42.宮廷仕立師
――昼間の王宮。
姿見の前で、瑞希は新しい夜会用のドレスを確認していた。
白い百合をテーマにしたそのドレスは、瑞希の目でも良く似合っているように見えた。
瑞希の姿を満足そうにユリアンが頷いて眺めている。
「やっぱりミズキさんには百合のイメージがぴったりね!
あなたは今度の夜会の主役だと聞いてるわよ?
主役として相応しいドレスになったと自負しているわ」
瑞希は自分のドレスを眺めながらユリアンに尋ねる。
「ねぇユリアン様、このドレスはどうしてこのような魔術が施されてるのかしら?
これは……刃から着用者を守るような結界になっておりませんか?」
少なくともこれまで、瑞希はそんな魔術がほどこされたドレスを夜会で見た覚えはない。
ユリアンがにこりと微笑んだ。
「あなたは身体を守る魔導が苦手と聞いているわ。
そんなあなたの負担を少しでも軽減できるよう、王妃殿下から注文があったのよ」
服に魔術を織り込む技術自体は珍しくないらしいが、通常より遥かに高価になるらしい。
高位の王侯貴族が同じドレスを何度も着用するのは稀だ。
そんなドレス一着に魔術を施すなど、普通はやらないそうだ。
瑞希は小首を傾げて尋ねる。
「確かに私は≪肉体強化≫の術式を使っても、筋肉を鍛えておりませんので、大した効果を発揮できませんわ。
ですが≪隔絶≫の術式を使えば、周囲から身を守ることはできましてよ?
そんな私にこのような高価なドレスを仕立てるのは、少々もったいなく感じます」
自己流の≪隔離≫改め、霧上家の≪隔絶≫の術式は、外界との因果を遮断する術式だ。
命を奪う因果を発生させようとする刺客の刃すら、≪隔絶≫で防ぐことが出来る。
長期間戦火に身をさらしている場合は無理が出るが、夜会の時間程度なら維持の問題はないと判断していた。
ユリアンが微笑んで瑞希に応える。
「たとえミズキさんが自衛できるとしても、不意を突かれる可能性がないわけでもないでしょう?
少しでもあなたの身を守る力になりたいと、王妃殿下は考えてるのよ。
あなたは立太子するアルベルト殿下の婚約者。未来の王妃ですもの。
そんなあなたを『絶対に失いたくない』と思ってるのでしょうね」
「そんなものなのでしょうか。
いまひとつ納得が出来ませんわ……」
「ミズキさん、王妃教育も受け始めているのでしょう?
ならこれから先、自分がどんな立場になるかぐらいは理解できるんじゃないかしら」
瑞希が小首を傾げて思案しながら応える。
「私の立場、ですか?
未来の王妃以外に、なにか特別な立場になるのでしょうか」
ユリアンが優しい眼差しで瑞希に告げる。
「あなたが戦場で革命的な魔導を使って王国軍を勝利に導いたと、既に社交界で噂になっているの――具体的な魔導の内容は、軍事機密だけどね。
具体的なことが分からないから、様々な憶測であなたの魔導が伝わっている。
『戦場で敵の布陣を一瞬で見抜いた』なんて、現実味のないものも含めてよ。そんな噂、とても信じられないけれど無視もできないわ。
その噂は国外にも伝わっているし、これまでのあなたに関する噂の数々も再び数多く飛び交っている。
ドライセン王国にキリガミ・ミズキという異世界人が居る限り、この国が戦争に負けることはないとさえ言われているのよ。
シュトルム王国を下したドライセン王国は、さらに大きな領土を持った。
でも戦争直後で、まだ戦力を大きく消耗した状態なの。特に守備を司る第三軍を立て直すのは、しばらく時間がかかるわね。
――さぁ、問題よ?
そんな条件下、この国が今後しばらくどんな状況になるか。
今のあなたなら想像が付くんじゃない?
きちんと答えられる?」
瑞希は俯いて思考を巡らせていった。
元々武力では他国より頭一つ高かったドライセン王国だ。普段なら簡単に攻め込める国ではない。
ドライセン王国は好戦的な国ではないが、その広大な領土を欲しがる国は周辺に多いらしい。
シュトルム王国との戦いで兵力を衰えさせた今は、攻め込む好機と見て良いだろう。
さらに元シュトルム王国の領土を得た今、従来の兵力を分散していかなければならない。
王国軍が充分な増員を果たすまで、最短でも一年は必要とするだろう。
領土を奪うには、絶好の機会と言える。
そんなドライセン王国に、『戦地での情報戦で圧倒的に勝利できる魔導を使いこなす』と噂される瑞希が居る。
真偽不明とはいえ、瑞希の魔導を封殺しない限り、他国の勝ち目は限りなく薄いと判断される。
周辺国が勝ちの目を得るために、まず瑞希を封殺――つまり抹殺を図るのは当然だろう。
一通り答えを口にした瑞希が、大きくため息をついた。
「――ふぅ。いくら私でも、ドライセン王国全域に警戒魔術結界を張り巡らすのは不可能ですわ。
王都全域に張る事ぐらいなら可能でしょうけれど、どうしても精度が甘くなってしまって意味がなくなります。
敵対勢力が国内に侵入することを魔導で防ぐのは無理ですわね。
周辺国は友好国ばかりという訳でもありません。そんな国の方が外交で我が国を訪れることもあります。
敵意を検知する術式も、それほど頼りにはならないでしょう。
紛れ込んだネズミを随時捕縛していく、という対応をしていくしかないみたいですわね」
ユリアンが満足げに微笑んだ。
「凄いわね、満点の回答よ。
あなた、本当に元平民なのかしら。よく短期間でそこまで考察できるようになったわね。
それに、王都全域に魔術結界を張れるだなんて、そこまでの魔導を使えるの? そちらも信じられないわね。
――ねぇミズキさん。よければ私にも、あなたの魔導の片鱗を見せてもらってもいいかしら?」
瑞希は、じっとユリアンの目を見つめた後、「構いませんわよ?」と応えた。
手を前に出し、≪現在視≫の画面をいくつか出していく。
ユリアンが画面の映像を見て、目を見開いて驚いていた。
「あらやだ……うちの工房じゃない。
お針子さんたちの仕事風景ね。
これはどういった魔術なのかしら?」
「ユリアン様の因果を辿って、仕事場を見ただけですわ。
我が家の魔術は因果を操る魔術ですの。
因果を辿れば、このぐらいは簡単にできますわ」
ユリアンが固唾を飲み込み、瑞希に尋ねる。
「じゃあまさか、『敵の布陣を一瞬で見抜いてみせた』という噂は……」
「ええ、事実ですわよ?
軍事機密ですので、ユリアン様も口外なさらないようにお願いしますわね。
――噂になっているということは、思わず口を滑らす方が居らしたのでしょうね」
≪現在視≫の画面を消していく瑞希に、ユリアンが尋ねる。
「そんな事実を私に教えても大丈夫なの?
私はもう軍人ではないわ。
軍事機密を知る権利なんて、持ってないのよ?」
瑞希は静かな表情で淡々と告げる。
「ユリアン様の過去の因果を辿って、どのような人生を歩んでこられたのか、おおよそ把握いたしました。
信頼できる方だと判断いたしますわ
現在の因果から私と今後、親交を深める気配も察しました。
これから親しくなるユリアン様にならば、噂を事実だと肯定するくらいは構わないと、そう思いましたの」
ユリアンが口元を隠して目を見開いた。
「あらやだ! 私の人生を全部見られちゃったの?! 恥ずかしい!」
瑞希が苦笑して応える。
「そこまで詳細なことはわかりませんわよ。
ですが気高く強く生きてこられた方なのは、因果の気配で分かりますの。
今この場で私がわかるのはそれだけ――その程度の魔導の腕ですわ」
ユリアンが一瞬呆然とした後、微笑んで瑞希に告げる。
「じゃあ、これから親しくなるミズキさんに、一つお願いしてもいいかしら?
――そんなに堅苦しい言葉遣い、しなくてもいいんじゃない?
もっと素のあなたを見てみたいわ」
きょとんとした瑞希が、苦笑して応える。
「……わかったよ。
ユリアンさんの前では素で話すね。
でも、どうして素の私を知りたがるの?」
「堅苦しいのは嫌いなのよ。
もっと打ち解け合えればいいなって思っただけ。
――思った通り、素直で可愛らしい女の子ね。
よければお友達になって欲しいくらいだけど、さすがに未来の王妃様には言えない言葉ね」
瑞希が微笑んで応える。
「ユリアンさんなら、友達になって欲しいかな。
もっと仲良くなりたいって思える人だよ」
ユリアンが嬉しそうに笑った。
「あらそう? 嬉しいことを言ってくれるわね。
これからは友達の服を作る事になるんですもの。
もっと心を込めて作ってあげないとね!」
「えー? ユリアンさんほど仕事に誇りを持ってる人なら、今までだって手は抜いてこなかったでしょ?
友達だからって、それ以上のことができるの?」
ユリアンが楽しそうに笑いながら応える。
「あはは! 私だって人間ですもの。
同じように作っているつもりでも、好きな人の服と嫌いな人の服じゃ、出来栄えには一目でわかる違いが出るわ。
これからの服に是非、期待しておいてね」
ユリアンが笑顔で別れの挨拶を残し、部屋から立ち去っていった。
瑞希も部屋着に戻り、試着室を後にした。
****
――王宮のサロン。
瑞希が紅茶を手にしながらユリアンのことを告げていた。
「不思議な人だよね、ユリアンさん。
あの人が騎士団に居た頃の姿なんて、想像もつかないや」
≪過去視≫で見ることはできるが、人の過去の詳細を興味本位で覗くものではない、という自戒ぐらいは瑞希もしている。
クラインが穏やかに微笑みながら応える。
「お父様の話では、近衛騎士団にスカウトする話も内々にあったほど強い騎士だったそうよ。
魔導の腕はそれほどでもないらしいのだけれど、剣術はシュトロイベル公爵が直々に指南するほどだったとか。
――アリシア様なら、その話を伺っているのではなくて?」
アリシアが小さく頷いた。
「私が幼い頃、家にフェッツナー子爵令息を招いてお父様が手ほどきをしていらしたのは確かですわ。
その頃からフェッツナー子爵令息は、今のようなお言葉遣いで目立っておいででしたわね」
アリシアの口調を聞いて、疲れたようにゲルトが告げる。
「聞きしに勝るのんびりとした口調……聞いてるだけで疲れるってのは本当だったんだな。
しかし、クラインやアリシア様が参加するお茶会に俺たちが居て良かったのか?
家格ではだいぶ隔たりがあるが」
イーリスが苦笑しながら続く。
「私のグローサシュタイン伯爵家も、ゲルトのデーンホフ伯爵家も、上位貴族とは名ばかりの家ですものね。
伯爵家としては並以下の家格。
第二王子の婚約者やマイヤー辺境伯令嬢、シュトロイベル公爵令嬢が参加するお茶会では場違いというものですわ」
コルネリアが暢気にお茶を口にしたあと告げる。
「そんなことを言ったら、私が一人だけ下位貴族よ?
一番肩身が狭いわ」
「どーこーがーだー。いつも通りじゃねーか」
ゲルトがジト目で突っ込んだ。
アルベルトが苦笑をしながら告げる。
「まぁそう言うな。
第二王子妃になろうとするミズキが、全くお茶会を開かないという訳にもいかない。
ならばせめて、気心が知れた人間を揃えたいと思っただけだ」
この場に居るのは、素顔の瑞希を知る者ばかりだ。
アリシアを相手にする時も、他の令嬢が傍にいなければ瑞希は素に戻って話をする。
それだけ仲が良い同年代の友人と言える。
瑞希は憂鬱な気分を隠そうともせずにため息をついた。
「社交界で人脈を作るって、大変だね。
それなりに知り合いはできたけど、信用できる相手はほとんど作れてないよ。
信頼できるのは、ここに居るみんなぐらい」
王家が開く夜会や、招待される社交場に出てはいる。
だがあまり頻度が高いとは言えず、心を許せる相手は作れないでいた。
有象無象の貴族が瑞希に近寄ってこようとするが下心が丸見えで、ご遠慮したい気分だ。
アリシアが微笑んで瑞希に告げる。
「信用できない方々でも、扱いようはあるものですわ。
私の周りにいらっしゃる方々も、皆様がそのような方ばかり。
友好的な方は、極一握りと言えますわね。
それでも社交界で生きて行くことはできますし、ミズキ様なりの交友関係をお作りになればよろしいのですわ」
疲れたように身体を引きつらせながら、ゲルトが瑞希に尋ねる。
「アリシア様に長く話されると身が持たないな。
――ミズキは戦場だと素で振舞ってたらしいが、周りは驚いてなかったか?」
瑞希が思い出しながら応える。
「んーと……そうだね。
私の素顔を知らなかった人たちは、やっぱり驚いてたかな。
『やっぱり平民出身だな』って思ってそうな視線も感じたし。
でも魔導を使って見せた後は、逆に私の事を化け物みたいに怖がってたね」
コーネリアが呆れたように告げる。
「ミズキの魔導なんて、初めて見たら魔法にしか見えないんだからしょうがないわよ。
それをいとも簡単に使いこなしてみせるんだから、化け物『みたい』じゃなくて『そのもの』よ? そろそろ自覚したら?」
瑞希が苦笑して応える。
「そうは言うけど、私が使ってるのは魔導術式だよ?
魔力の強さに頼った術式なんてほとんど使わないし、みんなだって腕を上げれば使えるようになるはずなんだけどなぁ。
難しいことなんて、全然してないんだけど」
イーリスが疲れたようにため息をついた。
「それが『ご自覚がない』と言われる原因ですのよ?
ミズキさんの仰る魔導理論一つすら、私たちには理解できないんですもの。
魔力制御に至っては、足下に及ぶ姿すら想像ができませんわ」
アリシアも珍しく苦笑を浮かべた。
「お父様ですら、ミズキ様の魔導の凄まじさに、ご自分を見失ってしまわれるほどだったそうですもの。
もう少しご自分の異質さをご自覚なさった方がよろしいと思いますわ」
瑞希がむくれて応える。
「『異世界人』ってだけで、異質なのは充分理解してるってば!
でも魔導は、なんであんな簡単なことを理解も実践もできないのか、それが私には理解できなくて困ってるんだよね。
魔力制御だって、訓練していけば辿り着けると思うんだけど……だって私が数日で身に着けた程度の技術だよ?
あれからほとんど伸びてないし、限界を感じて私も悩んでるんだ」
分からない人間が、どうして分からないのかが分からない――天才型の人間が陥りやすい思考だ。
直感で理解してしまえる人間は、筋道を辿って理解に到達する人間の思考に思い至れなくなる。
瑞希も受験生だった頃は筋道を立てて考える人間だったのだが、『直感で理解できる』という体験をしてしまうと、それを筋道立てて説明することが出来ないし、その意味を見い出せなくなっていた。
コルネリアが疲れたように瑞希に告げる。
「ミズキに『限界を感じて伸び悩む』とか言われても、『そりゃそうでしょ』としか言えないわね。
それ以上のどこに伸びしろがあるっていうのよ……
人間を辞めて神にでもなるつもり?」
瑞希がきょとんとして応える。
「え? 私は霧の神の血を引く人間、神の眷属だよ?
人間だけど、もう半分神様みたいなものだよ。
魔導の禁忌でなければ、もっと試したい術式はたくさんあるんだけど、そういうのに手を出してると世界が滅びかねないって感じるから控えてるだけ。
そういう術式で実験していけば、もっと伸びる気がしてるんだけどね」
アルベルトが顔を引きつらせて瑞希に告げる。
「いいか、神の領分を冒すなよ?
お前は人間、その範囲を超える真似はするな。
なまじ神の血が濃いから出来てしまうんだろうが、自分が人間であることを忘れるな」
「はーい」
瑞希の気が抜けた返事に、周囲は苦笑いで返していた。




