22.優しい香り
年が明けたシュトルム王国の王宮――軍議室。
「――報告は以上か? つまり未だ、完成のめどが立たんという言い分で構わんな?」
国王の言葉に、並み居る重鎮たちの顔は蒼褪めていた。
隣国ドライセンを蹂躙するために用いた魔導兵器――使用した結果が味方の壊滅だった。
敵軍以上の損害を出し、『このままでは、危険過ぎてとても使い物にならない』というのが重鎮たちの出した答えだ。
どれだけ調査しても『どこが悪いのかわからない』という結果しか導き出せなかった。
ドライセン王国は近隣でも群を抜いた強国、まともに戦えば勝ち目は薄い。
古代魔導兵器の力を借りる必要があるが、使用者を含めて敵を殺す兵器などというものを使いたがる兵は当然いない。
国王が苛立ちを込めてため息をついた後、再び口を開く。
「それで、試作型魔導兵器の方はどうなっている? 『ドライセン国王の寿命が間もなく尽きる』と聞いてから、だいぶ時間が経つが」
重鎮の一人がためらいながら応える。
「密偵からの報告では『逆に生気を取り戻している様子すらある』とのことで、命を奪うのはまだ時間がかかるかと」
国王が表情を険しくして告げる。
「何もかも話が違うではないか! どういうことか説明せよ!」
青い顔で黙り込んだ重鎮たちの中、一人だけ冷静な表情で座っている男が国王に応える。
「隣国に現れたという異世界人が邪魔をしているのではないかと推測しております」
「異世界人などという世迷言を信じろと、そう言うのか?」
「予定外の結果となった時期と、異世界人が隣国に現れた時期が一致しております。少なくとも、何か強い力を持っているのは間違いないかと」
国王の目が厳しくその男を睨む。
「ではハーケンよ、その異世界人についてわかっていることを述べよ」
シュトルム国王からハーケンと呼ばれる男――グライツラー侯爵が冷静に述べる。
「強い魔力と高い魔導の才能を持つ美しい少女だ、ということしか未だ判明しておりません。昨年末に第二王子と婚約をしたのが最新の情報です」
「高い魔導の才能か……その力で我が国の邪魔をしていると、そういうのだな?」
「おそらくは間違いないかと。現在詳しい情報を調べさせているところです」
「それを急がせよ! 早急に対応策を練り、なんとしても始末するのだ!」
「かしこまりました」
国王は苛立たしそうに立ち上がり、軍議室を後にした。
周囲の重鎮たちが、困惑しながらグライツラー侯爵に尋ねる。
「その話はどれだけの信憑性があるのだ?」
グライツラー侯爵が静かな表情で応える。
「裏の取れていない情報だが、言語の解らぬまま現在まで暮らし、魔導学院の試験にまで合格してみせたそうだ。
高等魔術を難なく操るという話だ」
重鎮の一人が困惑しながら尋ねる。
「高等魔術を操れる人間が、魔導学院などに通う必要があると思うのか?」
「それについては部下に詳しく当たらせている。じきに追加の情報が届くだろう」
グライツラー侯爵も立ち上がり、軍議室を後にした。
****
早朝、瑞希は静かに部屋の中から窓の外を眺めていた。
目の前に広がるのは一面の銀世界――当然、ランニングなどできるわけがない。
「かなり雪が降る地域なんだなぁ。これだけ積もったら、しばらくランニングは無理かな」
ソファに腰を下ろし、侍女の入れてくれた紅茶を口に含む。
向かいに座るソニアが瑞希に尋ねる。
「ミズキさんなら、魔術で雪を解かせるんじゃありませんか?」
「んー、できるけど、今はあんまり目立ちたくないかなって」
ソニアが苦笑を浮かべた。
「どういう意味ですか? 今、最も注目されている人物ですよ?
今さら目立たないようにするのは無理がありますよ」
「そうなんだけどね。
あからさまに魔術を使うのはやめとこうかなって、そう思ってるだけ」
小首を傾げているソニアに、瑞希は静かに微笑んでいた。
朝食の席、静かに食事を進める瑞希に、ヴォルフガングが尋ねる。
「刻印魔術の研究はどうなったんだね?
何か得る物はあったかい?」
「あー、あの本は返すよ。
もう必要なくなったから」
意外そうな顔でヴォルフガングが尋ねる。
「君が魔導で音を上げるだなんて、珍しいね。
やはり文字を使う魔術は、君では厳しかったかな?」
「確かに、あの本の魔術文字はひとつも覚えられなかったけど、そうじゃないよ。
『必要なくなった』だけ」
「つまり、刻印魔術そのものは習得したと、そういう解釈であってるかな?」
瑞希が頷いた。
「知らない文字を覚えるのは無理だけど、母国語は覚えてるからね。
母国語を使って刻印魔術を使えばいいんだって気が付いたんだよ」
ヴォルフガングが頷いた。
「文字については理解したが、ミズキの母国語は魔術的な意味をもっているのかい?
それがなくては、刻印魔術は成立しないと思うのだが」
「そこはやり方次第だよ――ちょっとやってみせようか」
瑞希が人差し指の先を魔力のカッターで切りつけ、血を流した。
そのまま血の流れる指先で、テーブルナプキンの上に『火』と書き記していく。
そのまま魔力で空中に浮かべたナプキンは、突如として火が付き燃えだした。
空中で火に包まれて燃え続けるテーブルナプキンを、ヴォルフガングが興味深そうに見つめていた。
アルベルトやソニア、ミハエルは呆然と火に包まれる真っ白なテーブルナプキンを見ている。
「なぜ燃えてるのかもわからんが、なぜ火が付いてるのに紙が燃え尽きないんだ?」
瑞希が指先の傷を治癒しながら応える。
「魔術文字は魔術的な因果を持った文字。
だから刻印魔術になるだけ。
元々はその時代にあった、普通の文字なんだよ。
今、私は母国語で『火』という文字を書いた。
その文字に魔術的な因果はないけど、私の血で書くことでその因果を含ませたんだ。
私は神の血を引く人間だから、血液そのものに魔術的な因果を含んでる。だからできることだね。
紙が燃え尽きないのは、この紙が『火』と同じ存在に置き換えられたから。
火は自分を燃やせないじゃない?
これが『燃』という文字だったら、紙はすぐに燃え尽きるはずだよ」
ソニアが助けを請うようにヴォルフガングを見た。
「ヴォルフガング先生、通訳をお願いします……」
ヴォルフガングが楽しそうに応える。
「ミズキだから使える魔術、という理解だけで充分だよ。
ミズキはただ、母国語で『火』という文字を紙に刻み込み、紙を火に置き換えた。
神の血がそれを可能にした、というだけだ
――ミズキ、その刻印魔術はどれくらい維持できるんだね?」
瑞希はテーブルナプキンを眺めながら応える。
「んー、私の血が持つ因果はとっても根が深いし、神の因果だからね。
私が止めるか文字が欠けるまで維持できると思うよ?」
ミズキが空中のテーブルナプキンを握りしめると、火が消えて行った。
ヴォルフガングが再び尋ねる。
「だが血液では、石に刻み込むことはできないだろう。
液体がしみこむ紙のようなものにしか刻みこめないはずだ。
それではすぐに文字が欠損してしまうだろう。
その辺はどう考えているんだね?」
「そこはしょうがないかな。
やり方次第でどうとでもなるけど、基本的にはヴォルフガングさんが言う通りだよ。
とりあえず今は、これができれば充分かなって
――ねぇソニア、カモミールってこの世界にもあるのかな?」
ソニアが急に話を振られ、驚きながら応える。
「えっ?! ――ええ、カモミールはありますよ。
カモミールティーなら、私もよく飲みますし。
心を落ち着ける定番ですからね」
どうやら、瑞希の居た世界と同じように使われるらしい。
全く同じ花かは瑞希には判断がつかないが、やりたいことには使えるだろう。
「カモミールで香り袋を作って陛下に送ろうと思うんだ。
受け取ってもらえるかなぁ?」
ソニアが微笑んで頷いた。
「お父様は、きっとお喜びになると思います。
――でも、突然話が飛びましたね。
どういうことなんですか?」
ヴォルフガングが楽しそうにソニアに告げる。
「おそらく、その香り袋に魔術を施すつもりなのだろう。
護符として身の回りに置くだけで、心身を癒す効果が望めるはずだ。
確かにそれなら、死から命を遠ざけることにつながる」
ソニアが首を傾げてヴォルフガングに尋ねる。
「さっきまで刻印魔術の話をしてましたよね?
それが香り袋に魔術を施す話につながるんですか?」
ヴォルフガングが微笑みながらソニアに応える。
「花には花言葉がある。
文字の代わりに使えるんだよ。
カモミールの花言葉は『逆境に耐える』だ。
癒しの定番として使われる花だから、癒しの因果も持つ。
今の陛下には最適な花だろう。
ただの香り袋として贈っても、何の不思議もないものだ。
疑問に思われる事もないだろう」
どうやら瑞希の知るカモミールと同じ花言葉もあるらしい。
(どれだけ同じ文化があるんだろう? 本当に不思議だなぁ)
瑞希はその場でザビーネに材料を用意するように頼み、朝食後に届いた材料で、てきぱきと香り袋を作っていった。
生花を魔術でドライフラワーにして、指先から垂らした血を沁み込ませていく。
それを布の袋に詰めこんだ。
「でーきたっと! ――アルベルト、国王陛下にどうやって渡したらいいかな?」
アルベルトが微笑んで応える。
「お前はもう私の婚約者、表向きは未来の第二王子妃だ。
直接手渡しても構わないさ。
この時間なら、まだ父上は公務を始められていない。
今すぐ会いに行こう」
アルベルトに国王の部屋まで連れて行ってもらい、瑞希は香り袋を手渡した。
国王は満面の笑みで喜び、香り袋を受け取っていた。
「ありがとう、大切にするよ」
瑞希も満足して頷き、国王に告げる。
「仕事も大事だけど、身体も大事にしてね?
ちゃんと心と身体を休めてよ?」
王妃も微笑みながら瑞希に告げる。
「陛下だけなのかしら。私の分はないの?」
「王妃殿下はどんな香りが好きなの?」
「私はラベンダーを愛用してるわね。
でもカモミールもよく使うのよ?」
「じゃあすぐに用意するよ!
ちょっと待っててね!」
急いで部屋に戻って王妃用の香り袋の護符を作り上げ、とんぼ返りで王妃に手渡す。
「ありがとう。ごめんなさいね、催促したみたいで」
「私の方こそ、気が付かなくてごめんね!
今度からは気を付けるよ!」
笑顔で部屋に戻っていく瑞希とアルベルトを、国王と王妃は笑顔で見送っていた。
国王は香り袋から漂ってくる匂いを胸いっぱいに吸い込み、心地良さそうに吐き出した。
「いい香りだな。
これだけで身体から力が湧いてくるかのようだ。
ミズキの部屋にいる時と同じ気分になる」
王妃も香りを楽しみながら応える。
「――本当ですね。
とっても不思議な気分」
廊下を歩くアルベルトが瑞希に尋ねる。
「これでお前の目的は果たせたのか?」
「手渡しただけで死の運命が急に遠のいて行ったから、多分大丈夫。
あとは周りが働き過ぎないように気を付けてれば、倒れることはないと思うよ」
アルベルトも嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そうか……
それならよかった。
今、父上に倒れられたら、おちおち学院にも通っていられなくなるしな」
「そんなに魔導学院に通いたかったの?」
「せっかく合格したんだ、ちゃんと通いたいと思うのが普通だろう?
私だって魔導はそれなりに修めておきたいからな」
「勉強熱心だねぇ……その気持ちは、私には理解できないかもなぁ。
勉強なんて、しないで済むならしたくないし」
「あれほど努力して合格したのに、通えなくなっても構わないのか?
その気持ちこそ、私には理解が出来ないな」
「必要だから努力しただけだよ。
怠けて生きて行けるなら、ずーっとだらだらしていたい!」
「……なるほど。
その気質が、『≪意思疎通≫術式があるから語学を習得できない』という結果に結びつくわけか。
だが、必要な努力が出来るなら充分だろう。
明日からはお前の新しい講義が始まる。
学院が始まるまで、また大変だぞ」
瑞希がむくれて唇を尖らせながら応える。
「わかってるよ。
それを怠けようとは思ってないし。
それは私に必要な事。ちゃんとやるよ」
「ははは! その意気だ!
作法を身に着けたお前がどんな姿になるのか、今から楽しみだ」




