31.みんなの知らない世界
――六月中旬、魔導学院の教室。
この二か月間は魔力制御を鍛える時間となっていた魔術実習の時間で、ついに魔導術式を使う日がやってきた。
魔導術式を暴走させないよう、念入りに魔力制御を鍛えていた生徒たちが、期待に胸を躍らせる日だ。
だが、一年一組の様子だけは違った。
誰も彼も、興味なさそうに魔導修練場で退屈そうに授業の開始を待っていた。
瑞希は不思議に思い、アルベルトに尋ねる。
「他のクラスの方々は楽しそうにしていらしたみたいなのに、どうして皆様はあれほど退屈そうなのかしら」
アルベルトが苦笑を浮かべて応える。
「ミズキ、自分じゃ気が付けないか?
六月までの二か月間、お前の魔導を見続けてきた生徒だぞ?
今更、学院で習う程度の術式を使えるからって、楽しめるわけが無いだろう?」
クラインも苦笑を浮かべながら続く。
「当然、私たちくらいになると自宅でも講師を付けて魔導術式の勉強を先に開始してしまうの。
でも私たち程度に扱える魔導術式はあまりにも初歩の術式よ。
五月に入ったくらいあたりで、あなたと自分との格差を深く思い知るようになって、完全に自信を失っている生徒が大半なのよ」
イーリスも苦笑を浮かべている。
「特に、今まで魔導科目で高い成績を収めてきた人間ほど自信を失ってしまっていますわね。
本来なら同学年でも最高峰の人材がそろっているクラスですもの。
魔導でも切磋琢磨していける人材が居るはずなのですけれどね」
ゲルトが笑いながら参加してくる。
「なんせ目の前にミズキという、神の如き魔導士が居座ってるからな。
切磋琢磨したくても、次元が違い過ぎて近寄ることも畏れ多い相手だ。
そんなミズキの前で、自分の未熟な魔導術式を披露しなきゃならない恥ずかしさってのもあるんだろう」
コルネリアは暢気そうに周囲の様子を眺めている。
「最初から比べようと思わなければいいだけなんだけど、みんな案外自信家なんだね。
ま、今までエリート街道のトップグループに居た生徒たちだから、プライドを粉々にされて立ち直れなくなってるってところかしらね」
瑞希も周囲の様子を眺めながら思案していた。
「ここに居るのは、後の国家を支えていける人材ばかりですわ。
プライドをへし折られた程度で立ち直れないだなんて、そんな軟弱な事では困ってしまうのですけれど。
――クラインたちは、その辺り問題なさそうですわね。何が違うのかしら」
クラインが応える。
「アルベルト殿下や私は特にミズキと付き合いが長いし、あなたが自分と比べる存在じゃないのはもっと前から思い知らされてきたもの。
イーリスたちは友人関係にあるから、それも影響があるかもしれないわね。
でも多分、今みんなが口にしたことはそれぞれが心に抱えている問題のはずよ。
全く平気なのはコルネリアくらいじゃないかしら。コルネリアはそういうところがタフですものね」
アルベルトが頷いた。
「私やクラインだって、それなりにへこんでいるからな。
それでも己を奮い立たせて研鑽を積んできたが、やはりミズキの前で術式を披露するのに、どこか恥ずかしい気持ちがあるのを否めない。
気が乗らない彼らの気持ちは理解できてしまうよ」
瑞希が納得して頷いていた。
「それで魔力制御の実習の時も、皆様投げやりだったんですわね。
この場に居る五人は真面目でしたけれど、他の同級生たちはいい加減に課題をこなす方ばかりで不思議だったんです。
ちょっとこれは、お灸をすえる必要がありますわね」
アルベルトが困惑して眉をひそめた。
「ん? なんだ? よく聞き取れなかったな。
何をすると言ったんだ?」
「ええと、『そんな態度で良いと思っているのか』と、きつく戒めるということですわ。
自分より実力が上の人間が傍に居る時に苦しくなる気持ちは、私にもよく理解できます。
けれどエリートの上澄みである皆様がそのような有様では、この国の先行きが暗くなりますわ。
立太子が約束されている第二王子の婚約者として、捨て置ける状態ではありませんもの」
アルベルトがさらに困惑して瑞希に尋ねる。
「だから、お前は何をするつもりなんだ?」
瑞希が柔らかく微笑んで応える。
「マウリッツ先生には申し訳なく思いますが、授業ジャックを致します。
私が直々に皆様を指導いたしますわ」
クラインが頬をひきつらせた。
「ミズキが……代理教師を務めるということかしら。
それは私たちが理解できて、付いていける授業になるんでしょうね?」
瑞希がにっこりと微笑んだ。
「ご安心ください。『分からせます』ので、何の問題もございませんわ」
不安を隠し切れない五人が、瑞希の笑顔を見つめていた。
****
ベルが鳴り、授業開始の時刻となった。
整列する生徒たちの前に立つ魔導担当のマウリッツも、生徒たちのやる気のなさに頭を抱えているようだった。
「あー、みんな。みんなの気持ちは理解はできるが、今は気持ちを入れ替えて授業に専念してもらいたい」
教師の言葉も届かない空気が漂う中、瑞希は生徒の列から離れマウリッツの前に進んだ。
「マウリッツ先生、今日この時間は、私が先生の代理を務めます。
ついでに先生にも授業を受けてもらいますので、生徒の列にお並び下さい」
「え?! それは困るよ!!
私には生徒たちの監督義務もある! そんなことが学校にばれたら、下手したら退職処分だ!」
瑞希が厳しい顔で叫んだ。
「いいから並んで! マウリッツ先生程度の魔導の腕じゃ、この場に居る生徒たちを立ち直らせることなんてできないの!
それとも私と魔導の腕を競う気概が先生にある?!
問題があったらアルベルトがなんとかするから、今は忘れなさい!」
身を縮めたマウリッツが、怯えた顔で瑞希の顔を見た。
自分とは比べるべきではない遥かな高みに居る魔導士の言葉に、逆らう気概をマウリッツは持っていなかった。
そのまますごすごと本来、瑞希が立つ場所へ並んでいた。
瑞希が一同を見渡す。
「今日は魔術の基本属性、火、風、土、水の四種類の初級魔術を一つずつ教えるよ。
この場にその術式を使えない生徒は――いないみたいだね。
自習はしていたという事だから、そこは評価してあげる。
でも自分が身に着けたと思っている術式がどれだけ間違っていたか、身をもって思い知ってもらうよ」
瑞希がその場に居る全員と魔力同調を行い、即興魔術を発動させた。
全員が自分の感覚が突然変わったことに驚き、騒然となっていた。
瑞希が叫ぶ。
「静かにしなさい!
――みんなの魔力感知精度を、強制的に私と同じ水準まで高めただけ。
その感覚で、これから私が使う術式をしっかりと見届けなさい!」
瑞希が手のひらを上にして前に出す――その手に、マウリッツや生徒たちの視線が集中した。
それを確認した瑞希が、手のひらに火を生み出した。
それを見ていた全員が目を見開き、驚きを隠しきれずに居た。
「――理解した?
あなたたちが『初級の火の術式』だと思っていたものが、どれほど歪で間違った術式だったのか。
そしてそれがどれだけ魔導術式と呼ぶには烏滸がましい代物だったのか、エリート中のエリートであるあなたたちなら理解できたはず。
初歩の術式一つとっても、私とあなたたちではこれだけの違いを出せるの。
今まで魔力制御の授業を怠けていた生徒たちほど、己の未熟さを痛感したはずだよ。
――続けていくよ」
続いて水や風、土の初級術式を見せた瑞希が、呆然とするマウリッツと生徒たちに改めて告げる。
「私の魔術は決して完成されたものじゃない。
これでもまだ未熟だと私は思ってる。
それでも完成形に限りなく近い初級術式だという自負もある。
あなたたちが目指すのは、このレベルだよ。
この時間、あなたたちの魔力感知精度は維持してあげる。
自分の魔力制御の乱暴さを自覚しながら、初級の術式に打ち込みなさい!」
瑞希は「まず、自分が得意とする属性で試しなさい」と告げ、生徒たちが術式を使っていくのを俯瞰していた。
どうしたらいいのか戸惑うマウリッツを瑞希が叱りつける。
「マウリッツ先生! 己の未熟を痛感したなら、今この場は生徒の一人となって術式に打ち込みなさい!」
瑞希が生徒の列の間を歩きながら、魔力制御に苦戦する生徒たちに口頭で指示をしていく。
クラインの前に行くと、クラインも必死に魔力を制御しようと、顔に玉のような汗を浮かべていた。
「クライン。以前、『目を覆いたくなるほど乱暴』と言われた意味を、理解したかな?」
クラインが苦笑を浮かべながら応える。
「悔しいけれど、確かにあまりにも乱暴だったわね。
あの時とは別の意味で、全く言い返せない気分よ。
でもこの時間で、追い付ける限りは追いついてみせるわ!」
イーリスの前に行くと、やはり玉のような汗を額に浮かべて魔力制御に苦戦していた。
「どう? イーリス。私が見ている世界を垣間見れて、楽しんでる?」
「ええ、とっても楽しいですわ。
これが魔導の深奥なのね。
初級術式一つでもこれほどの違いがあるだなんて、知りませんでしたわ」
アルベルトやゲルト、コルネリアも、真剣に魔力制御に打ち込み、術式を繰り返していた。
中休みを知らせるベルが鳴り、瑞希が声を上げる。
「ひとまず休憩だよ! 感覚は維持しておいてあげるけど、魔力が尽きないように必ず休憩をとりなさい!」
瑞希がマウリッツの元へ行き、感想を求めた。
「どう? マウリッツ先生。楽しめてる?」
マウリッツは苦笑を浮かべて応える。
「これがミズキの見ている世界なんだね。
こんなに魔力を感じ取る精度が違うんじゃ、使える魔導の次元が違うのも頷ける。
今なら、自分の体の中に流れる魔力の流れも手に取るようにわかるよ。
あまりの情報量で頭がパンクしそうだ」
瑞希が微笑んで応える。
「私も、魔力を初めて知った瞬間には驚いたよ。
すぐに慣れたけど、普通の人がそれに慣れるのは難しいだろうね。
でも魔力の存在感や圧力、熱に至るまでを感じとれて、魔力がどういう物か再認識したんじゃない?
休憩時間中はその感覚を楽しんでおくといいよ」
アルベルトやクラインたちが腰を下ろし休憩しているところへ、瑞希も腰を下ろした。
クラインが瑞希に尋ねる。
「それで、この魔術はなんなの?
なにをどうしたらあなたの感覚を私たちに与えられるの?」
「魔力同調を『ちょっと』応用しただけだよ。
術理を説明してあげてもいいけど、ヴォルフガングさんが居ないんじゃ理解できないと思うし、今は初級術式一本に専念してもらいたいから教えない。
初級の術式一つに苦戦するのは、術理の理解が浅いからなのもあるんだ。
『火を生み出す』という術理の意味を、多分この世界の人はうまく理解できないと思う。
それでも、そこを理解できるかどうかで、術式の完成度は飛躍的に上がるんだよ。
ヴォルフガングさんにはできていたことだから、みんなにだって理解できることのはずだよ」
アルベルトが感慨深そうに告げる。
「ヴォルフガングがミズキの初級魔術を見て『理解の解像度が並の人間の比ではない』と言ったのは、そういう意味か。
おそらくお前の初級術式は、その時点で今の水準と大差ないものだったんだろうな。
魔力を覚えてすぐの人間がそこまで術理を深く理解していれば、神がかり的な才能と言いたくなるのも分かると言うものだ」
瑞希が人差し指を立てて見せた。
「初級魔術の術理を正しく理解していれば、こんな応用もできるよ」
瑞希の指先に氷の炎が生まれ、ゆらゆらと揺らめいていた。
五人が呆然と氷の炎を見守っている。
イーリスがおずおずと瑞希に尋ねる。
「これは……どういう魔術ですの?」
「同じ火の初級魔術だよ。術式自体は一切変えてないんだ。
ちょっとしたお遊びだけど、おもしろいでしょ?」
クラインが戸惑いながら尋ねる。
「術式が一緒なのに結果が違うだなんて、どういう理屈なの?!」
「魔力制御をしているだけだよ。
今の感覚なら理解できるだろうけど、魔力の流れを反転させているんだ。
どうしてそれで氷の炎になるのかは、術理を正しく理解した時に自ずとわかるよ。
こういうのが私やヴォルフガングさんが言う『ちょっとした』応用の一例だよ。
この域まで術理を理解できていない人には、何が起こってるか分からないんだろうね」
氷の火を消した瑞希が、疲れたように息をついた。
アルベルトが心配そうな顔で瑞希に尋ねる。
「一クラスの人間全員と魔力同調しての即興魔術だろう?
お前の魔力は大丈夫なのか?」
「さすがに、そこそこ疲れるかな。
でも魔力が尽きるようなほどでもないから大丈夫だよ。
歳末夜会に比べたら、全然大した事のない魔術だし」
中休みの終了を告げるベルが鳴り響いた。
「――さぁ、残りの時間も頑張っていってみようか!」
授業終了を知らせるベルが鳴り響いた。
それと同時に瑞希は感覚同調の即興魔術を解除し、全員の感覚が元に戻った。
それを惜しむようにマウリッツや生徒たちから声が上がった。
瑞希が手を叩いて声を上げる。
「はいはい、仕方ないでしょ!
ずっと維持できる術式じゃないんだから。
でも今日の感覚は忘れず、魔力制御と術理の理解に励んで!
腐ってる暇があったら研鑽しなさい!
これは今日だけの特別授業、今度からは自力で同じように研鑽をしてね。
でも、全く何も知らないよりも一歩先の研鑽ができるはず。
ここにいる人たちは元々能力が高い人たちなんだから、やればできるよ!
――以上!」




