67.死中に活
――ドライセン王国、王宮の軍議室。
暗い表情で手を組み、俯いた国王が呟く。
「デネブ国王の謀略に、まんまとのせられたな。
他に手がなかったとはいえ、余力を全て吐き出さざるを得ない状況を作られ、とどめの大兵力か。
食料も武具も兵力も、余裕は一切ない。
市民たちから新たに志願兵を募っても、渡してやれる武具は一つもない。
素手で正規軍の前に立ちはだかることを強いられる――そんな真似は頼めぬ。
籠城することも不可能だ。砦に移動しても食料も援軍もない。状況が悪化するだけだろう。
残る希望はシュトルム領だが、撤退に成功し引きこもっても、大兵力で圧殺されるのが目に見えている。
そもそも退路を南方諸国が狙ってくる可能性が高い。
我が国の命運は、尽きたと見るべきか」
その言葉に応えられる重鎮は居ない。
全員が重苦しい空気に包まれ、沈黙していた。
ヴォルフガングがその沈黙を破った。
「打てる手が無くなったとしても、できることをしようじゃないか。
非戦闘員を連れて、シュトルム領に逃げる準備を進めておこう。
素手でも構わない志願兵を募り、敵の足止めに使う。
全軍をもって、アルベルト殿下とミズキ殿下を守るんだ。
彼らが生き残れば、王国再建は容易いだろう。
保険として、ミハエル殿下はシュティラーヒューゲル王国に逃げていただく。
ソニア殿下にも同行して頂こう。最悪の場合、ミハエル殿下の影武者となり、代わりに死んでいただく。
ギリギリまで第一軍と第三軍の帰還を待ち、なるだけ多くの兵を連れてシュトルム領に向かうんだ」
重鎮の一人が応える。
「シュティラーヒューゲル王国は東方面だ。
保険として逃がすには不適当ではないか?」
「敵の狙いはミズキ殿下の命だ。
それこそ、死に物狂いで抹殺を図りにくる。
南西のシュトルム領にミズキ殿下が敵の目を引き付けている間、東方面は死角となる。
逃げ延びるチャンスはあると思っている」
国王が黙り込んだ一同を見渡した。
「……異論はないようだな。
ではヴォルフガングの述べた事を速やかに進めよ。
王都の民も、希望する非戦闘員は可能な限り連れて行く。
足掻けるだけ、足掻いてみせようではないか」
****
――夜、王太子のリビング。
瑞希はソファで地図を見つめ、思案を続けていた。
ノックが響き、明るい声が轟く。
「姉上! 見てください! 僕……じゃなかった、私はこんな服、初めて着ました!」
瑞希が振り返ると、平民の服装をしたミハエルが明るい笑顔を浮かべていた。
未だに一人称が定着せず、うっかりすると『僕』が出てしまうのが微笑ましい。
「あら、良く似合ってるじゃない。
案外ミハエルは、庶民としてもやっていけるかもね?」
ミハエルの後ろから、憂鬱そうな声が響く。
「ミハエルは暢気ねぇ。これから私たちは、命懸けの逃避行だっていうのに」
姿を現したのは、ミハエルと同じ服を着たソニアだった。
ミハエルがソニアに振り返る。
「ソニア姉上! ――姉上?! 髪の毛はどうされたのですか?!」
長かった髪の毛を切り落としたソニアが、苦笑を浮かべて応える。
「私はミハエルの影武者よ。
こうすれば、私たちは姿がよく似ている。
追手が来ても、二手に分かれて目をくらませられるわ。
私が殺されて死体を調べられるまでは、ごまかせるはずよ」
「姉上?! 僕はそんなことまでして生き延びたいとは思いません!」
ソニアが厳しい顔でミハエルに告げる。
「王族の義務を思い出しなさい。
あなたは生き延びなければならない。
王家直系の男子として生まれた以上、姉の命を踏み台にする覚悟くらいはしておきなさい。
アルベルト兄様が命を落とされた場合、残っているのはあなただけなのよ。
兄様はミズキ姉様を守る為に、最後まで共に居る。
二人が生き残るのが王国再建の近道だけど、それが叶わなかった場合、ミハエルが最後の希望になるの。
私はそのための捨て石よ。
国のために命を捨てる覚悟なら、私はもうしている。
あなたも、見捨てる覚悟はしておきなさい」
「姉上……」
涙ぐむミハエルの肩を、瑞希はそっと抱きしめた。
「大丈夫、私たちが敵の目を引き付けるだけ引き付けるから、二人がそれほど危険な目に遭う事もないはず。
夜の闇に乗じて逃げれば、無事に逃げ切ることも可能なはずだよ。
悪いことばかり考えないで。
生きて、また会おうね」
「ミズキ姉上……その言葉、必ず守ってくださいね」
瑞希は頷いて見せた。
死ぬつもりは毛頭ない。
ミハエルの脱出は、最悪の事態に備えた保険。
でもそんな事態に、絶対にさせる気はなかった。
リーゼロッテがミハエルの手を握った。
「私が付いてるよ。
赤竜おじさまにお願いして、魔術をかけてもらうから。
追手に気付かれにくい魔術なんだって。
だから、シュティラーヒューゲルで、また会おうね」
レッド公爵がリーゼロッテの背後で告げる。
「私が君たちにできる助力はこの程度だが、君たちが出発すると同時にいくつかの魔術で守ってやろう。
目立つ行動をしなければ、それで無事に目的地にたどり着けるはずだ。
身内が死んでも取り乱さず、黙ってまっすぐ目的地へ向かいなさい。
大きな声を上げると、魔術が解けてしまうからね」
ミハエルが頷き、ソニアと共に部屋を出ていった。
これから近衛騎士と従者を従え、夜闇に乗じて東方面に逃げていくのだ。
レッド公爵が告げる。
「では瑞希、武運を祈る。
生きて再び会えることを、願っているよ」
ミハエルを追いかけるようにリーゼロッテが駆けていき、その後ろをレッド公爵が追いかけていった。
瑞希が部屋に振り返り、シュワルツ公爵に告げる。
「黒龍さんには一言もなかったね?
案外、冷めた関係なの?」
シュワルツ公爵が苦笑を浮かべた。
「私を殺せる戦力など、この地にありはしない。
十万や二十万の人間が集まろうと、我らには物の数ではないからな。
命の心配をする訳が無かろう」
「そんなに強いのに、命を助けてはくれないんだ?」
「我らが人間の営みに手を出せば、人の在り方を歪ませてしまうからな。
強大な力を持つ者は、見守るのが仕事だ。
人の手に余る事態にだけ、我らは神の代わりに手を貸す。
それが我ら、上位四頭の竜だ」
「なんか、力が強いのって大変なんだね」
「ははは! お前がそれを言うか!
人の身でありながら、過ぎた力を持つがために命を狙われている最中のお前が!
――つまり、こういう事態を避けるためだ」
瑞希がぽんと手を打った。
「ああ! 人間に怖がられて、討伐対象になってたら相手をするのが大変ってことか。
全部返り討ちにしてたら、人間が全滅しちゃうもんね」
「そういうことだ」
緊張して地図を見つめるアルベルトの元へ、兵士が現れた。
「報告いたします!
ミハエル殿下、ソニア殿下が出発されました!
敵兵に気付かれている様子はありません!」
アルベルトが頷くと、兵士は来た道を戻っていった。
既に北方連合軍は、王都の物見台から布陣を確認出来る位置にいた。その数はおよそ十万足らずと見られた。
まだ距離はあるが、三日以内には両軍が激突することが予想された。
あとは王国軍の出方次第だ。
志願兵が新たに一万人集った。
数だけは立派だが、敵の足を鈍らせるだけの戦力だ。
彼らは瑞希たちが逃げる時、その時間稼ぎとして敵兵に立ち塞がる。
一方、王都の守備軍一万をどう差配するかは意見が割れていた。
最後まで王都に引きこもり、一切の戦闘をせずに撤退をするのか。
あるいは一度は打って出て、敵の勢いを削ぐべきなのか。
前者は兵力を消耗せずに済むが、敵の勢いがある場合は志願兵たちが瞬く間に飲み込まれ、烈しい追撃線となるだろう。
後者は兵力こそ消耗するが、相手を怯ませることができれば、時間を稼ぐことが出来る。
その間に北に向かった王国軍が戻ってくる可能性が上がり、退却時の被害も軽減が見込めた。
アルベルトが瑞希に尋ねる。
「お前はどちらがいいと考える?」
「守備軍の指揮を執るのは、シュトロイベル公爵の息子なんでしょ?
あのシュトロイベル公爵に似た人なら、きっと打って出た方が良い結果になるよ。
シュトルム王国の時も、シュトロイベル公爵のおかげで勝利した様なものだし」
「……シュトロイベル公爵は、どう動くと思う?」
「う~ん、動かないし、動かせないでしょ。
最後の逃げ場になることを考えて、シュトルム領を死守するはずだよ。
今回、第二軍の戦力は期待できないよ」
シュトルム領を隣接する周辺国から守る、という役割が第二軍にはある。
下手に第二軍を動かせば、シュトルム領周辺国がシュトルム領を占領し、最後の逃げ場すら失う。
そんな悪手を打つほど、シュトロイベル公爵は愚かな人間ではない。
アルベルトが頷き、部屋を出ていった。
瑞希はソファに座り直し、ザビーネに声をかける。
「ザビーネ、紅茶をもらえるかな?
今のうちに、味わっておきたいし」
「かしこまりました」
温かい紅茶を飲みながら地図を見下ろす瑞希に、背後から声がかけられる。
「あらあら、案外余裕そうね。心配は必要なかったみたい」
振り返ると、入り口で軽鎧を着こんだユリアンが佇んでいた。
「ユリアンさん! 来てくれたの?!」
「友達の命が、これだけ大掛かりに狙われてるんだもの。
さすがにもう、服を作って居られる状況でもないしね。
仕方がないから、近衛騎士団に入ってあげたわよ」
「ごめんね、私のせいで……」
「あはは! 悪いのは血迷ったあいつらよ!
あなたは迷惑をかけられてる側。謝る必要なんてないわよ。
もっと胸を張りなさい。王太子妃なんでしょ?」
瑞希が苦笑を浮かべた。
「胸なら毎日、張り過ぎて痛いくらいだよ」
ユリアンが楽しそうに笑った。
「あっはっは! 軽口を叩けるなら、本当に心配がいらないわね!
――あなたの周りは、私とハンス侯爵子息が守るわ。
敵が百人くらいなら、追い返してあげるわよ」
「たっのもし~! さっすがユリアンさん!」
「それで、王国軍はどう出るの?」
「アルベルトが今、守備軍で一度敵兵の勢いを削ぐべきだって進言してるはず。
あとは陛下次第だね。シュトロイベル伯爵がどう評価されてるかで決まると思うよ」
「ああ、彼なら多分、高評価よ。
戦闘になると、本当に父親そっくりなの。
根は烈しい気性の人なのでしょうね。
そしてそれを理性で完全に抑えつけられる人よ。
確かに彼が陣頭指揮を執れば、敵を怯ませる可能性が高いと思うわ」
「そっか、じゃあなんとか撤退は成功しそうだね。
……ユリアンさんも、紅茶、飲む?」
「あら、じゃあ頂こうかしら」
****
――早朝、王都から守備軍一万が出陣していった。
騎馬兵を中心とした、攻撃主体の守備兵だ。
シュトロイベル伯爵が好む用兵に合わせた編成らしい。
おそらく、マイヤー辺境伯が彼の要望に応えたのだろう。
瑞希はリビングの窓から、兵たちが出陣する音を聞いていた。
「一万人全部連れて行くのか……思い切ったことをするんだなぁ」
アルベルトが眠そうな顔で応える。
「シュトロイベル伯爵の提案を、陛下が飲んだ。
確かに、五千程度ではあっさり押しつぶされるだけだ。
兵力を無駄にするくらいなら、いっそ彼のやりたいようにさせる、とのことだ。
守備兵としては、私兵団三千も居る。
全滅しても、まだ立て直しはできる」
「……眠そうだね、アルベルト」
「そりゃあ、まだ五時だぞ?
普通は寝てる時間だ」
「私は早朝ランニングできない間も、その時間に起きてるんだけど?
おかげで勉強が捗るよ」
秋ごろになってから、眠気やだるさはすっかりなくなっていた。
だが大きくなってきたお腹でのランニングは止められてしまい、軍略の自習をしていた。
転んで事故に繋がったら目も当てられない。
アルベルトが従者に着替えを指示していた。
「私たちも支度をしよう。
この結果がどうなろうと、王都を捨てて撤退することになる」
「そうだね。じゃあさっさと着替えようか」
****
瑞希は旅装を、アルベルトは軽鎧を着こんでいた。
二人は既に、南西に続く城門で馬車に乗って待機している。
周囲には近衛騎士五名が付き、合図を受ければいつでも出発できるようにしていた。
「途中で非戦闘員を護衛した部隊と合流することになる。
私たちは、先頭で差配をする事になるだろう。
父上と母上は、殿で差配をする事になっている。
私たちに付けられるのは三千の私兵団、父上たちは一万の志願兵だ」
その言葉の意味を理解し、瑞希は頷いた。
ソニアと同じように、国王と王妃は国家の捨て石になるつもりなのだ。
アルベルトが優しく笑った。
「そんなに深刻な顔をするな。
出撃した第三軍が戻って来れば、父上たちの元に付く。
そう簡単に命を落とす事にはならないさ」
慌ただしく兵士たちが駆け回る中、一際高い声が上がった。
「北に軍影! 南下してきています!」
瑞希はアルベルトと、緊張して顔を見合わせた。




