52.思い出の結婚式
――十二月中旬。ついにアルベルトの立太子の式典が執り行われた。
これで名実ともにアルベルトが次の王として確定し、その婚約者である瑞希の王妃への道も確かなものとなった。
午前の式典の最中に、上空を全長百メートルに及ぶ黒い巨竜が舞い、人々が一時パニックに陥るハプニングもあった。
即座に国王が『あれは創竜神の眷属が祝福に来たのだ』と告げ、混乱を鎮めていた。
午前の式典が終わり、夜会までの間、王族に休息の時間が与えられていた。
瑞希の部屋に集まった面々の中に、いつの間にか常連となった顔――シュワルツ公爵の姿もある。
瑞希は眉をひそめてシュワルツ公爵に告げる。
「黒龍さん! みんなを驚かさないようにするって言ってたじゃない!
国王陛下や私たちが、みんなを落ち着けるの大変だったよ?!」
シュワルツ公爵は、瑞希にだけ『私の事は黒龍と呼べ』と告げていた。
他の人間がうっかり『黒龍さん』と呼ぶと、烈しい殺気を込めて睨み付けられるので、心を許した相手以外に呼ばせる気がないのだろう。
黒龍も困ったように眉をひそめて応える。
「申し訳ない、かつて竜が王位に関わる式典に姿を見せるのは吉兆とされていた。
ここまで恐れられるとは思っていなかったのだ。
今ではその文化も、すでになくなってしまったのだな」
ヴォルフガングが楽しそうに笑った。
「はっはっは! ここは白竜教会ではなく、霧の教会の勢力圏。
竜に対して、そこまで畏敬の念を持つ民ではないというだけだよ。
白竜教会――つまり創竜神を信仰する地域でなら、おそらく吉兆として受け止めてくれたはずだ」
国王も苦笑を浮かべながら告げる。
「だが私の言葉に民も納得してくれた。神に近しい竜が祝福をしてくれたのだ。吉兆と受け止めてくれたはずだ。
――霧の教会と言えば、新しい霧の神の彫像が出来上がったから見に来て欲しいと言われている。
明日辺り、アルベルトとミズキで見に行ってやるといい」
瑞希が驚いて国王に尋ねる。
「えっ?! 明日は平日だよ? 学院があるんだけど?!」
アルベルトが優しく微笑みながら瑞希に告げる。
「お前は学力評価試験を満点で通過だ。
その場合、次年度まで学院への出席は免除される――今年のカリキュラムを、全て無事終了したとみなされるんだ。
以後の授業は、取りこぼした部分を自習で補う形になる。
これから雪の季節となり、学院に通うのも大変になるからな。
この地方なりの学校のスタイルなんだ」
「両科目満点だったのは仲間内だと、私だけだね。
魔術科目で満点じゃなかった人はどうなるの?」
「同じだよ。学校で自習する形になる。
希望するなら、教師が指導もする。
雪が降れば自宅学習だ。
私やクライン、イーリスも魔導科目が満点に届かなかっただけだから、自宅学習でも問題とはされない。
ゲルトとコルネリアは、学院で教養科目と魔導科目の自習をする事になるな」
ソニアが微笑みながら告げる。
「来季からは、私も魔導学院に入学します。
姉様と同じ学校に通えるのが、今から楽しみです」
瑞希は困り、眉をひそめて笑った。
「あはは……私もそれは楽しみなんだけど、まだそれを約束はできないからなぁ。
早く霧の神が目覚めると良いんだけどねぇ」
シュワルツ公爵が力強く瑞希に告げる。
「創竜神様は『心配は要らない』と仰っている。
霧の神を信じ、今は待つのがいいだろう」
ミハエルが元気よくシュワルツ公爵に尋ねる。
「シュワルツ公爵も、神と会話が出来るのですか?」
シュワルツ公爵が頷いて応える。
「ああ、我ら上位四頭の竜は、特に創竜神様に近しい竜だ。
人間界からでも、会話ができる場所がある。
――『霊脈』という言葉を知っているか? 坊主。
太い霊脈の上でなら、会話が通じるんだ」
ミハエルが首を傾げたのを見て、ヴォルフガングが優しく告げる。
「霊脈は大地に通じる、魔術的な川のようなものだよ。
そこを通じて、魔術を広範囲に及ぼすことも可能だと言われているね。
そんな魔導が古い時代にはあったと、伝承には残されている」
瑞希がぽつりと呟く。
「大地に通じる魔術的な川かぁ……川? なるほど……」
アルベルトがピンと来たように、素早く瑞希に顔を向けて告げる。
「ミズキ、くれぐれも神の領分に触れる魔術なんて使うなよ?
『大地にあるなら、異世界間にだってその川があるんじゃないかなぁ』とか思ってないだろうな?」
「……なんでわかったの?」
「最近、ようやくお前の発想が理解できるようになってきたようだ。
一年も共に居るんだ、不思議ではあるまい」
瑞希ががっくりと項垂れた。
「そっかぁ、嬉しいような残念なような。
試してみたいんだけど、確かにその川に触れるのは危ない気もするんだよね。
仕方ないから諦めるよ……」
シュワルツ公爵が楽しそうに告げる。
「そんな発想ができるとは、瑞希を見ているとつくづく飽きないな」
国王が「まったくだ!」と笑いはじめ、皆が笑い出した。
その日の午後も、明るく賑やかで幸福な時間が過ぎていった。
****
――翌日、霧の神の礼拝堂。
ブラント枢機卿に案内された瑞希の目の前に、立派な霧の神の彫像が立っていた。
「……こんな大きな彫像、こんな短期間でつくれるものなんですの?」
少なくとも瑞希が知る範囲では、手作業で完成させるのに何年もかかる美術品だった気がした。
細かな作り込みもされていて、とてもこの短期間で制作したとは思えない出来栄えだ。
アルベルトが微笑みながら瑞希に告げる。
「この世界の彫刻家も、当然魔導を使える。
魔導を使えば、このぐらいの期間で作り上げることも不可能ではない。
――だが相当急いで作ったことも、間違いではないな」
ブラント枢機卿が満面の笑みで告げる。
「崇拝する霧の神のお姿を知ることが出来たのです。
本来は神のお姿など、人間が伺い知ることが決してできぬもの。
さらにあれほどの美の塊ともいえるお姿。
それを形に残せるなど、彫刻家冥利に尽きるというものです。
寝食を忘れて彫り進めても、なんらおかしくはないでしょう」
周囲を見ると、霧の神の彫像に対して、涙を流して祈りを捧げる信徒が大勢居るようだった。
「……まぁ、信徒の皆様がそこまで祈るのであれば、霧の神も喜ぶ事でしょう」
以前、霧の神から『神の力の源は、信徒の祈りだ』と教えられていた。
これで霧の神の力が溜まる速度が早まるはずだ。
瑞希は改めて霧の神の彫像を見上げていた。
一年前に出会った姿、ほぼそのままがそこにあった。
この一年間に起こった出来事の数々が胸に去来していた。
「短いようで、長かったような……とてもたくさんの経験をした一年でしたわね」
アルベルトが同じように彫像を見上げながら応える。
「これから私たちは、何度もそんな一年を重ねていく。
子が生まれ、孫が生まれ、年老いて死ぬまで、私たちは共に在る」
「アルベルトは、私が元の世界に戻らないと信じてらっしゃるの?」
「もちろんだとも。
この世界からローヤの命を救った後、ローヤにひ孫の顔を見せるんだろう?」
「……そうですわね。必ず、その道へ辿り着いてみせますわ」
瑞希とアルベルトはブラント枢機卿に別れを告げ、王宮へ戻っていった。
****
「まぁ! やっぱり素敵ね! 思った通りの出来栄えよ!」
ユリアンが瑞希の姿を見て、会心の笑みを浮かべていた。
年末最終日を三日前に控えたその日は、結婚式当日。
到着が当日となったドレス、その着付けの最終チェックとして、ユリアンも更衣室に顔を出していた。
瑞希がふと気が付き、ユリアンに尋ねる。
「目の下に隈が出来てるよ?
美容に気を使ってるユリアンさんがそんなになるなんて……どれだけ無茶をしたの?」
「悪魔退治で予定が一週間ずれこんでしまったもの。
多少の無茶は仕方ないわ。
この日に間に合わなくては、意味がない服だものね」
瑞希は改めて、エーデルワイスを意匠に施したウェディングドレスを見下ろした。
一切の手抜きが見られない、見事な白いドレスだ。
瑞希が目を潤ませてユリアンに告げる。
「この服のために、そんな無茶をしたの? ――ありがとうユリアンさん」
「大切な友達の、一生で一度の晴れ舞台よ? 手を抜けるわけが無いじゃない?
――ほらほら、泣いたら化粧が落ちるわよ? まだ我慢なさい」
王妃も姿を見せ、満足げに微笑んだ。
「本当に良く似合っているわミズキ。
――フェッツナー伯爵、今回もいい仕事をありがとう」
「どういたしまして王妃殿下」
ユリアンはウィンクで応えていた。
アラーニア壊滅の功績で、ユリアンは伯爵位を授与されていた。
本人は仕立師の仕事でもらった爵位ではないので、特に思い入れもないらしい。
近衛騎士団から、再び執拗なスカウトを受け続けているという噂も流れていた。
そのスカウトは飄々とかわし続けているらしいが、シュトロイベル公爵が鷹の目で『必ず呼び戻してみせる』と語っていた。
――霧の神の礼拝堂。
婚姻の儀は滞りなく進んで行き、霧の神の彫像の前で、ブラント枢機卿が告げる。
「アルベルト王太子殿下。あなたは変わらぬ愛を誓いますか」
「誓います」
アルベルトの力強い言葉が礼拝堂に響いた。
「ではミズキ様。あなたは変わらぬ愛を誓いますか」
「誓います」
瑞希の鈴を転がすような声も、礼拝堂に響いた。
ブラント枢機卿が瑞希たちに告げる。
「では霧の神の前で、誓いの口づけを」
(この流れ、教会で結婚式を挙げるのとおんなじ感じだよなぁ。
――ってそれより、ファーストキスが人前って、物凄い緊張するんだけどっ?!)
真っ赤になって硬直する瑞希に、アルベルトが優しく告げる。
「目をつぶっていて欲しい。あとは私に任せてくれ」
(それはそれで怖いんだけどね?!)
とはいえ、自分から近寄ろうにも足が震えて動けない。
仕方なく目をつぶって、逸る鼓動を必死に抑え込んで耐えていた。
瑞希が唇に柔らかい感触を感じた瞬間、ブラント枢機卿が声高らかに告げる。
「お二人に霧の神の祝福あれ!」
その声と共に、礼拝堂を濃厚な霧の神の気配が満たした。
瑞希が慌てて目を開けると、アルベルトも驚いて周囲を見渡していた。
ブラント枢機卿も、参列者も、神々しい気配に驚いて身を縮めている。
「結婚おめでとうミズキ。
それで、あなたの願いは決まったの?」
頭の上から降り注いでくる聞き覚えのある声に、瑞希が驚いて目を向ける――彫像の目が開き、瑞希に語りかけていた。
「霧の神! 目が覚めたの?!」
霧の神の彫像が微笑んだ。
「ええ、ついさっきね。
あなたの結婚式を見守らせてもらったわ。
元の世界に戻るとしても、思い出くらいは作らせてあげようと思って。
――あなたの選択を聞かせて頂戴?」
瑞希が叫ぶ。
「お爺ちゃんはまだ助かるの?!」
「ええ、今はまだ、生きてはいるわよ?
年内は大丈夫。
すぐに元の世界に戻って、あなたが治療すれば助かるわ」
瑞希の手を、アルベルトが強く握った。
瑞希はその手を握り返し、霧の神の彫像の目を見据える。
「霧の神!
お爺ちゃんの治癒を魔法で祈ることはできる?!」
「私はあの世界に直接関わる事は出来ないわ。
あの世界は神の世界から遠い世界。
私の力が及びにくい世界なの」
「――じゃあ、霧上家の魔術を魔法でトレースすることはできる?!
死の気配が漂う、因果の糸を切る魔法を願うよ!」
霧の神の彫像が、静かな表情で告げる。
「不可能ではないわね。
あなたには、それを行うだけの力がある。
その代行者として力を振るえば、おそらくその願いは叶うわ。
――ただし代償として、私は長い休息をとらなければならなくなる。
あなたが生きている間に私が目覚めることは、おそらくないでしょう。
未来が大きく揺蕩い続ける世界で、私の助力なしで生きて行く覚悟が、あなたにあるかしら?
油断をすれば、その国は簡単に滅んでしまう。
そんな未来が待っているとしても、あなたはその世界を選ぶの?」
瑞希の手が、アルベルトの手を強く握りしめた。
「たとえ困難な道だとしても、私はこの国を支えて見せるよ!
だからお願い! お爺ちゃんの命を救って!」
霧の神の彫像が微笑むと同時に、その胸の前に霧が浮かび上がり、そこに祖父の病室が映し出された。
静かに一人で眠る祖父には、色濃く死の気配がまとわりついている。
その気配を漂わせる因果の糸が、瑞希の目の前で次々と切れていった。
すっかり死の気配が遠くなった祖父がゆっくりと上体を起こし、画面に向いて告げる。
『その姿……瑞希、お前それは、結婚式かい?
――そうかそうか、お前もとうとう花嫁か。
死ぬ前にお前のそんな姿を――おや? 身体が全く痛くない……
これは、どういうことなんだい?』
涙を浮かべ、しばらく声を出せなかった瑞希が、ようやく声を絞り出した。
「お爺ちゃん! 命が助かったんだね! もう死の気配はしてないよ!」
祖父は呆然と自分の手を眺めた後、画面に目を戻した。
『……そうか、お前が霧上家の大魔術を、神に願ったんだね。
ありがとう。おかげで命拾いをした。
だがお前は気を付けなさい。死の気配が、普通の人よりも濃い。死にかねない運命が、この先に控えている。
決して油断してはいけないよ。ひ孫の顔を、楽しみにしているからね』
祖父が微笑むと同時に、霧の画面が掻き消えていった。
霧の神の彫像が微笑みながら告げる。
「これであなたは、神の試練を無事に踏破したわ。
今回こそ、最善を尽くせたの。
私の力が予想よりも大きく回復したことも、この結果を導くことに繋がった。
あなたがあなたである限り、その国は栄えていくでしょう。
――信徒たち、聞きなさい。
この私の姿を模した彫像に、強く祈りを捧げなさい。
そうすればたとえ私が眠っていたとしても、私の加護がこの国を、あなたたちを守っていくでしょう。
そしてどうかお願い、瑞希を支えてあげて。
この子はもう元の世界に戻る術を失った、この世界の新しい住人。
瑞希の幸せのために、できることをしてあげて頂戴」
国王を始めとした霧の神の信徒たちは、彫像に跪いて祈りを捧げていた。
アルベルトだけが、しっかりとミズキの横に立ち、その意思を示している。
瑞希の手を握りしめる手から伝わる思い――『必ず瑞希を支えて見せる』という決意を、その瞳に湛えていた。
瑞希が霧の神に尋ねる。
「ねぇ霧の神、ここまでが神の試練だったの?
神の試練って、なんだったの?」
霧の神の彫像が応える。
「今回はあなたの魂をこの世界に迎える、儀式のようなものよ。
この世界にあなたの魂が相応しくないと判定されていたら、あなたは元の世界に戻すことになっていた。
でも創世の神は、あなたを受け入れることを決めたわ。
神の試練の詳細は、黒龍から聞くといいわよ。
――黒龍、そこにいるわね?」
シュワルツ公爵が「はっ、ここにおります」と群衆の前で跪いていた。
霧の神の彫像が黒龍に告げる。
「引き続き導として、瑞希を導く役割を命じます。
私の代わりに、神に付いて教えてあげてもいいわ。
創竜神には悪いけど、少しの間、眷属を借りることになるわね。
まぁ、あの子は私にもよく懐いているし、文句は言わないでしょう。
あなたからすれば、瞬きのような時間でしょうけれど、頼んだわよ」
「はっ! お任せください!」
黒龍は深く首を垂れ、恭順の意志を示していた。
瑞希が思わず霧の神に突っ込む。
「あの子とか懐いてるとか……仮にも神様を、ペットみたいな言い方するんだね……」
「仕方ないわ、あの子は元々、創世の神の愛玩動物だもの。
神として昇格した今も、その関係は何も変わってないの。
私も創世の神と共に、創竜神を可愛がったものよ?
今もあの子の相手をしてくれる神は、もう私くらいしか居ないんじゃないかしら。
――そろそろね。コアに残された力が尽きるわ。
この大奇跡も、おしまいの時間よ」
「コア?! 魔導兵器の、コアの力を使ってるの?!」
「そうよ? あれが地上に残されていても、良いことはあまりないわ。
だからコアの力を使い切るように奇跡を起こしたの。
――ここまで派手なことができるとは、思っていなかったけどね?」
次第に礼拝堂から霧の神の気配が薄れていく。
それと共に、霧の神の彫像の瞳が閉じていった。
「それじゃあ瑞希、いつかどこかで、また会いましょう――」
その言葉を最後に、彫像は元通りの姿を取り戻していた。
礼拝堂は、静かにすすり泣きながら祈りを捧げる信徒たちで溢れている。
瑞希は呆然と、彫像を見上げて呟く。
「これで……いいのかな」
「もちろんだとも!
願っていた通りの未来を、私たちは掴み取ったんだ!」
力強いアルベルトの声が、瑞希の心を支えた。
瑞希が横を向くと、優しく微笑むアルベルトが居る。
瑞希はそのまま、その胸に飛び込み、嬉し涙を流していた。




