29.借り
――朝の食卓。
和やかな雰囲気の朝食の席で、ソニアが楽しそうに告げる。
「噂ではミズキさんの経歴、訳がわからないことになってますわね」
もちろん、ソニアも情報戦に参加する一人だ。
瑞希の身近にいるソニアからもたらされる怪情報、それにさらに尾ひれがつき、瑞希の姿を正しく把握している外部の人間は皆無と言えた。
ミハエルも楽しそうに告げる。
「僕の周囲でも、意味不明な噂ばかりが出回って、面白いことになってましたよ!」
ミハエルは嘘をつくのが苦手なので、基本的に情報収集に徹していた。
まだ十歳のミハエルには、瑞希の使う魔導は理解が難しく、彼から情報が出てこなくても怪しまれることはない。
アルベルトが頷いた。
「実際にミズキの活躍を目にした者の話も、かなり歪んで出回っているようだな。
王都の密偵は全て潰しているし、社交界は怪情報ばかりだ。
機は熟したとみていいだろう」
ヴォルフガングが人の良い笑みを浮かべながら告げる。
「国王陛下も出兵準備に取り掛かっている。
早ければ三か月後には出兵となるだろう。
大規模な戦争となるが、覚悟はできているかい? ミズキ」
瑞希が不敵な笑みで頷いた。
「世界を救うチャンスに怖気づく心は、あの日に置いてきたよ。
私はいつでも大丈夫!」
ヴォルフガングが満足そうに頷いた。
「それなら安心だ。
我々は出兵まで、油断せずに情報戦を続けていく事になる。
慢心はしないようにね」
****
――夜のベッド。
恒例の『霧の神との対策会議』の時間だ。
瑞希は真っ暗な部屋で霧の神の気配を手繰り寄せ、彼女に話しかける。
(霧の神、今言えることを教えて)
『……気を付けて。あなたの身近な人に脅威が迫ってる』
瑞希が大きくため息をついた。
(……とうとう、恐れていた言葉が飛び出たね。
それで? 今一番可能性が高いのは誰?)
『……ミハエルが最も可能性が高いけど、ソニアも狙われているわ』
(二人のどちらかが狙われてる訳ね。
こんな時期に二人が狙われる理由が思いつかない。
敵の狙いは何?)
『あなたの情報を引き出す事よ。
これ以上は、未来が揺らいでしまうから言えないの。
でもかなり未来は収束してきている。
なんとか人間の力で乗り越えて。』
(わかったよ。今のところ、世界が滅ぶ確率はどのくらい?)
『三割ってところね。
七割の確率で世界は救われることになる。
滅びが確定した世界で、よくここまでもってきたわね』
(滅びの確率が三割もあるんじゃ、全く油断はできないよ。
襲われる時期も、言えないの?)
『近い時期、としかわからない。
そこは揺らぎが大きいわ。
見極めるのは無理だと思って』
(わかった。なんとか対策を練ってみるよ。ありがとう)
霧の神の気配を手放し、ミズキは大きく息を吐いた。
(――絶対に守って見せる!)
固い決意を胸に、瑞希の意識は闇の底に沈んでいった。
****
――魔導学院、朝の教室。
六月に入り、魔導科目の時間に瑞希が一人自習する姿も、すっかり板に付いてきた。
図書室の目ぼしい魔導書も読み終わり、今は教養科目を自習するようになっていた。
『ミズキ』
突如、瑞希の脳内にヴォルフガングの声が響き渡った――≪念話≫の術式だ。
自習の手を止め、ミズキが≪映像通話≫の術式でヴォルフガングとの回線を開く。
前もって話し合っていた合図だった。
瑞希が画面の向こうに映ったヴォルフガングに尋ねる。
「どうしたの? ヴォルフガングさん」
『アルベルト殿下と共に、急いで王宮に戻ってきてくれ。信頼できる者も、できれば連れてきて欲しい』
瑞希は真剣な顔で頷いて応える。
「わかった、急いで戻るよ」
瑞希が≪映像通話≫の回線を閉じて立ち上がると同時に、アルベルトも立ち上がった。
アルベルトが教壇で驚いている教師に告げる。
「マウリッツ、聞いていただろうが私たちは王宮に戻る。
――クライン、ゲルト、イーリス、コルネリア。お前たちも一緒に来てくれ」
四人が頷き、立ち上がった。
六人は教室から駆け出し、急いで馬車に向かっていった。
王宮に向かう馬車の中で、ミズキが再びヴォルフガングとの≪映像通話≫の回線を開く。
「詳しい状況を教えて」
『ミハエル殿下の依り代が燃え尽きた。ソニア殿下の依り代は無事だ』
危険を察知する、ヴォルフガングの類感魔術だ。
「二人は学校に居る時間でしょう?
危険が迫る時間じゃないはず。
朝も二人に死の気配はなかったよ」
『命を奪うつもりがないのだろう。
身柄を拘束し、助けに来たミズキの力を見定めるのが目的なのだと思う。
急いで兵を二人の元へ向かわせているが、恐らく間に合うまい。
これ以上は戻ってきてから、対応策を話し合おう』
「わかった、後でね」
画面を消した瑞希に、ゲルトが尋ねる。
「前から話してた件か。
つまりミハエル殿下が誘拐されたってことになるのか?」
瑞希が頷いた。
「そういうことだと思う」
アルベルトが瑞希に告げる。
「いいか、敵の目的はミズキの力を推し量る事だ。
決戦を前に、わずかでもミズキの力を見せるわけにはいかない。
お前は裏方に徹し、姿を隠し続けるんだ」
「わかってるよ――クラインやゲルトたちにも、今回は大きく動いてもらう事になるかもしれない。
アルベルトを助けてあげて」
クラインたち四人が力強く頷いた。
続けて瑞希が≪現在視≫でミハエルの姿を映す――つもりだったが、映像が映らなかった。
手のひらの上で燃える火の画面は、真っ暗なままだ。
「……ご丁寧に、魔術結界で取り囲んでる訳ね。
私が魔導に長けてるってのは、噂話でも共通してる。
そこは油断してはくれないか」
イーリスが意外そうに瑞希に尋ねる。
「ミズキの魔導でも、その結界を突破できないの?」
「……ちょっとやってみようか。
アルベルトの持つ、血の因果を辿ってみる。
兄弟だから、追えるかもしれない」
しばらく瑞希がいくつかの術式を試していると、手のひらの火の画面に、ミハエルの姿が映し出された。
ぐったりとしていて、何か特殊な拘束具で身体の自由を奪われているようだ。
暗い場所で、どこかに運び去られている最中のように思えた。おそらく荷馬車の中だろう。
「――追えた。
あの拘束具が強力な魔術結界だね。
死の気配もしないから、命の心配は要らないと思う。
あとは、どれだけ私の情報を渡さずにミハエルを奪還するかってとこかな」
コルネリアが考え込んだ。
「……あまりに迅速に助け出しちゃうと、それだけミズキの魔導が凄いって伝わるわね。
ミハエル殿下には悪いけど、少し様子を見た方がいいんじゃないかしら」
クラインが頷いた。
「命の危険がないなら、わざと手間取るしかないわね。
――ねぇミズキ、この状況で敵に気付かれずに、どこまでミハエル殿下をフォローできるのかしら」
瑞希が画面を見つめながら応える。
「……魔術結界が邪魔をするから、ほとんどの術式は通用しないね。
敵に気付かれずに結界を無効化できるかな……
いや、さすがに無理か。
無効化すれば、傍に居る敵の術者に気付かれる。
ヴォルフガングさんの知恵を借りた方が良さそうだね」
アルベルトが頷いた。
「ミズキはしばらく、ミハエルの様子を見張っていてくれ。
それ以上はヴォルフガングを交えよう」
瑞希は頷いた後、画面を注視していた。
周囲の仲間たちも不安気な面持ちで、そんな瑞希を見つめていた。
****
王宮に戻った瑞希たちは、すぐに会議室に呼び出された。
室内には国王とヴォルフガング、近衛騎士団長の姿がある。
扉が閉まると、ヴォルフガングが瑞希たちに告げる。
「よく戻って来てくれた。まずは座ってくれ」
瑞希たち六人が着席すると、国王が口を開く。
「今回の敵の目的はミズキの力を推し量る事で間違いない。
可能な限り、ミズキ以外の者の力で事態を解決してみせねばならない。
――ミズキ、君が現在把握している情報を教えてくれ」
瑞希が全員の前に大きな火の画面を作り出し、そこにミハエルの姿を映した。
「見ての通り、拘束具が強力な魔術結界になってる。
術者は近くに居るみたい。
死の気配はないから、命の心配は要らないはず。
今は移動中だけど、地図があれば位置を示すことはできるよ」
続いてソニアの姿も映し出した。
ソニアは馬車の中で不安気な表情を隠し切れないようだ。
「……ソニアは無事だね。
王宮に戻ってくる最中みたい」
ヴォルフガングが瑞希に王都の地図を手渡した。
すぐにその地図に小さな灯が灯る。
瑞希が地図を見つめながら告げる。
「街道を移動中、か。
この方角だと、王都の外に行くつもりはないみたいだね」
ヴォルフガングが瑞希たちに告げる。
「わかっていると思うが、傍目には我々が独力でミハエル殿下を救い出した形に持ち込まねばならない。
難易度の高いミッションだが、ミズキの協力があれば不可能ではないだろう。
――ミズキ、この魔術結界を無効化はできるかね?」
「できるけど、術者には気づかれるよ?」
ヴォルフガングが俯いてしばらく思案を巡らせた。
「……では、この魔術結界を潜り抜けることは可能かな?」
「無理ではないけど、それで出来る事は限られるよ?
≪念話≫の術式を通すとか、そのぐらいに留まると思う」
ヴォルフガングが頷いた。
「では、ミハエル殿下の心身が危うくなったらそれでフォローをしてくれ。
敵の位置がわかっているのであれば、ミズキは見当違いの方角をわざと捜索することにしよう。
その間に、他の者で救出作戦を敢行する。
――王宮付近に、どれだけ密偵が潜んでいたか、把握しているかね?」
瑞希が頷いた。
「周辺に八人、少し離れて十五人。王宮の様子を伺っているね」
国王が頷いた。
「ではチームを分けよう。
アルベルトやミズキたちは二手に分かれ、騎士を連れて街を捜索してくれ。
今日はお前たちの捜索する姿を見せるだけに留める。
ミズキはこの地図の術式を維持したまま捜索して欲しいが、できるか?」
瑞希が頷いた。
「そのくらいは大丈夫。任せといて」
国王が頷き返した。
「我々は敵の潜伏先がわかり次第、救出作戦を練る。
君たちはすぐに捜索に動いてくれ」
アルベルトが告げる。
「私とクライン、コルネリアをAチームに、ミズキとイーリス、ゲルトでBチームとする。
――では動こう!」
AチームとBチームが別々の馬車に乗りこみ、騎兵を従え街を捜索に回った。
瑞希は馬車の中で、ミハエルの姿を映しながら思案を巡らせていた。
イーリスがそんなミズキの肩にそっと手を乗せて告げる。
「大丈夫。そんなにピリピリしないで。
今回の私たちは囮だけど、必死に捜索している風を装えばいいだけ。
本当にそんなにピリピリしていたら、あなたがもたないわ」
ゲルトが頷いた。
「死の気配はしないんだろう?
大丈夫! Aチームや陛下たちを信頼しよう!
ミハエル殿下だって、幼くとも王子だ。
そんな軟な鍛えられ方はしちゃいないさ!」
瑞希の目から力が抜け、大きく息を吐いた。
≪現在視≫の画面を消し、二人に微笑みを返す。
「ありがと。そうだね、多分これは長期戦になる。
今からこんなんじゃ、疲れちゃうよね」
瑞希は馬車の外に目を向ける――時刻はまだ昼前だ。
(この借り、必ず返してやる)
敵への報復を決意し、瑞希を乗せた馬車は街を疾走していった。
瑞希たちは、日が暮れる頃に王宮の会議室に戻ってきた。
国王たちは引き続き、地図を睨みながら話し合っていた。
「ただいまー、今はどんな感じかな?」
ヴォルフガングが瑞希に振り向いて応える。
「王都には警戒網を敷いている。これでもう、敵は王都から外に出ることはできなくなった。
敵の潜伏先はわかったが、やはりすぐに救出するわけにはいくまい。
兵士たちには情報収集に当たらせている。
経路がわかっているおかげで、有力な目撃情報が既にある。
おそらく一週間以内には潜伏先まで辿り着けるはずだ。
君は明日も引き続き、見当違いの区域を側索して欲しい。
――密偵の様子はどうだね?」
「ほとんどの密偵が私を追いかけてたね。
残りはアルベルトの方を追いかけてるみたい。
騎士団や兵士までは多分、手が回らないはずだよ」
国王が頷いた。
「予想通りだな。
――マルクス騎士団長、今回はおそらくお前の双肩にかかっている。
必ずミハエルを取り戻してみせよ!」
近衛騎士団長が騎士の礼で応える。
「はっ! 命に代えましても!」
瑞希はそれを見届けると、「じゃあ私は部屋に戻るね」と伝え、客間に引き上げて行った。




