80.孤児院の慰安
瑞希はエーベルヴァイン男爵と共に馬車に揺られていた。
予定していた公務――孤児院の慰安だ。
直前に運営者が捕縛されるハプニングはあったが、その後の様子を確認しておくため、予定通り慰安を行うことにしていた。
同乗しているユリアンが瑞希に告げる。
「子供たちには何も知らされてないはずよ。
あなたは笑顔で、子供たちに安心を与えてあげなさい。
子供というのは敏感だから、きちんと笑ってあげないと不安に感じてしまう。
悪いことは忘れて、いつものあなたの姿を見せてあげると良いわ」
エーベルヴァイン男爵が頷いた。
「事後処理は滞りなく進んでいます。
今回のご公務は渡りに船。
報告書通りなのか、それを確認することになるでしょう」
瑞希も頷いた。
「でも実際、普通の慰安って何をするものなの?」
「職員たちの日頃の労働を労う、そういうものになります。
それと同時に施設の様子を確認して、対応が必要なことを見つけ出すのです。
たとえば設備や備品、人員の不足、そして制度の不足などですね。
その報告をもとに我々が対策を立て、予算を確保し、実施することになります」
「そういうものって、普段の報告で上がってこないの?」
「報告で漏れてしまうものや、気が引けて報告に乗せるほどでもない些細なものなどがありますから。
運営者の能力が確かなものであれば、そういったものは少ないはずです。
新しく選定された運営者は他の王立孤児院の運営も任されている人物。
心配は要らないと思いますよ」
「兼任ってこと? 大変そうだね」
「時間がありませんでしたからね。
不祥事を立て続けに起こすわけにもいかない。
確かな人物をひとまず立てておき、時間をかけて後任を選ぶことになると思います」
王立孤児院が子供の違法な競売場になっていた――大スキャンダルだ。
社交界でも大きな噂になっているのは、間違いがなかった。
「ねぇエーベルヴァイン男爵。
今回の事は、どれくらい噂になってるの?」
「あれから半月ですが、既に国内には浸透していますね。
『王太子妃が捜査に協力して成果を上げた』、というのがざっくりとした内容です。
どのような協力をしたのかは伏せているため、様々な憶測が飛び交っていますよ。
ですが王太子妃の魔導は有名です。当然、魔導を使ったという噂が中心となっています」
「いつも不思議に思ってるんだけど、どうやってそういう噂話を拾って来てるの?
エーベルヴァイン男爵って、夜会に出席するタイプじゃないでしょ?」
「夜会に出席して噂を収集するのが得意な人物が人脈に含まれています。
そういった人間から話を聞いてくるだけですよ。
以前お話した通り、人には得意、不得意があります。
社交界を泳ぐのが得意な人物に、そういったことを任せている訳です」
瑞希が俯いて思案した。
「私は、どんな形で社交界に関わったらいいと思う?」
エーベルヴァイン男爵が微笑んで告げる。
「殿下はお世辞にも社交界を得意とする方ではありません。
ですが王太子妃ですので、全く関わらない訳にもいかない。
無理をしない範囲でほどほどに参加をしつつ、社交界を得意とする人脈を頼ると良いでしょう。
今は出産直後、しばらくは社交場に参加しなくても、不自然には思われません。
ですがあと二か月もすれば、一度は主催をしておくべきだと考えます。
数か月に一回、せいぜい年に二回から四回も主催をすれば、もうそれで充分でしょう」
つまり、三か月から六か月に一回は主催をしておいた方が良いということだろう。
「そんなものでいいのかな?」
「社交界を不得意とする妃は、これまでも居ましたからね。
情報収集を担当するのがオーソドックスというだけで、それしか認められていない訳でもありません。
確かな人脈さえあれば、それで困るということはありませんよ」
瑞希の確かな人脈はクラインたちと、そこに連なる人脈だ。
交友範囲は狭いが、間違いのない人物が連なっていると聞いている。
彼女たちを頼るのが、今は一番良いだろう。
****
孤児院に到着した瑞希たちが馬車を下りる。
出迎えたのは老年の男性貴族だ。
「私がここの新しい責任者、ペーター・メルダース伯爵です。
私が殿下をご案内いたします」
「よろしくお願いしますわ、メルダース伯爵」
案内されるがままに内部を見て行く。
職員たちに労いの言葉をかけ、子供たちには笑顔で接していった。
子供たちに暗い影はなく、瑞希は内心で胸を撫で下ろしていた。
一通り終えると応接間に通され、現在の運営者から話を聞くことになった。
ソファに腰かけたメルダース伯爵が瑞希に告げる。
「今回の不祥事を暴くのに、殿下の強力な助力があったと聞いています。
おかげで不幸な子供たちを救い出し、新しく生み出すことも防止できました。
殿下には私からも、心からお礼を申し上げたい」
「そんな、私の助力など小さなもの。
王都の兵士たちが優秀なのですわ」
メルダース伯爵が楽しそうに笑った。
「ははは、ご謙遜なさらなくても結構ですよ。
よほど深く真相を暴かなければ、あれほどの大物貴族が捕縛される事もなかったでしょう。
暴いた人間が殿下でなければ、どこかで真実が握りつぶされることにもなったはずです。
そして陛下からの信頼が篤い殿下だからこそ、陛下がご決断なされた。
国政に混乱は生みましたが、子供は国の宝です。
それを守ってくださった殿下には、感謝の念に堪えません」
「そう言ってくださると、私も救われる思いですわ。
私は国家の不祥事を暴き立てました。
民衆が王家に対し、不信感を抱かないか――それが心配ですの」
「その心配はご無用ですよ。
現在の王家には、殿下の持つ霧の神の血筋が入っています。
霧の神の血族が起こした不祥事でもなければ、民衆の信仰心が揺らぐこともありません。
そして信仰心が王家への信頼に繋がります。
――ですから、ミズキ殿下やエステル殿下は、言動に細心の注意を払ってください。
あなた方が不祥事を起こせば、それは人心が王家からも、霧の神からも離れるきっかけになりかねません。
多少は目をつぶってくれるでしょうが、繰り返せば国家が揺らぎかねない。
そのことを努々忘れる事のないよう、お願いいたします」
「その言葉、胸に刻んでおきますわ。
――現在、困っていることはありませんか?
報告書にあげるほどでもない、些細なことでも構いませんの」
メルダース伯爵が微笑んで応える。
「なに、孤児院の運営は慣れたものです。
職員たちにも、問題のある人間はいません。
多少の事は、私財を投じて対応します。
殿下がご心配されるようなことは、なにもありませんとも」
瑞希が微笑んで告げる。
「頼もしいお言葉、ありがとうございます。
では今後もよろしくお願いしますわね」
メルダース伯爵と子供たちに見送られ、瑞希は孤児院を後にした。
車内で瑞希がエーベルヴァイン男爵に告げる。
「凄い人だね。『多少の事は私財を投じる』だって。
簡単に言える事じゃないんじゃない?」
エーベルヴァイン男爵が微笑んで応える。
「ええ、国を思い、子供たちを思う方です。
陛下からの信も篤い、信頼のおける方ですよ。
あの様子なら、額面通り受け取っても大丈夫でしょう。
後任者も、メルダース伯爵がきちんと選定されるはずです」
国家の不祥事に対し、国王も相応に信頼できる人間を配置した、ということだろう。
立て続けに不祥事を起こすことがないよう、心を砕いたのだ。
瑞希が小さくため息をついた。
「陛下の気苦労を増やしちゃったね。
あそこまで大事にせずに済ませた方がよかったのかな」
ユリアンが微笑みながら瑞希に告げる。
「もっと胸を張りなさい。
あなたは子供たちの未来を守ったのよ?
大人が苦労を恐れて、子供たちの未来が踏みにじられるようなことがあってはならないわ。
これは必要なことだったの。そう判断を下したからこそ、陛下も捕縛を承諾したはず。
清濁併せ呑むのも政治の世界では必要だけれど、今回は決断を下されたのよ」
「悪い人でも、国のためなら悪事を見逃すこともある、か。
それもやり過ぎれば国が腐る原因にもなるし、やっぱり大変な世界だね」
エーベルヴァイン男爵が不敵な笑みを浮かべた。
「なに、そのような汚物、全て排斥してしまえばよいのですよ。
そのような人間が力を持てないよう、国家を作り替えるだけです。
そこには当然苦労を伴いますが、不幸な民衆を減らす事に繋がるなら、苦労とも思いません」
ユリアンが苦笑を浮かべた。
「エーベルヴァイン男爵らしいわね。
でも、そうも言ってられない状況と言うのはいつか必ず訪れる。
そんな状況に極力陥らないよう、力を持つ人間が動いてあげるのよ。
そうすれば、エーベルヴァイン男爵のような文官が国を支え、守ってくれる。
王族のような大きな力を持つ人間には、そんな責任があるのよ」
「うへぇ……やっぱり王族って大変だなぁ。
国民の命や人生を背負う覚悟はしてるし、自負も持ってるけど、期待に応えるのは本当に大変。
深く知れば知るほど、自信を失いそうだよ」
「大丈夫。
あなたはあなたらしく生きなさい。
そうすれば自然と人を救い、国を救うことに繋がるはずよ。
困難な道で苦労もするでしょうけど、それでも国を守ると決意をしたのでしょう?
霧の神に誓った時の気持ちを、忘れちゃだめよ」
瑞希は目を落として、婚姻の儀の出来事を思い出していた。
「そうだね。
私がしっかりしないと、国が滅びかねないとも言われた。
苦労を恐れていたら、きっと失敗をする。
――ありがとうユリアンさん。
最近は頭の痛い問題が多くて、初心をすっかり忘れてたよ」
エーベルヴァイン男爵が微笑んで告げる。
「殿下ご自身が厄介な身の上ですから、気苦労も人一倍でしょう。
我々は殿下の負担を減らす事も職務の内。
なんでも気兼ねなくご相談ください」
瑞希がエーベルヴァイン男爵の目を見つめて思考を巡らせた。
「なんでも、か。
ねぇエーベルヴァイン男爵。都市計画について私が口出しをする事ってできるのかな?」
エーベルヴァイン男爵が怪訝な顔をした。
「いきなり都市計画ですか?
意見を出す事までは許されると思いますが、何か思う事があるのですか?」
「エステルの乳母をしているアニカが、『王宮でのお使いをするために街に出ると良く絡まれて困る』って言ってたんだ。
まだ詳しい話は聞いてないけど、王宮の従者に絡むような人間って居るのかな?」
エーベルヴァイン男爵が顎に手を当てて応える。
「そういった治安の悪い区画も、当然残っています。
今回の人さらい事件でもそうですが、治安が良い王都とはいえ、無法者を全て排斥することは不可能ですからね。
全ての通りに兵士を配置する訳にも行きません。
貴族が多く住む区画であれば兵士が巡回をしていますが、平民区画であれば絡まれる事もあるでしょう。
さすがに貧民区画に足を踏み入れるほど愚か者だとは思えませんし」
「……貧民区画は、そんなに治安が悪いの?」
「無法者のたまり場ですからね。
必然的に治安が悪くなります。
そういった場所でなければ生きて行けない貧民たちが集まる区画です。
全ての民を救済したいですが、国庫には限りがあります。
順を追って整備は進めていますが、追い付いていないのが現状ですね」
ユリアンが諭すように瑞希に告げる。
「勉強したと思うけど、社会というのは生き物なの。
人が生きて行く場は池のようなもの。
必然的に、上澄みと澱みに分かれるわ。
人の力では、全てを清流に変える事などできないのよ。
そして、泥の中でしか生きられない民というのも居るの。
私たちに出来るのは、その中で最善を尽くす事だけ。
困っている人に手を差し伸べる――それが、私たち人間にできる限界よ」
つまり、王宮の人間たちも、自分たちに出来る精一杯を尽くしている。
それでもなお、治安を高めることが出来ていないのが現状ということだろう。
瑞希が住んでいた日本のような治安を、この世界に望むのは酷なのだと悟った。
瑞希が深いため息をついた。
「私の魔導にも、限界はあるもんね。
同じように、優秀な人たちにも、国家にも限界はある。
そんな中で、私は私に出来る事を探していかないといけないんだね」
ユリアンが微笑んで告げる。
「でも今のあなたは、仕事よりもプライベートを優先するべきよ。
あなたの子育ては、国家の行く末にも影響をする事。
だから後ろめたい気持ちを持つ必要はないの。
エステル殿下が誠実な王女になるよう、力を尽くして頂戴。
そうすればエステル殿下は、きっと国の力になってくれるわ」
エーベルヴァイン男爵も微笑んで告げる。
「エステル殿下がミズキ殿下の魔導を受け継げば、我々としても心強く思います。
少なくとも殿下の魔導があれば、外敵に怯える必要はなくなりますからね。
その分、内政に力を入れることが出来ます。
それだけでも充分、殿下は国のために貢献していると言えるでしょう」
「……うん、わかった。
ありがとうユリアンさん、エーベルヴァイン男爵」
いつかエステルは王女として、どこかに嫁いでいく事になる。
それが国のためになるようにエステルを教育し、相手を選定していく必要があるだろう。
瑞希はこの国の将来に思いを馳せながら、馬車に揺られていた。




