28.情報戦
魔導科目担当のマウリッツ・ベルツォーニが、困った顔で瑞希を見つめていた。
「あー、ミズキ。すまないが授業中は魔導術式の教科書を広げていてくれないかな……」
瑞希は図書室から借りてきた魔導書に目を落としながら応える。
「申し訳ありませんが、その必要性を感じられないのでお断りさせて頂きますわね。
私の事はお気になさらず、授業を進め下さって結構でしてよ?」
「じゃあせめて、魔導書を読みながら術式を試し撃ちするのはやめてもらえないかな……」
「それはなぜかしら?
きちんと≪隔離≫の魔術結界で外部に魔術が漏れないようにしておりますわ。
誰一人、怪我一つなさっておられません。
そこには何の問題もないと思うのですけれど、何か間違っていたかしら?」
「その術式、≪隔離≫の術式っていうのかい? 見たことも聞いたこともない魔導術式なんだけど……」
「……先日、新しく開発した魔導術式ですわ」
瑞希は『即興魔術』と告げるのは避けた。
「へぇ、どういう術理なんだい?」
「見ての通りでしてよ?
魔術結界を境に因果を断ち切る術式ですの。
この魔術結界を超えて力を加えることは、神でもなければ不可能ですわ。
呼吸などに支障が出ないよう、術者の意志で通過する力を選べますの」
言葉を聞き取れなかったのか、マウリッツが困ったように眉をひそめた。
「……え? なんだって? もう一度言ってくれないか?」
瑞希がため息をついて手のひらの上に火の画面を出した。
「ヴォルフガング様、通訳をお願いしたいのですけれど、お時間をいただいてもよろしいかしら? ――」
様々な魔術理論を用いてヴォルフガングが仮説を立て、『目の前で術式が成立しているのだから、おそらくこの様な術理のはずだ』と説明をしていた。
ヴォルフガングにもマウリッツにも、この仮説が瑞希の使っている術式を発動する術理なのかは、技術が足りず証明する事はできないようだ。
彼らにとって『因果を断ち切る術式』など、魔法と変わらないのだろう。
大きく間違えている説でもなかったので、瑞希は黙って仮説を聞き流していた。
「ありがとうございました、ヴォルフガング様」
火の画面を消した瑞希が、再び魔導書に目を落として読み進めていく。
「マウリッツ先生は、ご納得いただけまして?」
「――ああうん、なんとかね。少なくとも、ヴォルフガング様が仮説を使う程度には難しい術理ってことだね……」
瑞希が小さくため息をついた。
「なぜ仮説が必要なのかしら。
途中の魔術理論も無駄ですわ。
なぜシンプルな術理を迂遠に説明なさったのか、こちらこそ理解が難しいですわね。
――それより、授業が止まってらしてよ?
私の事はお気になさらず、授業をお進めになられて?」
ヴォルフガングは、瑞希が告げるシンプルな暴論を、現実的な仮説にまで落とし込んだだけだ。
だが瑞希はそれを『無駄』と切って捨てていた。
暴論そのものの術理を術式として成立させられる瑞希だからこそ出来る言動だ。
瑞希のおおよそを理解し始めたマウリッツの表情が硬い。
目の前に居るのは、ヴォルフガングを遥かにしのぐ大魔導士なのだ。
「……ところで、ヴォルフガング様と会話した術式は、なんて術式なんだい?
あれも見たことがない術式だね」
「――名前はまだ付けておりませんの。因果を逆転して双方向に会話する術式ですわ。
そうですわね……≪映像通話≫の術式、とでも呼んでくださいませ」
「……わかった、授業を続けよう」
疲れ切ったマウリッツが、授業を再開した。
同じように、エリートの自信を砕かれた生徒たちも、疲れ切った顔で授業を受けていた。
――この教室に居るのは入試の成績上位者、その上澄み。
だがこの中に、瑞希の告げる魔術理論を理解できた者は、一人も居なかったのだから。
****
――午前の中休みになった。
「一昨日の『極力ミズキの能力を隠す手伝いをして欲しい』とか言ってたのはなんだったんだよ?!
昨日は大人しかったのに、今日はどうしたんだよ?!」
ゲルトがアルベルトの前で叫んでいた。
初日の瑞希は周囲の期待に反して、ひっそりと地味に、淡々と魔導科目の授業を受ける生徒だった。
それが二日目になった途端、朝からさっきの全開振りだ。
クライン、イーリス、コルネリアも困惑していた。
「ねぇミズキ、あなたが考えもなくこんなことをする訳が無いわよね?
どういうことなの?」
瑞希は柔らかく微笑んで応える。
「昨日、とても大きなネズミが罠にかかりましたの。
それで事情が変わったのですわ。
もう私の魔導の腕を隠さなくてもいい――むしろ、より荒唐無稽になるように面白おかしく、虚実取り交ぜて噂を蒔いていただけませんこと?」
コルネリアが瑞希に尋ねる。
「結局、どういうことなのか、教えてはもらえないの?」
「放課後、サロンでお伝えします。この場ではご容赦くださいませ」
イーリスが静かに教室内に目を走らせた。
「……この教室の空気はどうするのかしら。
皆様、既に面白おかしく噂話を流し始めてらっしゃるし、より一層ミズキが珍獣扱いされますわよ?」
瑞希が冷静に応える。
「今は噂話に利用させていただきますわ。
それに、そのうち飽きるんじゃありませんか?
一か月もする頃には、私など埋没してしまうと思っていますけれど」
アルベルトが苦笑を浮かべた。
「いやぁ、それはないかなぁ……
これだけ強烈な個性、一か月経とうがインパクトは変わらないだろう。
だが、授業を全く聞かずに居て構わないのか?
体系的な知識を身に着ける機会だろう?」
瑞希が小首を傾げる。
「授業は聞いておりますけど?
教科書は広げていませんが、全て目は通しておりますし。
学院のカリキュラムはきちんと消化しておりますよ?
ですがそれだけでは暇ですので、並行して魔導書を読み解きながら知識を仕入れているだけです」
ゲルトがげんなりとして応える。
「お前、よくそれで頭がパンクしないな」
瑞希が微笑んで応える。
「ガイザー先生の講義に比べたら、この程度は大した負荷ではありませんわ」
クラインが首を横に振った。
「いくらガイザー先生の講義だからって、そこまでの負荷はないわよ?
……ミズキ、あなたの講義風景を少し見せてもらえる?」
「構いませんけれど……」
瑞希が手のひらに広げた火の画面に、ガイザー先生の講義を受ける瑞希の姿が映し出された。
そして全員の顔が歪んだ。
ゲルトが叫ぶ。
「なんだこのアホみたいな速度の講義は! ミズキお前、こんなものを受けてたのか?!」
瑞希は静かに頷いた。
「見ての通り、受けていましたわよ?
……クラインはガイザー先生の講義をご経験してますわよね?
なぜ驚いてらっしゃるのかしら」
「私の知ってるガイザー先生の講義より速いわよ……
倍速に近い速度で進めてるんじゃないかしら。
ああ、でもそうか。
三年間の教養科目を全て押さえるなら、どうしたって詰め込まざるを得ないですものね。
この講義に比べたら、授業と並行して魔導書を読むくらい、大した負荷じゃないわね」
コルネリアもぽつりと零す。
「これに耐え切るんだもの、そりゃあ満点くらい取れるわよね……」
イーリスがニコリと微笑んで瑞希に尋ねる。
「ちなみにこの術式も、ミズキさんのオリジナルかしら?」
「これは≪過去視≫ですわ。
祖父が私の世界で使った術式を、見様見真似で再現したものですの。
ですからオリジナルという訳ではありませんわね。
おそらく霧上家に代々伝わっていた術式ですわ。
それを、ヴォルフガング様の助言でアレンジしたものですの」
ゲルトが唖然と呟く。
「魔導術式って、見様見真似で再現できるものなんだな……初めて知ったよ」
瑞希が意外に思って反応する。
「あら、ヴォルフガング様だって私の≪過去視≫を見様見真似で再現してみせましたわよ?
その上に即興でアレンジまでされてましたし、そんなに難しい技術じゃありませんわ」
クラインが疲れたような笑みで告げる。
「ミズキ、あなたは忘れてるでしょうけれど、ヴォルフガング様も国内最高峰の魔導士の一人なのよ?
特に、あの方の魔導技術に比肩する魔導士は、国内には居ないの。
他の人間に同じことはできないんじゃないかしら」
瑞希が小首を傾げた。
「きっとそれは、魔導士の皆様方の頭が固いせいですわよ。
もっと柔軟に考えてしまえば、もっと多くの方が使えると思いますわよ?
なんとなく、クラインやイーリス様であれば、そのうちできるようになる気がしますわ」
イーリスが苦笑を浮かべた。
「ミズキにそう言ってもらえると、少しはエリートの自信が回復しますわね」
午前の中休みを終えるベルの音が鳴り響き、アルベルトが手を打ち鳴らした。
「さぁ、次は教養科目だ。
ミズキもさすがに今度は真面目に授業を受けることになるはずだ。
真面目に勉強することにしよう」
****
――放課後のサロン。
瑞希たちは腰を下ろして紅茶を飲んでいた。
ゲルトが瑞希に尋ねる。
「さぁ約束だ。昨日何が起こったのか、きちんと話してもらおうか」
瑞希が頷いた。
「昨日捕らえた密偵の中に、大物が居たんだよ。
ヴォルフガングさんが取り調べようとしてたんだけど、それじゃ心配だったから、私が代わりに取り調べを引き受けたんだ。
おかげで、シュトルム王国の機密情報をかなりの所まで聞き出せたよ。
それを踏まえて、アルベルトや国王陛下、ヴォルフガングさんと相談して、情報戦で攻勢をかけようって話になったんだ。
つまり、『私に関する情報で攪乱する』って話だね」
アルベルトが頷いて瑞希に続いた。
「情報戦で攪乱した後、機を見て我が国からの出兵も陛下は考えてらっしゃるようだ。
敵は今、魔導兵器を迂闊に使えない状況に陥っている。
真正面から戦力をぶつければ、我が国が圧倒的有利だ。
そこにミズキが加われば、短時間なら敵の魔導兵器にも耐えることが出来るという話だ。
正体不明であるミズキの戦力を、敵は推し量れないままだろう。
このプランは霧の神も反対をしなかったそうだから、事が巧く運べば世界を救う事に繋がる可能性もある」
コルネリアが頬をひきつらせた。
「神様と話が出来るって、今そう言ったの?」
瑞希が微笑んで頷いた。
「私はいつでも霧の神と会話が出来るんだよ。
古き神々の叡智を狙う勢力が居る前では、迂闊に使える手じゃないけどね。
毎晩、霧の神と相談しながら今後のプランを考えてるよ」
アルベルトが神妙な顔で告げる。
「みんなには、その情報戦で攪乱するのを手伝ってもらいたい。
ミズキに関する噂を大量にばらまき、真偽不明の情報で溢れさせるんだ。
既に好き勝手な噂が出回っているが、それをさらに拡大させていく――そんな方針になる」
クラインが納得した様に頷いた。
「それであんな授業態度になったのね。
あなたの力の片鱗が噂に乗って、さらに尾ひれがついて行くはず。
私たちはそこに偽情報を紛れ込ませていけばいい訳ね」
イーリスが優しく微笑んで頷いた。
「私たちのコネクションは狭いけれど、確かなものばかり。
その先できっと拡散されて行きますわ。
やるだけやってみましょうか」
全員が同意する様に頷き、立ち上がってサロンを後にした。
****
――シュトルム王国、グライツラー侯爵邸。
グライツラー侯爵は書斎で、苛立ちながら報告書を読み上げていた。
時間をかけて潜り込ませていた密偵の拠点、その全てが潰され、新たな情報を得ようと密偵を送り込んでも誰一人として帰ってこない。
『この状況を何とかしろ』と厳命を出せば、ついに腹心の部下が隣国に行ったまま、消息を絶った。
隣国の手に落ちたのだとしたら、由々しき事態だった。
こちらは何も情報を得られないまま、敵にこちらの機密が渡った可能性があった。
「チッ! 何者なんだ、この『ミズキ』という異世界人を名乗る女は!」
グライツラー侯爵は床に報告書を叩きつけ叫んだ。
社交界を経由して聞こえてくるものに、目新しい情報が特にない。
元々の『異世界人』という素性も相まって、法螺話と信頼できる情報の見分けがまるでつかなかった。
魔力操作を修得したばかりの十五歳の少女が、その翌日には近隣諸国最高峰の一人とも言える魔導士、ヴォルフガングを凌駕したなど、話を盛るにしても大袈裟が過ぎるというものだ。
だが『異世界人ならそれくらいできてもいいだろう』と思われているのか、似たような逸話はちらほらと混ざっていた。
他の情報と辻褄が合わないものも多く、信用できる情報は皆無と言えた――要するに『何もわかっていない』という状態が続いていた。
「なんとかしなければ……っ!」
このままでは、シュトルム国王の不興を買うのは間違いがなかった。
焦りを隠しながら、グライツラー侯爵は必死に頭を巡らせていった。




