74.初産
――十二月末の夜、王太子のリビング。
年末最終日を控えた今夜は、歳末夜会が盛大に開かれていた。
出産が近づいた瑞希は、リビングで大人しくお留守番だ。
ソファに腰かけ、向かいに座るユリアンに語りかける。
「やっぱり、鎧を着てるユリアンさんって意外な感じがするね。
似合ってるのに、なんか不思議」
「私自身に近衛騎士のイメージがないから、でしょうね。
私の個性は見ての通りだし、騎士らしくないのは確かよ」
「そういえばソニアから以前、『同性愛者でもないけど、異性の恋人が居たという話も聞かない』って聞いたよ。
結婚願望とか、ないの?」
ユリアンが頬に手を当ててため息をついた。
「まず、私の個性を許容してくれる令嬢がいなかったのよ。
当時は下位貴族だったし、外聞が悪いのは嫌がられるわ。
私も、婚姻自体に大して価値を感じない人間だから、そのままずるずると、今まで来ちゃったのよ」
「でも、今は状況が変わったから、少しは相手をしてくれる人が出てきたんじゃない?」
「そうねぇ……上位貴族の伯爵だし、近衛騎士団の隊長だもの。
自慢じゃないけど、ルックスだって悪い方じゃないはず。
剣の腕には自負があるし、普通の男性なら、入れ食いでしょうね。
でもやっぱり、この個性が嫌がられるのか、今も近づいてくる令嬢は居ないわね」
瑞希が紅茶を口に含んだ後、ユリアンに尋ねる。
「ふーん……親しみやすいと思うし、結婚相手として悪い人だとは思えないんだけどなぁ。
なんでそんなに敬遠されちゃうんだろう?」
ユリアンが苦笑した。
「私と親しくしてくれる人は男女問わず、今でも一握りよ。
騎士団の中では強さが一つのステータスになるから、それなりに敬意は集めてるけどね。
友人となると、とても少ないわ。ミズキさんほど親しい人は、他に居ないんじゃないかしら」
「ユリアンさん、今いくつ?」
「今年で二十六よ。来年には二十七。美容には気を使ってるけど、もう立派なおじさんの仲間入りね。
だから婚姻はもう、諦めてるのよ。
一人で気楽に生きる人は珍しくないわ――下位貴族ならね」
現代日本の感覚から比べると、成人年齢や結婚適齢期が若い分、『おじさん』の概念に当てはまる年齢も低くなるようだ。
二十代も中盤になると、『おじさん』『おばさん』と呼ばれても、本人が否定できないようだった。
瑞希が眉をひそめた。
「せっかく伯爵になったんだから、おうち残そうよー。
三十歳までまだ時間はあるし、婚活頑張ってみたら?」
ユリアンは目をつぶり小指を立てて紅茶を含んだ後、瑞希に応える。
「そんな暇はないわよ。
あなたの警護で一日が終わるし、その後は仕立師の副業が待ってる。
女の子漁りなんて、そんな時間は残ってないのよ」
この場合の『女の子漁り』はつまり、お茶会や夜会などの社交場に出向くということだ。
お茶会は昼間、夜会は遅くても二十一時で終わる。
そんな時間帯にユリアンが解放されることは、まずない。
たまにある休日も、仕立師の副業で埋まってしまうのだろう。
「うー、それじゃあ私がユリアンさんの結婚を邪魔してるみたいじゃないかー」
「あはは! あなたの警護がなければ、仕立師の仕事に没頭するだけで変わらないわよ!
余程良い出会いでもなければ、このままで構わないと思ってるし、伯爵くらいなら惜しくもないわ」
「うーん、なんかもったいないなぁ……
魅力的な男性だと思うんだけど。
この国の文化だと、評価されない個性なのかぁ。
――ねぇ、三十を超えてから結婚をする人は居ないの?」
「そうねぇ……初婚では珍しいけれど、居ない訳でもないわね。
でもほとんどが訳ありよ。周囲もそういう目で見るわ。
私の個性のこともあるし、そういう外聞に耐えられる女の子じゃないと不幸になっちゃう。
そんな結婚なら、したいとは思えないわ。
私は女の子の人生を幸せで彩ることに、幸福を感じる人間なのよ」
「ああ、それはユリアンさんが作る服からも感じられるからわかるよー。
ほんとうに女の子が好きなんだなーって」
「あらそう? そう言ってもらえると嬉しいわね。
今後もウェディングドレスとか、もっと作っていきたかったけど……やっぱり副業だと、以前ほどは捗らないわね。
あなたの服をデザインするだけで精一杯。それはそれで楽しいから、構わないんだけどね」
「そっかー。子供服とかも作ってもらいたいなぁ。
エステルは王女だし、たくさん作ってもらいたいよ」
ユリアンが微笑んだ。
「そうね、その子の服なら喜んで作ってあげるわよ?」
雑談を交わす瑞希たちの元へ、ザビーネが近付いてきた。
「失礼いたします。
ライツラー侯爵からのお手紙が届いております」
「ライツラー侯爵から? こんな時期まで働いてたってこと?!
……わぁ、なんか悪いことをしちゃったなぁ。
年末年始ぐらいゆっくりすればいいのに」
先にユリアンが手紙を確認してから、それが瑞希に手渡された。
それはシュトルム領周辺の調査結果が事細かに記されたリストがついた報告書だった。
報告書の冒頭には要約として、『結論として、大陸中の信徒が映像を見た可能性が高い』と記されていた。
「……え゛。
大陸中?! 初代様は『この周囲の信徒』って言ってたのに、どういう事?!」
ユリアンが苦笑した。
「その手紙、私にもう一度見せてもらってもいいかしら」
「あれ? さっき目を通してなかった?」
「あれは危険な罠が仕掛けられていないか、チェックしただけよ。
中身を読むような真似をしてはいけないの。常識よ?」
瑞希が手紙を渡すと、ユリアンが再び素早く目を通していった。
「……誰に聞いても知っているみたいだし、噂が広範囲に広がっても居る。
でも、噂の内容にブレがないわね。
確かに、これなら大陸中の信徒が映像を見た可能性は考えられるわ。
私はその確率は五割以下かと思うけど、ライツラー侯爵が直感で下した結論でしょうね。
実際に話を聞いていたライツラー侯爵には、何か感じ取れるものがあったのかしら」
ユリアンが返した手紙を受け取った瑞希が、もう一度内容を確認しながら尋ねる。
「うーん……そんなに広範囲に噂が広がってるなら、もっと私の周囲にもそういう話が届いてもよくない?」
「噂の中心は民衆よ。
そして民衆たちは『霧の神』の存在を、まず知らないわ。
ドライセン王国の存在すら知らない民衆だっている。
もちろんミズキさんの名前も、知らない人が多数よ。
お腹の子が『ミズキをよろしくね』と言っても、意味が通じていないはず。
シュトルム領周辺なら、『創竜神より偉い神様が居るらしい』という噂に留まるのはしょうがないわね。
それ以外の噂は憶測が少し混じってるけど、芯になる噂はそれね」
確かに、ミズキという珍しい響きの単語がどういうものか、推測する噂がいくつかはある。
霧の神も同様だ。
だが不思議なほど、噂が大人しい気がした。
「なんでこんなに噂が大人しいの?
私の魔導の噂なんて、それこそ好き勝手に言われてたのに」
ユリアンが笑って応える。
「あはは! 信仰する創竜神が怒って破門にした挙句、神罰でおよそ十万人の兵士が命を奪われた映像よ?
下手な噂でも流したら、自分がどんな罰を与えられるか分からないわ。
だからみんなそれを恐れて、噂をする事も躊躇ってるんじゃない?
結果的に、映像として見たそのままが噂に乗ることになって、噂がぶれてないのよ。
――でもおそらく、春を迎えた頃から少しずつ、あの時に襲ってきた周辺国を通じてあなたの情報が噂に乗るわ。
来年一年は大丈夫でしょうけど、その後はまた、どこかが狙ってくるかもしれない」
となると、幼いエステルがさらわれる可能性も考えた方が良いだろう。
そんなことをさせない自負はあるが、油断をするつもりもなかった。
「……ユリアンさん、エステルの事も、よろしくお願いね」
「任せといて頂戴」
ユリアンがウィンクをして応えた。
****
静かな年末年始が過ぎ去り、穏やかな日常が続いていった。
そして二月上旬のある日――。
「生まれました! 立派な王女です!」
リビングで苛々しながら、落ち着きを忘れて歩き回っていたアルベルトが顔をほころばせた後、力一杯の握りこぶしを固めていた。
「よかった……何事もなくて、本当に良かった……っ!」
リビングで同じように待っていた王妃が、呆れるようにアルベルトに告げる。
「だから、心配は要らないって言ったでしょう?
初産だからって、心配が必要な助産師は雇ってないわよ。
――ねぇハンス?」
王妃が国王を見ると、アルベルトと同じように感激で体を震わせていた。
「……男ってのは、どうしてこう頼りないのかしら」
ぼそりと呟いた王妃の言葉で、ソニアとリーゼロッテが苦笑していた。
ミハエルはリーゼロッテと仲良く将来設計に思いを馳せ、心配をしている様子はない。
オリヴァーはのんびりと紅茶を口に含んでいた。
「……やはり、当事者の男となると気が気ではない、ということでしょうか。
我々には、信じて待つしかできませんからね。
私も今から覚悟しておきませんと」
王妃がオリヴァーに尋ねる。
「シュティラーヒューゲルの助産師は、信頼できるのかしら?」
「タイミングが合えば、白竜教会から巫女が派遣されてくることがありますね。
彼女たちが願う創竜神様の加護を受ければ、命を落とすことはありません。
不在だった場合は、白竜教会の神官が助産師として魔術を施します。
普段から民衆を多く見ている経験豊富な人間が寄越されるので、普通は心配いりませんよ」
ソニアが少し不安気な表情を浮かべた。
「……出産だけこちらに戻ってきても良いかもしれませんわね。
創竜神の加護であれば、リーゼロッテも施せるのでしょう?」
リーゼロッテが元気に頷いた。
「うん! できるよ!」
オリヴァーが苦笑してソニアに応える。
「だが出産直後、乳児を連れての帰路は無理があるだろう。
世継ぎが生まれた場合、国を挙げて祝う必要もある。王女でも、祝うこと自体は変わらない。
こちらに戻ってきての出産は、諦めてもらうしかないな」
国王と王妃が立ち上がった。
「そろそろ、落ち着いた頃合いだろう。
孫の顔を見に行こうじゃないか」
****
瑞希が疲れ切ってベッドに寝ていると、アルベルトたちが寝室にやってきた。
アルベルトが優しく微笑んで瑞希に告げる。
「出産おつかれ。まずは一仕事が終わったな」
「いやー、苦痛は魔導のおかげでほとんど感じなかったけど、とにかく疲れたよ……。
でも思ったよりは大人しい子かもね」
瑞希が目を向ける先――タオルにくるまれた、新しい王家の一員の顔だ。
既にすやすやと寝息を立てているようだ。
王妃がクスリと口元を隠して微笑んだ。
「男の子場合は、覚悟しておいた方が良いわよ?
ミハエルですら、元気に泣き喚いてたんだから」
「げ……覚悟しておきます……」
ミズキはふと、見慣れない女性が一緒に居る事に気が付いた。
「お母様、その人は?」
王妃が振り向いて女性を前に招いた。
女性が恭しく頭を下げる。
物静かな、二十代中盤の女性だ。
「アニカ・ドリー・オーバードルフと申します。
この度、エステル殿下の乳母を拝命いたしました。
誠心誠意、エステル殿下にお仕えする所存です」
瑞希はアニカの目をまっすぐに見ながら、王妃に尋ねる。
「この人はどんな人なのかな?」
「魔術学院を優秀な成績で卒業した子よ。
何度か面談をしたけれど、温和で思慮深い女性ね。
素行調査でも問題はなかったわ。
今までは王宮で従者を務めていたの。
口も堅いから、あなたたちの身の回りに置いても良いという判断よ」
「でも、手を汚した経験がある人だね。
どんな経緯でそんなことになったか、聞いてもいい?」
アニカが穏やかな表情で応える。
「護身術を嗜んでおります。
王宮からの使いで街に降りた際、ごろつきに絡まれました。
奪われる訳にはいかない書状を運んでいたため、安全を図り、止むなく全員の息の根を止めました。
――似たような経験で、何人かの命を奪っております」
なかなか温和とは言い難いエピソードである。
思慮深いかは、その時の状況次第だろう。
「ふーん……なるほどね」
国王が瑞希に尋ねる。
「ミズキ、お前の魔導はどうなったんだ?」
「ああ、それなら出産直後から急激に安定し始めてる。
もう少しすれば、ほとんど元通りになるはずだよ」
「ならば、聞かずとも相手の素性がわかるのではないか?」
「うん、まぁそれなりに見えてるけど、まだ本調子じゃないから直接、話を聞いておこうかなって。
今までそういうのを省いて素性調査してたし、自供と素性に不一致があれば、それはそれでヒントになるし」
アニカが穏やかに告げる。
「それでミズキ殿下の目から見て、私は乳母として合格できたのでしょうか」
瑞希がアニカの目を見据えた。
「そうだね……殺した人数の桁が自己申告より多い気がするけど、それくらいは許容範囲かな。
逆に頼もしいとも言えるし、きな臭い組織との因果もなさそう。
しばらくは念のために見張らせてもらうけど、エステルを預けることはできる人だと思うよ」
アニカが苦笑を浮かべた。
「私の外見はどうも、因縁をつけやすいように見えるようです。
絡まれやすいせいか、全てを撃退していると、どうしても撃墜数が増えてしまいますね」
瑞希が小さくため息をついた。
「でも、戦場に出てる訳でもないのに、百人以上殺してるのは殺し過ぎじゃない?
根は過激な人なのかなぁ?」
国王と王妃が目を丸くしていた。
アルベルトが警戒する目付きでアニカを見据えている。
「なぜ命を奪ったのか、聞いてもいいか?
必要以上に命を奪う人間を、傍に置いておくつもりはない」
アニカが小さくため息をついた。
「街のごろつきは、中途半端に痛めつけると逆恨みをいたします。
『相手をすると殺される』と、恐れられるくらいで丁度良いのですよ。
そうしなければ、安心して街を歩く事もできなくなりますので。
――絡まれやすい人間なりの、自衛策です。
私も殺したくて殺している訳ではありませんが、手心を加えると、こちらの身が危うくなります」
アルベルトも小さくため息をついた。
「王都の治安がそんな状態なのは、我々の責任でもある。
そこは確かに許容範囲と呼べるだろう。
ミズキの監視もあるし、乳母としてしばらく様子見をするのは、問題ないだろう。
乳母ともなれば、王宮に住んでもらう事になる。
これで、治安の悪い生活とも別れられるだろう」
アニカが穏やかに微笑んだ。
「では、よろしくお願いいたします」
アルベルトや国王、王妃が代わる代わるエステルの顔を覗いていく。
「……生まれたばかりだと、どちらに似ているかわからんな」
王妃がクスリと笑った。
「もうしばらく待ちなさい。
そのうち分かるようになるわ。
――でも、ミズキさんと同じ銀髪なのね。
瞳の色も同じ赤色なのかしら」
瑞希が王妃に応える。
「私とそっくりの初代様の魂を持ってる影響かもしれないね。
アルベルトに似てる部分があるはずだけど、どうなるんだろ」
「ミズキさんは、その子の成長を楽しんでいくと良いわよ?
目をちょっと離している間に、あっという間に成長してしまうの。
公務で忙しくなっていくでしょうけれど、触れ合う時間はきちんと確保してあげてね。
――さぁ、出産直後に長居をするものじゃないわ。
あとはアニカに任せて、私たちは引き上げるわよ」
瑞希は背を向けた王妃に声をかける。
「ああ、お母様!
――乳児に魔導士を付けることってできるかな?
できたらヴォルフガングさんについていてもらいたいんだけど」
「それはどういうことかしら?
魔導士が必要な子なの?」
「アニカは魔導が得意ではないみたいだし、この子に魔力同調できる人が欲しいんだよ。
ヴォルフガングさんなら、もしかしたらできるかもしれないと思って」
国王が怪訝な顔で瑞希に尋ねる。
「乳児に魔力同調など、聞いたことがないぞ。
どういうことだ?」
瑞希が大きくため息をついた。
「この子、とんでもなく強い魔力を持ってて、持て余してるみたいなんだ。
今は私が魔力同調して抑え込んでるんだよ」




