53.そして彼女は決意する
――婚姻を祝う夜会。
人々は昼間の大奇跡を口々に語り合い、楽しそうに言葉を交わしては時折、瑞希を盗み見ているようだった。
瑞希はアルベルトと共に、テーブルで二人、静かに食事を進めていた。
「……ねぇアルベルト。どうして今夜は誰も私たちに近寄ってこないのかな?」
アルベルトが苦笑を浮かべた。
「信仰する神が、彫像の姿を借りて顕現し、直接言葉を残したんだぞ?
貴族の多くは、お前が霧の神の血を引くことを信じていなかった。
異世界人であるということすら、信じない者も居た。
それを、あれほど強烈に見せつけられたんだ。
信仰心が薄くても、畏れ多くて近寄る事すらできないんじゃないか?」
確かに、神ほどの偉大な存在から『瑞希のことをよろしくね』と直接頼まれてしまえば、瑞希への対応を疎かにすることはできない。
かといって、なんと言葉をかけていいのかも分からない。
下心を持って近付けば、自分の身に何が起こるかも分かりはしない。
結果として、皆が遠巻きに眺めることしかできないのだろう。
瑞希は小さくため息をついた。
「まぁ、私は楽でいいけどね。
クラインやアリシアたちですら、なんだか近寄ってくる気配がないのは納得がいかないな。
特にクラインは私のことを、よく知ってるはずでしょ?」
「クラインはあれで、霧の神の敬虔な信徒だ。
今日の出来事が衝撃的過ぎて、全て飲み込めていないのだろう。
父上や母上、ソニアやミハエルも、どうやら同じようだ。
霧の神が仰ったように、少し派手過ぎたな」
従者たちもあれ以来、まるで割れ物を触るかのように、恐る恐る瑞希に接してきていた。
礼拝堂に居なかった者たちにも瞬く間に噂が伝わり、現場を見ていなかった者ほど、瑞希を畏怖しているようだ。
ザビーネだけがただ一人、現場に居たにもかかわらず、以前と変わらぬ態度で接してきていた。
やはりタフな女性――いや、『己の仕事が、確かに瑞希を支えている』という強烈な自負の表れかもしれない。
彼女からすれば『神に言われるまでもない』、といったところだろうか。
瑞希が苦笑を浮かべてグラスを空けていると、ヴォルフガングが近寄ってきた。
「おやおや、主役の周りが随分と寂しいね。
私が少し混ぜてもらっても構わないかい?」
瑞希が微笑んで頷いた。
「丁度、人が近寄ってこないなーって話してたとこだよ。
でもヴォルフガングさん、無爵なんでしょ? ここに出てきても大丈夫なの?」
ヴォルフガングが人の良い笑みを浮かべた。
「国王陛下が『それでは不便だろう』と先日、男爵位をくれたからね。
咎められることはないよ。
――それより、コアの破壊を確認してきた。
粉々になって、魔力もすべて消失していたよ」
つまり、石板と同じ道を辿った、ということだろう。
「そっか、これで魔導兵器を再現することが不可能になったはずだね」
ヴォルフガングが頷いた。
「そういうことになるね。
あんな古き神の力を宿す物は、まず見つかることはないはずだ。
霧の神の力を宿す物ともなれば、おそらく存在しないだろう。
もう心配は要らないね」
入口の方が少し騒がしくなり、瑞希が目を向けた――シュワルツ公爵だ。
どうやら、中に入れろと押し問答をしているようだった。
慌てて瑞希が入り口に駆け寄っていった。
「――黒龍さん! どうしたの?」
シュワルツ公爵が仏頂面で応える。
「お前たちが夜会で放置されているのを見過ごす訳にもいかん。
だが私が傍に行こうとしたら、兵士たちに止められてな。
公爵だと言っても伝わらんし、困っていたところだ」
国家という背景を持たぬ自称公爵など、当然このような場所に立ち入らせる訳が無い。
魔術を使って入り込めば容易く抜けられたものを、『それでは自分が居ない事になって意味がない』と、魔術を控えたのだろう。
瑞希は苦笑を浮かべて兵士たちに告げる。
「この方の素性は私が保証いたします。親戚のようなものですわ。
以後、公爵同然として扱うようにお願いしますね」
兵士たちが緊張で蒼褪めながら、直立不動で敬礼をした。
「はっ! ミズキ様がそう仰るのであれば、その様に!」
(あー、この人たちも信心深いのかな)
仕方なく兵士は放置して、シュワルツ公爵をテーブルに招いた。
ヴォルフガングが楽しそうにシュワルツ公爵に告げる。
「シュワルツ公爵、君が人前で跪く姿を見られるとは思わなかったよ」
先ほどの仏頂面をさらに烈しくして、シュワルツ公爵が応える。
「霧の神は創竜神様より上位の神だ。
私ごときが言葉を交わす事すら畏れ多いお方なんだ。
跪くぐらいは当然する」
瑞希が霧の神の言葉を思い出しながら呟く。
「そういえば、『創竜神は愛玩動物だ』って言ってたね。
そのぐらい神格に差がある神ってことかー」
飼い主の親しい友人にあたる霧の神と、ペットの子孫にあたるシュワルツ公爵――力の差が、なんとなくわかろうというものだ。
「ねぇ黒龍さん。霧の神は『もう創竜神の相手をするのは自分くらいしか居ない』って言ってたけど、どういう意味?」
黒龍が仏頂面を崩して応える。
「ああ、それなら簡単な話だ。
古き神は、もう既にほとんど神の世界に残っていないそうだ。
より上位の世界に行くか、滅んでしまうかしたらしい。
今もまだ強い力を持つ神は残っているが、地上に干渉することを良しとしない神ばかりだ。
現在の地上――つまり人間界を支えているのは、ほとんど創竜神様ということになる」
「創世の神は、その残った神の中に含まれていないってこと?」
シュワルツ公爵が頷いた。
「そう聞いている。
だが人間の魂が死後、創世の神の元へ召されるのは今も変わっていないらしい。
昼間、霧の神が言っていたが、瑞希の魂をこの世界に残すかどうか、その判定を下したのも創世の神だ。
創世の神は、この世界のシステムの根幹を担う神なんだ。
だから異物である瑞希の魂の受け入れを判定したのだろう」
瑞希が小首を傾げて尋ねる。
「この世界のシステムの根幹?
名前が創世の神ってことは、世界を作った神様?
どういうシステムになってるの?」
シュワルツ公爵が不敵な笑みで応える。
「瑞希もいつか、正式に神の仲間入りをするかもしれない――そういうシステムだ。
生まれ変わりで魂を磨いた末に、創世の神が認めた魂が新しい神となるらしい。
創竜神様も、そうやって神に昇格したと聞いている。
その魂を磨くための儀式が『神の試練』だ」
瑞希が感心してため息をついた。
自分が神になるための儀式を経過した――そんな自覚がなかったからだ。
この世界は、どうやら随分と独特のルールで回っているらしい。
瑞希の心を読んだようにシュワルツ公爵が告げる。
「今回の神の試練が魂を磨くものだったかはわからんぞ?
霧の神が『今回は受け入れ判定だ』と言っていたからな」
となると、瑞希はゼロからスタートということになるのだろうか。
瑞希は、自分が神になるイメージが湧かなかった。
そもそも神の血を引くことが、この世界でどんな意味を持つかもよくわからない。
そんな自分の魂が今、人と神の間のどこに位置するのか――さっぱり見当がつかなかった。
「なんか難しそうだねぇ」
シュワルツ公爵が微笑んだ。
「なに、お前たち人間は、そんな先のことなど考える必要はない。
『気が付いたら神に生まれ変わっていた』くらいの感覚だろう。
生まれ変われば、前世の記憶もなくなるらしいしな」
一部始終を頷いて聞いていたヴォルフガングが、シュワルツ公爵に告げる。
「実に興味深い話だが……私やアルベルト殿下がこれを聞いても良かったのかい?」
シュワルツ公爵が「フン」と笑った。
「他人に語る事も、形に残すこともできぬように魂を縛ってある。
それはお前たちが死ぬまで解ける事のない呪縛だ。
安心して聞いて居るがいい」
アルベルトが頬をひきつらせた。
「いや、呪縛って……呪いを受けて安心しろと言われても、難しいのだが」
「では、目が覚めたら忘却する術式に変更しておいてやろう。
それなら異存はあるまい?
だが、この場で瑞希が口にした言葉や、笑顔の記憶もなくなる。それでよければ、だがな」
アルベルトが顔を引き締めて告げる。
「呪縛で構わない、続けてくれ」
瑞希が思わず笑い出し、アルベルトもつられて笑い出していた。
その姿で緊張がほぐれたかのように、王族たちや親しい仲間たちがぽつぽつと近づいてきては、祝福の言葉を述べていった。
こうして霧上瑞希は『瑞希・ニーア・ドライセン』として、正式に王家に迎え入れられた。
****
――王太子の寝室。
瑞希はベッドの上で真っ赤になりながら俯き、正座で座り込んでいた。
その身を包むのは、薄手の絹のネグリジェだ。下着がうっすら透けて見えるほど薄い生地は、随分な季節外れと言える。
傍らでは、ガウンを羽織ったアルベルトが優しく微笑んでベッドに座り込み、瑞希の顔を見つめている。
「怖ければ、無理強いはしない。
今日は大人しく寝てしまっても構わないが、背中から抱きしめるぐらいは許してほしい」
「いや……興味はあるし……怖いけど、覚悟したからこの服を着てるんだし……だからその……」
しどろもどろで頭から蒸気を立ち上らせる瑞希の頬を、アルベルトの手が優しく包んだ。
「では、昼間のように目をつぶって、身を任せていてくれ」
言われるがままに、瑞希はゆっくりと目を閉じた。
――翌朝。朝の光と言うにはやや強い光が顔に差し込み、瑞希は目を覚ました。
壁時計に目を走らせる――すでに昼が近い時間だ。
(こんな時間に目を覚ますなんて、久しぶりだなぁ)
ゆっくりと、疲れが抜けずに重たい身体を動かし、隣で眠るアルベルトの顔を見る。
昨晩、身も心も夫婦となった愛しい男の顔だ。
自分が一人の女として生まれ変わったような気分で、瑞希はそっとベッドから足を下ろした。
下着を探し出し、ネグリジェを着込んでからようやく一息をついた。
再びベッドにそっと潜り込み、アルベルトに身を寄せて体温を味わっていた。
さすがに肌をさらし続けるのは、まだまだ恥ずかしかったのだ。
そのままアルベルトの匂いと体温に包まれながら、幸せな時間を味わい続けた。
****
昼食の時間となり、アルベルトと共に瑞希は食卓へ姿を現した。
既にいつもの面々は、昼食を先に食べ始めていた。
ソニアが瑞希の顔を見て、ぽつりと呟く。
「やっぱり女性の顔って、前後で変わるものなんですわね……」
瑞希がはにかんで応える。
「そ、そうかな? 鏡は見たけど、自分じゃわからないよ。そんなこと」
ヴォルフガングが人の良い笑みを浮かべて告げる。
「私には顔つきまでは分からないが、雰囲気が変わったのはわかるよ?」
「え?! 男性にもわかっちゃうの?!」
ミハエルは小首を傾げていた。
「みなさん何を言ってるのですか?
僕には、いつもの姉上にしか見えませんよ?」
瑞希は、ほぅと胸を撫で下ろした。
「よかった……そんなにわかりやすいものじゃないんだね……」
ヴォルフガングが楽しそうに笑った。
「ははは! それなりの人生経験を積んでいなければ、大抵の男は気づかないだろうさ!
少なくとも、学校の同級生で察知できる者は多くないだろう。安心しておきなさい」
ソニアが淡々と告げる。
「ですが、夫婦となったら当然するべき行為です。
恥ずべきことでもありませんし、しているものだと普通は考えますわよ?」
シュワルツ公爵が止めを刺しに行く。
「今後、お前は経験済みだと見做される。
今さら恥ずかしがっても仕方あるまい。諦めておけ」
瑞希は真っ赤になって、黙々と昼食を口に運んでいた。
ミズキ以外が会話を交わす中、ソニアが唐突にザビーネに尋ねる。
「ねぇザビーネ、姉様がこんな遅い起床になるだなんて、昨晩はどれほど励んでらしたのか知ってる?」
ザビーネが淡々と応える。
「国王陛下にはご報告済みですが、他言は無用との仰せです。
仔細はご容赦ください」
「何で知ってるの?!」
瑞希が真っ赤な顔でザビーネに振り返り叫んでいた。
ザビーネが静かな表情で、淡々と瑞希を追い詰めていく。
「王族を増やす事はミズキ殿下の責務でございます。
従者には部屋の外で待機し、陛下へご報告する義務がございますので、そちらもご容赦ください。
ミズキ殿下を慮り、私一人が部屋の外で待機しておりました。
陛下と私以外は存じ上げない事実ですので、そちらはご安心ください」
真っ赤な顔で呆然と聞いていた瑞希の頭を、アルベルトが優しく撫でた。
「すまないなミズキ。王族の責務だから、これは逃れられないんだ。
きちんと王族を増やす努力をしているか、確認をしないといけないからな。
だが、お前がどうしても受け入れられないというなら、父上には私から止めてもらうよう伝えておこう」
「……そうしてくれると、助かるかな」
瑞希はなんとか声を絞り出した後、真っ赤な顔で俯いて、黙々と昼食を再開した。
(思っていた以上に王族って大変なんだなぁ)
王族の責任の重さを改めて痛感しつつ、瑞希の新婚二日目は過ぎていった。
****
夜になり、夕食と入浴を終えた瑞希は一人、リビングのソファに身を預けていた。
アルベルトは一人で入浴している最中だ。
部屋は人払いが済み、従者は誰も居ない。
瑞希は今夜も薄手のネグリジェに身を包みながら、昨晩のことを思い出していた。
顔が茹で上がるのを自覚して、頭を振って両頬を叩いた。
(お爺ちゃんにひ孫を見せるんだから、私も頑張らないとね!)
学院を休学するのは惜しい気がするが、祖父にひ孫を見せたい思いが勝っていた。
父親や母親にも、きちんと孫の顔を見せたい。
いつ授かるのかは分からないが、良い母となり、良い家庭を築く決意を新たにしていた。
アルベルトが浴場から上がる気配がして、瑞希は立ち上がった。
今夜も長い戦いになる――そんな予感を覚えつつ、瑞希はアルベルトの元へ歩いていった。
これにて第1章が完結です。
第2章は新婚生活的な外伝風味になっています。
と言っても、それなりに事件は発生するんですけどね。




