20.考えたら負け
入試の翌日、瑞希の部屋にクラインが姿を現した。
瑞希はアルベルトを交え、三人で小さなお茶会を開いていた。
「ミズキもアルベルトも、私を置いてさっさと帰ってしまうだなんて酷くないかしら」
いつものように穏やかに微笑みながらクラインが愚痴った。
瑞希が苦笑して応える。
「ごめんごめん、アルベルトが『帰ろう』って言ったから私も釣られちゃった。
文句があったらアルベルトに言ってね?」
アルベルトも苦笑しながら応える。
「悪いとは思ったんだが、何時間もお前を待つのはさすがに時間の無駄に思えてな」
クラインが小さく息をついた。
「それは理解するわ。許してあげる。
――それより、年内の合格祝賀会なんて随分気が早いわね。
帰宅してから招待状のことを知らされて驚いたわよ?」
瑞希は苦笑を浮かべながら応える。
「陛下が待ちきれないみたい。
年内の婚約発表を譲らなかったって王妃殿下が言ってたよ。
夜会の準備をしてるってことは、クラインは参加してくれるんだよね?」
「当然じゃない? あなたたちの合格を祝う夜会なんですもの。
でも表向きは歳末の夜会として開かれるみたいね。
合格祝賀会と知っているのは、おそらく私たちだけよ?」
アルベルトが微笑んで頷いた。
「そう聞いている。
さすがに、入試前に合格祝賀会の招待状など送れないからな。
私たちが落第した時に、そのまま歳末夜会として開けるようにしたそうだ。
私は最近、社交界に通えてないから分からないが、今のところそれが噂になっている様子はないとソニアから聞いている」
クラインが微笑んで頷いた。
「私の周囲でも、そんな噂は流れてなかったわね。
なんのための夜会なのか、みんな不思議がってるんじゃないかしら」
瑞希が小首を傾げて尋ねる。
「えっと、つまり普通は年末最終日に夜会なんて開かないって理解であってる?」
アルベルトが頷いた。
「年末年始は通常、各家庭でひっそりと年明けを祝うものだ。
夜会を開くとしても、年末最終日を避けるのが通例だな」
瑞希が顎に指を当てて考えながら尋ねる。
「んーっと、じゃあ『合格が決定したからお祝いするぞー! ついでに婚約者もなー!』ってその場で宣言したら、私の印象が悪くなるんじゃないの?
だって招待状は入試前に手配してあるんだよ?
後から振り返れば、入試前に合格祝賀会を準備していたのがばれちゃうよ?
下手したら、試験の不正だって疑われるかもしれないよ?」
クラインが微笑みながら応える。
「その心配は要らないわよ。
ガイザー先生の講義を乗り越えられる生徒は本当に少ないの。
先生が不正を嫌う性格なのも有名だし、そこを疑える人は居ないわ。
魔導に関しても、ミズキだけが特例で≪意思疎通≫の術式を許可されていたのは噂になっていたから有名なの。
そんなミズキが、ただの魔力制御の試験に落ちるわけが無いわ。
あなたは忘れてるでしょうけど、その術式も使える人が少ない高等魔術なのよ?」
アルベルトが苦笑しながら頷いた。
「私が魔導学院に落第するのも、まず考えられないしな。
単に『なんて気が早い国王なんだ』と呆れられて終わるだろう。
だがシュトルム王国撃退で大きな被害を出した直後、何か祝い事があれば盛大に祝っておきたいと思っても不思議ではない。
……メイソン兄上の件もある。国内の悪い空気を吹き飛ばすには、丁度良いかもしれん」
瑞希が紅茶に目線を落としながら尋ねる。
「……今の国内って、どんな空気になってるのかな」
クラインの微笑みがわずかに陰る。
「良い空気、とは言い難いわね。
防衛戦の被害は大きいわ。今回はなんとか撃退できたけど、表向きは敵が自滅した形ですもの。
再び魔導兵器を用いて襲い掛かられた時に、また撃退できるのか、不安がる声が多いわね。
立太子が内定していたメイソン殿下が陰謀で命を落とされて、アルベルトが同じように乱心しないかと疑う声もある。
そういう意味で、アルベルトを支える人が確定するのは、確かに良い知らせと言えるわね」
「メイソン殿下に許嫁や妃は居なかったの?」
アルベルトが瑞希に応える。
「兄上にもそういう相手は居なかった。
候補は居たんだが、みな不慮の事故や病気で命を落としている。
そのことを兄上は残念がっていたよ」
瑞希が静かに考え込んだ後、顔を上げた。
「ザビーネ、人払いをしてもらえる?」
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室内には瑞希とアルベルト、そしてクラインだけが残された。
アルベルトが戸惑いながら瑞希に尋ねる。
「なんだ? また何か重大な話か?」
瑞希が真顔でアルベルトを見つめた。
「……あまりにも不自然だとは思わない?
陛下の体調不良でも引っかかるものを感じていたんだけどさ。
なぜそんな短期間に死が身近にまとわりついてるの?
そのメイソン殿下の許嫁候補や王家って、健康的不安を抱える一族?」
アルベルトが真剣に考えこんだ後、瑞希に応える。
「いや、そんなことはない。
王家も、病死した令嬢の家も、健康的不安とは縁遠い。
だがそれがどういう意味を持つんだ?」
「それを今から、霧の神に確認するよ。
ちょっと待っててね」
瑞希は目を閉じ、神の気配を手繰り寄せる。
(霧の神、今言える範囲で構わないから教えて。
一連の件は全て、死の権能が関係しているんじゃないの?)
『……あなたの推測通り、死の権能を用いた結果よ。
でも前も言ったけど、それを防ぐ力が私にはないの。
防衛戦で使われた物とは別の、試作兵器の一つよ。とても弱い力しかもたないわ。
死に近い人間の命を、より死に近づける、そんな弱い効果よ。
病死した令嬢も、感染症で死に近づいたところを襲われただけ。
死から遠い人間の命を奪えるものではないわ』
(陛下は救えるの?!)
『その未来はまだ揺らいでるの。
救える未来もある、としか言えないわ。
あなたは油断せずに最善を尽くして頂戴』
(他に何か、今言えることはないの?!)
『ごめんなさい、より良い未来に導きたいから、今これ以上は言えないの。
迂闊なことを言えば新しい未来が生まれて、また収束から遠のいてしまうから。
神が間接的にでも干渉すると、それで未来が大きくぶれてしまう。
それは前も言った通りよ。
極力、人間の力だけで、より良い未来を手繰り寄せて』
(……わかった、ありがとう。何かあったら、ちゃんと教えてね)
瑞希が目を開けると、驚愕しているアルベルトとクラインの顔があった。
「なんだ今の気配は……お前の魔力の気配じゃなかったぞ?!」
瑞希が苦笑しながら応える。
「私の気配が変わってしまう、というのは本当みたいだね。
神と話すと、その間は私の気配に神の魔力が混じるんだって。
石板を使ってる時には気付かなかったの?」
「ああ、石板を持っている時のお前は、こんな気配をしていなかった」
「そっか、それだけ特別なものだったんだろうね、あれは。
――メイソン殿下の許嫁候補の病死も、陛下の体調不良も、シュトルム王国の攻撃だって霧の神が認めたよ。
『とても弱い力しか持たない兵器』だとは言っていたけど、放置しておけるものでもないね」
「何か、手はないのか?」
「死の運命から人間を遠ざけるような魔術結界を張るしかないんじゃないかなぁ。
そうすればその兵器は無力化できるはずだし。
私の知識だけじゃ足りないから、ちょっとヴォルフガングさんを呼んでもらえる?」
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ヴォルフガングが神妙な顔で話を聞いていた。
「……人を死から遠ざける魔術結界か。
そんな高度な魔術結界、私には使えないよ?」
「魔術結界を常設する手法にどんなものがあるか、それを教えてもらいたいんだよ。
この部屋の結界は、私が毎日張り直してるだけなんだ。一日ぐらいしか維持できないんだよ。
遠隔地や広範囲に長期間結界を張る手法とか、ないかなぁ」
ヴォルフガングが楽しそうに微笑んだ。
「さすがにそんな都合の良い手法はない。
だが長期間、術式を常設する場合は魔術文字を使うのがセオリーだね。
たとえば、石に魔力を込めて彫り込むんだ。
そうするとかなり長い時間、術式を常設できる。
並の人間が彫り込んだ魔術文字なら、一週間程度は維持できるよ。
ただし彫り込まれた文字が欠損すると効力を失うから、そこは気を付ける必要がある」
「他にはどんなものがあるの?」
「因果のあるものを結界の要石とする方法もあるが、かなり力を持った呪物が必要になる。
簡単に選べる方法ではないね」
瑞希が腕を組んで考えこんだ。
しばらく考えた瑞希が顔を上げ、ヴォルフガングに尋ねる。
「たとえば、街の外周に魔術文字を彫り込んだら、それで結界を張れるかな?」
「王都全域に張るつもりかい?
そんな広範囲に張るのも不可能ではないが、いくらミズキの魔力でも不足するだろうね。
彫り込む文字が増えるほど術者の負荷も高くなる。
私には、現実的とは思えないな」
瑞希は腕を組み、深く考え込んでしまった。
確かに、王都全域に魔術結界を張る魔力を瑞希は持っていない。
王都外周の石に文字を彫り込む、というのも現実的ではないだろう。
だが何か対策を施したかった。
悩む瑞希を見て、ヴォルフガングが優しく伝える。
「とりあえず、ミズキに魔術文字について書かれた書物を渡そう。
少し待っていてくれ」
ヴォルフガングは一旦、部屋を出ていった。
しばらくして再び部屋に戻ってくると、その手には一冊の書物があった。
ヴォルフガングはその書物を開いて瑞希に魔術文字を説明していく。
その本は、一つの文字に一つの魔術的な意味が解説されている、文字のカタログだった。
書物に掲載されている文字は七つ。
不完全で未解明の文字がさらに三つ掲載されている。
「魔術文字って種類が少ないんだね」
「長い年月で失われたものだからね。
現在でも残っている文字がこれだけなんだ。
これで文章を組み立てることで術式を成立させるんだよ」
書物の後半は、そういった文章で作られた術式のサンプルが記されていた。
「やっぱり、文字の種類が少ないから出来る事も限られるんだね」
「そこは仕方がないね。
刻印魔術と呼ばれる分野だが、非常にマイナーだ。
研究者も少なく、長い間停滞している分野だよ。
――ミズキはこの魔術文字で、死を遠ざける術式を成立させられると思うかい?」
しばらく瑞希は魔術文字のカタログを眺め、ため息をついた。
「これじゃあ無理そうだね。
――ねぇ、しばらくこの本を借りても良いかな?」
「構わないが、研究するつもりかい?」
「やるだけはやってみるよ!」
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ヴォルフガングが帰った後、人払いを解き、瑞希はお茶会を再開していた。
アルベルトは困惑しながら瑞希に尋ねる。
「なぁミズキ、なんとかできるのか?
語学が苦手なお前が、文字を使った魔術なんて覚えられるのか?」
「なんとなく、何か閃きそうなんだよねぇ。
だから本を眺めながら考えてみようかなって。
――二人とも、今日のことは秘密にしておいてね。
どこに敵が潜んでるか、わかんないし」
クラインがわずかに目を見開いた。
「それ、王宮内にも居る、ということかしら」
「私は可能性を否定できない、と思ってる。
自覚のない、敵の操り人形みたいな人がいたら、やだなぁって」
「自覚がないって、どういうこと?」
「敵意や害意を持たないのは確かだよ。
私の警戒魔術で検知できないんだもん」
アルベルトが唖然として尋ねる。
「もうそんな魔術も覚えたのか?
ヴォルフガングから教わったのか?」
瑞希がきょとんとして応える。
「え? 既存の魔術にもうあるの?
私のはただの即興魔術だよ。
毎朝王宮内に各種魔術結界を張ってるんだけど、
それに引っかからない相手ってどんなだろうね」
「ちょっと待て! そんな魔術結界を張ってたら、宮廷魔導士から報告があるはずだ!
対魔術結界だって張ってあるんだぞ?!」
「宮廷魔導士が作る結界網じゃ検知できないような魔術結界だから、気づいてる人は居ないんじゃないかな?
――でも、こんな結界を常時張って居られるのは入学までだよ。
学院が始まったら、さすがに王宮内の魔術結界をほとんど解除しなきゃいけなくなっちゃう。
だから、なるだけそれまでになんとかしたいんだけどね」
呆然と言葉を失うアルベルトに、クラインが諦観の表情で告げる。
「ミズキを常識の物差しで測るのは止めた方が良いわよ?
考えたら負けよ」




