していた。
国王と王妃の後、シュティラーヒューゲル国王が瑞希の前に来た。
「ようこそ我が国へ。
ミズキ殿下、あなたが救ってくださったからこそ今の我が国がある。
国民を代表して感謝を述べたい」
瑞希が微笑んで応える。
「微力でもお役に立てたなら光栄ですわ。
これからも、両国が互いに助け合える仲になることを、私は望んでいます」
いくつかの言葉を交わした後、瑞希たちは王宮の客間へと案内された。
夜会までは自由時間だ。
瑞希はエステルをベッドに寝かせた後、自分もベッドに倒れ込んだ。
「よーやくついたー。
やっぱ三週間は長いな……」
瑞希の様子を見に来たオリヴァーとソニアが、着替えもせずにベッドに倒れ込んでいる瑞希を見て声を上げた。
「ミズキ殿下?! どうされたのですか?!」
「姉様?! さっきまであんなに元気だったじゃないですか!」
シュワルツ公爵が呆れたように告げる。
「あんな無茶をすれば、疲れて当然だ」
瑞希がザビーネに助け起こされながら応える。
「別に、無茶はしてないけど?」
ソニアがシュワルツ公爵におずおずと尋ねる。
「あの、姉様は何をされたのでしょうか……」
シュワルツ公爵が瑞希を見つめながらソニアに応える。
「この王都の群衆、全ての因果を辿っていたようだ。
――いったい、何万人の素性調査をしたんだか」
オリヴァーの頬が引きつっていた。
「まさか、あれだけの群衆全てに魔術をかけながら王宮まで辿り着いたんですか」
瑞希が疲労で脱力しながら応える。
「そうだけどー?
白竜教会勢力圏の国は初めてだから、ちょっと判断がつかないんだよね。
着替え終わったらお父様に相談しに行くからさー、ソニアはお父様にそう伝えておいて」
ソニアも頬を引きつらせながら瑞希に応える。
「姉様、普通に私たちと会話してましたよね……
魔術を使ってる様子なんて、少しもなかったじゃないですか」
シュワルツ公爵がため息をついて応える。
「瑞希にとってはいつもの事だ。
驚いていたら身が持たんぞ。
ソニアは早く、ドライセン国王に伝言を伝えてこい」




