79.片鱗
――夕食の席。
瑞希は今日の大捕り物の内情を説明していた。
「国王陛下に承認をもらうのが大変だったけど、なんとか関係者を全員捕縛できたよ」
アルベルトが神妙な顔で応える。
「名簿は見せてもらったが、大物も混じっていたからな……。
だが自供や取引書類という証拠がある以上、放置もできない。
父上も悩んだ末の決断だろう。
今月中は、人事の再編で忙しくなりそうだ」
ヴォルフガングも、神妙な顔で瑞希に告げる。
「今回の事は、大きな噂となるだろう。
貴族は人買いに関わる事を避けるようになるだろうが、ミズキ殿下を恐れる者も多く出たはずだ。
ユリアンは承知して準備を進めているだろうが、今後の身の回りに注意をしておくといい」
瑞希はグラスを傾けた後、暢気に応える。
「他国の密偵や暗殺者すら対応してきたんだよ?
国内の一貴族の力で、何が出来るんだろう?」
アルベルトが苦笑を浮かべた。
「確かに、簡単にミズキに危害を加えることが出来る人間は居ないだろう。
だが直接危害を加えずとも、お前の活動を邪魔するように動くことはできる。
王太子妃のお前の発言力は大きなものだが、これからは全ての者が協力的だとは思わない方が良い。
お前の地位や名声を貶めるよう、噂を蒔く人間も出てくるだろう。
政治的に陥れられる事を踏まえて動くんだ」
「うへぇ……なんだか面倒くさい世界なんだねぇ」
アルベルトが優しく微笑んだ。
「そこまで大きな心配もしなくていい。
現在、私やお前の政敵と呼べる存在はいないからな。
悪い噂に振り回されて、疲れてしまわないようにすればいいさ。
社交界は、クラインたちがフォローをしてくれるはずだ。
だが彼女たちだけに頼らず、自分でも社交界で主導権を握れるようにした方がいいかもしれないな」
「やっぱり社交界からは逃げられないのかー。
貴族の世界って、本当に大変なんだねぇ。
公務が始まったから、社交場を主催してもいいとは言われてるし、やるしかないかなぁ」
ソニアが困ったように微笑んだ。
「私が国内に居れば、姉様の助けになれたのですけれどね。
リーゼロッテは社交界で力になれる子でもありませんし、今は姉様の踏ん張りどころかもしれませんわ。
でも決してご無理はなさらないでくださいね」
瑞希が微笑んで応える。
「それはわかってるよー!
エステルのためにも、私が倒れるわけにはいかないし!
****
それからしばらくの間、瑞希はエステルに魔力制御を教える日々が続いた。
創竜神がエステルの魔力を抑えつける力を最低限にしてもらい、エステル自身に自分の強大な魔力を制御させる――そんな訓練だ。
瑞希とエステルの様子を眺めていたシュワルツ公爵が、瑞希に告げる。
「凄い子だな。
もう自分の魔力をそこまで制御できるのか」
瑞希がエステルに微笑みながら、シュワルツ公爵に応える。
「まだまだ、これじゃヴォルフガングさんといい勝負ってところだね。
これだけの魔力を繊細に制御するには、全然足りてない。
それに知能が育ってないから術理を理解できないし、術式の発動まではできないはず。
知能が発達する年齢になるまでは、念入りに魔力制御を仕込んでいくことになるんだろうね」
ヴォルフガングが小さく笑った。
「ははは、『私といい勝負』か。
希代の大魔導士と言われたのも今は昔、といったところかな。
そして確かに私の魔導では、これほどの魔力は持て余し、暴走させかねないだろう。
将来が楽しみな子だね」
レッド公爵も楽しそうに微笑んでいる。
「魔導センスのみでここまでの芸当をこなすのは、さすが瑞希の娘だね。
そしてエステルの魔力すら操り切って見せる瑞希には、脱帽しかない。
魔法にしか見えない魔術の根底を支えているのは、その魔導センスなんだろうね」
瑞希が微笑みながら小さく息をついた。
「そんな私の魔導センスを、エステルがどこまで受け継いでくれてるのか。今はそれが気がかりかな。
この子の魂は特別な魂だもん。
魔導の禁忌すら簡単に飛び越えてしまえるはず。
つまり『やってはいけないこと』を即座に感じ取れる感性があるかどうかだよ。
それはこれから厳しく戒めておかないと、簡単にこの世界が滅びてしまいそう」
ヴォルフガングが苦笑した。
「おやおや、子育てにまで世界の存亡がかかってるのかい?
ミズキ殿下は本当に大変だね。
――ところで、ローヤたちにエステルは見せないのかい?」
「国王陛下たちが忙しくて、時間をとれないみたい。
この間の人買い騒動で、さらに忙しくさせちゃったし。
できれば前と同じメンバーを揃えたかったけど、ソニアはお嫁に行っちゃうし諦めるしかないかなぁ。
それなら、アルベルトと私とエステルが居ればいいから、いつでも会えるけど、魔法は使えないから、短時間の顔見せだけで終わっちゃうね」
ヴォルフガングが微笑んで告げる。
「見ていて実感しているだろうが、赤ん坊の顔というのは刻一刻と変化していく。
早いうちに、ローヤたちに見せてあげるといい」
瑞希が頷いた。
「うん、そうするよ。ありがとう」
****
休日の朝、瑞希は≪異世界間映像通話≫の術式で祖父や父母と再会した。
画面の向こうの父親が叫ぶ。
『瑞希! 元気だったか!』
瑞希が微笑んで応える。
「うん、見ての通り元気だよ。
お父さんたちも元気そうだね」
祖父が画面の向こうで静かに微笑んでいた。
『お前のおかげでこの通り、健康そのものだ。
お前の出産が無事に済んで、安心しているよ。
――その子がエステル、だね?』
「うん、やんちゃな子で大変だけど、可愛いでしょ?」
画面の向こうで父母や祖父が頷いていた。
母親が感慨深げに告げる。
『瑞希がとうとうお母さんになったのね。
くれぐれも、無理はしちゃだめよ?
若いから無理をできてしまうけど、後で必ず響いてくるんだからね』
「はーい、わかってるよ。お母さん。
心配しないで。
――そろそろ魔力が尽きちゃう。それまで、エステルの顔をじっくり見ておいて」
画面の向こうで、父母と祖父が温かい眼差しをエステルに向けていた。
――そして、画面が掻き消えた。
瑞希が大量の汗をかいて、大きくため息をついた。
「――ふぅ。やっぱりこの術式、きっついや。
じゃあしばらく休息するから、エステルをお願いね、アルベルト」
「ああ、任せておけ」
エステルをアルベルトに預けた後、全ての術式を解除して、瑞希はソファに倒れ込んだ。
「あーつかれた……
こんな現象を何時間も維持させてたんだもん。
そりゃあ霧の神も『無理をした』とか言うよねぇ」
シュワルツ公爵が瑞希に告げる。
「いや、実に面白いものを見せてもらった。
あれが魔導術式だというのだから、本当に恐れ入る」
瑞希が驚いて顔を上げ、シュワルツ公爵を見た。
「え?! 日本語?!
黒龍さん、日本語を話せたの?!」
「これだけ長く共に居るのだ。
お前の話す言葉くらいは習得しているさ。
最近は立つ瀬がないことも多いが、腐っても高位の竜だからな」
どうやら、瑞希とは頭の出来が違うようだ。
「さすが、上位四頭の一角だね……」
シュワルツ公爵がニヤリと笑った。
「そういうことだ。
――だが、何故エステルの魔力を借りなかった?
その子の魔力を借りれば、もっと長く術式を維持できたのではないか?」
瑞希は首を横に振った。
「いくら私でも、エステルの魔力でこの術式を成立させるのは無理だよ。
その程度には繊細な魔力制御が必要な術式だもん」
「そうか……そこは魔導術式の限界、といったところか」
「ミズキ!」
アルベルトの叫びを聞いて、瑞希が振り向いた。
――そこには、≪異世界間映像通話≫の画面が作り出されていた。
画面の向こうでは、戸惑う父母や祖父の姿が映っている。
アルベルトの胸の中で、エステルが楽しそうに画面を眺めていた。
慌てて瑞希が≪意思疎通≫を再起動させてアルベルトに尋ねる。
「何があったの?!」
「わからない。
だが突然、画面が現れた。
エステルが魔導を使っているようなのだが、何をしてるのかまでは私には理解できないんだ」
瑞希が急いでエステルに魔力同調していく。
「――嘘?! 本当にエステルがこの現象を起こしてるの?!」
魔導術式ではない。
術理を理解していないエステルに、魔導術式は使えない。
だが、目の前で確かに≪異世界間映像通話≫と同じ現象が発生していた。
「これじゃ……魔法じゃない……」
エステルは楽しそうに笑い声を上げている。
画面が突然掻き消え、室内にはエステルの笑い声のみが響いていた。
瑞希が考えを巡らせながら告げる。
「……エステルはもう、魔法を使えるってことだね」
アルベルトが目を見開いた。
「人間が、それも生後三か月未満の子供が魔法を使えると言うのか?!」
「実際に目の前で使って見せたよ。
理屈のない現象を起こした――つまり魔法だよ。
私の見せた術式を、現象だけ真似をしたんだ」
シュワルツ公爵が引きつった笑いを浮かべていた。
「末恐ろしい子供だと思っていたが、ここまでとはな。
つまりこの子の目の前では、迂闊に術式を使えない、ということか。
結果がどうなるかを考えずに、魔法として使ってしまうだろう」
「そこは私や創竜神が抑えている間は、使わせずに済むはず。
でも今、私の休息中は、エステルがほとんど自由に魔力を使える時間を作ってしまった。
だから魔法を発動できたんだと思う」
アルベルトが固唾を飲んだ。
「なぁ……もしかして、ミズキの≪意思疎通≫も、エステルは使えるんじゃないのか?」
「多分ね。私が常に維持してる術式だもん。使えても不思議じゃない。
でもボキャブラリーが少ないから、ほとんど意味がないと思うけど」
エステルが大きな声を上げる。
「お母さん! お腹空いた!」
瑞希が驚いてエステルを見た。
再びエステルが声を上げる。
「お腹空いたよ!」
耳に聞こえるのは『まんま』という響きに似た言葉だ。
乳児の言葉すら、≪意思疎通≫が通訳してしまっているだけなのだろう。
どうやら、急速に知能も発達しているようだ。
アルベルトが怪訝な表情で瑞希を見た。
「どうした? なにかあったのか?」
「……ううん、なんでもない。エステルのご飯の時間みたい」
ソファで授乳させながら、瑞希は思考を巡らせていた。
そんな瑞希に、シュワルツ公爵が告げる。
「考えても仕方あるまい。
その時期の人間は知能の発達が著しい。
いっそのこと、倫理観を術式で伝えてしまう手もあるぞ」
それは今、瑞希も考えていた事だ。
知識や概念を伝える術式――だがそれを子供に使ってもいいのか、判断が付かなかった。
シュワルツ公爵が告げる。
「このまま魔法を暴走させるよりはマシだと思うしかあるまい。
創竜神様とも相談をしてみるがいい。
何か良い知恵を貸して下さるかもしれん」
瑞希は頷いて、創竜神の気配を手繰り寄せた。
(創竜神、ちょっと相談なんだけど)
『エステル様の魔法のことですか?
魔法を使えない程度に魔力を抑え込めば済む話ではないですか?
今のように油断をしなければ、勝手に使われる事もないでしょう』
(じゃあ私が魔力を見張ってない間は、創竜神がきちんと代わりに見張っておいて。
大事になる前に必ず止めて)
『わかりました。今の魔法は私にも予想外でしたので間に合いませんでしたが、次はきちんと止めて見せましょう』
(頼んだからね!)
瑞希は疲労感をため息で吐き出した。
「創竜神が見張ってくれるから、次からは魔法を使われることはないって」
シュワルツ公爵が応える。
「ならば安心するがいい。
あとはじっくりと成長を見守ろう。
しかし魔導術式より先に魔法を覚えるか。
神の子というより、もはや神も同然の存在なのだな」
「……魔法は感覚だけで使えてしまう分、簡単なんだろうね。
エステルからしたら、魔導術式は無駄に面倒くさい魔導になると思う。
私が即興術式ばかり使ってるのと、同じ感覚なんだろうな。
倫理観が育つまでは、今のまま魔法を封じるしかないかな。
そこから先は、エステルを信じるしかない」
「そんなに深刻に考える必要はあるまい。
肉体も精神も、間違いなく人間のものだ。
あとは普通の子供を育てるように育てれば良い。
お前たちが真心を込めて育てれば、きっとその心に応えてくれるはずだ」
「……そうだね、そうするよ」
瑞希は愛しい我が子を胸に抱きつつ、その将来には大きな不安を感じていた。
こうも簡単に魔法を使えてしまう子供……その大きすぎる力は、周囲が知れば間違いなく狙われる。
自分と同じような苦労を、エステルは背負ってしまうだろう。
エステルがその重さに耐え切れる子になるよう、育てていくしかない。
(それまで、必ず守り抜いてみせる!)




