62.慶事
――朝。
瑞希は、いつものように起きた――はずだったのだが、目を覚ました時には横にアルベルトの姿がなかった。
室内を見渡すと、部屋が随分と明るい。
時計に目を走らせる――時刻は十時を回っていた。
「あれ……? なんで?」
妙に重たい体を持ち上げ、なんとかベッドから降りる。
眠気が取れず、頭がはっきりとしない。
ハンドベルをならして従者を呼び寄せる。
ザビーネがすぐに姿を現し、瑞希に声をかける。
「ご起床になってもよろしいのですか?」
「どういう意味? なんで起こしてくれなかったの?」
「お声をかけ、アルベルト殿下も肩を揺すられましたが、一向に目を覚まされる気配がありませんでした。
アルベルト殿下が額に触れたところ『少し、熱っぽいようだ』と仰られ、『このまま寝かせてやってくれ』と私どもに指示を出されました」
瑞希が自分の額を触ってみる――確かに、微熱があるようだ。
「うーん、とにかくお腹が空いたからダイニングに行くよ」
「かしこまりました。ではお召替えを」
食卓にはレッド公爵、シュワルツ公爵、ヴォルフガングが紅茶を手に魔術談義をしていたようだ。
レッド公爵が瑞希を認め、声をかける。
「おや、やっと起きてきたかい? 体の具合はもういいのかい?」
「えっと、リーゼロッテとカタリナさんは?」
「神殿だよ。毎日のお勤めってやつだね。封印を維持するための祈りを捧げに行っているよ」
「そっか」
ゆっくりと椅子に腰を下ろして息をつく。
思っている以上に身体が重たいようだ。
シュワルツ公爵がじっと瑞希を見つめていた。
その視線に気が付いた瑞希がシュワルツ公爵に尋ねる。
「どうしたの? 黒龍さん。私の顔に何か付いてる?」
「……瑞希の場合はそうなるのか。自分で気が付かないのか?」
「何のこと? いったい何の話?」
「……お前、今の状態で魔術を使えるか?」
言われるがままに、手のひらに≪現在視≫でリーゼロッテの姿を映す――つもりだった。
だが手のひらに魔力を集めようとしても、いつものように魔力を制御できず、火を生み出す事すらできない。
「あれ?! なんで?! どういうこと?!」
レッド公爵が微笑んで告げる。
「君の体が作り替わることに、感覚がついて行かないのかもしれないね――おめでとう。新しい命を授かったんだよ」
瑞希の頭が真っ白になっていた。
「それは……つまり?」
シュワルツ公爵が優しく微笑んだ。
「妊娠だ。お前は第一子を身ごもった。今のお前の体は、母体に作り替わってる最中だ。
昨晩までは大きな変化がなかったようだが、どうやら急激に変化が始まったようだな。
今まで黙って観察していたが、順調に命が育まれているぞ」
「にん……しん……。子供がお腹の中に居るの?! いつから?!」
「だいたい三か月前だな。
今のお前は眠気と倦怠感が酷いはずだ。
外出は控え、王宮で安静にしておけ」
「なんで魔力をうまく扱えないのかな……」
「お前は魔力感知精度が鋭すぎるからな。
赤竜が言うように、母体の変化で感覚が大きく狂わされているのだろう。
ある程度で元に戻るかもしれんが、最悪は出産が終わるまではそのままだ」
瑞希が呆然としながらお腹をさすっていると、国王と王妃が大慌てで部屋に駆け込んできた。
「ミズキ! 懐妊したと聞いたが本当か!」
「身体の方は大丈夫なの?!」
「お父様、お母様……うん、身体は重たいけど、つわりがあるという訳でもないみたい。
でも、妊娠三か月なんて言われても、私にもまだ実感がないかな……」
国王が固唾を飲んで瑞希に尋ねる。
「それで、王子なのか? 王女なのか?」
レッド公爵が楽しそうに笑った。
「ははは! まだそれはわからないよ!
あと一か月くらい待ちなさい。そうしたら私たちには、見ればわかるからね」
瑞希がお腹をさすりながら呟く。
「あと一か月か……どんな子になるんだろう」
国王が慌てて従者たちに告げる。
「今すぐアルベルトたちに報せを出せ!
それと、今夜は祝いの席を設ける! 準備を急がせろ!」
「お父様?! 祝いの席ってどういこと?!」
王妃が嬉しそうに応える。
「この部屋で、パーティーを開いてお祝いしましょう、ということよ。
ミズキ、あなたはしばらく夜会も控えた方が良さそうね。
見るからに体調が悪そうですもの。この部屋で大人しくしていた方が良いわ。
でも全く動かないのもよくないから、時々部屋の中を歩き回るぐらいはしておいた方がいいわよ」
国王と王妃が去り、再び静かになった部屋で瑞希がぽつりと呟く。
「魔術が使えないんじゃ、魔術結界なんて構築できないね……ちょっと不安だな」
シュワルツ公爵が静かな微笑みで告げる。
「今までお前がこの部屋に構築していた結界なら、私が模倣しておこう。
似たような効果を与える結界は作れるはずだ。
王宮に張っていた結界は赤竜に任せる」
赤竜が微笑んで頷いた。
「ああ、それは任せておきなさい。
外敵を阻む結界なら、私の得意分野だよ」
ふと瑞希が気が付いて、レッド公爵に尋ねる。
「今はリーゼロッテが居ないのに、赤竜さんは愛想がいいね。
竜の寵児の前以外じゃ、愛想が悪くなるんじゃなかったの?」
レッド公爵が苦笑を浮かべた。
「敬意を感じる魔導士に、愛想を悪くするのも失礼だろう?
私がそれだけ、君の魔導の腕を評価している、ということさ」
「そっか。ありがと」
一時間後、血相を変えたアルベルトやソニア、満面の笑みを浮かべたミハエルが部屋になだれ込んできた。
「子供を授かったというのは本当か!」
瑞希がはにかみながら応える。
「そうらしいよ。
今は三か月目らしいから、生まれるのは来年の二月頃かな」
椅子に座る瑞希の身体を、アルベルトが強く抱きしめていた。
「ちょっ! アルベルト?! どうしたの?!」
「そうか……子供か……私たちの……」
瑞希はアルベルトの体を受け止めたまま、微笑んで小さくため息をついた。
「そうだね……待ち望んでたもんね。
私はきちんと、この命を産んであげないとね」
ソニアが瑞希に微笑んで告げる。
「姉様、おめでとうございます。
私もとうとう、叔母になってしまうのですね。
――でも、これでもう姉様と同じ学校に通うことはできなくなってしまいますわね。
それが少し残念です」
「なんで? 出産まで休学したとしても、そのあとは一緒に通えるんじゃない?」
「出産直後に、すぐに動けると思わない方がよろしいですよ。
半年程度は静養期間が設けられます。
二月に出産したとして、静養期間が明けるのはおそらく、八月以降です。
カリキュラムが半分近く過ぎている頃ですので、その年度も休学が続くと思います。
そうなれば退学の話も浮上するでしょう」
「そっか……卒業できないのは残念だけどしょうがないかぁ。
子供を産み育てる方が大事だもんね。
――ああもう! 魔術が使えたらお爺ちゃんやお父さんやお母さんにも知らせられたのに!」
アルベルトが瑞希から身体を離し、神妙な顔で瑞希を見つめていた。
「魔術が……使えない?」
「なんか、うまく魔力を制御できないんだ。
いつまで続くか分からないけど、今の私は魔術を使えないんだよ」
「そうか……わかった。
お前は子供を、健やかに育てることに専念してくれ。
心配はいらない――いや、させない」
小首を傾げる瑞希から視線を外したアルベルトは、レッド公爵とシュワルツ公爵と目線を合わせ、頷きあっていた。
リーゼロッテも戻ってきて、部屋は再び明るい空気に包まれた。
その晩のささやかな祝いの席でも、瑞希は笑顔のまま、温かい空気に包まれていた。
****
――その夜、王宮の会議室。
瑞希を先に寝室に向かわせたアルベルトが、国王とヴォルフガング、レッド公爵とシュワルツ公爵を集めていた。
「父上、現在のミズキは魔術を使えない状態にあります。
これが他国に知られた場合、非常に危険な状況に陥る可能性があると考えます」
国王が驚愕しながら応える。
「ミズキの魔術が使えないだと?!」
アルベルトが静かに頷いた。
国王が思考を巡らせながら告げる。
「……厄介な状況と言えるだろう。
ただでさえ、懐妊が知られれば周辺国が動きかねない。
魔術が使えない事まで知られれば、間違いなく、これを好機と見て攻めてくるはずだ。
今まで望んでも叶わなかった、ミズキを封殺する状況が転がり込んできたのだ。
再びミズキが魔術を使えるようになる前に、なんとしてもこの国を落とそうとしてくるのは間違いない」
ヴォルフガングが神妙な顔で告げる。
「敵対国はもちろんのこと、友好国すら油断が出来なくなるだろう。
周辺各国が協調して攻め込んでくるのは、既定路線と考えて備えておいた方が良い。
問題は、その魔術を使えない期間がいつまで続くのか、だ」
レッド公爵が静かな表情で告げる。
「その変化は今朝、突然始まった。
いつそれが収まるのかは、なんとも言えないね。
通常の人間であれば、あと三か月程度で体調が落ち着くはずだが、その保証もない。
瑞希の才能であれば、すぐに今の状態に慣れてしまって魔力を制御できるようになるかもわからない。
我々に予想をする事は困難だろう」
国王が苦悩しながら告げる。
「おそらく三か月もあれば、周辺各国に懐妊の噂が広まるには十分だろう。
懐妊中で満足に動けないと読み、雪が降る前に攻め込まれる可能性がある。
さらにその時点で魔術が使えなければ、雪の降る季節だろうと我が国に攻め入ってくる可能性が高まる。
なんとしても出産が終わるまで、守り切る必要がある」
シュワルツ公爵が無愛想に告げる。
「出産直後も満足に動けぬだろうし、出産すれば魔術が使えるようになるという保証もないぞ。
一度変化した体は、もう完全には元に戻らん。
以前通りの魔術が使える保証は、どこにもないのだ。
今後も瑞希の魔術に頼れると思わない方が良いだろう」
レッド公爵が告げる。
「白竜教会は瑞希に借りがある。
彼らの協力を取り付け、私兵団を守備に回してもらうよう話を付けることは可能だろう。
お前たちが望むのであれば、私が話を通しておこう」
アルベルトがレッド公爵に尋ねる。
「望める兵数はどれくらいになる?」
「そこはなんとも言えないね。
彼らがどこまで応じるか次第だ。
少なくとも、国内であれば最大で千人程度は望めるだろう。
国外の白竜教会に協力を取り付けられれば、さらに多く望めるとは思う」
アルベルトがシュワルツ公爵に尋ねる。
「シュワルツ公爵、あなたはどう行動するつもりなのか」
「傍で道を示すのが導の役割だ。
瑞希やその周囲を守るのは、導の範囲を超える。
何より我らは、人間に直接手を下すことを良しとしていない。
戦力としては期待せんことだ」
レッド公爵が続く。
「この王都が戦火に飲まれた場合、私はリーゼロッテの身の安全を確保して国外に退去するよ。
竜の寵児を、国家間の戦争で失う訳にはいかないからね」
国王が頷いた。
「お前たちの事情は理解した。
となれば、ミズキの懐妊も隠せるだけ隠した方が良いだろう。
それで時間を稼ぎ、目前の危機を遅らせるしかあるまい。
休学させれば嫌でも目立つ。
しばらくは体調不良ということにしておこう。
ミズキが病床に就けば、それはそれで狙われる可能性が高まるが……妊娠よりはマシと思うしかあるまい」
アルベルトが決意を湛えた目で告げる。
「この窮地、何としても乗り切って見せる!」
****
アルベルトがベッドルームに姿を現すと、瑞希がベッドの中で迎えた。
「随分遅かったね。
話し合いはどうなった?
私の魔術が使えないことで、他国が攻めてくるって予想したんでしょ?」
アルベルトが目を見開いて驚いた後、ベッドに腰を下ろした。
「なぜ、そんなことを思うんだ?
ただの、今後の打ち合わせだ。
お前は何の心配もせずに寝てるといい」
瑞希が唇を尖らせた。
「あーのーねー!
魔力を制御できないだけで、頭が悪くなったわけじゃないんだけど?!
――そりゃ、ちょっとぼーっとするけどさ。
少し考えれば、この国がこれからどうなるかぐらい、わかるよ」
「そうか……それもそうだな。
お前が予想する通りじゃないか?
当面はミズキを体調不良として学院を休ませる。
一定期間を経て休学になるだろう。
レッド公爵が白竜教会に協力を要請してくれるそうだが、どこまで頼れるかは正直、わからない」
瑞希が俯いて応える。
「私の妊娠を隠す方向か。
でも多分、一か月以内に他国の諜報部が私の妊娠を察知するよ。
二か月以内に、周辺各国に報せが届く。
その時点で秋だから、攻め入る隙を伺ってた国は、雪が降る前に攻めてくるんじゃないかな」
「そんなに事態の展開が早いのか?!」
瑞希が頷いた。
「敵意こそなかったけど、私の周辺を漁る各国の密偵が大勢居たからね。
結婚したら妊娠するのが普通だし。
そのタイミングをずっと見張ってたんだと思う。
それで各国がどう動くのかまでは、今の私にはわからないかな」
「密偵を察知してたなら、なぜ捕縛しなかったんだ?」
「国内で世間話をしてるだけの密偵を全員捕縛してたら、外交問題になっちゃうでしょ?
――今日一日で多くの痕跡を残しちゃったし、早い段階で情報が漏れるのは、防げないと思うよ」
アルベルトがため息をついた。
「……お前はこれから、どうするべきだと考える?」
瑞希が俯いて思考をめぐらせながら応える。
「隠しても隠しようがない……私がこの世界に来た時と似た状況だよね。
だからもういっそ、大々的に発表しちゃえばいいんじゃない?
それで各国に協力を要請すればいいんだよ。
妊娠した人間を狙って国を攻めるなんて、国民感情が悪い方向に傾くし、それを嫌がる国も少しは出るんじゃない?
少なくとも、兵の士気は落ちるよ。
私に恩を売りたい国も出てくるだろうし、周りが敵か味方かはっきりするんじゃない?。
どんな手を打っても、周辺国がまとまって攻めてきたら、対処のしようがないもん。
その時はおとなしく滅びるしかないよ」
アルベルトが俯いて考えこんでいた。
「……一理ある、か。
明日、改めて父上たちと相談してから決めようと思う。
お前はもう休め。
今は自分と子供のことを、第一に考えるんだ」
「はーい」




