43.霧の神の礼拝堂
その日、瑞希がアルベルトに案内されたのは王都の宗教施設――霧の神の礼拝堂だった。
瑞希の目には、西洋の大型寺院のような作りに見えた。
馬車を下りた瑞希たちを、宗教関係者の一団が出迎えた。
ガウンを着こみ、ストールを肩にかけた恰幅の良い老年男性が一段の中央で名乗る。
「これはこれはミズキ様、よくぞおいで下さいました。
――私、パウル・フォン・ブラント侯爵と申す者。霧の教会で枢機卿を務めるものです。
我らが神、霧の神の血を引く方にお越しいただき、身に余る光栄と存じます」
瑞希は柔らかく微笑んで応える。
「霧上瑞希です。よろしくお願いいたしますわね、ブラント枢機卿」
「では礼拝堂の中へご案内いたしましょう。
――さぁこちらです」
ブラント枢機卿の後ろを瑞希とアルベルトが歩き、その後ろをぞろぞろと礼拝堂に所属すると見られる一団が付いて行く。
礼拝堂の中に居る市民たちは、何事かと驚いて瑞希を見ているようだった。
(悪目立ちしてないかな……大丈夫かな?)
椅子が立ち並ぶ礼拝堂の中を進み、一番奥の説教台前に辿り着く。
おそらく普段はここに枢機卿のような人間が立ち、何か宗教的な教えを説くのだろうと思われた。
説教台のさらに奥には、巨大な美しい女性の彫像が飾られていた。
その周囲を小さな廊下が取り囲んでいる。
(キリスト教の礼拝堂みたいな雰囲気、なのかなぁ?)
ブラント枢機卿が微笑んで瑞希に尋ねる。
「いかがでしょうかミズキ様。
最初の感想をお伺いしてもよろしいでしょうか」
瑞希は小首を傾げながら女性の彫像を見上げていた。
「そうですわね……とりあえず、あの彫像はもう少し霧の神に似せても良い気がしますわね。
雰囲気からして違いますし、あのような金髪でもございません。
あれほど豊かな体つきでもございませんでしたし、似ても似つかないのはどうかと思いますわ」
その場の全員が顔を引きつらせていた――アルベルトまでが。
アルベルトがおずおずと瑞希に尋ねる。
「あー、ミズキ。お前は霧の神と直接会ったのか?」
「お会いしましたわよ?
私の世界から神の世界を経由して、私はこの世界に飛ばされましたの。
神の世界で、霧の神と直接会話をいたしましたわ。
――そういえば、詳しく話すのは初めてでしたかしら?」
呆然としていたブラント枢機卿が、我に返って慌ただしく指示を飛ばし始めた。
「今すぐ似顔絵師を呼べ! 彫刻家もだ!
――ミズキ様、詳しい容貌をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「構いませんわよ?」
瑞希は自分が霧の神と会話していた時の映像を≪過去視≫で映し出した――はずなのだが、画面は真っ暗なままだ。
「あら? 映像が出ませんわね。
――ああ、そうですわね。神の世界は神の領分。
私の術式では、神の世界の映像を映すことが禁じられているのでしょうね。
となると、あとは口頭でご説明するしかないのかしら……
ああ、これならどうかしら」
瑞希が即興魔術を発動させると、瑞希の姿が霧の神の姿に変わっていった。
「――背が伸びているから、おそらく成功してますわよね?
どなたか、鏡をお持ちではありませんか?」
ブラント枢機卿が慌てて姿見を用意するよう指示を飛ばし、瑞希の前に姿見が運ばれて来た。
「……きちんと霧の神の姿になれましたわね。
これで霧の神に似せた彫像をお作りになれるかしら?」
ブラント枢機卿が恐る恐る瑞希に尋ねる。
「失礼ですが、どのような魔術を使われたのか、お教えいただいてもよろしいですか?」
「単に、血の因果を辿っただけですわ。
魔導術式では、私の血のルーツは初代様――神の子で止まってしまいます。
ですが、そこに繋がる因果と神に会ったという事実を利用して、人間の世界に居る私に霧の神の姿を投影しましたの。
神の世界を見ることは許されていないようですが、神の姿を人間の世界に現すことは、まだ許されているみたいですわね。
――尤もこれは、霧の神の血を色濃く受け継ぐ私だから投影できた術式。
他の人間にこの姿を投影する事はできないでしょう」
瑞希が術式を解いて、息をついた。
「ふぅ。かなり疲れる術式ですわね。
ですが、一度姿を現した事実があれば――」
瑞希が手のひらに≪過去視≫の画面を映した。そこには姿見の前に居る霧の神の姿をした瑞希が映っている。
「……大丈夫そうですわね。
これならある程度の時間は維持できますから、似顔絵氏の方にはこれを見ていただきましょう。
彫刻家の方が来られたら、もう一度姿を変えても構いませんけれど、五分が限界だと思いますわ。
そこはご理解くださいませ」
呆然とするブラント枢機卿に、瑞希が尋ねる。
「ブラント枢機卿?」
慌てたようにブラント枢機卿が我に返り、瑞希に応える。
「――はい! いえ、≪意思疎通≫が通じず、呆然としておりました。
これでも魔導では霧の教会でも秀でている自負がございましたが……
おそらく、ヴォルフガング様でもなければ、理解できないお話だったのでしょう」
瑞希が苦笑した。
「やはり、魔術理論を口にするのはヴォルフガング様がいらっしゃる時に限った方がよろしいですわね」
その後、彫像の周囲を囲う廊下なども案内されつつ、瑞希は控室へ案内された。
彫刻家や似顔絵師に霧の神の姿を伝えた後、瑞希は一息ついていた。
「――ふぅ。これでよかったのかしら。
今の彫像自体も、歴史的なものに見えますわ。
私の一言で簡単に挿げ替えてしまって構わないのかしら?」
アルベルトが瑞希に応える。
「確かに、建国以来飾られている彫像だ。
だが実際に神に会った人間が神の姿を伝えた。
ならば、その姿で彫像を作り直しても、押し通すことは可能だろう。
――霧の神がお前そっくりの銀髪、というのは少々驚いたがな」
「私は霧の神の娘そっくりですもの。
親の髪色が子に遺伝するのは、普通ではないかしら?」
アルベルトが苦笑した。
「そうではなく、私たちは霧の神が金髪だと思って育ってきたからな。
その先入観が壊されて、戸惑っているだけだ」
この国は金髪系の髪色をした人間が多い。
ならば霧の神も金髪だろうと推測してしまうのも、仕方がないかもしれない。
霧の神も、自分の姿を神託で伝える機会が今までなかったのだろう。
ブラント枢機卿たちに見送られつつ、瑞希は礼拝堂を後にした。
****
――夜会当日。
王宮の大ホールは貴族たちが数多く参加し、賑わっていた。
周辺国からも有力貴族が多数やってきている。
シュトルム王国戦の勝利を祝う夜会だ。
そんな場所に、瑞希もアルベルトに連れられて足を踏み入れた。
いつものように柔らかい微笑みを浮かべる瑞希に、アルベルトが小声で声をかける。
「……どうしたミズキ。何をそんなにピリピリしてるんだ?」
「非友好国の人間が多数混じってたら、そりゃピリピリもするよ」
瑞希も小声で応えた。
当然、会場入りした瞬間に、中にいる人間の精査を行っている。
明らかな敵意を隠し持っている人間の存在がわかっている以上、緊張感を持つなという方が無理だ。
アルベルトが小声で応える。
「そうか……油断はせず、穏便に対応しよう」
(穏便、か。それで済めばいいけどね)
国内の有力貴族たちが次々と挨拶にやってくるので、適当に捌いていく。
出征に参加していなかった者たちは瑞希の魔導を詳しく知りたがったが、それも「大した腕ではございませんので」とあしらっていった。
ルートヴィヒ侯爵やシュトロイベル公爵、ノートル伯爵やガイザー伯爵夫人など、顔見知りも続いていく。
「どうしましたの? そんなにピリピリして。らしくありませんわよ?」
「クライン!」
マイヤー辺境伯とクライン、そして見知らぬ貴族紳士が二人だ。
瑞希がマイヤー辺境伯に尋ねる。
「マイヤー辺境伯、そちらはどういう方々ですの?」
「ああ、シュライヴ皇国のリーマン侯爵と、デネブ王国のラニエロ公爵だ」
即座に瑞希の脳裏に周辺の地図が浮かんでいく。
隣接する国家、その中の二つだ。
「まぁ、それは遠くからようこそお越しくださいました。
私は霧上瑞希と申しますわ」
「シュライヴ皇国の外交官、クリスチャン・フォン・リーマン侯爵だ。よろしく」
黒い髪を撫で付けた、背の高い精悍な中年男性だ。
「デネブ王国のハーナウ・ラニエロ公爵だ。よろしく」
金髪を撫で付けた、すらっとした優美な男性だ。
マイヤー辺境伯が瑞希に告げる。
「今回のシュトルム王国との戦いで、他の隣接国を牽制して頂いた二国です。
ミズキ様も失礼のないようになさってください」
瑞希がわずかに思案し、すぐに柔らかく微笑んで告げる。
「リーマン侯爵、ラニエロ公爵、よろしくお願いいたしますわ」
各国の話題や今回の戦いの話を交えて言葉を交わしているうちに、グラスが空になっていたクラインに給仕が新しい飲み物を手渡した。
グラスに口をつけようとしたクラインの顔が驚いたように瑞希の目を見つめ、そのままグラスには口をつけずに微笑んで会話に参加していた。
アルベルトのグラスが空くと同じように給仕がグラスを渡し、アルベルトは何事もなかったかのようにグラスに口を付けることなく会話を続けていく。
「――失礼、私も会話に加えてもらっても構わないかな?」
アッシュグレイの髪を撫で付けた厳つい騎士風の男性紳士が瑞希たちに声をかけてきた。
リーマン侯爵、ラニエロ公爵の顔があからさまに怪訝なものに代わる。
ラニエロ公爵が男に告げる。
「ライツラー侯爵か。貴様がこの夜会に参加しているとは思わなかったな」
厳つい男性――ライツラー侯爵が不敵に笑った。
「ミズキ、といったか。噂は多数、耳にしている。だが噂以上の美貌だな。
ドルトウム王国の外交官、ハーマン・ライツラー侯爵だ」
ライツラー侯爵が握手をしようと手を差し出した。
だが瑞希はその手を取ることはしない。
「陛下からお話を伺っております。
今回のシュトルム王国攻略戦の隙を突いて、我が国を狙っていた一国だったと。
そのような国の方と、軽率に手を取る訳にも参りません」
瑞希の目がドライセン国王たちに向けられる。
国王たちもまた、給仕から新しいグラスを手渡された瞬間に、驚くように瑞希の目を見ていた。
少しの間無言で見つめあった後、国王が瑞希に頷いた。
瑞希が小さくため息をついた。
「――ふぅ。そういう事なら、仕方ありませんわね」
瑞希が周囲に控えていた給仕からグラスを受け取り、飲み干した。
不敵な笑みを浮かべたまま手を差し出したままだったライツラー侯爵の手を、瑞希は握り、握手を交わした。
ライツラー侯爵が驚いたように目を小さく見開いた。
「……ミズキ、お前は今、魔術を使っているのか。
他国の外交官相手に、それが何を意味するのか。理解しているのか」
「仕方ありませんわ。飲んだ毒を中和している最中です。
全て中和するまで、術式を維持しなければなりませんもの」




