70.太いパイプ
――王宮のサロン。
アルベルトが瑞希に告げる。
「予定通り、デネブ王家は断絶、ラニエロ公爵の亡命を受け入れた。
新たに得たデネブ領の領主として任じ、属国としてラニエロ公国を承認した。
残された王族は王籍の剥奪のみ、領地を持つ貴族は、ほぼ据え置きのようだ。
デネブ領の民衆の混乱は、最小限に抑えられているだろう。
各国からの賠償金で、我が国の国庫も回復した。
賠償金を払えなくなる国家は、じきに属国化を名乗り出るだろう」
「狙い通り! だね!」
アニエルカが大きくため息をついた。
「これで、あの恐ろしかった戦争も一区切りですわね。
私、馬車の中で生きた心地がしませんでしたわ。
その上、あんな恐ろしい光景まで見てしまって、しばらく寝込んでしまいましたのよ?」
クラインは静かにお茶を飲んでいた。
「この子と長く一緒に過ごしていたら、あの程度じゃもう驚かなくなるわよ。
神様がポンポン出てくるんですもの。
もう死人が蘇っても驚かない自信があるわ」
コルネリアが苦笑を浮かべていた。
「確かに、『あーまたかー』って遠い目をするだけになるのよね……。
第一、目の前に神の血を引いて、神の子の魂を宿した人間が居るのよ?
そろそろアニエルカも、ミズキに慣れてもいい頃なんじゃない?」
ゲルトがクラインに告げる。
「そういやクラインの婚約者、今回大活躍で侯爵の話まで出てるんだって?
マルティンとかいったか。若くして伯爵位を授爵してるし、相当なやり手だな。
シュトロイベル公爵家を受け継ぐにふさわしい男って奴か。
そんな男の妻だなんて、結構なプレッシャーじゃないか?」
「普段は穏やかな人だし、功績を追い求める人でもないわ。
戦場で責務を果たしていたら、勝手に結果が付いてくるだけの話よ。
私は予定通り、のんびり気楽に公爵夫人をするわ」
ロルフが笑顔で告げる。
「いやあ、エリートのいうことは違いますよねぇ。
私など、マルティン様ほどの活躍を期待されても困ってしまうというのに、なぜか周囲の期待が高いんです。
なぜなのでしょうね?」
アリシアが微笑んで応える。
「私の性格を苦にしない――それだけでもう、大物感が溢れてしまいますもの。
ルートヴィヒ侯爵の子息ですし、期待をするなという方が無理ですわ。
――それに、戦場に出ればロルフ様も立派に活躍できますわよ。
そこは私が保証してさしあげますわ」
アルベルトが頷いた。
「ロルフとは何度かチェスをしてみた事があるが、手堅い用兵をする男だ。
剣の腕も悪くないし、ワルターの後継者として、恥じることがない男だと思う」
瑞希が顎に指を置いて応える。
「ハンス侯爵子息も、剣の腕は凄いもんね。
弟のロルフが剣の腕に優れていても、不思議はないよね」
ロルフが頭をかいて照れていた。
「ですから、それが期待過剰だと述べているのですが。
マルティン様ほど積極的な手を打てず、兄上ほど剣の腕が立つ訳でもない。
父上とチェスをしても、五回に一回しか勝てません。
特に長所がない男だと、私は思っていますよ」
ゲルトが目を見開いて驚いた。
「ちょっと待て! 第一軍司令官とチェスをして、勝ち目がそんなにあるのか?!
その年齢でとんでもない逸材だな……」
瑞希がきょとんとして首を傾げた。
「え? ワルターさん、チェスが強いの?
私、三回に一回は勝てるよ?」
「は?!」
アルベルト以外の、見事な七重奏である。
「軍略の講義で、時々復習を兼ねてチェスをするんだよ。
――ああでも、講義の一環だし、勝つことが目的じゃないから勝てても不思議じゃないんだろうね。
だから、みんなが思ってるような実力じゃないよ?」
アルベルトが紅茶を飲みながら告げる。
「ワルターから直接聞いたが、実際にミズキはチェスが強いらしいぞ。
『気が付いた時には形勢が逆転している』と、楽しそうに話していたからな」
「閃きが来れば勝てるんだけどねー。
それが三回に一回しか来ないから、閃かない時はあっさり負けちゃうんだよ」
アニエルカが頬を引きつらせながら告げる。
「極論してしまうと、歴戦の第一軍司令官と軍略勝負をして、三回に一回は勝てるということですわよね……
王妃としては頼もしいですけれど、どういう頭をしてらっしゃるのかしら」
アルベルトが告げる。
「王都脱出時も、適切に状況を判断し、脱出をこれ以上ないタイミングで指示していた。
あそこでタイミングを間違えていれば、志願兵に被害が出ていても不思議ではなかった。
そのことを教えたら、ワルターも満足そうに喜んでいたよ」
コルネリアが紅茶を一口飲んでから一息ついた。
「実戦で実績ありってことよね。末恐ろしい王太子妃ね。
戦場に出ないのが惜しいというべきなのかしら」
瑞希が唇を尖らせて応える。
「私だって、シュトルム王国攻略戦では大失敗してるんだよ?!
いつでも勝てるわけじゃないんだから!
私こそ、変な期待をしないで欲しいって言いたい!」
アリシアが静かに応える。
「初陣で失敗したからこそ今がある、とも言えますわよ?
最初から失敗を知らずに来た方なんて、逆に恐ろしくて信用できませんわ」
アルベルトが頷いた。
「アリシアの言う通りだ。
失敗を知らない人間は挫折に弱い。
いざという時に失敗をして、そのまま立ち直れずに致命的な失敗に至ることもある。
そういう意味では、ミズキは早い時期にその経験をし、致命的な失敗の前に立ち直ることが出来た。
今後もその経験が活き、失敗に負けないで前に進むことが出来るだろう」
瑞希が照れながら応える。
「だから、あれは隣にアルベルトが居てくれたから立ち直れたんだってば。
今回だって、アルベルトと二人で、さらにユリアンさんとも力を合わせて、みんなで勝ち取った結果だよ。
シュワルツ公爵にもきちんと戒めてもらったし。
私一人の力なんて、小さなものだよ」
クラインがぼそりと呟く。
「一人で軍隊を消し飛ばす人間の力が小さかったら、凡人の私たちなんて塵未満の存在よ……」
ゲルトも天井を見上げながら遠い目をした。
「魔導が封じられてなかったら、こんな窮地になる事もないしな……」
アニエルカが紅茶に目を落としながら続く。
「話のスケールが大きすぎて、何が小さいのかもう理解できないです」
コルネリアは静かに紅茶を口に含んだ。
「ミズキ殿下の言葉を真に受けてたら負けよ。
何度言っても自覚がないんだから」
アリシアはロルフと微笑みあっていた。
「ミズキ殿下はおそらく、死ぬまで無自覚なのではないでしょうか」
ロルフはアリシアに微笑み返し、嬉しそうに告げる。
「なんとかは死ぬまで治らない、といいますからね」
瑞希が眉を逆立てて怒鳴る。
「ちょっと?! 今、王太子妃を馬鹿呼ばわりしなかった?!」
全員が瑞希から目をそらし、黙って紅茶を味わっていた。
「――アルベルト?! なんであなたまで目線をそらしてるの?!」
「いや、『自覚がないのは一生治らないだろうな』、というのは同感だからつい、な」
「妻を馬鹿呼ばわりされて怒らないどころか、共感してどうするの!」
「ん? 誰も馬鹿とは言っていないぞ?
――みんな、そんな言葉を聞いたか?」
「聞いてませーん」
綺麗な七重奏だった。
瑞希は力が抜け、がっくりと肩を落としていた。
「まぁいいよ。私の負けで。どうせ無自覚ですよ。
……おっかしいなぁ。私は平凡な庶民だったのに」
ロルフがにこやかに告げる。
「やっぱり王太子妃殿下は馬鹿なんですね」
「ド直球?! 不敬罪って知ってる?!」
「存じていますが、正直な感想がつい口から漏れました」
「極刑が怖くないの?!」
「死ぬのは嫌ですが、怖いとは思いませんし、ミズキ殿下がそんなことをするとも思いませんので」
「うわ! やっぱりアリシアの夫だ! どんだけマイペースなの?! 心臓に剛毛が生えてない?!」
「まだ夫ではありませんよ? それに僕は体毛が薄い方ですけど?」
「わかってて話をそらすなぁぁぁぁぁ!!!」
賑やかなお茶会は、その日も夕方まで続いていった。
****
――王太子のダイニング、夕食の席。
ようやく日常を取り戻せたかに思えたが、四つの席が未だに空席だった。
空席を見つめていた瑞希が告げる。
「ねぇ、ミハエルとソニアはどうなってるの?」
シュワルツ公爵が瑞希に応える。
「事態が終わった事は知らせたのだがな。
ミハエルが『もう少しここに居たい』と言い出したらしい。
向こうの国王も、ミハエルは娘を嫁に出す候補だ。
ミハエルのことを見定めておきたいのだろう」
「ふーん……よくソニアが頷いたね。
勉強が遅れることを嫌がってたのに」
「ソニアはソニアで、向こうに居たい理由があるようだったぞ?」
瑞希が小首を傾げて尋ねる。
「……どういうこと?」
「リーゼロッテの兄が、ソニアを気に入ったようだ。
ソニアも悪い気はしていないようだった。
王女と王女の交換になれば、ドライセン王国とシュティラーヒューゲル王国は深いつながりを持つことになる。
向こうは乗り気のようだったが、こちらの国王はどう思うだろうな」
アルベルトが微笑んで応える。
「シュティラーヒューゲル王国は小さな国だが、歴史のある国家だ。
王族から竜の巫女を輩出する国でもあり、白竜教会でも有数の影響力を持つ。
その王家と深いつながりを持てれば、白竜教会との太いパイプになる。
我が王家はこれから、霧の神の血を引くことになるからな。
今後の諍いを回避するためにも、白竜教会との太いパイプは歓迎したいところだろう。
ソニアが王妃となるなら、父上は頷くと思うぞ」
瑞希が手を挙げてアルベルトに尋ねる。
「強い影響力があるのに、白竜教会のいざこざで滅ぼされかけたの?」
「そこは派閥争いという奴だろうな。
信心深い派閥に対しては強い影響力を持つ国、ということだ。
竜の巫女の言葉は本来、白竜教会内で絶対的なものとして扱われる。
そんな巫女を多く輩出する王家だ。
当然、白竜教会内での発言力が強くなる。
アルトストック王国は、竜の巫女の言葉を軽視する派閥だったのだろう。
でなければ、『霧の神に従え』という言葉に従うはずだからな」
瑞希はグラスを傾けながら話を聞いていた。
「ふーん、宗教ってめんどくさいんだね」
ヴォルフガングが楽しそうに微笑んだ。
「神の眷属である君が、それを言うのかね?」
「それはそうかもしれないけども?!」
アルベルトが遠い目で呟く。
「お腹の中には神の子だしな」
「神の子の魂だけだよ?!」
シュワルツ公爵が告げる。
「あれだけ国民から信仰の対象とされていて、宗教を他人事と呼べる感性はさすがだな」
「しょうがないじゃない、神に連れてこられたんだから!!」
アルベルトがため息をついた。
「その時点でもう宗教まみれだ。
お前とシュワルツ公爵自体、神話に関わる存在だと早く気付いてくれ。
元の世界でも知らなかっただけで、神の血を引く魔術の家系だったのだろう?」
「ぐぬぬ……そこは何も言い返せないんだけども!」
ヴォルフガングが告げる。
「ほらほら、遊んでないで、早く食べてしまいなさい。
料理が冷めてしまうよ」
「あ、はーい」
やりとりする相手が少なく、少し寂しい思いをしていた瑞希は素直に夕食を再開した。
(早くミハエルとソニアとリーゼロッテ、戻ってこないかなぁ)
****
「ただいま戻りましたミズキ姉上!」
「久しぶりだね、ミズキ!」
仲良く手をつないで部屋に入ってきた満面の笑みのミハエルとリーゼロッテ。
その二人に瑞希は微笑んで応える。
「お帰りミハエル、リーゼロッテ。
――ところで、ソニアは?」
「ソニア姉上は今、父上のところです!」
「こちらに来るより先にあっちに行くなんて、珍しいね」
リーゼロッテが口元を手で隠してニヤリと笑った。
「夫を連れてきたから、紹介してるんだよ」
「……連れてきたの?! リーゼロッテのお兄さんを?!
っていうか結婚を決めたってこと?! 早くない?!」
あの戦争から三か月も経っていない。
ソニアが向こうに居た時間など、一か月未満のはずだ。
相手が見つからない状態からの、まさかのスピード婚である。
リーゼロッテが肩をすくめた。
「だってオリヴァー兄様、ソニアにベタ惚れなんだもん。
ソニアも嬉しそうに見つめあってるし。
だから私が『とっとと結婚しちゃえば?』って二人に言ったら、二人が同時に頷いたんだよ。仲がいいよね」
ミハエルが笑顔で続く。
「あ、でもご安心ください!
姉上の出産を見届けてから挙式するそうです!
それまでの間、オリヴァー殿下はこちらに滞在すると言ってました!」
「あー、それで連れてきたんだね……。
確かに、お父様やお母様にも、挨拶は必要だもんね……」
リーゼロッテがきょとんとした顔で瑞希を見つめた。
「何を言ってるの?
一番挨拶をするべきなのはミズキだよ?
でもその前にソニアの夫として認めてもらう為に、王様に会いに行ったんだよ。
『きちんとソニアの夫としてミズキの前に出たい』って」
瑞希もきょとんとした顔でリーゼロッテの目を見つめた。
「え? なんで私? 義理の姉にはなるけど、挨拶って必要なの?」
ミハエルとリーゼロッテ、そして背後でアルベルトがため息をついた。
ヴォルフガングは微笑ましそうに見守っている。
瑞希が周囲からのため息攻勢に戸惑い、声を上げる。
「なになに?! どういうこと?!」
リーゼロッテがジト目で瑞希を見つめつつ、胸を指で突いた。
「ミズキ、あなたは創竜神様に『従え』って言われた霧の神の眷属。
しかもお腹の子供は、霧の神の娘の魂を宿してるんだよ?
神格も霧の神の方が上なの。
うちは創竜神様を深く信仰する国。そういう意味で、この国に似てるんだよ。
そんな国の王位を継ぐ人間が、神格が上の相手に挨拶をしない訳がないでしょ?」
「あ、はい。すいませんでした」
十二歳の王女に諭された瑞希は、素直に頭を下げて謝っていた。




