41.終結
シュトルム王国軍はゲルシュタン砦に千六百の兵で籠城していた。
砦から五百メートルほど離れ、百の兵士が魔導兵器を取り囲んでいる。
一方、ドライセン王国軍はゲルシュタン砦から二キロの地点に陣を敷いて砦を睨んでいた。
グライツラー侯爵が悔しさで顔を歪ませながら、吐き捨てるように叫ぶ。
「なぜだ! なぜ近づいてこない!
どこで魔導兵器の射程を知られた?!」
少なくとも、消息を絶った密偵たちにすら知らされていない軍事機密だ。
敵軍が射程を知る機会など、あるはずがなかった。
魔導兵器の有効射程は一キロ、それ以降は急激に効果が減衰し、二キロの地点では全く効果が見られなかった。
ギーゼン渓谷から離れて布陣していた森も、五百メートル強の地点だ。
あれで射程が推測される訳も無かった。
『何か理解できない事が起きている』――わかるのはそれだけだった。
苛立ちで椅子を蹴り壊しながら、グライツラー侯爵はドライセン王国軍を睨み続けていた。
****
瑞希が出している≪現在視≫の画面を見ながら、不敵な笑みでルートヴィヒ侯爵が告げる。
「どうやら、完全に頭に血が上ってるな。
あとは魔導兵器さえどうにか抑えられれば、赤子の手をひねる様なものなのだが……」
瑞希がその場に居る全員に尋ねる。
「霧の神の魔法は、今の状況だと攻めるのも守るのも、不確実になっちゃう。頼るのは賭けになると思う。
それ以外の方法、何かあるかな?」
アルベルト、ヴォルフガング、ルートヴィヒ侯爵が腕を組んで考えをめぐらす中、シュトロイベル公爵が微笑みながら瑞希に尋ねる。
「ミズキ、君は画面越しで心を操られた人間を治療して居たね。
ということは、画面越しに心を操る事もできるんじゃないかい?」
瑞希がきょとんとして小首を傾げた。
「それはできるけど、どういうことかな?」
「たとえばこの状況で、どの程度の人数を一度に操れるかな?」
瑞希が画面を見ながら思案する。
「そうだなぁ……私も結構消耗してるし、やっぱり戦場にいる兵士たちを操るのは大変みたいだから、一度に二千人は無理だよ?
頑張っても百人くらいが限界じゃないかなぁ?
……あ。そういうことか」
瑞希が思わず手を打っていた。
その様子を見て、シュトロイベル公爵は優しく笑っていた。
****
「閣下! 敵軍に動きがありました!」
「そんなもの、見ればわかる!」
グライツラー侯爵が部下に怒鳴り散らしていた。
睨み付けていたドライセン王国軍が、進軍を開始したのだ。
「魔導兵器の発射準備を急げ!」
グライツラー侯爵の叫びに、兵士たちが異様に蒼褪めた顔で反応した。
誰も彼も魔導兵器から距離を取ろうとし、一向に発射準備を進める様子がない。
「何をしている! 急げ! 敵軍は目の前なんだぞ!」
ついにはその場から逃げ出す兵士が続出し、前線に居た魔導兵器運用部隊は戦う前から壊滅状態だ。
腹心の部下たちすら逃げ出すその様子に、グライツラー侯爵は烈しい違和感を覚えていた。
「チッ! 意気地なし共が! もういい! 俺がやる!」
混乱するグライツラー侯爵が叫び、魔導兵器に駆け寄り――たかった。だが足が動かない。
目の前の魔導兵器が持つ『使えば死ぬ』という事実が、今はただ恐ろしくて仕方がなかった。
(なんだ?! なにがおきている?!)
魔導兵器を恐ろしいと思う気持ちぐらいは当然持っている。それは人間ならだれもが持つ死を恐れる気持ちだ。
豪胆と知られるグライツラー侯爵は、その心を完全に掌握し、死への恐怖を握りつぶせる男だった。
だというのに、今は新兵が戦場を恐れる以上に、魔導兵器がもたらす死を恐れていた。
遂には足も震え出し、前へ進むことを身体が拒んでいた。
蒼褪めた顔で数歩後退ったグライツラー侯爵を、ドライセン王国軍第二軍の騎兵部隊が飲み込んでいった。
――数時間後、ゲルシュタン砦はあっさりと陥落していた。
魔導兵器をドライセン王国軍が確保したこの状況で、抗戦できる兵士など皆無だった。
砦をドライセン王国軍一万が取り囲み、ルートヴィヒ侯爵が降伏を呼びかけた。
しばらくすると砦から使者が出てきて、投降の意志を告げた。
****
使者が投降してくる様子を遠くから眺めていたルートヴィヒ侯爵が告げる。
「これで終わりですな。
あとは事後処理を済ますだけです。
――ミズキ殿下。おつかれさまでした」
瑞希が疲れ切った笑顔で応える。
「あはは……ほんと~に疲れたよ……。
もう≪意思疎通≫を維持するのが精一杯だもん」
瑞希がやったこと――それは百人同時に、彼らが持っている魔導兵器に対する恐怖を極端に強めただけだ。
それでも戦場に居る多人数の心を同時に操るという離れ技で、ほとんどの魔力と精神力を使い切っていた。
アルベルトが優しく瑞希の背中を撫でながら告げる。
「今は魔導兵器のことを忘れて、ゆっくり休むといい」
「そうする~。
じゃあ少しの間、≪意思疎通≫を切るね」
瑞希は椅子の上で、すっかりくたびれていた。
ヴォルフガングの目が、未だ健在の魔導兵器を見た。
「これは本国に持ち帰って、慎重に破壊した方が良さそうだね。
おそらくミズキの力も必要とされるはずだ」
ルートヴィヒ侯爵とシュトロイベル公爵が頷いた。
魔導兵器の破壊を試みたが、兵の手で壊そうとしても、簡単には破壊できない代物だった。
危険極まりないが、下手に破壊しようとして暴走させる訳にもいかないだろう。
こうして、ドライセン王国によるシュトルム王国攻略戦は終結した。
****
「姉様が無事、生きて帰ってこられて……本当に良かったです」
ソニアが紅茶のカップを手に、優しく微笑みながら瑞希に告げた。
瑞希も紅茶を一口飲んだ後、笑顔で応える。
「もうちょっとで世界が滅ぶところだったけどねー。
アルベルトとシュトロイベル公爵のおかげだね」
アルベルトがきょとんとして瑞希に尋ねる。
「私とシュトロイベル公爵の? どういうことだ?」
自分を見失っていた瑞希に、自分を思い出させたアルベルト。
ギーゼン渓谷で奮戦して敵の兵力を大きく削り、最後の局面で瑞希に助言をくれたシュトロイベル公爵。
ギーゼン渓谷でシュトロイベル公爵が命を落としていれば、この結果はなかったように思えた。
アルベルトが瑞希の心理を見落とし、適切な言葉を与えられなくても、やはりこの結果はなかっただろう。
特にアルベルトの言葉がなければ、世界が滅ぶのは間違いがなかったと瑞希は確信している。
ソニアが小首を傾げた。
「世界が滅んでいたんですか? 命に代えても姉様が世界を救うってお話だったんじゃないんですか?」
瑞希が天井を見上げ、思案しながら応える。
「その割に、ドライセン王国軍の死の気配が濃かったんだよ。
どこかで最善を尽くせなかったんだね。
多分、最善は森の中で魔導兵器を確保することだったんだと思う。
その結果、私が世界を救えない可能性に入り込んだんじゃないかなぁ」
アルベルトが瑞希に尋ねる。
「だが、あの敵味方が入り乱れた状況で死の権能なんて魔法を使えば、我が軍にも大勢死者が出ただろう。
お前は味方殺しの汚名を被って生きることになっていたはずだ。
そんな未来が最善だったのか?」
「もしかすると霧の神は、相手を選んで死の権能を振るう事ができるのかもしれない。
そんな奇跡を願えば、そんな魔法になったんじゃないかな。
あの時は、そこまで思い付けなかったんだけどね。
死の権能を使う以外の方法があったのかもしれないし、そこは霧の神に聞いてみないとわからないかな」
ヴォルフガングが神妙な顔で告げる。
「霧の神の予想外の未来に辿り着いてしまった、ということかな。
世界が滅ぶ事も、ミズキが命を落とすこともなかったが、魔導兵器はまだ破壊できていないからね。
次善の結果ではあるが、気が抜けない状態だね。
――霧の神とは、まだ会話できないのかい?」
瑞希が頷いた。
「最近は全く声が聞こえなくなってる。
多分、消耗しすぎた力を回復するために休息してるんじゃないかな。
霧の神の気配は感じられるけど、今の状態で魔法が使えるかはわからない。
――ヴォルフガングさん、あの魔導兵器は破壊できそうなの?」
ヴォルフガングが人の良い笑みを浮かべた。
「少しずつだが、順調に解体は進んでいるよ。
乱暴に破壊するのも、やってやれなくはないと思うんだが……暴走が怖いからね。
それに折角の魔導の歴史的資料だ。
ただ壊すのも惜しいから、記録を残しながら進めているんだよ。
ミズキも後で、解体作業を見に来るといい」
瑞希は呆れて、ジトっとヴォルフガングを見た。
「世界の存亡がかかってるのに……随分と暢気だね?」
「はっはっは!
王宮内で厳重に管理されているんだよ?
あんな大きなもの、簡単に持ち去られる状態じゃないさ。
ゆっくりと壊すしかないなら、ついでに記録を付けても構わないだろう?」
瑞希が大きくため息をついた。
「そりゃあ、それくらいはいいと思うけどさぁ。
もしかしてヴォルフガングさん、魔導のためなら大切なことをうっかり忘れちゃうタイプ?」
アルベルトが苦笑して瑞希に応える。
「ヴォルフガングの魔導フリークは有名だ。
目の前に『古き神々の叡智』なんてものがあれば、我慢しろという方が酷だろう。
その分は王宮の警備を強化する事でなんとかするさ」
****
――王宮内、魔導工房。
本来は宮廷魔導士たちが日夜、魔導を研究するために使われるスペースだ。
現在は魔導兵器解体作業のために使われている。
瑞希とアルベルトが足を踏み入れると、中では数人の宮廷魔導士とヴォルフガングが解体作業を行っていた。
「見に来たよーヴォルフガングさん!」
ヴォルフガングが振り返り、満面の笑みで手を挙げて応える。
「ああ、来たんだね。
ゆっくり見学していくといいよ。
何か気が付いた事があれば、教えてくれないか」
「わかったよ。じゃあ少し見させてもらうね」
瑞希が見ている前で、大きな装置から少しずつ、細かい部品が取り外されて行く。
様々な箇所に魔術の文様が刻まれているのを見て、瑞希がヴォルフガングに尋ねる。
「その文様、もしかして刻印魔術なの?」
「多分そうだろうね。
停滞していた刻印魔術に、新しいページが追加されている、ということだよ。
楽しくてたまらないね」
魔導兵器を前にしているヴォルフガングは、子供のような笑みを浮かべ、生き生きと解体しながら細かく記録を付けていた。
周囲に居る宮廷魔導士たちも、同じように楽しそうに作業をこなしていた。
どうやら魔導フリークの集い、ということらしい。
アルベルトが不思議そうにヴォルフガングに尋ねる。
「あれほど頑丈だった魔導兵器を、よくもそれだけ手際よく解体できるな」
「魔術で保護されている装置だからね。
衝撃にはとても強いんだよ。
私たちは施されている魔術を無効化しながら進めているだけさ」
瑞希がしばらく無言で眺めていると、ふと装置の一部が目についた。
「――ねぇヴォルフガングさん。
ここに霧の神の気配の塊があるけど、これはなに?」
「ああ、それは恐らく装置の動力源だね。
そこから死の権能を発生させているのだと思う。
もう少しでその部品を取り出せると思うから、少し待っていてくれないか」
――三十分後。
瑞希の手のひらには、小さな真珠のような球体が載せられていた。
「人間がよくここまで、霧の神の気配を凝縮できたなぁ」
瑞希はなんとなく部品の感触に既視感を感じ、記憶を漁っていく。
「――あ! これ私がこの世界に来た時に持ってた、石板と同じ気配だ!」
ヴォルフガングが嬉しそうに瑞希に尋ねる。
「ほぅ? ということは、その部品も祭壇の欠片なのかもしれないね。
少なくとも、同種の何か、ということになる」
解体されている装置を見ても、床に並べられている解体済みの部品を見ても、他に霧の神の気配がする部分はなかった。
「……え?!
魔導兵器から漂ってた霧の神の気配って、もしかしてこの部品だけが出してたってこと?!」
ヴォルフガングが頷いた。
「どうやら、そういう作りのようだよ。
他はほとんど、補助装置ではないかと推測している。
つまり、正真正銘それがコア――魔導兵器の本体だ」
瑞希がこわごわと手のひらの上の真珠のようなコアを見つめた。
「これ……壊せるの?」
ヴォルフガングが苦笑した。
「私の魔導では、それがどういったものかを判断できなかった。
だから魔術で解体というのも、現実的じゃないね。
厳重に保管するか、イチかバチかで力任せに破壊してしまうか――そのどちらかになる。
あるいはミズキの魔導なら安全に解体できるかもしれないが、どうだい?」
瑞希はコアを見つめ、思案していた。
「んー……この部品の魔導を無効化すればいいんだよね……
あれ? おや? ――ええ?!」
ヴォルフガングがきょとんとした顔で瑞希に尋ねる。
「どうしたんだい? 何を驚いているんだい?」
「このコアの因果、過去に辿れないんだよ……途中で途切れるんだ」
ヴォルフガングが顎に手を当てた。
「神の子同然の力を持つミズキでも魔導が通用しないのか。
そのコア自体が、人の手に余る超常的な存在ということだろうね。
今後の方針は国王陛下と相談して決めることにしよう。
ひとまずそれは、私が預かろう」




