47.選択
――創竜神。
この大陸の多くの国で信仰されている神の名前だ。
創竜神を崇める白竜教会と呼ばれる宗教勢力が、大陸で多数派を占めている。
そこまでは、瑞希も勉強して知っていた。
シュワルツ公爵はその創竜神の眷属であると名乗った。
神の眷属であれば、確かに瑞希の同類だろう。
霧の神が実在しているのだから、創竜神が実在していてもおかしくはないと思えた。
「神様の眷属の竜? 竜って、人の姿になれるの?」
シュワルツ公爵が不敵な笑みのまま応える。
「普通の竜には無理だ。
長く生きた古い竜にならば、それぐらいは可能だ」
「長くって、シュワルツ公爵はどれくらい長く生きてるの?」
シュワルツ公爵が困ったように眉をひそめた。
「そう言われても、全てを数えてはいないからな。
気が遠くなるほど長い時間、としか言えんな」
ヴォルフガングが目を輝かせてシュワルツ公爵に尋ねる。
「シュワルツ公爵。あなたのような竜は、他にもいるのかな?」
シュワルツ公爵が頷いて応える。
「少なくとも、私以外に三頭の竜がいる。
今回は、私が導の役目を言い渡された。
普段なら、赤竜の奴がでしゃばる局面だ。
私の柄ではないのだが、霧の神と相性が良いからだろうな。
異世界の人間の導など、我らも初めての経験だ。
そこはお手柔らかに頼む」
瑞希がきょとんとして尋ねる。
「導? あの石板と同じ?
じゃあシュワルツ公爵も、お助けアイテムなの?」
シュワルツ公爵が苦笑を浮かべた。
「我らをお助けアイテム扱いなど、瑞希でなければ即座に消し炭にしているところだが――
血が持つ神格で言えば、瑞希の方が遥かに格上だ。そこは我慢しよう」
ヴォルフガングがシュワルツ公爵に尋ねる。
「それで、貴公は何をしにここへ来たのかな?」
シュワルツ公爵が肩をすくめて応える。
「瑞希が魔族を魔導で追いかけぬよう、戒めに来ただけだ。
私は赤竜ほど世話焼きではないのでな。
必要最低限の助言しかせんぞ」
瑞希がシュワルツ公爵に尋ねる。
「必要最低限って、どれくらい?
今、何が起きてるかぐらいは教えてくれるの?」
シュワルツ公爵が瑞希の目を見つめた。
「……そうだな。それくらいは教えよう。
この地に潜む魔族が、瑞希に狙いを定めた。
同時に、魔導兵器のコアを利用して、霧の神の力を弱めようとしているようだ。
――これは神の試練だ。
これに打ち克てば、瑞希は自分の世界に戻る事が可能となる」
瑞希は眉をひそめて応える。
「私はもう、元の世界に帰れなくてもいいって思ってる。
そんな試練は必要ないよ」
シュワルツ公爵が大きくため息をついた。
「やはり、そう応えるか。
これは伝えずに済ませたかったが……
今すぐ、お前の祖父の様子を見てみるがいい。
それを見ても、お前はそう言い切れるか?」
瑞希は訝しみながら、元の世界に居る祖父を≪現在視≫で映した。
画面には、病院のベッドで臥せっている祖父の姿が映し出されている。
意識は無いようで、死の気配が濃く漂っている。
「お爺ちゃん! 何があったの!」
シュワルツ公爵が、食い入るように画面を見つめる瑞希に応える。
「どうやら、仕事に失敗したらしい。
詳しいことは、私も教えられていない。
お前が元の世界に戻って魔導を駆使すれば、命を救ってやることはできるだろう」
呆然と画面を見つめながら、瑞希は困惑していた。
婚姻が発表され、幸せな結婚生活が間もなく始まろとした矢先の出来事だ。
頭が真っ白になっていた。
シュワルツ公爵が静かに瑞希に告げる。
「幸福が約束された、この世界での生活をとるか。
それとも老い先短い祖父の命を救うため、元の世界に戻り、幸福の見えない人生をとるか。
それはお前の選択だ。
好きな方を選ぶがいい」
アルベルトも、ヴォルフガングも、無言で画面を見つめていた。
彼らとしても、瑞希の祖父は親しく言葉を交わした仲だ。
そんな相手に死が迫っていると知って、瑞希にかけてやれる言葉を持ち合わせてはいないのだろう。
瑞希が唇をかみしめた後、画面を見つめたままシュワルツ公爵に尋ねる。
「……私は、何をすればいいの」
「魔導兵器のコアを取り戻せ。
可能であれば、アラーニアの頭として君臨している伯爵を滅ぼすのだ。
たとえ滅ぼせなくても、大きく力を削ぐことが出来れば充分だろう」
「なぜ、霧の神は私の言葉に応えてくれないの」
「お前が『元の世界に戻る方法』を欲したのではなかったのか?
その約束を守るため、お前を元の世界に戻すだけの力を溜めている最中だと聞いた。
お前の祖父が命尽きる前には、目が覚めるはずだ」
「……お爺ちゃんはもう、助からないのかな」
「お前にはわかるのではなかったか?
私が見る限り、期待するには厳しい状況だろう」
しばらく画面を見つめていた瑞希が、≪現在視≫の画面を消した。
肩を落としていた瑞希が、俯いたままアルベルトに抱き着き、泣き出した。
アルベルトは黙って、ミズキを抱きしめ返していた。
****
シュワルツ公爵が部屋から去り、ヴォルフガングが横たわるベッドサイドに腰を下ろしたまま、瑞希は肩を落として俯いていた。
ヴォルフガングが瑞希に尋ねる。
「私のように、画面越しに治療を施すことはできないのかい?」
瑞希が首を横に振った。
「世界を跨いで治療するのは、私には無理だよ。
無理を通せばできなくはないと思うけど、それは多分、神の領域に触れちゃう。
寿命が削れる程度で済めばいいけど、私でも命を落としかねないんじゃないかなって気がしてる。
お爺ちゃんは、そんなことで自分が救われても喜ぶ人じゃないもん」
アルベルトが、おずおずと瑞希に尋ねる。
「ローヤの命は、あとどれくらいまでもちそうなんだ?」
「……こっちと違って日本の医療があるから、すぐに死んでしまうってことにはならないみたい。
死の気配は濃いけど、年内は大丈夫だと思う」
ヴォルフガングが神妙な顔で告げる。
「タイムリミットは年内、と見ているんだね。
それまでにアラーニアからコアを奪還しなければならない。
残り一か月半――ミズキの魔導に頼れないとなると、厳しいね。
だが我々も、できる限り手は尽くそう」
ヴォルフガングに見つめられ、アルベルトが頷いた。
アルベルトが告げる。
「私は父上にこの事を報告してくる。
ここで待っていてくれ」
アルベルトは駆け出すように部屋から去っていった。
瑞希がぽつりと呟く。
「シュワルツ公爵、お助けアイテムならもっと助けてくれてもいいのに。
たったあれだけの助言なんて、酷くないかな」
あるいは、祖父の危篤を知らされなければ、瑞希がこうも思い悩むことはなかった。
幸福な結婚生活を送り、子供の顔を見せようとした時に祖父の死を知らされる――そんな未来もあったのではないかと思えた。
だが、それはとても後味の悪い未来になっただろう。
何かが出来たかもしれないのに、何も知らずに幸福な時間を過ごしてしまった罪悪感を背負うことになる。
その罪悪感を背負いながら、後の人生を歩んでいく事になる。
それはそれで、選び難い人生に思えた。
瑞希が大きく深いため息をついた。
「結局、私はみんなとの生活を捨てて、元の世界に戻らなきゃいけないのかな。
友達が一人も居ない世界で、高校にも通えない、勉強もできない、十六歳の社会の落ちこぼれになるのかな」
ヴォルフガングが静かな表情で、瑞希に優しく告げる。
「やけになってはいけないよミズキ。
元の世界に戻らなくても、何か方法があるかもしれない。
今はやるべき事に専念すべきだろう。
おそらく、霧の神の力を弱めることは、選択肢を狭める未来に繋がる。
コアを取り戻し、アラーニアの陰謀を阻止するんだ。
いつもの自分を、取り戻しなさい」
瑞希はその言葉を、祖父の言葉のように感じていた。
顔を上げた瑞希は、潤んだ瞳でヴォルフガングに抱き着いていた。
「……そうだね。
選択肢は多い方が良い。
その中から、一番幸せになれる未来を選ぶんだ」
ヴォルフガングに優しく背中をさすられながら、瑞希は強く決意していた。
アルベルトが国王と王妃を連れて戻ってきた。
国王たちの顔も深刻なものだ。
「話は聞いた。
ローヤが危篤だそうだな。
ミズキ、お前は元の世界に戻ってしまうのか?」
瑞希はヴォルフガングから離れ、椅子に座り直して応える。
「戻らなくても、方法があるかもしれない。
私だってみんなと離れたくないし、出来る限り頑張ってみるよ。
それでも他に方法がなかったら、私は元の世界に戻ると思う」
国王が寂しそうな目で瑞希を見つめた。
「……ローヤを見捨てるという選択肢は、ないのだな?」
瑞希が力強く頷いた。
「お爺ちゃんの命は、絶対に救って見せるよ。
シュワルツ公爵は老い先短いって言ってたけど、そんなことは関係がないんだ。
少しでも長生きをして欲しいって、そう思うから。
――もし私がこの世界からいなくなったら、私の事は一年の間、見続けた夢だったって、そう思って欲しい。
辛いこともあったけど、幸福な夢だったんだって。
私も、そう思うことにするよ」
表情が陰る国王と王妃に、瑞希が明るく笑って告げる。
「私はそれで生きていける気がするよ!
この一年間の思い出を胸に、元の世界の人生を精一杯送るよ!
だから国王陛下も王妃殿下も、同じように強く生きて欲しいんだ!」
国王は瑞希の目を見つめた後、力強く頷いた。
「――わかった。
今は魔導兵器のコアを取り戻す為、全力を尽くそう。
王都に警戒網を敷く。それで、相手の動きを抑えることはできるはずだ。
アラーニアについても、手を尽くして情報を漁ろう」
****
――早朝。
瑞希と並走してランニングするソニアは、落ち込んだように俯いて元気がない。
「姉様が元の世界に戻られてしまうのは、やっぱり納得が出来ません。
この国には、兄様には、姉様が必要だと思います」
瑞希は真っ直ぐ前を見つめ、強い眼差しを向けていた。
「私が居なくても、アルベルトがちゃんと国を引っ張ってくれる。
心配は要らないよ」
「……姉様は、兄様から離れることを寂しいと、心細いとは思わないのですか?」
「夫婦になることを決意した相手だよ?
そりゃあ寂しいし、心細いよ。
でも、それを怖がっていたら、もっと大切なことを見失っちゃいそうだから。
今はやるべきことをやる――それだけだよ」
それからは会話が途切れ、無言のまま早朝ランニングを終えた。
従者に促されるまま、二人は屋内に戻り、それぞれの部屋へ戻っていった。
――朝食の席。
瑞希もアルベルトも、明るく言葉を交わしながら朝食を口に運んでいた。
その様子に、ソニアが我慢が出来ないように言葉を荒らげる。
「兄様! 兄様は平気なんですか!
姉様がこの世界から居なくなってしまうかもしれないんですよ?!」
アルベルトはきょとんとした後、ソニアに優しく微笑んだ。
「ソニア、お前が何を心配しているのかわからないな。
ミズキが居るんだぞ?
いつも信じられない結果を出してきたミズキだ。
この程度の試練、簡単に乗り越えてしまえるさ。
元の世界に戻らずローヤを救う――そんな奇跡みたいなことも、ミズキなら必ずできるはずだ。
だから何の心配も要らない。
私たちは、自分とミズキを信じて最善を尽くすだけだ」
瑞希はアルベルトの横顔を見つめていた。
いつでも心強い、自分を強く信頼してくれる人だ。
アルベルトが傍に居るだけで、不可能などないように思えた。
ミズキも微笑んでソニアに告げる。
「大丈夫、私がなんとかしてみせるよ!
だからソニアも笑って、朝食を食べよう!」
ソニアは戸惑いながらも、ようやくわずかに笑顔を浮かべ、朝食の会話に加わるようになっていった。
ミハエルの表情に暗い影はなく、やはり元気に会話に参加している。
ヴォルフガングも復帰し、人の良い笑みを浮かべている。
いつもの朝食に空気に戻り、瑞希は心にも身体にも力が蓄えられるのを実感していた。
(気持ちで負けてたら始まらない。
今は前だけを見て、駆け抜けてやる!)




