39.出征
――八月上旬も終わる頃。
ドライセン王国軍が王都を出発した。
第一軍五千、第二軍八千――総勢一万三千の部隊だ。
総司令官はワルター・フォン・ルートヴィヒ侯爵が務める。
一方、シュトルム王国は全軍で一万前後と見られ、兵の数でも、質でも劣っている。
さらに周辺国三国からも五千ずつ出兵し、総勢二万八千による飽和攻撃となる。
魔導兵器さえなければ、シュトルム王国の滅亡は必至だ。
逆に魔導兵器があるだけで、この戦力差でも戦況は覆る。
この戦争の鍵は、いかにその魔導兵器を封殺するかにかかっていた。
行軍する馬車の中で、瑞希は外の様子を窓から伺っていた。
本物の軍隊による行軍――魔導学院の警備とは、桁が違う物々しさだ。
「やっぱり本物は違うねー」
馬車に同乗するのはアルベルトとヴォルフガング、そしてザビーネだ。
淑女の長期遠征、どうしても同性の世話係が必要となる。
瑞希は『やめといた方がいいよ?』と忠告をしたが、ザビーネは同行を志願し譲らなかった。
ヴォルフガングが人の良い笑みを浮かべながら瑞希に尋ねる。
「それで、戦争に赴く兵士たちは、君にはどう見えてるんだい?」
「やっぱり、どうしても死の気配は漂うね。
でもここに居る三人は死の気配が薄いから、ちゃんと守ってもらえるはずだよ」
総司令であるルートヴィヒ侯爵は、この馬車から少し離れた前方で行軍を指揮している。
基本的には彼の傍で後方支援をするのが瑞希の役割、ということになっている。
瑞希はふと気になってヴォルフガングに尋ねる。
「それで、シュトロイベル公爵はちゃんとわかってくれたのかな?」
ヴォルフガングは困ったように眉をひそめた。
「上辺では理解したように見えるが、彼は魔導の腕に自負があったからね。
ミズキの常識外れの魔導で戸惑ってしまうのを、そう簡単に納得するのは難しいかもしれないな」
瑞希は少し思案し、≪現在視≫でシュトロイベル公爵の姿を映した。
どこか憂鬱そうな気配すら漂うシュトロイベル公爵も、第二軍の行軍を指揮している。
「……まだ、納得し切れてないってところかな。
一度キッチリとピンチを救って見せれば変わるんだろうけど、ピンチになる前に叩き潰したいし、悩ましいよねー」
アルベルトが苦笑した。
「そんなとんでもないことを豪語できるのは、ミズキくらいだろうな」
瑞希がきょとんとした顔で応える。
「そうは言うけど、さすがにこれだけの大規模戦闘じゃ『全部を魔術で片付ける』なんて真似はできないよ?
いくら私でも魔力が尽きちゃうし。
せいぜい、敵の情報をできるだけ教えて、王国軍に対応してもらう事しかできないもん。
それほど大したことが出来るわけじゃないよ」
ヴォルフガングが楽しそうに微笑んで、瑞希に告げる。
「戦場において、情報戦で圧倒的勝利を収めるのは『勝利への切符』だ。
ミズキが居るだけで、シュトルム王国の勝利の目は絶無と言える程にね。
相手に同情を禁じ得ないよ」
瑞希がむくれて反論する。
「それはまだ分からないよ?!
相手には魔導兵器があるんだし。
あれを使われたら、この程度の数の差は簡単にひっくり返されちゃう。
油断は禁物だよ?」
ヴォルフガングが楽しそうに笑いだした。
「はっはっは! その調子だ!
我々は最善を尽くし続けようじゃないか!」
王国軍は一路、シュトルム王国国境を目指して進んでいった。
****
――ドライセン王国軍の野営テント。
行軍は順調に進み、そろそろシュトルム王国との国境が近づく――そんな場所だ。
テントの中には軍の重鎮が顔を並べている――その中に、瑞希たちの姿もある。
瑞希の姿に違和感を感じる将校たちは、怪訝な表情で瑞希に視線を寄越していた。
ルートヴィヒ侯爵が口火を切る。
「もうじき激突が予想される。
敵軍の配置を知っておく必要があるだろう。
今夜はその情報を共有するために集まってもらった」
将校の一人が応える。
「だが、斥候を出している気配がないのはどういうことだ?」
ルートヴィヒ侯爵が将校に応える。
「斥候の必要がない。ゆえに、斥候は出していない」
将校たちが騒然とした。
『敵軍の情報を共有するが斥候を出していない』という、意味不明の言葉を理解できなかったのだ。
戦場で敵軍の情報を得るのが斥候の役割だ。
その斥候を出さず、どうやって情報を得るのだ――そんな声が囁かれた。
ルートヴィヒ侯爵が微笑みながら瑞希に振り返る。
「ミズキ殿下、今わかる出来る限りの情報を出していただけますか」
瑞希が笑顔で明るく返事をする。
「はーい!」
たちまちテント中央にあるテーブルの上に、いくつもの≪現在視≫の画面が現れる。
瑞希がそれぞれの画面を指さしながら告げていく。
「敵の主力はギーゼン渓谷に展開してるね。数は五千かな。
伏兵で千が渓谷の左右に潜んでる。
王都に守備兵を千置いてるみたい。
牽制をしてる周辺国との国境に三千置いてるね。
あとはギーゼン渓谷から少し離れて魔導兵器運用部隊一千が隠れてるかな。
敵軍の総司令官はこの人。
んーと、ギーゼン渓谷でドライセン王国軍を足止めしている間に、魔導兵器で大打撃を与えるつもりみたい」
ルートヴィヒ侯爵が微笑んで瑞希に応える。
「ありがとうございますミズキ殿下。
――以上だ、質問があれば言って欲しい」
騒然としていたテントの中が、水を打ったように静まり返っていた。
将校たちは、ただ茫然とテーブルの上の画面を見つめていた。
ルートヴィヒ侯爵が告げる。
「質問がないようであれば、方針を――」
「ちょっと待ってくれ! これはなんの冗談だ?!」
シュトロイベル公爵が叫んでいた。
その形相は困惑を極め、ルートヴィヒ侯爵を睨み付けていた。
ルートヴィヒ侯爵は肩をすくめて応える。
「シュトロイベル公爵、貴公はミズキ殿下の魔導の腕前を知っているだろうが。
今さら何を驚く事がある?
ただの魔導術式だぞ?」
「何をどうやったら敵兵の配置をこれほど正確に知ることが出来ると言うんだ!
因果を辿る魔術を使うと説明はされたが、その術理と結果に全く納得が出来ない!」
ルートヴィヒ侯爵が微笑みながら瑞希を見て告げる。
「ミズキ殿下、申し訳ありませんが、ご説明頂けますか?」
「いいよ?
密偵を捕縛した時に因果を辿ってグライツラー侯爵まで辿れたでしょ?
あとはグライツラー侯爵から芋づる式でシュトルム王国の軍人の因果を辿ったんだよ。
辿った先の軍人の今の姿を≪現在視≫の術式で映し出してるだけだよ?
――簡単でしょ? 何か不思議な事、ある?
何が理解できないのか、そっちの方が理解できなくて困っちゃうんだけど」
しばらく顔をしかめて瑞希を見つめていたシュトロイベル公爵が、困惑したように尋ねる。
「……今この場に密偵は居ない。どうやってグライツラー侯爵や軍人へつなげたんだ?」
「私は一度、グライツラー侯爵を≪現在視≫の術式で見てるんだよ?
もうその時点で因果が発生してるの。
だから私が持ってるグライツラー侯爵との過去の因果を辿っただけだよ?」
術理を全く理解できないようで、シュトロイベル公爵は困惑したままだった。
ヴォルフガングが楽しそうに微笑みながらシュトロイベル公爵に告げる。
「あの日にも告げたが、魔術の概念、その根底に因果がある。
その因果を自在に操れるミズキは、魔術ならどんなことでもできてしまうんだよ。
もちろん、相応に強い魔力と、高度な魔力制御技術、飛び抜けた魔導センスがあるからこそできることだがね。
我々の目には魔法にしか見えないが、ミズキの中にはきちんと術理があり、その通りに術式が積み上げられ、現象が発生しているんだ。
――これで、言葉の意味を少しは理解できたかな?」
瑞希が唇を尖らせてヴォルフガングに反論する。
「だーかーらー!
私が使ってるのは魔導術式! 魔法じゃないんだから理屈に合わない現象は起こせないの!
できないことだって結構あるんだよ?!
変な誤解を生みかねない発言は止めてくれないかなぁ?!」
シュトロイベル公爵が乾いた笑い声を上げた。
「ははは……この魔導に……理屈があると……そう言うのか」
瑞希がシュトロイベル公爵に振り向き、眉をひそめて告げる。
「さっき説明したばかりじゃない。
説明した通りに術式を積み上げて魔力制御してるだけなんだけど?
私と同じように術式を積み上げて、同じように魔力制御すれば、シュトロイベル公爵にだって使える魔導術式だよ?」
ヴォルフガングが笑いながら補足する。
「ははは! その『同じように魔力制御すれば』が最難関だがね!
私が足元にも及ばないほどの神業的な魔力制御技術がなければ、この術式は失敗するだろう。
我々凡人がこの魔導術式を実際に使う為には、長い年月をかけてダウングレードさせていくしかないだろうね」
言葉を失ったシュトロイベル公爵の様子を確認したルートヴィヒ侯爵が、一同に告げる。
「ともかく、敵の布陣は判明した。
衝突は三日後が予想される。
第二軍がギーゼン渓谷に入り、敵を引き付ける。
伏兵への対応はシュトロイベル公爵に一任する。
第一軍は明朝よりギーゼン渓谷を迂回し、魔導兵器の破壊に当たる。
――以上、質問はあるか?」
将校たちも言葉を失い、呆然と画面を見ていた。
ルートヴィヒ侯爵が大きく手を打ち鳴らし、将校たちの注意を惹きつけた。
そのまま厳しい目で一同を睨み付けて告げる。
「貴公ら、ここが戦場だという認識を忘れてもらっては困るぞ。
呆けてる暇があったら、己のやるべきことに全力であたれ。
――ここまで、質問があれば述べろ」
将校たちが襟を正し、沈黙した――質問はない。
ルートヴィヒ侯爵が頷いて告げる。
「ではシュトロイベル公爵、ギーゼン渓谷は任せたぞ」
「あ、ああ。わかった……」
なんとか返事をした様子のシュトロイベル公爵を一瞥すると、ルートヴィヒ侯爵はテントから退出した。
瑞希たちもその後を追いかけ、テントを後にした。
****
シュトロイベル公爵が、第二軍のテントで呆然としていた。
先ほどの光景を思い出しながら、戦場の現実感を失っていた。
外から兵が公爵へ声をかける。
「閣下、アルベルト殿下がお見えです」
「――通してくれ」
我に返ったシュトロイベル公爵が応えた。
テントに入ってきたのはアルベルト、ヴォルフガング、そして瑞希だ。
シュトロイベル公爵は瑞希を見つめていたが、目の前のそれは化け物にしか思えなかった。
アルベルトがシュトロイベル公爵に告げる。
「シュトロイベル公爵、お前に忠告があってきた。
心して聞いてくれ」
瑞希からアルベルトに視線を映したシュトロイベル公爵が応える。
「忠告? 何を伝えに来たんです?」
「お前、そのままだと死ぬぞ」
シュトロイベル公爵が怪訝な表情でアルベルトの顔を凝視した。
「何を仰りたいのか、理解できませんが」
アルベルトの目は厳しい。
「呆けたまま戦場に出て、生きて戻れるとでも思ってるのか?
ギーゼン渓谷に展開している敵軍への対応は第二軍――お前の双肩にかかっている。
お前がいつものお前に戻らなければ、おそらく伏兵に襲われ、お前は命を落とす」
瑞希が続く。
「さっきの会合で、シュトロイベル公爵の死の気配がすっごい濃くなったんだよ。
このままだと、数日後に命を落とすよ?
衝突は三日後なんでしょう? だいたいそのぐらいの時期だよ」
シュトロイベル公爵が瑞希を見た。
「それも……ミズキの魔導なのか……」
「そうだよ?
私は霧の神の血を引いてる人間だから、死の気配がわかるんだよ。
アリシアさんのお父さんに死んでなんて欲しくないし、ちゃんと立ち直って欲しいんだ」
アルベルトが続く。
「三日後の衝突は恐らく、魔導兵器部隊には逃げられる。
努力はしてみるが、破壊までには至らないだろう。
だがその後の為にも、ギーゼン渓谷に展開している敵軍をきっちり叩いておく必要がある」
シュトロイベル公爵が怪訝な顔でアルベルトに尋ねる。
「なぜ逃げられるとわかるんです?」
「ミズキは今回のシュトルム王国攻略戦で、高い確率で命を落とす運命を背負っている。
だがギーゼン渓谷の布陣では、そんな状況にはなる可能性は低いだろう。
つまり、三日後の衝突では片が付かないんだ。
おそらく魔導兵器を王都に持ち帰られ、籠城でもされるのだろう。
その時の敵の戦力を、少しでも削っておきたい」
シュトロイベル公爵がアルベルトの目を見つめて尋ねる。
「アルベルト殿下は……ミズキが恐ろしいと思った事はありませんか」
「ない。
彼女は人間だ。
高い魔導の腕こそ持つが、お前の娘と同い年の少女だ。
そんなミズキの、何を恐れる事がある?
お前の命を心配し、忠告に行こうと言い出したのもミズキだ」
シュトロイベル公爵が瑞希を見た。
「なぜ……そんなことを……」
「さっきも言ったでしょ? 私はアリシアさんのお父さんが死ぬのなんて嫌なんだよ。
そんなことになったら、アリシアさんが悲しむでしょ?!
それを防げるなら、できる努力をしたいってだけ!
今夜を逃したら、もう忠告する機会がなくなっちゃうから、急いで来たんだよ」
しばらく瑞希の目を見つめていたシュトロイベル公爵が、目を落として呟く。
「アリシアと同じ、か……」
シュトロイベル公爵の脳裏に、お茶会でアリシアと笑い合う瑞希の姿がよぎった。
そこには確かに、同い年の少女たちの姿があった。
変わり者の娘の、数少ない友人だ。
瑞希がシュトロイベル公爵に微笑んで告げる。
「――もう大丈夫そうだね」
弾かれるようにシュトロイベル公爵が瑞希の目を見た。
瑞希が微笑みながら、再び告げる。
「シュトロイベル公爵の死の気配が薄くなったよ。
――私の事を恐ろしいと思うのは、しょうがないかなって思う。
でも、アリシアさんの為にも、生きて家に帰ろうよ。
今はそのために、全力を尽くそう?」
瑞希が身体を翻し、テントから出ていった。
アルベルトが「任せたぞ」と一言告げ、瑞希の後を追った。
ヴォルフガングは何も言わず、微笑みながらテントを去っていった。
一人残されたシュトロイベル公爵が、再び呟く。
「生きて家に帰る……
そうだな。今はそれに専念しよう」
シュトロイベル公爵は吹っ切れたように、普段の微笑みを浮かべていた。




