6.覚醒(2)
瑞希たちが紅茶を飲みながら待機しているサロンに、アルベルトが姿を現した。
「父上の説得に成功した。
ミズキは国賓待遇で、我が国が身柄を預かると言うことになった。
部屋は今、用意させているからもう少し待っていてくれ。
服についても、マイヤー辺境伯のところで採寸した寸法を控えてある。
こちらも一週間ほどできちんとしたものが用意されるはずだ。
それまでは仕立て直した服で我慢して欲しい」
もちろん、瑞希に文句などある訳が無い。
瑞希が黙って頷くと同時に、クラインが立ち上がって嬉しそうにアルベルトに告げる。
「ねぇ聞いてよアルベルト!
ミズキったら、もう魔導術式を覚えたのよ?!
この子、魔導の才能が飛び抜けてるんじゃないかって、ノートル伯爵も言っているわ!」
アルベルトがきょとんとした顔でクラインを見た後、ノートル伯爵に顔を向けて尋ねる。
「どういう意味だ?
ミズキは魔力の扱い方も知らない初心者だったはずだ。
それがいきなり魔術を覚えた?
初歩の魔術の手ほどきでもしたのか?」
座っていたノートル伯爵が、苦笑を浮かべながら応える。
「……それがですね。
今現在、彼女は自力で≪意思疎通≫の術式を発動し維持しています。
初歩の術式ではなく、高等魔術である≪意思疎通≫の術式をいきなり教えられて、その場で使って見せてるんです。
王国史上でも前代未聞の珍事ですよ、これは」
アルベルトは信じられないように唖然と口を開けていた。
「その術式、そんな簡単なものではないという話だったな?
それをあっさり使って見せたのか。
――なるほど、救世主としての力は兼ね備えていた、ということか」
瑞希が反論するようにアルベルトに応える。
「救世主だなんて言われても、さすがにそんな大それたことが出来るとは思えないよ。
みんなは驚いてるみたいだけど、これは私の生活品質、そして女子の尊厳にかかわる魔術だったから必死だっただけ。
他のことに同じように力を発揮できるかなんて、わからないよ?」
クラインがしみじみと同意する。
「そうよね……日中だけとはいえ、ノートル伯爵のような壮年男性が常に周囲に居たら気が休まらないものね。
おちおちお手洗いにもいけないし、女子特有の問題なんてものも知られたくはないもの。
伯爵が悪い訳じゃないけれど、女子が許せる範囲ではないわね」
アルベルトが納得した様に頷いた。
「お前たちの言い分は理解した。
では魔導の講師は予定通り、ミズキに付けることにしよう。
ノートル伯爵は予定を返上して、お役御免ということで構わないな?
――ノートル伯爵、無理を言って来てもらっていたのに、すまなかったな」
ノートル伯爵が嬉しそうに首を横に振った。
「これほどの逸材が才能を開花させる瞬間を、目撃する機会を頂いたのです。
稀有な体験をさせていただき、私は充分満足していますよ。
――ミズキ、魔導で困った事があったら、是非頼ってきてください。
これでも宮廷魔導士の中で有数の腕を持っていると自負しています。
力になれる事があれば、いつでも応じますよ」
ノートル伯爵は立ち上がり、全員に向かって恭しく頭を下げた後、サロンから去っていった。
****
瑞希は、クラインに自分が着ている服を示しながら尋ねる。
「ねぇクライン、この服はあなたの使い古しの仕立て直しって話だったけど、本当に使い古しなの?
私には新品にしか見えないんだけど」
クラインは穏やかに微笑んで応える。
「立派な使い古しよ?
一度は袖を通しているもの。
『一度着た服はもう着ない』なんてことまでは言わないけれど、袖を通している以上、使い古しには違いないわ」
「でもこんな綺麗な服、あなたもお気に入りだったんじゃない?」
クラインが穏やかに微笑んだ。
「自分が気に入らない服を他人に譲るような真似、私がすると思う?」
クラインは『他人をゴミ箱のように扱う真似はしない』と暗に告げていた。
譲るからには、自分が納得している品を譲る――そんな気高い少女なのだと、瑞希は感じていた。
それは富裕層ならではの矜持だろう。
庶民である瑞希には、新鮮な感覚だった。
庶民なら『自分が似合わなくても、有効利用してくれる人に譲ろう』となりそうなものだ。
それはそれで、物を大切にする精神の表れなのだが、彼女たち富める者の矜持とは異なる文化だろう。
「クライン……あなた、とても立派な人なんだね。
その心の在り方は、私も見習いたいよ」
庶民として育ったが、瑞希も霧上家本家という富裕層の血筋だ。
富裕層としての心の在り方を覚えておくのも、無駄にはならないと感じていた。
アルベルトも楽しそうに笑っていた。
「クラインがどういう人間か、理解が進んだか?
高位貴族として、どこに出しても恥ずかしくない令嬢だ。
俺も友人として鼻が高い。
――クライン、今夜は泊っていけ。お前の部屋も用意させている。
お前にも無理をさせたな」
クラインが首を横に振った。
「別に無理なんてしてないわ。
私がやりたくてやったこと。
殿下もミズキも、何も気にする必要なんてないのよ」
はたと瑞希は思い出した。
「――そうだよ、クラインは急に私に付いてきてくれた。
きっと言葉がわからなくなった私の事が、心配で来てくれたんだよね?
おかげですっごい助かった。本当にありがとう!」
クラインはただ、静かに瑞希に微笑みを投げかけていた。
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従者がアルベルトに近づき告げる。
「お二方のお部屋の準備が整いました」
アルベルトが従者に頷き、瑞希とクラインに振り向いた。
「部屋の準備が出来たそうだ。
ミズキの部屋へ案内しよう」
従者が先導し、その後をアルベルト、その後ろをクラインと瑞希が並んで歩いていく。
瑞希が案内された部屋は、どこかで見たホテルのスイートルームのような、豪勢な部屋だった。
いくつも部屋があり、見るからに高価そうな調度品が揃えられている。
奥に見えるベッドルームには、キングサイズのベッドが置いてあるようだった。
部屋の中では、侍女たちが壁際で控えている。
思わず瑞希が言葉を漏らす。
「……ちょっと、これ豪華すぎない?
それに、お世話をしてくれる人たちまで揃えたの?」
アルベルトがきょとんとして応える。
「ミズキは国賓なんだ、このくらい当然の待遇だぞ?
これからはこの客間をミズキの部屋として使ってくれ。
足りないものがあれば気兼ねなく侍女たちに要求するといい。
応じられる限りは応じさせる」
(大丈夫かな……気分が落ち着かないなぁ)
慣れない生活品質に、瑞希は居心地の悪さを感じていた。
できれば六畳一間くらいで充分だ。そこにダイニングとキッチンがあれば、何とかなる。
だがここまでしてくれる相手に『もっと庶民的な部屋を用意しなおして欲しい』と要求する勇気もなかった。
気後れしている瑞希を見たクラインが、楽しそうに微笑んだ。
「心配しなくても大丈夫よ。
すぐに慣れるわ。
私はちょっと着替えてくるわね」
従者に案内されるように、クラインが部屋を後にした。
アルベルトが瑞希に向き直り、改めて尋ねてくる。
「どうだミズキ。足りないものがあると感じるか?」
慌てて瑞希は両手を横に振って否定した。
「とんでもない!
……でも、初めて体験する待遇だから、何をどうしていいのかわからないかな。
元の世界では、私は庶民だったからね」
「それもそうか……
だがとりあえず、旅装を着替えるといい。
マイヤー辺境伯が用意してくれた部屋着も持ってきているはずだ。
着替え終わったら、この部屋でクラインと一緒に過ごそう」
侍女たちに促されるように、ミズキは別室へ連れて行かれ着替えさせられた。
淡いライトレモンのドレスに着替えた瑞希は、落ち着かない気分で自分の服を確認しながら戻ってきた。
ゆったりとしたモスリンのワンピースだが、あちこちにリボンや繊細なレースなどの装飾が施されたドレスだ。
これを着て外に出ても、瑞希には恥ずかしいとは思えない。
「ねぇ……これ、本当に部屋着なの?」
アルベルトは楽しそうに微笑んでいる。
「こちらの世界の庶民感覚とお前の持つ庶民感覚、それがどの程度一致しているか、それは私にはわからない。
だが確かに、庶民なら外出に用いても恥ずかしくない代物だ。
この世界の高位貴族の部屋着は、その程度が当たり前だ、とでも思っておけばいい」
ふと瑞希が気づけば、アルベルトも着替えていた。
瑞希と出会ってから王宮に付くまでは、質素で装飾も乏しい、くすんだ色の服を着ていたはずだ。
それが金糸や銀糸で装飾が施された、色鮮やかで立派な服装に代わっていた。
(漫画とかで見たことある服だなぁ。
異世界の文化って、どのくらい私の世界と共通した文化があるんだろう?)
アルベルトが座っていたソファの向かいに瑞希も腰を下ろした。
その柔らかい座り心地に、やはり居心地の悪さを感じてしまっていた。
「……早く慣れないと、落ち着いて生活できないね」
「なに、すぐに慣れるさ。
――それより、術式を維持し続けていて大丈夫か?
ミズキはまだ魔導初心者だ。
念の為、一時間おきに十分の休憩をはさむといい。
自分の限界を調べるのは、教師が傍に居る時にしておけ」
「んー、そうだね。
じゃあクラインが戻ってくるまで、術式を中断して休んでおくね」
クラインが瑞希の元へ戻ってきた後、三人は夕食の時間まで雑談を続けていた。
****
今、瑞希の前には西洋料理のフルコースが並んでいた。
今夜の夕食は瑞希の部屋で、三人でとろうと決めた結果だ。
(食べ方がわからない……)
ナイフやフォークぐらいは当然ある程度使えるが、西洋風に見えるだけで、見た事もない料理だ。
どうやら料理文化は異世界なりに違いがあるように感じていた。
アルベルトやクラインの食べ方を真似ながら、少しずつ口に料理を運んでいく。
量は少なく、味付けは濃い目のようだ。
「なぁミズキ、さっきお前は『元の世界でも魔術を見た事がある』と言ったな。
詳しくどんな術式だったか、聞かせてくれないか」
アルベルトの言葉に瑞希が頷いた。
「祖父が使った魔術なんだけど、≪念話≫と≪過去視≫の魔術って言ってた。
それがどういう魔術なのか、説明はされなかったけど……今、あの時のことを思い返すと、不思議と魔力の流れまで思い出せるみたい。
術理も、ぼんやりとだけど想像が付くかな。
――これはどういうことだと思う?」
アルベルトが困ったように眉をひそめた。
「んー、私たちも魔導は初級者だ。
それがどんなものなのか、想像がつかないな。
――おいキーファー、お前は魔導が得意だったな。
何か思いつくことはあるか?」
アルベルトが、背後に控えている年老いた侍従に尋ねた。
侍従は静かに応える。
「憶測になりますが、ミズキ様は元々、無意識に魔力を知覚なさっていたのではないかと。
魔力の存在を理解したことで、記憶の中に在る魔力を認識できるようになったのではありませんか」
アルベルトが頷いた。
「なるほど、そういうことも在り得そうだな。
術理の想像が付くならば、もしかするとこの場で再現する事すら可能かもしれん。
≪念話≫の術式は聞いた事があるが、≪過去視≫というのは初めて聞いたな。
どういう術式なんだ?」
「祖父は火を使って、一時間以内の光景を映し出していたかな。
もっと遡るには、大掛かりな儀式が必要とも言ってた。
映し出す光景は多分、魔術的な『手掛かり』を手繰ってるんだと思う。
たとえば、この場に居る人間とかね
――試しにやってみようか」
瑞希が手元のスープに魔力を浸透させ、想像する術理で術式を組み上げていく。
スープに映像が投影された――広い部屋で、アルベルトが身なりの良い老年の男性と会話をしている姿だ。
瑞希の知識では、相手はおそらく国王だろうと思えた。
アルベルトがスープに投影された映像を覗き込み、楽しそうに微笑んでいる。
「ほぉ、父上を説得している時の私の映像だな。
今からだと――五時間前になる。
一時間が限度じゃなかったのか?」
瑞希が苦笑を浮かべた。
「一時間前のつもりだったんだけど、遡り過ぎたみたい。
加減が難しいね、この術式」
映像はふっと掻き消え、元のスープの皿に戻ってしまった。
「……維持も難しいみたい。
多分、他にも何か制約――できないことがあると思う。
なんだか邪魔をされる感じもしたし、自在に扱うのは難しいかも」
「謁見の間は魔術的な防衛結界が張られている。
それが邪魔をしたんだろう。
同じように、妨害しようとする魔術的要因があれば、その術式を成功させるのは難しいだろうな。
だが、使える状況なら便利な術式だ」
クラインが感心したようにため息をついた。
「ミズキったら、別の難しそうな術式まで発動に成功したのね。
ノートル伯爵が言う通り、魔導の才能は飛び抜けてるんじゃないかしら。
本格的に魔導を修めたら、どこまで才能が開花するか楽しみね」