37.軍略の講師
瑞希は姿見の前で、新しい服を確認していた。
動きやすく、吸水性や通気性が高い運動用の衣服――新しいランニングウェアだ。
傍に居る背の高い男性が瑞希に声をかける。
「どうかしら?
注文通りの機能性は備えているはずよ。
デザインに注文があれば直してあげるけど」
(どうしてファッション業界の人ってオネェが多いんだろう……)
一見するとすらっとした、スマートな若い男性紳士……なのだが、中身は立派なオネェだった。
男性はユリアン・フェッツナー子爵令息と名乗る宮廷仕立師――魔導学院の制服をデザインをした人間だ。
瑞希は姿見を眺めながら、デザインも確認していく。
白が基調なのは魔導学院の制服と同じだ。
簡素なデザインだが、ポイントに上品な装飾が施され、充分に満足できるものだった。
「ありがとうございますユリアン様。
――ユリアン様って、白がお好きなのですか?
魔導学院の制服も白いですわよね?」
ユリアンが優しく微笑んだ。
「白は女性の清楚さと気高さ、可憐さを強調してくれる色よ。
汚れが目立つのが欠点だけど、若い女性の衣服には最適な色だと思うわ」
どうやら、そういうポリシーを持って服を作っているらしい。
隣で同じようにランニングウェアを試着していたソニアも、満足げに頷いていた。
「これなら、夏の早朝走り込みも楽になりそうですね。
デザインも可愛いですし、上品ですから王族が着用していても問題ありません」
ユリアンが満足げに頷いた。
「ソニア殿下もミズキさんも、よく似合ってるわよ。
二人とも綺麗な子だから、服の仕立て甲斐があるわね。
特にミズキさんのおかげで王妃殿下からも褒めてもらっちゃったし、そのお礼の意味も込めて張り切って作ったわよ。
二人が気に入ってくれたなら、服も喜ぶわ」
瑞希はユリアンに向かい微笑んだ。
「本当にありがとうございました。
またなにか服が欲しくなった折には発注いたしますわ」
ユリアンは「今後ともごひいきにね」とウィンクを飛ばして部屋を去っていった。
瑞希がぽつりと呟く。
「……強烈な個性の人だったね。
私、オネェの人と話したのは初めてだから、びっくりしちゃった」
ソニアが苦笑を浮かべた。
「フェッツナー子爵令息は、宮廷でも特に個性が強いと言われる人ですからね。
同性愛者ではないらしいんですけど、異性の恋人を作ったという話も聞かない方です。
あんな方は、私も他に見た事がありません」
「あの人、結構体を鍛えてそうだったなぁ。
子爵令息ってことだし、騎士なの?」
「元は騎士団に所属してらした方ですね。
剣の腕では、同年代でもトップクラスだったそうです。
ですが夢を追いかけたくなって、騎士団を辞めて仕立師になった方だと聞いていますよ」
(夢……夢かー。夢のために転職できちゃう人なんだなぁ)
騎士団で剣の腕が立つと評判なら、そのままなら上位貴族になる事も簡単だっただろう。
その道を捨て、仕立師という職業を選べる人、ということになる。
仕立師という職業で、上位貴族の爵位を得るのは難しいだろう。
王侯貴族の世界でそんな生き方は、風当たりが強いように思えた。
(精神的にも強い人なんだろうなぁ)
瑞希はソニアと共に部屋着に戻り、リビングで一服することにした。
この後はまた軍略の講義が始まる――その前の息抜きだ。
ソニアが紅茶を飲む瑞希に語りかける。
「講義の方は順調ですか?
軍略を若い淑女が学ぶのはとても珍しいですから、講師の方も戸惑ってませんか?」
「ワルターさんっていうお爺ちゃんだけど、戸惑ってるって感じはしないね」
ソニアは「ワルター……ワルター……」と呟いた後、「あっ!」と驚いて口元を隠した。
「まさか、あのワルター・フォン・ルートヴィヒ侯爵が直々に指導なさってるんですか?!」
「うん、そうだよ?
そんなに驚く事なの?」
「あの方は王国軍第一軍司令官ですよ?!
歴戦の騎士で、王国軍の主力を率いる方です!
騎士として、戦場に身を置く事を信条とする厳しい方と伺っています。
普通、講師なんて務めませんよ?」
「ああ、第一軍司令官とは聞いたかな。
でも『決戦の時には傍に居るはずだから、今から交流をしておきたい』って理由で引き受けたらしいよ?」
瑞希は暢気に紅茶に口をつけながら応えた。
ソニアは呆然としながら、瑞希の様子を見つめていた。
「……お父様、本当に国家の総力を挙げて姉様をバックアップするつもりなんですわね。
私は軍略のことに明るくありませんが、王国軍の主力で攻め込むということですものね……」
瑞希が頷いた。
「そう聞いてるね。
第一軍と第二軍、それに周辺の同盟国とも協調して、一気に攻め落とすつもりらしいって。
相手に魔導兵器を使われる訳にはいかないから、その余裕を潰したいんじゃないかな」
王国には最低限の守備だけを残し、一気に飽和攻撃を仕掛ける――そういうプランだ。
短時間なら魔導兵器の『死の権能』にも耐えられるという神の言葉を信用し、短期決戦を挑む形になる。
魔導兵器を脅威に思う周辺国が、ドライセン王国の持ち掛けた話に乗った、ということらしい。
周辺国はあくまでも魔導兵器の射程外からの牽制に徹し、ドライセン王国が主力として攻め落とすことで納得させたようだ。
おそらく国境周辺で、敵軍の何割かを引き付ける程度に留まるだろうという予想を聞かされている。
瑞希としても、死の権能から防御結界魔法で守れるのは自分の周りだけになるので都合が良い。
さすがに周辺国の軍まで防御結界魔法で守るのは、霧の神が力を消耗し過ぎていて無理だろうと思われた。
ソニアの表情が陰る。
「……姉様が戦争に参加されるのだと、改めて実感してしまいました。
姉様のお爺様がされたお話もありますし、姉様の身が心配ですわ」
ソニアは目を落とし、憂鬱そうに瑞希の身を案じていた。
瑞希が微笑んで応える。
「大丈夫だよ。今回はアルベルトも付いてくるって言うし、私だって死ぬつもりはないからね。
ヴォルフガングさんも同行してくれるらしいから、不安材料はないよ」
侍女が時刻を瑞希に告げた――講義の時間だ。
瑞希はソファから立ち上がり、笑顔でソニアに告げる。
「じゃ、勉強してくるね!」
****
ワルター・フォン・ルートヴィヒ侯爵――齢五十を過ぎても、なお第一線で指揮を執る歴戦の騎士だ。
長年王国軍を取りまとめ、ドライセン王国を支え続けてきた人物と言える。
白髪交じりのアッシュグレイの髪を撫で付け、眼光鋭い厳めしい男だ。
瑞希が部屋に入ると、ルートヴィヒ侯爵が出迎えた。
「これはこれはミズキ殿下、今日も可憐ですな!」
すっかり相好を崩した老爺に、瑞希も穏やかに微笑んで応える。
「ワルター様、何度もお伝えしてますが、私はまだ『殿下』と呼ばれる立場ではございませんわよ?」
「何を仰る!
既にアルベルト殿下の婚約者であるミズキ殿下は、事実上の第二王子妃ですぞ?
殿下とお呼びして差し支えのないお方です。
通例でも、特に問題視されることはありませんよ」
ルートヴィヒ侯爵は機嫌が良さそうに、穏やかな笑顔を浮かべながら応えた。
(人の良いお爺ちゃんなんだよなー……)
一見すると体格が良く、厳しくて怖い男性なのだが、ミズキを見ると『優しく穏やかなお爺ちゃん』に変貌する男だった。
だが周囲の人間にいくら聞いても、ルートヴィヒ侯爵のそんな話はかけらも出てこない。
瑞希は内心、ずっと戸惑っていた。
「えっと、ではワルター様。早速、本日の講義を始めませんこと?
ワルター様のお時間がもったいないですわよ?」
決戦を控え、王国軍も訓練に明け暮れている。
国王や重鎮たちも、国外の折衝や軍略を練るのに忙しくしている時期だ。
ルートヴィヒ侯爵は今回の作戦で総司令官を務めるとも聞いていた。
戦争を目前に控えた軍の総司令が講師を務めると言うのは、確かに前代未聞だろう。
講義を行う時間があれば、他にいくらでもやることがあるはずなのだ。
ルートヴィヒ侯爵は残念そうに眉をひそめた。
「私の時間など、ミズキ殿下のお時間に比べれば些末な事です。
ですが、ミズキ殿下がそう仰るのであれば、講義を始めるしかありませんな……」
(どんだけ私とおしゃべりしたいんだろう……)
肩を落としながら講義を開始するルートヴィヒ侯爵を見ながら、瑞希は内心でひたすら首を傾げていた。
休憩時間になり、瑞希はルートヴィヒ侯爵と丸机に移って紅茶を飲んでいた。
「ミズキ殿下は覚えがお早い。
この分なら、一年もせずに戦場で軍議に参加しても問題がないでしょう。
実に頼もしいと言えます」
にこにこと上機嫌のルートヴィヒ侯爵が所感を告げた。
瑞希は穏やかに微笑みながら応える。
「戦場は経験が物を言うと、アルベルト殿下からもきつく戒められております。
若輩者の考える事など、実戦では早々通用いたしませんわ。
ワルター様のような歴戦の騎士のご判断を頼りにしておりますのよ?」
「それならばなぜ、軍略の講義を熱望なされたのです?
そこまでご理解しておられるのであれば、敢えて知る必要のない知識だということも、ご理解しておられるのではないですか?」
瑞希が目を落として応える。
「私は高い魔導の腕を自負しております。
ですがそれだけでは、今回の戦いで力が不足すると肌で感じたのです。
咄嗟に状況を把握し、迅速に最善、次善の手を打つ――そんなことが要求される場面が来ないとは限りません。
魔導に優れる私だからこそ対応できる――おそらく、そのような戦いになるのではないでしょうか。
そのためにも、戦場の状況を即座に理解する力を養いたいと思いました」
ルートヴィヒ侯爵の目が、わずかに厳しくなった。
「山賊退治に参加なされたという話は伺っております。
ミズキ殿下が、死の権能の魔法を使えるという話もです。
――あなたは、敵軍を死の権能で殺してしまおう、そう考えておられますか?」
瑞希が目を落としたまま応える。
「霧の神は現在、大きく力を消耗しております。
死の権能は、何度も使える魔法ではないでしょう。
奥の手ではございますが、それを当てにした戦いにするつもりはございません。
あくまでも、王国軍で敵軍を攻め落とす戦い――そういうものにするつもりですの。
私自身は、魔導術式で戦争に参加することになると思いますわ」
ルートヴィヒ侯爵が瑞希に尋ねる。
「では、どういう局面でなら死の権能を使おうと思われるのか、お伺いしてもよろしいかな?」
瑞希は淡々と応える。
「おそらく『そうしなければ人が大量に死んでしまう』という局面――つまり、敵軍が魔導兵器を大規模に使用する状況でしょう。
極力、防御結界魔法で守護された王国軍で攻めていただくつもりですが、それが間に合わないような状況であれば、私が魔法を使うしかないでしょう。
死の権能は人が使うには大きすぎる力。使わずに済むなら、それで済ませたいと思っていますの。
ですがシュトルム王国が持つ魔導兵器は、暴走すると世界を滅ぼしてしまうものだと神から聞かされております。
大規模に使用されるのであれば、それは必ず食い止める必要がありますわ。
そのためなら、新たに一万人の命を背負うことになろうと、私は死の権能を使うでしょう」
ルートヴィヒ侯爵の目が、静かに瑞希の目を見据えていた。
「その局面、敵軍と一緒に自軍を巻き込むことになっても、死の権能を使う事がお出来になると、そう思えますかな?
我が国の人間から『味方殺し』という汚名を浴びてまで手を汚すことが、ミズキ殿下には可能だと思えますか?
その先に待つのは、長く辛い針の筵の中で生き続ける人生です。
それでも、その手を汚せますかな?」
瑞希が目を上げ、ルートヴィヒ侯爵の視線を見つめ返した。
「それが世界を救うためであれば、味方殺しの汚名すら被って見せましょう。
そこで躊躇ってしまえば、遥かに多くの人命が失われます。
たとえその先に私の幸福が待って居ないとしても、多くの幸福な家庭を守るためにできることを、力の限りやり遂げるだけですわ」
瑞希は静かな表情でルートヴィヒ侯爵の目を見据えていた。
ルートヴィヒ侯爵は厳しい目で見定めるように、瑞希の目を見据えていた。
視線が交錯してからしばらくして、ルートヴィヒ侯爵の目から力が抜けていった。
ルートヴィヒ侯爵は優しく微笑みながら瑞希に告げる。
「――ミズキ殿下のお覚悟、確かに拝見いたしました。
殿下になら、我が軍の命運を預けても構わないでしょう。
私もそのような状況にならぬよう尽力いたします。
ですが我が国の民を守る最後の砦として、殿下には期待しておりますよ」




