60.静かなる丘の攻防戦
――和やかな夜会の後、会議室。
国王を前に、瑞希は一通りを説明していた。
国王は深刻な顔で告げる。
「そんな大それたことをする必要があると、ミズキはそう思うのか?」
「あるから言い出したんだよ。
創竜神には黒龍さんを借してもらってる恩もあるし。
内部紛争してるなら、信仰をはき違えた連中におしおきは必要だとも思う。
創竜神の『霧の神に従っておけ』って言葉に従う人を守るのは、霧の神の眷属である私の役目。
神の言葉に従ったら不幸になりました、ってなったら、白竜教会がさらに揺らいじゃうし。
そうなると悪魔がまた復活してくるかもしれない。
色々考えた末に、私はやるべきだと思ったんだ」
シュワルツ公爵が瑞希に告げる。
「確かに東側では戦争の気配がしていた。
近いうちに動きがあるだろう。
お前がシュティラーヒューゲルに連れて行って欲しいというなら、それには応じよう。
だがお前は≪火竜の息吹≫を人間の軍隊に放てるのか?
低級眷属の群れに放つのとは訳が違うんだぞ」
瑞希が憂鬱な顔で応える。
「それはもう、他に手がないならしょうがないよ。
私には軍隊を押しとどめる方法が他にないし。
大丈夫、私はもう霧の神の死の権能で八千人を殺してる。
そこに何万人が追加されようと、それを背負う覚悟はできてるからさ」
ヴォルフガングが静かな表情で告げる。
「前も言ったが、心が負けそうなら決して無理をしてはいけないよ。
背負いきれない命を背負ってはいけない。
そこの見極めだけは、間違えないようにしなさい」
瑞希が精一杯の明るい笑顔で応える。
「――うん、ありがとう!
大丈夫、これはまだ背負えるよ。
今の私はドライセン三十万人の命だって背負ってる。
これからも多くの命を背負っていかなきゃいけない。
このぐらいで負ける心じゃ、王妃なんてやっていけないよ」
リーゼロッテが瑞希に告げる。
「ねぇミズキ。私もその場所に居ていいかな?」
「――え?! 危ないよ?! 人がたくさん死ぬんだよ?!
リーゼロッテは見ない方がいいよ!」
リーゼロッテがレッド公爵を見た。
「赤竜おじさま。私をその場所に連れて行ってもらってもいいかな」
レッド公爵は静かな瞳でリーゼロッテを見つめた。
「……それがお前の望みなら、私は叶えよう」
瑞希が思わず声を上げた。
「赤竜さん?! なんで止めないの?! 子供が見ても、良いことなんて何もないよ?!」
「私はこの子の願いを断れない。
この子の身は私が守ろう。
だから瑞希は、私たちのことに構わないでいいよ。
私たちが勝手についていって見届けるだけだ」
瑞希はレッド公爵の穏やかな微笑みに、それ以上何も言えなくなっていた。
****
――朝食の席。
いつもの面々に、新しい顔が加わっていた。
「わぁ、ドライセンの朝ご飯って美味しいんだね!」
「リーゼロッテ、朝から元気だね……」
瑞希がぼそりと呟いた。
楽しそうに食事をするリーゼロッテを、レッド公爵は楽しそうに見つめている。
シュワルツ公爵は静かな表情で紅茶を口に含んでいた。
ソニアがぽつりと呟く。
「また賑やかになりましたわね……」
ミハエルが元気に声を上げる。
「僕は年齢が近い女の子が増えて、少し嬉しいです!」
アルベルトは神妙な顔で瑞希に尋ねる。
「アルトストックの動きはどうなってるんだ?」
瑞希が手のひらに≪現在視≫の画面を作り確認する。
そこには野営中の軍隊の姿が映し出されている。
「既に出征してるね。予定通りなら、半月ぐらいでシュティラーヒューゲルに辿り着くと思う」
「アルトストック軍三万に加えて、白竜教会の私兵団が一万か。随分と大規模になったな。
確かに、その規模の軍を食い止められる国はあの辺りにはないだろう。
ドライセンの東側諸国が背後を突かないことを前提とした兵力だ。
おそらくお互いに、不可侵の密約を交わしたのだろう」
ソニアが瑞希に尋ねる。
「姉様、どうしてアルトストックはリーゼロッテ王女の国を狙うのでしょう?
小さな国なのでしょう? 攻め落とす旨味はないと思うのですが」
「私にもよくわからないけど、『竜の寵児の権威を落とす』って事を考えてるみたいなんだよね。
それが意味する事までは読み取れなかったんだけど」
レッド公爵が静かな表情で告げる。
「今回説得に走り回ったリーゼロッテのことが、よほど気に食わなかったのだろうね。
ヒュープナー伯爵は、彼女の絶大な立場と発言力に瑕を付けたいのさ。『自分の生まれ故郷すら守れない人間だ』とね。
『創竜神を格下だと認める人間は、神が力を貸さない』とでも吹聴したいのだろう。
白竜教会の中で絶対的な発言力を持つ、巫女たちを頂点としたヒエラルキーを崩壊させ、自分たちが発言力を持つ組織に作り替えたい勢力がそれに手を貸した。
――おそらく、そんなところだろう」
シュワルツ公爵が不機嫌そうに告げる。
「この辺りの白竜教会は、かなり腐敗した連中が蔓延っていたようだな。
創竜神様が叩き直したいと思っても、仕方があるまい」
瑞希が≪現在視≫で次々と各国の様子を確認していく。
「……やっぱり南方国家にも軍備を整える動きがあるね。
西方は私兵団が武装蜂起する準備、かな。
こちらは半月ぐらいじゃまだ、大きな動きはないと思う」
アルベルトが瑞希に告げる。
「ならばまだ、焦る時期でもないな。
だがミズキ、現地には私も連れて行け。
私が傍に居れば、少しはお前の心の支えになってやれるだろう」
「……そうだね、その時はよろしくね」
****
国王と王妃が、並んで静かに食事をしていた。
王妃が国王に尋ねる。
「ねぇハンス。ミズキにそんなことを許しても良かったの?
最悪の場合、白竜教会勢力圏の戦争に巻き込まれるのよ?
縁のない小さな国一つを守る為に、そこまでのリスクを背負う必要があると、あなたは判断したのかしら」
「ミズキはそれが必要だと判断した。
そして私は、白竜教会との件をミズキに一任している。
――彼女は決して愚かな人間ではない。
ただ感情に流されて導き出した結論ではあるまい。
そして我が国が戦火に巻き込まれても、それを跳ね除ける力もある。
今は、彼女を信じよう」
「……そうね、ミズキならきっと、今回も乗り越えてくれるわよね」
****
――深夜のシュティラーヒューゲル王国、国境付近。
リーゼロッテが国境の砦に居る兵士に話を付け、兵を出さずに見守るように伝えていた。
砦から戻ってきたリーゼロッテに瑞希が告げる。
「ごめんねリーゼロッテ。お使いみたいなことをさせちゃって。
うっかりシュティラーヒューゲルの兵を守ることを忘れてたよ」
リーゼロッテが首を横に振った。
「私の国のことだもん。これくらいは当たり前だよ」
アルベルトが国境の向こう側に広がる平原を見据えた――夜闇で見えないが、アルトストック軍が間近まで来ているはずだ。
「小国に対して大兵力での夜襲か。大人げないことをする」
レッド公爵が静かな表情で瑞希を見つめていた。
「では、私たちは見届けせてもらうよ」
シュワルツ公爵は不敵な笑みで瑞希を見つめている。
「お前のことだ、今回も楽しませてくれるのだろう?」
瑞希が頭をかいて応える。
「あはは……ご期待に添えるかは、わかんないよ?」
瑞希が国境向こうの平原に向き直った。
即興魔術で標的の位置を補足し、慎重に狙いを定めていく。
そのまま口を開け、その口に光が集まっていった。
次の瞬間、深い夜の闇を、一条の光が切り裂いた。
****
アルトストック軍を指揮する将軍は乗馬に跨り、行軍を指揮していた。
ここまで順調に行軍が進み、道中の国は大兵力を恐れ、手を出しては来ていない。
兵は一切損耗せず、出征時そのままの兵力を維持していた。
将軍が静かに将校たちに告げる。
「迅速に砦を落とし、その勢いで王都まで陥落させる。
国民は一人残らず命を奪え。
シュティラーヒューゲルという国があった痕跡を、一切残すな」
その異常ともいえる指示に、将校たちは静かに頷いた。
間もなく国境の砦に辿り着く。遠くにかがり火が見え始めていた。
突然、その砦から一条の極太の光の帯がアルトストック軍の上空に伸び、彼らを照らし出した。
光は途中で分裂し、曲線を描いた細い光が次々とアルトストック軍に降り注いでいく。
大地に落ちた光は兵の体を貫いては爆発していった。
混乱する兵たちに、将軍が怒声を上げる。
「狼狽えるな! 何が起こったか、状況の把握を急げ!」
上空の光が消え去り、兵たちが馬を宥め終わる頃。
将校の一人が将軍に報告を告げる。
「我が軍に組み込まれていた白竜教会私兵が、あの光に撃ち抜かれ爆死した模様です。おそらくは全滅かと。
しかし正規兵たちに被害はないようです」
将軍が怪訝な表情を浮かべた。
「――何を馬鹿な。神罰が下ったとでも言いたいのか?
なぜあれほどの数の光を浴びて、正規兵が無事なのだ!」
『聞こえてるかな? アルトストック軍の人たち』
唐突に頭の中に響く声に、将軍を含めたアルトストック軍の兵士たちが狼狽えた。
「これは――≪念話≫の術式か?!
だがあれは軍隊を対象にする術式ではないはずだ!
なんだ?! 何が起こっている?!」
『そんなに驚かなくてもいいよ。”ちょっとした”応用魔術だからさ。
――今回は白竜教会を裏切った人たちの命を奪っただけ。
今すぐ撤退するなら、あなたたちの命をこの場では奪わないよ。
でも創竜神に背こうとするなら、霧の神に代わって私が神罰を下すよ。
私は霧の神の眷属。霧の神は創竜神を愛玩動物として可愛がってたみたいだし。
そんな創竜神の信徒を守るのは、私の役目だからね』
霧の神の眷属を名乗る者――それに該当する人間はただ一人。
「貴様、ドライセンのミズキ王太子妃か?!
我が軍に攻撃を仕掛けるとは、我が国に宣戦布告でもするつもりなのか!」
『やだなぁ、自分たちが居る場所をよく見てよ。
そこはもうシュティラーヒューゲル領内。あなたたちは国境を既に通過してるんだよ。
これはアルトストック軍の侵略行為を防いだだけ。
そしてこれはドライセン王国じゃなく、私という一人の人間が勝手に行動しただけだよ。
――この”意味”、理解できるかな?』
将軍が蒼褪めた顔で声を絞り出す。
「……まさか、たった一人で軍隊を相手に出来るとでも言うのか」
『実際にして見せたでしょ?
あなたたちが死にたいなら、全員に等しく死を与えてあげる事もできるよ。
でも死にたくないなら、今すぐ引き返すといいよ。それを追う真似はしないから。
――帰って告げなさい。”シュティラーヒューゲル王国に手を出そうとする者には、霧の神の神罰が下る”と。
創竜神の信徒を、竜の巫女を、私は守るよ』
将軍は青い顔で俯き、しばらく逡巡した。
アルトストック軍の動向など、ドライセン王国がどうやって知ったのか。
その動きを先回りするように、正確に国境を超えるタイミングで攻撃を加えてきた。
さらには魔法としか思えない魔導で、一万の兵の命を一瞬で奪って見せた。
そして真偽不明の噂の数々。
全ての情報が『勝ち目がない』という結論を導いていた。
将軍が大きな声を上げる。
「転身! アルトストックに戻る! 隊列を整えよ!」
****
瑞希は撤退していくアルトストック軍を警戒魔術で監視しながら、彼らの様子を伺っていた。
アルトストック軍の全軍が国境を超えていったところで、疲れ切ったように地面に腰を下ろした。
「なんとか、撤退してくれた……。
あー疲れた……さすがに魔力が尽きるから、少し休憩するね」
彼らの撤退を引き出せなければ、逆に瑞希が魔力を回復するまで、一時撤退を余儀なくされていた。
そうなればシュティラーヒューゲル領が戦火に飲まれるのを避けられなかっただろう。
相手に告げた言葉に嘘はないが、半ば『はったり』の攻防戦だった。
レッド公爵が慌てた声で瑞希に告げる。
「ちょっと待ってくれ!
さっきの術式は、なんだったんだ?!
≪火竜の息吹≫ではないのか?!
あれは、あんなアレンジが出来る術式ではないはずだ!」
疲れ切った顔の瑞希が、レッド公爵を見上げて応える。
「もー……黒龍さんも頭が固かったけど、赤竜さんもなのー?
魔術なんだから、やり方次第でどうとでもなるんだよ、あの程度。
人間を遥かに超える魔力を持つ赤竜さんたちなら、もっといろんなアレンジが出来るはずだよ?
もっと研究してみたら?」
「魔力――瑞希の魔力であれほどの大出力など、どうやった?!
≪増幅≫を重ねた程度の威力ではなかったぞ?!」
「ああ、あれのこと?
ちょっと魔術的な『竜の心臓』を作ってみたんだよ。
赤竜さんも黒龍さんも、魔力の源は心臓でしょ?
だからそれを魔術的に再現して、私の魔力出力を一時的に赤竜さんたちのレベルに高めたんだ。
≪増幅≫と≪収束≫と≪加圧≫の『ちょっとした』応用だよ」
「そんなことをすれば、お前の心臓が破裂するだろう?!
なぜそれで生きている?!」
「ちゃんと魔力制御してあげれば、フィードバックで破裂なんて起こさないよ。
この程度の魔力制御、赤竜さんたちくらい長く生きてる竜なら簡単でしょう?
なんで驚くのかな。
――じゃあ悪いけど、≪意思疎通≫を少し切るね」
そう言い残し、瑞希は芝生の上に大の字になった。
額には玉のような汗をかいている。
魔力の限界、ギリギリだ。
シュワルツ公爵が楽しそうに微笑みながら、呆然と言葉を失っているレッド公爵に告げる。
「――どうだ? 人間にしておくのが惜しいと、お前も思うだろう?
あの夜闇の大軍の中から、正確に白竜教会の私兵のみを狙い撃つ――それだけでも、信じられん神技だ。
疑似的な『竜の心臓』を制御しながら、それだけの芸当をして見せる。それが瑞希だ」
レッド公爵がようやく声を絞り出す。
「あの≪火竜の息吹≫は、元は私が開発した術式だ。
その私が理解できないアレンジをしてみせたというのか。
あれほど流麗に曲げるだけでなく、分裂や爆裂する性質を与えるなど、なにをどうしたらできるんだ。
さらに疑似的な『竜の心臓』など、どうやって作ったというんだ……」
シュワルツ公爵が不敵に笑った。
「赤竜、お前は『考えたら負け』、という言葉を知っているか?
私たちにすら理解できない存在なんだよ、瑞希は。
――まったく、人間の器でどうやったらこれほどの魔術を行使できるのか。全くもって理解の外だ。
これが魔導術式だと言われても、我々にも魔法にしか見えん」
リーゼロッテが呆然としているレッド公爵の袖を引っ張った。
「……赤竜おじさま、ミズキと話せるようにしてくれるかな?」
「――あ、ああ。いいとも」
すぐにレッド公爵が≪意思疎通≫術式を瑞希に施した。
リーゼロッテが瑞希に尋ねる。
「ねぇミズキ。なんであんな事を言ったの?
最初の予定では、『こっそり帰る』って言ってたのに。
あれじゃ、ミズキがやったってみんなに知られちゃうよ?」
瑞希が寝転びながら応える。
「んー? 赤竜さんたちの話を聞いていたら、そうした方がいいって思ったんだ。
私の言葉が伝われば、『創竜神が霧の神にただ従ってる』ってことにはならない。
霧の神が創竜神を守ってるって伝わる。
格上の存在が格下の存在を守る――普通のことだよ」
「でも、ドライセン王国が攻め込まれたらどうするの?」
「その時は、王国軍でなるだけ対応するよ。
でも私の力を恐れることで、相手は確実に勢いを削がれるよ。
突然こんな場所に現れて、一瞬で一万人の命を奪うような人間が相手に居るんだから、簡単には攻め込んでもこれなくなる。
軍略の常識が、一切通用しない相手だからね。
私の言葉を信じるなら、攻め込んできた正規軍三万人の命すら同じように奪えることも理解できたはず。
たった一人でそれだけの兵力を消滅させる人間がいる国に、攻め込みたい国なんていないよ」
「……ミズキ、顔色が悪いけど、大丈夫? 魔力を使い過ぎた?」
「新しく一万人の命を背負っちゃったからね。気分が悪くなってるだけ。
人の命を奪うのは、何度経験しても気分が悪くなるね。
――でも、それは私が正常な人間だって証だから、我慢しないと」
アルベルトが優しく微笑んで瑞希に告げる。
「その全てを、お前ひとりが背負う必要はない。
私が共に背負おう。
私たちは夫婦だ。喜びも苦しみも、分かち合う存在だろう?」
瑞希がアルベルトに微笑みを返す。
「……そうだね。
アルベルトが隣に居るなら、きっと今夜は眠ることが出来ると思う。
――ありがとう」




