81.春の予感
瑞希は馬車の外を眺めていた。
多数の兵士たちが周囲を取り囲み、厳重に警備を固めている。
第一軍から五千の兵士を連れた、ドライセン王家の一行だ。
近衛騎士団も半数以上が付いてきている。
「さすがに、陛下が移動するとなると物々しいね」
国王がやや疲れた笑顔で、微笑んで応える。
「ミズキがこれほどの兵と共に移動するのは、初めてだったか?
これでも、兵の数は少ない方だ。
状況によっては倍の人数を連れていく事もある。
だが今はどこの国も、我が国に襲い掛かる余力はない。
大軍を一人で相手に出来るミズキも同行しているし、この程度で済んでいるよ」
「お父様、やっぱり疲れてるね。
ごめんね、忙しい時期にさらに忙しくなるようなことをしちゃって」
国王が楽しそうに笑った。
「ははは! 奴の黒い噂は以前からあった。
機会があれば手を打ちたいとも思っていたからな。
戦時ならば見てみぬふりをしたところだが、今はそうではない。
よくも奴の尻尾を掴んだものだと感心しているよ。
やはりミズキの魔導は心強いな」
瑞希がジトっとした目で国王を見据えた。
「お父様、あまり大きな声を出すと、エステルが起きちゃうんだけど」
国王が慌てて口元を隠し、エステルを見つめた。
――どうやら、彼女の眠りを妨げることは避けられたようだ。
余り大騒ぎする子ではないが、馬車の車内で赤ん坊に泣かれるのは、できれば避けたいところだ。
国王が胸を撫で下ろし、王妃が国王に微笑んで告げる。
「ハンスも疲れているのだから、少し休んだ方が良いわ。
やはり顔色が良くないわよ。
長い道中ですもの。無理をせずに行きましょう」
ドライセン王国からシュティラーヒューゲル王国まで、軍を連れておよそ三週間の旅程だ。
現地での滞在時間を含め、期間はおよそ二か月に及ぶ。
その間はアルベルトとヴォルフガングが王都に残り、重臣と共に国政を回していく事になる。
瑞希が王妃に尋ねる。
「ヴォルフガングさんって、何かとお父様に頼りにされてるみたいだけど、お留守番を任せられるほどの人だったの?」
王妃が微笑んで応える。
「ヴォルフガングは元公爵家の当主。
高い魔導の腕で陛下を支えてきた人よ。
そして広い人脈も持つ人なの。
ルートヴィヒ侯爵やマイヤー辺境伯も王都で待機してくれている。
これだけ揃えば、並の問題には対応できるはずよ。
アルベルトもしっかりした王族として育ってくれたし、二か月くらいは問題ないわ」
ソニアが柔らかい微笑みで告げる。
「なにより、姉様の魔導があればいつでも連絡が取れますもの。
不安に思うことはないはずですわ」
瑞希が苦笑を浮かべて応える。
「いつでもどこでも会話が出来る魔術なんて、やっぱり反則技だよね。
こんな術式、私以外に使える人って居ないのかな?」
レッド公爵が微笑んで応える。
「少なくとも我ら上位四頭ですら、魔法以外では知らないね。
それを魔術で実現してしまうのだから、とんでもない話だよ」
「魔法ならあったんだ?」
「そりゃあそうさ。神の奇跡だからね。
伝承では、不可能はなかったとさえ言われている。
それに比べれば、創竜神様の加護はどうしても一段落ちてしまうね。
その力の差が、神格の差なのだろう」
瑞希はレッド公爵の微笑みを見つめながら尋ねる。
「……それで、本当の所はどうだったの? 本当に不可能はなかったの?」
「ははは、それをこの場では言えないね。
私たちは古き神の時代から生きる竜だ。多少のことなら知っている。
だがそれを、不必要に今の時代の人間に教えるつもりはないんだよ」
シュワルツ公爵が続く。
「今は創竜神様を信仰する時代だ。
古き神のことを知り過ぎて、その信仰に陰りがあると困る。
知っている人間や伝承を抹消しようとまでは思わないが、知らないのであれば、そのままで居て欲しいのだ」
「でもこの場に居るのは、霧の神――古き神の信徒だよ?
それでも困るの?」
「知ってしまえば、知識を漏らしてしまう事があるだろう?
秘密を背負うのは心に負担を強いる。
なるだけ、そんな負担を背負わせたくはないのだ。
瑞希しか居ないのであれば、教えても構わないがな。
エステルに教えられるかは、まだ判断がつかないところだ」
だが魔法を使えてしまうエステルには、いつかある程度の事を教える必要があるだろう。
何をどこまで教えるのか――それを瑞希は判断していかなければならない。
****
宿場町に付き、軍を街の外に待機させ、王族一行は宿に泊まった。
瑞希の部屋に国王が顔を出し、瑞希に告げる。
「ではミズキ、頼むよ」
瑞希は頷いて≪映像通話≫の回線をヴォルフガングにつなげる。
国王が画面に向かって告げる。
「ヴォルフガング、そちらに異常はないか」
ヴォルフガングが画面に気が付き、こちらに振り向いた。
『ああ、国王陛下か。
大丈夫。何も問題はないよ』
国王が頷き、応える。
「では引き続き、よろしく頼む」
≪映像通話≫の回線が閉じられ、国王が瑞希に頷いた。
「やはりミズキは頼もしいね。
明日もまた、よろしく頼むよ」
そう言い残し、国王は部屋を去っていった。
瑞希がベッドに腰かけながら息をついた。
「やっぱりお父様、お疲れだなぁ。
新しい香り袋も渡したばかりなのに、それでも間に合ってないのか。
何かできることってないのかな」
ザビーネが微笑んで瑞希に告げる。
「こうして殿下が陛下の心労を軽減なさっているではありませんか。
殿下はできることをしておられますよ」
普通の国家であれば、不在の王都の状況が気にかかるはずだ。
それを逐一確認できるのだから、それだけでも心労は軽減できているはずだった。
それでも心労が残るのであれば、王都以外の問題があるのだろう。
「……やっぱり、周辺国家の問題かなぁ。
そっちの問題までは、私に出来る事も少ないしなぁ」
アニカが静かな表情で告げる。
「ミズキ殿下はエステル殿下を、きちんと育て上げることをお考え下さい。
私もそのために、誠心誠意努めさせていただきます」
「そうだね……。
――あ、そうだアニカ。確認をしておきたかったんだけどさ。
『お使いで絡まれていた』って話、王都のどの辺で絡まれてたの?」
「王都の貧民区画に、腕の良い情報屋が居るのです。
兵士を向かわせるべき場所ですが、困ったことに、男が相手だと対応が悪くなる人間なのです。
ですが、そんな場所に行きたがる女性の従者はおりません。
仕方なく私が志願し、連絡係となっておりました」
部屋に居たユリアンの顔が怒りで歪んだ。
「あなた、馬鹿なの?!
あなたみたいな人が貧民区画なんかに行ったら、絡まれて当たり前じゃないの!」
アニカが静かな表情で応える。
「平民区画でも絡まれますし、絡まれる事には慣れております。
貧民区画の方が柄が悪いですが、手心を加えずに済む分、対応は楽と言えます」
瑞希は頬を引きつらせて告げる。
「それで、手を汚した回数が人並外れてるんだね……。
でも、そんなお使いを頼んだのは誰なの?
いくら腕が良い情報屋だからといっても、女性を向かわせてまで利用する相手?」
「依頼主の名はご容赦ください。
内容を含めて、内密にするよう言われておりますので」
だが王宮の従者を使えるとなれば、王族かそれに近しい一族、つまり公爵家ぐらいだろう。
通常の重臣程度が使える人材ではない。
その中で該当する人物となれば、非常に限られた。
ユリアンが大きなため息をついた。
「――そう、陛下か王妃殿下の依頼なのね。
それだけ腕が良い情報屋ってことなのでしょうけど、兵士を同行させるって頭はなかったわけ?」
「街のごろつき程度、私一人で充分対応できます。
そのために王宮の兵士を連れていく必要を感じておりません」
ユリアンがアニカの首元に指を突き付けて告げる。
「いいこと?! 今度からそんな依頼があったら、まず私に言いなさい!
騎士団から一名、護衛を付けさせるわ!
それだけで絡まれる回数は圧倒的に減るわよ!」
「必要を感じませんが」
「女性が貧民区画に一人で行くことを知ってしまったら、放置なんてできないのよ!
あなただって、汚したくて手を汚してる訳ではないでしょう?!」
「それはもちろんですが、国の役に立つためならば、仕方のないことかと」
「私たち騎士の仕事も同じなの!
国のため、民のために矜持を持って仕事をしてるのよ!
そしてあなたも民の一人であることを忘れないで頂戴!
護衛一名を付けるぐらいどうとでもなるの!
そんなことで遠慮をして、余計な命を奪う真似は止めなさい!」
「……なぜそこまで仰るのですか?
私にはその心情が理解できません」
「私は女性が不幸になるのを、黙って見てるなんてできないのよ!
護衛を付ける程度であなたが不幸にならずに済むなら、いくらでもつけてあげる!
あなたはそうやって命を背負えるほど、強い人間ではないわ!
手を汚せば汚すほど、あなたは幸せから遠ざかるの!
その自覚くらいはあるでしょう?!」
アニカは黙って俯いた。
ユリアンが小さくため息をつき、微笑んで優しい声で告げる。
「よかった。自覚はあるみたいね。
まずは自分を大切にして頂戴。
今からでも遅くないの。あなたはあなたの幸せを捕まえて。
それだけ綺麗なんですもの。まだ婚姻だって間に合うわ。
もしそうなったら、あなたのためのウェディングドレスを、私に作らせて頂戴」
そう言い残し、ユリアンが部屋を出ていった。
アニカはユリアンが出ていった扉を見つめながら、瑞希に尋ねる。
「フェッツナー伯爵は、あんな方だったのですか?
噂で聞いていた人物とは、だいぶ隔たりを感じます」
瑞希は微笑んで応える。
「そうだよ? ユリアンさんはとっても優しくて誠実な人。
女性が幸せな人生を歩むことに幸福を感じる人なんだって!
アニカもユリアンさんも私の傍仕えなんだから、ゆっくり話をしてみるといいよ。
そうすれば、もっとよく理解できると思うよ!」
アニカは夜になってエステルの世話をしながらも、どこか考え事をしている風だった。
(もしかしたら、ユリアンさんの新しい理解者になってくれるかな?
……二人に春が訪れたら、たくさんお祝いしてあげたいけど、そこまでは贅沢かな?)
春の風の予感を覚えつつ、瑞希は静かに目を閉じた。




