73.子供の名前
――煌びやかな夜会会場。
今日は瑞希とアルベルト、そしてリーゼロッテの誕生日を祝う夜会だ。
誕生日が近い三人を、瑞希の誕生祝賀会で一緒に祝ってしまおう、と瑞希から提案した。
ミハエルも当然参加し、その学友たちも集う、年齢が幅広い夜会となっていた。
未成年や妊婦である瑞希は、当然お酒を口にできない。
ぶどうジュースのようなものが、グラスを満たしていた。
椅子に腰を下ろす瑞希や、その周囲に居るリーゼロッテに、何人もの貴族が祝辞を述べていく。
瑞希はいつも通りに受け答えし、リーゼロッテはおざなりな返事をするだけで、食べることに集中していた。
瑞希は食べ物で口を満たすリーゼロッテを見て、微笑みながら小さく息をついた。
「リーゼロッテ王女、あなたもミハエルの妻となるのであれば、もう少しマナーを覚えた方がいいわね」
「竜の寵児である私は、そんなものを覚える必要なんてないよ。
日々の祈りを欠かさないだけの存在だからね。
それはミハエルと結婚しても変わらないよ」
「……口の中に物がある状態で話すのはおやめなさい?」
「はーい」
ミハエルがリーゼロッテの食べっぷりを惚れ惚れと見つめながら瑞希に告げる。
「良いのですよ姉上。
これでこそリーゼロッテなのです。
私は妻となっても、リーゼロッテには今のままで在って欲しいと思っています。
私はおそらく公爵家を興すことになるでしょうが、こんな公爵夫人がいても良いのではないでしょうか」
「いえ、お父様やミハエルがそれで納得しているなら、私もそれで構わないと思いますが……
でもミハエルが結婚ですか。それも実感が湧きませんわね。
いつ頃を考えているのかしら?」
「私の十五歳の誕生日と同時に婚姻する予定だと、父上には伝えてあります」
「え?! 三年後ってこと?!」
「姉上、素が漏れてますよ?
――そうです、三年後です。
私の夏の誕生日をもって、私たちは夫婦となる予定です。
そしてたくさん子供を作ろうと、二人で話し合っているんです」
「ああ、そういえば今年のミハエルの誕生日は戦争で祝うことが出来なかったね。
昨年も誕生日を祝うことがなかったし、あんまり誕生日祝いって重視されてないの?」
「そうですね。所詮は夜会の口実ですから。
都合が悪ければ身内が言葉で祝うだけ、というのが普通だと思いますよ」
「ガイザー先生の授業は受けてきたけど、風習の細かい所はやっぱり抜け落ちてるなぁ。
――あ、ユリアンさんだ」
貴族のスーツを着込んだユリアンが、瑞希の前にやってきていた。
「体調はどう? 無理をして魔術を使ってると聞いたけど、そんなことをしちゃだめよ?」
「ありがとう。無理はしてないから大丈夫だよ。
ユリアンさんは近衛騎士なのに、夜会に参加してるんだ?」
「こうして、夜会の中で警備をする役割もあるのよ。
見慣れない人や不審な人間に自然と話しかけて、確認をとったりね。
そういう近衛騎士が、何人も紛れてるわよ?」
「はー私服警官みたい感じかー。
じゃあお仕事中なんだね。
お酒は飲めてるの?」
「そりゃあ、普段飲んでる人が飲んでないと変に思われるしね。
このくらいのお酒で酔うような人間は、そもそも割り当てられないわよ。
――でも、今夜の夜会は平和そうね。
見張りは続けるけれど、不審な人間が居る様子もない。
レッド公爵からも、そういった情報は送られてきていないわね。
――あら、噂をすれば」
レッド公爵とシュワルツ公爵が瑞希の前に並んで現れていた。
その手にはグラスを持ち、一見すれば普通の貴族だ。
レッド公爵が微笑んで瑞希に告げる。
「やあ瑞希。魔導なんて使っていないだろうね?
くれぐれも無茶なことはするんじゃないよ?」
シュワルツ公爵が続く。
「お前が魔術を使えない状態なのは、もう多くの者が知っている。
無理をしないで、他のものに任せるがいい」
瑞希が素直に頷いた。
「うん、そうするよ。
大丈夫、魔導なんて使ってないってば!」
リーゼロッテの傍でグラスを傾けていたオリヴァーがレッド公爵たちに尋ねる。
「では、今のミズキ殿下の≪意思疎通≫は、お二人のどちらかの魔術なんですか?」
レッド公爵とシュワルツ公爵が顔を見合わせた。
次の瞬間、二人が物凄い勢いで瑞希に振り向き、シュワルツ公爵が瑞希の肩を掴んでいた。
「瑞希! お前の≪意思疎通≫、毎日誰が施してるんだ?!」
瑞希がきょとんとした後、目を横にそらした。
「え? あれ? ……あー、私もすっかり忘れてた。
よく考えたら毎朝、目が覚める時、目を開くより先に≪意思疎通≫かけてた。
もう呼吸をするくらい当たり前に維持してるから、魔術を使ってるって意識もなかったよ」
「まさか、あの戦争の間もずっとか?」
「うん……そういうことに……なるね……」
さすがに魔力が尽きれば、術式を全て中断する事で思い出すのだが、瑞希が魔力を使い切る状況自体がレアだ。
以前魔力が尽きたのは、アルトストック軍を撃退した時だった。
オリヴァー王子が、頬を引きつらせながら微笑んだ。
「つまり……≪意思疎通≫を常用した上で『魔術が使えない』と大騒ぎしていたのですか?」
瑞希がいたたまれなくなって、俯きながら応える。
「えっと、そういうことです。はい……お騒がせしてごめんなさい」
「普段、どれだけの魔術を併用していたんですか……」
「どれだけ? 前にもそんな質問をされたけど、数えるのが馬鹿らしい程度の術式を並列に使うのが日常だったね」
「いったい、どれだけの魔力の強さを持つというんですか……」
「魔力の強さだけは、人間の範囲に居るって思ってるよ?
規格外ではあるらしいけど、リーゼロッテよりも小さな魔力なのは間違いないし」
レッド公爵が苦笑を浮かべた。
「リーゼロッテは竜種に匹敵する魔力を持つ。
彼女と同じ魔力を持つ人間は、通常は生まれないだろう。
それでも瑞希の魔力が尽きないのは、全て繊細な魔力制御によるものだね。
その上で術式のほぼ全てが、魔力を極力消費しないように独特の組まれ方をしているようだ。
だから魔力が尽きないのだろうね」
オリヴァー王子が怪訝な表情でレッド公爵に尋ねる。
「『術式のほぼ全てが』? それはどういう意味ですか?
ミズキ殿下の使う魔導術式は、ほとんどが独自開発の術式だとでもいうのですか?」
瑞希が半笑いで応える。
「内緒にしておいてね?
私の使う魔術は、即興魔術主体なんだよ。
即興魔術は、その場で術理と術式を考えながら発動する魔術なんだ。
だから私も『前と全く同じ術式を使え』とか言われても困っちゃうんだよね。
全部を覚えてる訳じゃないし。
だから多分、使うごとに少しずつ変わってると思うよ?
≪意思疎通≫だって、今じゃすっかり私のオリジナル術式みたいになってるし」
オリヴァー王子が言葉を失っている横で、レッド公爵が苦笑して応える。
「ある程度のアレンジなら、魔導士は誰もが行っていることだ。
だがそこまで大胆なアレンジは、とても珍しいね。
そこまでアレンジされたら本来は、別の術式と呼ぶべきなんだろうな。
我々が瑞希の≪意思疎通≫に気付かなかった理由の一つがそれだ。
もうお前の≪意思疎通≫は、魔導術式の形すらしていないんだ。
ほとんど魔法に近い形だね」
瑞希が小首を傾げた。
「ふーん? これでもちゃんと理屈の上に成り立ってるんだけどな。
ってことは魔法も、もしかしてちゃんとした理屈の上に成り立ってる魔導なのかなぁ?
研究できればしてみたいけど、私にはペナルティが待ってるし、それはできないんだよね。
お腹の子はペナルティをほとんど受けない魂を持ってるから、この子は魔法を使えても不思議じゃないかもね」
オリヴァーの傍に居たソニアが瑞希に尋ねる。
「そういえばお姉さま、お腹の子の名前は決まりましたの?
もう王女が生まれることは決まっているのでしょう?」
瑞希が明るく微笑んだ。
「うん、候補はいくつかあるんだけど、私はエステルにしたいなって思ってるんだよ。
初代様の魂を宿した子だし、私とアルベルトの最初の子だからね」
この国の言葉で、『最初の子』という意味を持つ、女の子の名前だ。
響きを気に入ったのが採用理由でもある。
ソニアが微笑んで頷いた。
「最初の子だからエステル、ですのね。
綺麗な名前ですし、良いと思いますわよ?」
ミハエルが小首を傾げて尋ねる。
「では第二子はツヴァイなんちゃらとなるのでしょうか?」
「いやーさすがにそこまで安直なのは可哀想かな……」
『太郎、次郎、三郎』などという名前にするつもりはない。
しかしよく考えてみれば、父親の名前も『信一郎』だ。
祖父と瑞希の命名センスは、近いものがあるのかもしれない。
(最初の男の子には、お爺ちゃんの名前を貰う案もありかなぁ?
それなら……)
「――ねぇソニア。この子のミドルネーム、ソニアの名前を貰ってもいいかな?」
ソニアが驚いたように目を見開いた。
「私の名前、ですか? それは構いませんが、急にどうしたんですか?」
「だって、ソニアが嫁いでいったら、もう滅多には会えなくなるじゃない?
だからなるだけ忘れずに居たいなって思ってさ」
ソニアが柔らかく微笑んだ。
「そういう理由でしたら、はい。喜んで。
ではこの子は『エステル・ソニア・ドライセン』になるのですわね」
「そうなるね――うん、フィーリングばっちり!
もう他の名前は受け付けませーん!」
小さな笑いが巻き起こった後、瑞希がソニアに尋ねる。
「そういえば私のミドルネーム、どんな由来があるんだろう? 知ってる?」
「ニーア、ですか? それほど珍しい名前ではありませんし、お父様たちに伺わないと分かりませんわね」
瑞希たちの笑いに誘われるように近づいてきていた国王と王妃が、それに応える。
「ニーアの由来か? 霧の神の聖人から名前を頂いたんだよ」
瑞希が振り返って国王に尋ねる。
「聖人? 聖職者ってこと?」
国王が頷いた。
「およそ五百年くらい昔の人になる。
慈悲深く、人々を救済して生きた人で、その功績から聖人として称えられている人だ。
救世主であるミズキに、丁度良いと思ってな」
「この国は建国七十年くらいだよね?
そんな古い歴史も残ってるんだ?」
「霧の教会自体は、千年以上の歴史を持つと言われる団体だ。
その中には、国家より古い時代の伝承がある。
ミズキは近代史ばかり勉強していたから、古代史はほとんど知らないだろう」
「古代史かぁ。そういえば『超常的な力を持つ古代遺跡がある』って話は勉強したけど、実物は見たことないや。
今度、見に行きたいなぁ。いつならいけるかなぁ?」
国王が優しく笑った。
「ははは、身重の内は控えておいた方が良いかもしれないが、退屈なら行ってみるのもいいだろう。
だが大きな遺跡だから、かなり歩くことになるぞ?」
瑞希が眉をひそめた。
「そんなに歩くの? もうお腹も大きいし、それなら出産後かなぁ。
転んで事故になっても嫌だし」
国王が頷いた。
「それがいいだろう。今は無事に出産することに専念して欲しい。
王女とはいえ、王家の新しい子だ。大切にしておくれ」
瑞希が王妃に尋ねる。
「出産後、どのくらいで見に行けるかなぁ?」
王妃が微笑みながら応える。
「あなたは若いし、一か月して体調に問題がなければ、遺跡を見に行くぐらいはしても大丈夫なはずよ。
でも社交界は普通、三か月ぐらいしてからの話になるわ。
最大半年程度は静養期間があるから、ゆっくり身体を回復させると良いわよ。
その辺りで公務が割り振られるようになるけれど、アルベルトが居ない状態で大丈夫かしら?
ソニアも居なくなってしまうし、補佐が必要なら、手配を進めておきますよ?」
来年八月頃――アルベルトは魔導学院三年生だ。
その次の春まで、アルベルトには頼らずに公務をこなしていく必要がある。
「んー、今までの講義で勉強はして来てるけど、やっぱり最初は不安かな。
補佐を付けてもらえるなら、ありがたいよ」
国王が頷いた。
「わかった、ミズキの副官となる人間の選定を今のうちからしておこう。
出産後、面談をして候補から誰にするか選ぶといい」
国王と王妃が立ち去り、瑞希は出産後に思いを馳せていた。
「そっかー公務かー。
私も正式に王太子妃デビューだねぇ。
この国のために、きちんと働けるようにならないと」
ソニアが楽しそうに笑った。
「既に姉様は、世界を救い、この国を救ってますよ?
これ以上、さらにお働きになられるのですか?」
瑞希が苦笑を浮かべた。
「いやー、さすがに過労死とか社畜とは無縁の人生を歩みたいけどさー」
ソニアたちがきょとんとした顔になった。
「なんです? それ? よく聞き取れませんでしたけど」
「ああ、そっか。『過労死』も『社畜』も、概念がない単語か。
えーっと、過労死は働き過ぎて死んじゃうこと。
社畜は、プライベートを捨てて仕事に生きている、組織に所属する社会人のことだよ。そういう人が時々、死ぬまで働いちゃうんだ」
ソニアが苦笑した。
「いくら霧の神が『死の神』の側面を持つとはいえ、生き方まで死にまとわりつかれる必要はありませんわよ?
もっと人生を楽しんで生きてください」
瑞希がため息をついた。
「私も、そうするつもりだよ。
あとは、周りの環境がそれを許してくれればね。
ドライセン王国周辺は落ち着いたけど、別の見方をすると、そのさらに外側の国にも目を配らせなきゃいけなくなったわけだし。
あの大奇跡の映像を見た国は襲ってこないだろうけど、見てない国はこの地方に戦争を仕掛けてくるかもしれない。
今のこの地方は武力が極端に落ち込んでるから、ドライセン王国が頑張らないといけないし、しばらくは気が抜けないよ。
ライツラー侯爵が調査を進めてくれてるはずだから、早くはっきりするといいんだけどね」
あるいは周辺国がそうであったように、瑞希の力を恐れて襲い掛かってくる可能性もある。
影響範囲が広がったことで、迅速な対応も難しくなってきている。
今後を考えると、実に気が重たくなる話だった。
(でもまずは出産! この子をちゃんと産んであげるのが、今の私の仕事!)




