55.言葉の重み
瑞希たちがサロンで談話していると扉がノックされた。
ゲルトが対応に向かい、室内に招かれたのはソニアだった。
「ようやく解放されました。
皆様、お待たせして申し訳ありません」
「随分長くかかったね。
懇親会の終わりまで居たんじゃない?
何を話してたの?」
ソニアが腰を下ろしながら、コルネリアの出してくれた紅茶を一口飲んだ。
「元々の交友関係に加え、いろんな男性が挨拶に来られましたわ。
姉様の親族になるチャンスですもの。
直接言葉を交わす事は畏れ多くても、姉様の親族の座は美味しく見える――そういうことなのでしょうね。
上級生の男性も多数、話しかけにこられましたよ」
ソニアの婚約者も空席のままだ。
これから在学中に婚約者を見繕うことになるはずだった。
ゲルトがソニアに告げる。
「王女様ってだけでも大変だものな。
それに加えて、神の眷属の親戚の座だ。狙う人間が多くても仕方ない話か。
降嫁先の目星は付いてるのか?」
「お父様も候補を考えてらっしゃるようですけれど、今はまだ具体的な名前が挙がる段階でもありませんわね。
どこかの侯爵家が選ばれるだろう、とは思っておりますけど。
姉様のご威光を悪用しない相手となると、探すのが大変そうですわね」
瑞希が苦笑した。
「『ご威光』って……私にはそんなもの、ないと思うけど?」
ソニアがジトっとした目で瑞希を見た。
「ご自覚がないのは、さすが姉様ですわね……
姉様に話しかけられたというだけで、ロルフ様はあの後、多数の方に囲まれてましたわよ?
王太子妃というだけでも発言力がおありなのに、姉様には霧の神という後ろ盾がおありですからね。
姉様の一言で国が動いてしまう、ある意味でお父様以上の発言力を持っているという事をご自覚するべきですわ」
「だったらもっと直接話しかけにくればいいのになぁ。
私の事は放置しておいて、私の周囲の人間にたかるだなんて、私もどうしたらいいのかわかんないよ」
イーリスが瑞希に告げる。
「仕方ありませんわよ。
直接話しかけて不興を買いでもしたら、それだけで貴族生命が絶たれます。
ミズキ殿下がたった一言『あなた、感じ悪いわね』と仰るだけで、その方に近寄る人間はいなくなりますもの。
霧の神への信仰が根強いこの国で、ミズキ殿下の発言はそれくらい重たいものなのですわよ?」
「うっ、以後気を付けます……。
そっかー、そんなに発言が重たくなっちゃってるのか。
迂闊に下手なことが言えないんだね」
クラインが瑞希に告げる。
「言葉だけじゃなく、下手すれば目線一つで人が動くわよ?
振る舞いにも充分注意した方がいいわ」
瑞希は辟易として顔を歪めた。
「うへぇ……息苦しい王族生活なのに、もっと息苦しいことになるのかぁ。
もっと息を抜ける場所を増やしたいなぁ。
陛下やクラインたちですら、年末の夜会では最初、近寄ってこれなかったくらいだもんなぁ。
交友関係を広げたいと思ってたけど、前途多難だね」
クラインが苦笑を浮かべた。
「あの時はごめんなさいね。
いくらミズキ殿下の非常識さに慣れていたといっても、あそこまで飛び抜けた出来事をすぐに飲み込めなかったのよ。
あなたはよく、全く取り乱さずに対応できたわよね」
「そりゃあ私は、異世界から連れ去られて来た当人だもん。
あの程度の非現実的な現象なんて、慣れたものだよ。
霧の神とも、最初に直接言葉を交わしてるし」
アルベルトが時計に目を走らせた。
「――時間だ。そろそろ、私たちも撤収しよう」
全員が頷き、ソファから立ち上がった。
****
帰路の馬車の中で、アルベルトが瑞希に告げる。
「お前の言動の重さは、充分理解できたと思う。
だが今後、それを踏まえてお前を敵視する白竜教会に対応していかなければならない。
それについては帰ってから、父上も交えて相談しておくべきだと思う」
瑞希が創竜神の信徒に嫌な顔を見せる――たったそれだけで、国内で白竜教会が白い目で見られるようになるだろう。
たまたま無礼を働いた人間が創竜神の信徒だったというだけで、その可能性がある。
下手をすればそこから弾圧が始まり、最悪は宗教戦争に至る可能性すら考えられた。
瑞希が深いため息をついた。
「周辺国のほとんどは白竜教会の勢力圏。
宗教戦争になれば、この国が一斉に攻め込まれる可能性すらあるもんねぇ。
学生にまで私を敵視する人間がいるんだから、貴族の中にも一定数、創竜神の信徒が居るってことだし。
なんとか穏便に済ませて行かないとなぁ」
ソニアが瑞希に告げる。
「そういうことでしたら、シュワルツ公爵に助力して頂けばよろしいのではないですか?
あの方が創竜神の眷属なら、白竜教会に対しても強い発言力をお持ちのはずです。
姉様と白竜教会の仲立ちをしていただき、なんとか誤解を解いていくしかないのではないでしょうか」
「誤解って、どんな誤解をされてるのさ?」
アルベルトが瑞希に告げる。
「霧の神が創竜神を格下として扱った噂が、『我が国が創竜神を格下として見ている』という噂に化けているようなんだ。
白竜教会としても、そんな噂は無視が出来ない。
この誤解は、父上の発言だけでは打ち消す事が難しいだろう。
ミズキやシュワルツ公爵に出て来てもらう必要があると思う」
****
――王太子の私室、リビング。
国王が神妙な顔で告げる。
「やはり、学生の中にも敵視する人間が居たか。
ブラント枢機卿に命じ、白竜教会側にこちらの意志を伝えさせているのだが、納得させるには至っていないようだ。
アルベルトが言う通り、私でも力不足だろう。
すまないがミズキとシュワルツ公爵には、早急に白竜教会とコンタクトをとってもらいたい」
「それはいいけど、白竜教会が何を考えてるのかさっぱりわからないからね。
――ねぇ黒龍さん。創竜神は何か言ってないの?」
シュワルツ公爵が思案しながら応える。
「創竜神様は『霧の神に従っておけ』としか仰っていない。
愛玩動物扱いも、特に気にされてはおられないようだ。
この言葉は竜の巫女――白竜教会に所属する巫女から、直接周囲にも伝えられているはずだ。
彼女らは白竜教会内で大きな発言力を持つ。
だが竜の巫女は、創竜神様から与えられた使命のために各地を巡礼している。
徐々に広まって行くとは思うが、浸透するまで時間を要するだろう。
早急に、ということであれば、我らが直接説得する必要がある」
「私たちが直接説得すれば、納得してくれる?」
シュワルツ公爵が苦笑を浮かべた。
「私が人間界に降りてくるのは久々だ。そもそも、滅多に人間に手を貸しては来なかったからな。
私の事を、伝承ですら知らぬ人間ばかりだろう。
努力はしてみるが、どこまで仲立ちできるかは私にもわからんな」
「そっかー。あとは私が頑張るしかない感じかな。
じゃあ明日早速、学院を休んで白竜教会に行ってみるよ。
呼び出すよりも、こっちから出向いた方が印象がいいはずだし」
国王が頷いた。
「すまないが、よろしく頼む。
以降はこの一件を、ミズキに一任する。
王太子妃として最初の公務になる。
結果を期待しているよ」
「はーい」
****
翌朝、馬車が到着した先は白亜の神殿前だった。
ギリシャ建築のようなその場所に、宗教関係者らしき人間が立ち並び瑞希たちを迎えた。
馬車を下りた瑞希に、先頭の男が声をかけてくる。
「これはこれはミズキ殿下。ようこそおいで下さいました。
ご足労頂き、感謝いたします。
私はダニエル・ヒュープナー伯爵。
ドライセン王国で白竜教会を取りまとめている司祭です」
敵意を隠せないその眼差しを、瑞希は柔らかい微笑みで受け止めた。
「瑞希・ニーア・ドライセンですわ。
本日はお時間を頂き、ありがとうございます。ヒュープナー伯爵」
ヒュープナー伯爵の目がシュワルツ公爵を見た。
「それで、そちらの御仁はどなたでしょうか。
今回の話し合いの場に、必要な方ですか?」
シュワルツ公爵がヒュープナー伯爵に応える。
「今はシュワルツ公爵と名乗っているが、『創竜神様の眷属の竜だ』と言えば理解できるか?
今回はミズキと、創竜神様を信仰する者の仲立ちとしてこの場に居る」
ヒュープナー伯爵が眉をひそめた。
「シュワルツ公爵……聞いた事のない名ですな。
創竜神様の眷属というのも信じ難い。
何か、証を示すものはおもちですか?」
シュワルツ公爵が仏頂面で応える。
「創竜神様に近い、我ら四頭の眷属すら伝承を知らんと言うのか?
赤竜の奴のことすら知らんと、そう言うのか?」
ヒュープナー伯爵が怪訝な表情で応える。
「……赤き竜の化身が時折、人間界に姿を現すという伝承は知っておりますが。
あなたはその仲間だと、そう仰るのですな?
であるならば、竜の魔法を使うことが出来るはず。
それをこの場でお見せ頂くことはできますか?」
シュワルツ公爵が小さく息をついた。
「――仕方あるまい。
ではその目を見開いて、よく見ておけ」
シュワルツ公爵が地面に屈んだ次の瞬間、空高く飛びあがっていた。
空中でその姿がみるみると巨大な竜の姿に変化していき、神殿上空で全長百メートルに及ぶ黒い竜が静止していた。
ヒュープナー伯爵たちは呆然と空を眺め、言葉を失っている。
「これで理解できたか。騒ぎはお前たちが責任をもって鎮めておけ」
その低く響き渡る言葉と共に、巨大な竜が再びシュワルツ公爵の姿に戻り、地上に着地した。
遠くでは既に市民たちが騒ぎ出し、パニックに陥りかけているようだ。
ヒュープナー伯爵たちは、まだ呆然とシュワルツ公爵を見つめている。
瑞希は一部始終を見届け、ため息をついた。
「黒龍さん、もう少し大人しい魔法はなかったの?」
「こいつらは最初から私を疑い、信じる気がないようだったからな。
これで私が竜の化身であることは信じられただろう。
現在この大陸に居る竜は全て、創竜神様の派閥だ。
少なくとも敵ではない事も理解できたはずだ」
瑞希は周囲の騒ぎが大きくなっていくのを感じ、ヒュープナー伯爵に告げる。
「ヒュープナー伯爵、申し訳ありませんが騒ぎを鎮静していただけませんか。
このままですと怪我人が出ますわ」
我に返ったヒュープナー伯爵が、急いで背後の人間に指示を出した。
神殿関係者たちが、慌ただしくパニックを起こしている市民たちに駆け寄っていった。
時間はかかりそうだが、なんとか対応はできそうに見えた。
瑞希が微笑み、改めてヒュープナー伯爵に告げる。
「――では、早速話し合いをいたしましょう」
****
瑞希は会議室に招かれ、ヒュープナー伯爵と言葉を交わし続けていた。
だがどんな言葉を投げかけても、彼らは『霧の神が創竜神を愛玩動物扱いした』という事実を非難し、受け入れられないようだった。
――いや、事実だからこそなお、認めるわけにはいかないのだろう。
シュワルツ公爵がため息をついた。
「強情な人間どもだ。
『創竜神様はそのことを気にしていない』と、何度も言っているだろう。
霧の神の神格が創竜神様より高いのも事実だ。
霧の神は創竜神様よりも古き神、より強大な力を持つ神だ。
そんな神に格下として扱われたからといって、何をそれほど問題にするのか」
瑞希もため息をついて告げる。
「そもそも、私も我が国も、創竜神を格下だとは見ておりませんわ。
信仰の対象でこそありませんが、創竜神も間違いなく神の一柱。ないがしろにするつもりもございません。
そのように敵意を向けられても、対応に困ってしまいますわ」
ヒュープナー伯爵が敵意に満ちた眼差しを瑞希に向ける。
「ですから、ミズキ殿下直々に『創竜神様は格下ではない』と広く言葉を示して頂ければ済む話だと申しております。
そして霧の神に愛玩動物扱いを否定して頂かねばなりません」
瑞希が再びため息をついた。
「本当に強情な方ですわね。
事実ではない事を広く示すことは、私にも出来かねます。
私も霧の神の眷属、霧の神を貶める真似は看過できません。
そして霧の神は長い休息をとられていると、何度もお伝えしています。
再び霧の神からお言葉を頂けるのは、おそらく百年以上先の話になりますわ」
会議室に沈黙が訪れていた。
互いが譲れぬ一線があり、妥協点を見い出せずに居た。
会議室の扉がノックされ、静寂が破られた。
ヒュープナー伯爵たちが対応しようと立ち上がると同時に、扉が開かれた――そこには、真っ赤なスーツを着込んだ壮年の貴族紳士が立っていた。
「はっはっは! どうやら難航しているようだね!
私たちも少し、混ぜてもらうよ!」
陽気な笑顔で告げる貴族紳士に、ヒュープナー伯爵がヒステリックに声を上げる。
「今は取り込み中だ! なぜここまで入り込めた! 兵士たちは何をしている!」
貴族紳士がニカッと笑ってヒュープナー伯爵に告げる。
「私はレッド公爵。
――赤竜、と言えばわかるかな?」




