32.温かい食卓
放課後になり、瑞希たちはサロンで紅茶を飲んでいた。
イーリスが感慨深そうに自分の手を見て魔力を操っている。
「不思議ですわね。
ミズキの授業を受ける前後で、すっかり魔力制御の質が変わった気がしますわ。
自分の中で何が起こったのか、まだ理解しきれていません」
クラインも同じように、自分の手を見つめながら魔力を操っていた。
「……私たちの感覚が、一段上の世界に引き上げられたのね。
以前よりも魔力を感じる精度が上がってるのよ」
瑞希が微笑みながら告げる。
「クラインとイーリスは、元々魔導のセンスが高かったからね。
クラスの中でも、特に顕著に伸びたんじゃないかな。
他の人は、そこまでの域に達せてないみたいだし」
ゲルトが自分の手を広げ、魔力を操り出した。
「んー、言われてみれば何かが違う気もするが、よくわからんな。
俺たちは一段上の世界には届かなかった組ってことか」
コルネリアは楽しそうに微笑んで紅茶を飲んでいた。
「――でも、魔導の深奥を垣間見れた経験はすっごい大きいと思うよ。
前より魔導を扱うのが楽しくなったもん。
これからの実習が待ち遠しくなったくらい!」
アルベルトも満足そうに紅茶を飲んでいた。
「クラスのみんなの顔も、授業の前後ですっかり変わった。
心が折れた人間は一人も居なくなったな。
『高度な魔導を駆使するミズキの前で、初歩の術式を披露するのが恥ずかしくなる』というのがどれだけの勘違いだったか、今ならよくわかるよ。
私たちは、ずっと遥か手前、魔導の最初の一歩の踏み出し方から間違えていたんだと痛感した。
研鑽した先にミズキの魔導があると言う実感も得た。
これなら一組の生徒たちは、もう心配いらないだろう」
瑞希も満足そうに微笑んだ。
「アルベルトの目でもそう見えたなら、もう大丈夫そうだね。
これからの国家を牽引していってもらう人たちなんだから、しっかりしてもらわないとね。
宮廷仕えになった人達にお灸を据えようとすると、きっと今よりずっと大変だったはずだし。
学生のうちに叩き直せてよかったよ」
その言葉を聞いたクラインが横目で瑞希の顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「その言葉、まるで妃として国家を引っ張っていくつもり満々に聞こえるわよ?
とうとう婚姻する覚悟が決まったの?」
瑞希が不満そうに眉をひそめながら紅茶に口をつけた。
それを飲み込んでからクラインに応える。
「――まだだよ!
でもそうなった時に困ったらやだなって思ったから、先に手を打っただけ!
そうならなくても、これはアルベルトを助けることに繋がるし、無駄にはならないからね」
アルベルトが嬉しそうに微笑んで瑞希に告げる。
「ありがとうミズキ。
これは間違いなく国家への貢献だ。
私は本当に、どれだけの恩をミズキから受けてきたのかわからない。
この恩を、私は命ある限り返していきたいと思う」
瑞希も嬉しそうに微笑みを返し、アルベルトの目を見つめていた。
イーリスがぽつりと呟く。
「……どうやら、私は失恋してしまったようですわね。
とっても残念ですわ。ミズキに恋を教えて差し上げたかったのに」
瑞希が慌ててイーリスに振り返り、真っ赤な顔で応える。
「失恋ってそれ、どういう意味なの?!」
イーリスが微笑みながら告げる。
「ご自覚がおありでないなら、ご自分の心をよく観察してみてはいかがでしょう。
魔導ではあれほどの感覚をお持ちですのに、ご自分の心には鈍いのですね」
クラインが笑みを漏らしながら続く。
「ふふ……だってミズキだもの。仕方ないわよ。
だんだんと自覚が出てきたみたいだから、そのうち納得もできるんじゃないかしら」
瑞希は真っ赤な顔で、むくれて紅茶を飲んでいた。
そんなミズキの横顔を、アルベルトは嬉しそうに見つめていた。
****
――夕食の食卓。
瑞希はヴォルフガングに今日の特別授業の話を伝えていた。
ヴォルフガングは目を輝かせて微笑んでいる。
「ミズキならそれくらい簡単だろうが、≪感覚同調≫の術式を使えるのは、この国で私ぐらいだろう。
それでも多人数などとても無理だ。
奥の手の≪魔力同調≫ですら理解が届かない生徒に、どうしても理解させたい時に使う、最後の手段だよ。
だが負担が大きかっただろう?
今日は早めに休んでおくといい」
ソニアがヴォルフガングに尋ねる。
「先生、それはどういう魔術なんですか?」
ヴォルフガングが頷いて応える。
「≪魔力同調≫の先に、≪精神同調≫と≪肉体同調≫がある。
さらにその先に、≪根源同調≫という術式があるんだよ。
相手の魂に同調する術式、と言えば伝わるかな?
その術式を反転させて、自分の魂に部分的に同調させるんだ。
そうすることで、自分の魔術的な感覚を相手に与える術式だね。
だが部分的とはいえ、自分の最も脆い部分に同調させることになる。
ミズキの魔力制御技術でなければ、命の危険さえ伴っただろう。
あまり多用はしない方がいい術式なんだ」
アルベルトが心配そうに瑞希の顔を見た。
「そんな危険な術式、『そこそこ疲れる』で済んだのか?
そこまでして特別授業をする必要があったのか?」
瑞希がにへらっと微笑んで応える。
「ヴォルフガングさんも『私でなければ危険』と言ったでしょ?
私の魔力制御なら、命の危険まではないよ。
そんなに心配しなくても大丈夫」
ヴォルフガングが微笑みながら告げる。
「だが、その術式は自分の魂に相手が触れる気持ち悪さを味わい続けるからね。
それが一クラス分ともなれば、精神的な負荷は相当なものだったろう。
それを午後の授業の間ずっとなど、私ならいくら金を積まれようが、国のためだと説かれようが、頷きたくはないね」
アルベルトが愕然となって応える。
「ヴォルフガングが『国のため』と言われても拒絶するほど嫌なものなのか?!
ミズキにそんな様子は一切なかったぞ?!
授業中も、授業が終わった後もいつもと同じミズキだった!」
ヴォルフガングが優しい瞳で瑞希を見つめた。
「それをずっと隠していたのさ。
そうまでして『アルベルトの力になりたい』と頑張ったんだよ」
瑞希が頬を赤らめて目をそらした。
「……別に、そんなつもりじゃなかったし。
ただの、未来に対する投資だよ。
手を汚した時の気持ち悪さに比べたら、あれくらいどうってことないし」
ソニアは青ざめた顔で瑞希を見ていた。
「人を手にかけた時を引き合いに出すとか……
そこまでの気持ち悪さを感じる術式なんですか?!」
アルベルトは呆然と瑞希の横顔を見つめた後、その手を取り、頭を下げた。
「改めて言いたい。
ありがとうミズキ。今日受けた恩を、私は忘れない」
手を取られた瑞希はさらに顔を赤く染め、無言で俯いていた。
ミハエルが嬉しそうにその様子を見ている。
「これはもう、ミズキ姉上と呼ぶべきですよね!」
弾けるように真っ赤な顔を上げて瑞希が叫ぶ。
「だから気が早い!
私は婚姻には頷いてないってば!」
ソニアが嬉しそうに微笑んでミハエルに続く。
「いえ、私たちが早く姉様としてお慕いしたい気持ちなんです。
婚姻がどうなろうと、私はもうミズキ姉様と呼ばせて頂きますわ」
ミハエルが続く。
「それは良い手ですね! では僕もミズキ姉上とお呼びします!」
瑞希が真っ赤な顔で必死に抗議の声を上げる。
「婚姻がどうなろうとって、どういう意味なの?!
それ外堀から埋めるつもり満々って言わない?!
もう私の逃げ道がないじゃない!」
ヴォルフガングが楽しそうに笑った。
「ははは! 王族全員からこれだけ望まれる妃など、今後は出てこないだろう!
ミズキももう、さっさと覚悟を決めてしまう方がいいんじゃないか?
別に婚姻が嫌だとは、これっぽっちも思っていないんだろう?」
「そりゃあ……嫌だとは思って……ないと思うけど」
瑞希が真っ赤な顔で俯いて小さな声を出していた。
手を握ったままだったアルベルトが嬉しそうに微笑んだ。
「では、私との婚姻を頷くつもりはある――そう受け取っても構わないな?
覚悟だけが決まらないと、その理解でいいだろうか」
「……その覚悟を決めるのが大変なんだよ。
王妃なんて私に務まるとは思えないしさ。
王族を産んで育てていくのも自信がないし……」
俯いたまま小声で応える瑞希に、アルベルトが優しく告げる。
「ミズキが至らないところは、必ず私が支えて見せる。
あとはお前らしい妃であれば、それで充分だ。
王族だなどと意識せず、ただ我が子を産み育てるのだと思えばいい。
私とお前の子供であれば、必ず王族として恥ずかしくない子として育つだろう」
瑞希が上目遣いでアルベルトの目を見た。
「……ほんとに? 本当にそう思う?」
アルベルトがゆっくりと、瑞希の目を見つめながら、無言で頷いた。
瑞希が俯いたまま、ゆっくりと告げる。
「……じゃあ、わかった。
そこまで言うなら、頷いてあげても……いいよ?」
一瞬の間を置き、アルベルトが瑞希を抱きしめていた。
瑞希が真っ赤な顔で必死に声を上げる。
「ちょっと?! いきなり抱き着くとか、心の準備ができてないからやめてくれないかな?!
アルベルトは自覚がないだろうけど、もうすっかり魅力的な男性になってるんだよ! 破壊力が高いの!
私の心臓がもたないんだけど?!」
アルベルトは言葉も出ないようで、無言で瑞希を抱きしめていた。
満面の笑みで二人の様子を見ていたソニアが瑞希に告げる。
「姉様、兄様は客観的に見て、それほど大きく変化はしてませんわよ?
その変化は姉様の心の変化。兄様を魅力的な男性と感じるようになっただけですからね?」
ミハエルが慌てて部屋の外に駆け出していく。
「急いで父上と母上にご報告して参ります!」
瑞希も急いでミハエルに声をかける。
「ちょっと?! それどういうこと?! 頭が追い付かないんだけど?!」
ミハエルは瑞希の言葉を無視して、部屋から飛び出して行った。
真っ赤な顔で呆然としたままアルベルトに抱きしめられていた瑞希に、ヴォルフガングが告げる。
「おめでとうミズキ。これで本当の婚約者になったね。
これからのこの国を、君に頼んだよ?」
呆然と抱きしめられている瑞希の元へ、国王と王妃も姿を現した。
「話は聞いたよミズキ。
婚姻に頷いてくれたそうだね。
これからは胸を張って君を娘だと呼べるよ。
ありがとう」
王妃がそれに続く。
「おめでとうミズキ。そしてありがとう。
アルベルトなら、必ずあなたを幸せにしてくれるはずよ。
私の自慢の息子ですもの。そこは安心してもいいのよ?」
その夜は、国王たちを含めて食卓を囲み、祝いの言葉が飛び交っていた。
真っ赤な顔でアルベルトの隣に座る瑞希を見ながら、国王たちは嬉しそうに盃を空けていた。
ミハエルやソニアも遅くまでその場に残り、瑞希に声をかけていた。
とても暖かい空間は、夜遅くまで続いていった。
****
「ではミズキ、おやすみ。また明日の朝会おう」
消灯時間が迫ると、王族たちが続々と部屋から退出していった。
最後にアルベルトが就寝の挨拶を残し、部屋を後にした。
真っ赤な顔のまま、食卓の椅子に腰かける瑞希に、柔らかい微笑みのザビーネが告げる。
「おめでとうございますミズキ様。王子妃となられた後も、私がミズキ様に付く予定になっております。
これからもよろしくお願いいたします」
「ああうん、よろしくねザビーネ……
なんだか、まだ全然実感が湧かないや。
なんでこんなに幸せなんだろう」
「これからじっくり、時間をかけて実感されていくことになると思いますよ。
さぁもう遅いですから、入浴を済ませてしまいましょう。
その後は、夜更かしをせずにおやすみください」
入浴を済ませてベッドに潜り込んだ瑞希は、ぼんやりと今日の夕食の記憶に浸っていた。
元の世界で感じたことがないほど幸福な空間――それが今、自分の手元にあった。
(お父さんやお母さんにも、知らせておきたいなぁ)
だが今の瑞希は姿が違う。
知らせるとしても、声だけで報告する事になるだろう。
そこまで考えて、ふと気が付いていた。
慌てて霧の神の気配を手繰り寄せ、話しかける。
(霧の神! 私の子供の外見ってどうなるの?!)
『おめでとうミズキ。
この世界でのあなたの外見は、その姿だと伝えたでしょう?
子供は当然、その姿を受け継ぐわよ?』
(――そっかぁ。よかった。
いや、ちょっとよくないこともあるか。
お父さんやお母さんに子供を見せても、それじゃあ孫だってわからないよね)
『それは仕方ないわね。
それにあの術式は消耗が激しくて、長い時間は話せないでしょう?
次は魔法で同じ現象を願うと良いわよ。
あなたの術式と同じ現象を魔法で起こしてあげるから。
それなら、長い時間会話をする事もできるわよ?』
(……ねぇ霧の神。
今の私の姿を両親に見せたら、どうなるかなぁ?)
『戸惑うのは間違いないわね。
でもすぐに理解してくれるはずよ。
世界を跨ぐ未来は、私にもよく見えないの。
悪い結果にはならないはずだけど、断言はできないわね』
(この術式や魔法って、何かペナルティとかある?
ほとんど魔法みたいなものなんでしょ?)
『神の領域寸前だけど、あなたの術式ならギリギリセーフってとこね。
悪運が強いと言うかなんというか……それだけ、あなたの魔導のセンスが高いのかしら。
映像と音声で通話しても、なんとか大丈夫よ』
(そっか、じゃあ近いうちに、婚約したことでも伝えてみようかな)
『んー……そうね、それぐらいなら大丈夫みたい。
そろそろ未来の収束が終盤になってきたわ。
もう少しで”世界を救うためにやるべきこと”を伝えてあげられそうよ。
あなたはそれまで、最善を尽くしていてね』
(……それって、シュトルム王国との戦争に勝つ、とかではないの?)
『断言はできないわ。
一つの可能性ではあるけれどね。
だから油断はしちゃだめよ?』
(珍しく、割と詳しい未来まで教えてくれたね。
本当に収束してきたんだなぁって実感が湧くよ)
『世界が滅ぶ残り一割の可能性を潰しきるまで、頑張ってね。
今日はもう寝なさい。疲れてるはずよ』
(はーい)
瑞希は幸福な気分に包まれたまま、夢の扉をノックしていった。




