16.王女の矜持
朝食後、瑞希は教養科目の復習をすると言って部屋にこもった。
アルベルト、ソニア、ミハエル、そしてヴォルフガングは、サロンで静かに紅茶を飲んでいた。
ソニアが紅茶を見つめながら、ぽつりと呟く。
「なんだか、とても不思議な女性ですね」
ヴォルフガングが楽しそうに尋ねる。
「そうかい?
かなり分かりやすい子だと、私は思うのだが」
「優れているのか、劣っているのか、判断に苦しみます。
でもミズキさんの在り方には、どこか惹かれている自分が居ます」
アルベルトが優しく微笑んでいた。
「彼女が自分で言っていただろう?
『ズルはしたくない』と。
己を克服しようとする心が強い人なんだよ。
そして、それをやり遂げられる人だ」
ヴォルフガングが頷いた。
「その心の在り方は、美徳と呼べるものだ。
一方で、やや強めの劣等感も持ち合わせている。
だからよくいじけるし、落ち込む。
――そういう、落差のある子だね。
ソニア殿下はまだ、相手の資質を見極める能力が未熟なんだ。
うわべの能力に惑わされて、評価を下しきれないのさ」
ミハエルが明るくアルベルトに尋ねる。
「兄上はミズキさんと、婚姻なさるおつもりなのですか?」
アルベルトが嬉しそうに微笑んだ。
「彼女は恋愛結婚を望んでいる。
なんとか在学中に、彼女の心を落としておきたいものだな。
そうすれば、ミズキは私との婚姻にも頷いてくれるだろう。
――お前たちは、それをどう思ってるんだ?」
ミハエルが元気よく応える。
「僕はミズキさんなら、姉上になって頂いても構わないと思っています!」
ソニアは迷いながら告げる。
「私は、まだよくわかりません。
姉様として慕うことができるのか……その自信を持てないのです」
ヴォルフガングが楽しそうに微笑んでいた。
「あんな神業の大魔術を見せられては、驚いてしまうのも無理はない。
ミズキの傍に居れば、あれくらいは日常茶飯事だ。
すぐに慣れるさ」
「本当にそうでしょうか……」
「ああ、そうだとも。
魔導術式を覚えれば、彼女が言っていることも、ある程度理解できるようになる。
――尤も、同時に『それがどれほど途方もない大魔術なのか』ということも理解してしまうがね。
ミズキは魔術世界の常識が全く通用しない魔導を使うから、もっと腰が引けてしまう可能性もあるね」
アルベルトが苦笑を浮かべた。
「ヴォルフガング……落ち着かせたいのか、怖がらせたいのか、はっきりしてくれ」
「はっはっは! そうやってうわべの能力に振り回されてるうちは、ミズキの本当の姿など見えては来ないという話さ!
――魔導の才能など、彼女を構成する一要素でしかない。
それを理解できない間は、まだまだ半人前だね」
****
お昼になり、昼食の時間となる。
教養科目の復習を終えた瑞希が、伸びをしながらダイニングの椅子に座っていた。
「久しぶりの勉強は肩がこるなぁ。
――ねぇアルベルト、ソニアやミハエルの様子はどうだった?」
アルベルトが優しく微笑みながら頷いた。
「ヴォルフガングが、私と一緒になってミズキの解説をしてくれたからな。
ミハエルはもう、お前を怖がることはないだろう。
ソニアはまだ、混乱の方が大きそうだ」
瑞希はこの後、二時からお茶会の約束がある。
それに参加するべきかどうか、悩み始めていた。
ソニアが自分を怖がっていると言うなら、今日は止めておいた方が良いようにも思えた。
「ねぇアルベルト、ソニアに『今日は午後から用事ができたから、お茶会には参加できない』って伝えてくれるかな。
朝充分に話はしたし、私という存在を知ることはできたと思う。
お茶なんて、怖い相手と一緒に飲む物じゃないと思うし、これ以上無理をさせたら悪いもん」
アルベルトが静かに瑞希の目を見つめた。
「……わかった、お前がそう判断したのなら、ソニアにはお茶会の中止を伝えておこう。
時間が経てば、ソニアにもお前のことを理解してもらえる。お前も気にするな。
ソニアだって王族教育を受けている。
人間の資質を見定める能力を持っているはずなんだ」
瑞希が、少し寂しそうな微笑みを浮かべた。
「私が異質な存在なのは確かだし、朝はむきになって即興魔術を見せちゃったからね。
私だって、この世界に飛ばされる直前、初めて見た祖父を怖がったし、祖父の見せる魔術を理解できなくて怖かった。
ソニアの気持ちも、理解はできるんだよ」
ヴォルフガングが人の良い微笑みを浮かべながら尋ねる。
「そういえばミズキの両親は、君と違って黒髪だったね」
瑞希がヴォルフガングに振り向いて応える。
「元の私も黒髪だよ。
黒い髪と黒い瞳を持つ民族の国なんだ。
――ちょっと元の私の姿を映してみようか」
瑞希が空中に火の画面を作り出し、そこに学生証に使った写真を投影した。
クラスで中の上、ごく平凡な小市民だった瑞希の顔だ。
アルベルトが興味深そうに画面の中の瑞希の顔を見ていた。
「ミズキ本来の顔はこんな感じなのか。
今よりさらに幼く感じるな」
「外国人から幼く見られやすい人種だったからね。
今と違って、平凡な庶民の顔でしょ?」
アルベルトが苦笑を浮かべた。
「他人種の美醜も分かりにくいものだから、その質問は返答に困る。
だが卑下するほど悪い顔でもないと思うがな。
お前が今まで恋愛と疎遠だったのは、転居が多かった人生の影響だろう」
瑞希が画面を消して昼食のサンドイッチを手に取った。
「それはその通りなんだけどね。
友達すら一人も居なかったぐらいだから、恋人なんて作る機会がなかったのは確かだよ。
初恋も特に覚えがないし、だからこそ結婚する時ぐらいは恋愛をしてみたいんだよ」
ハムとレタスのサンドイッチに齧りつく瑞希を見ながら、アルベルトが告げる。
「私はそんなお前の心を、魔導学院にいる間に落としてみせよう。
お前もそれなら、婚姻に頷いてくれるだろう?」
「君も物好きだね……
ソニアもアルベルトのことを『滅多に居ない優良物件だ』って言ってたし、言い寄ってくる相手は居ないの?」
「王族ともなれば、妃にも相応の能力と家柄が求められる。
特にこれからは、私が王太子になることが確実だから尚更だ。
社交界に出れば言い寄ってくる相手はいくらでもいたが、誰でも良い訳ではないんだ。
今の時点で資格があると言える令嬢は、クラインとアリシア、そしてお前くらいだ」
「そうやってアルベルトや王様から求められても、私も困るんだよね。
アルベルトに不足を感じてる訳じゃないけど、恋愛対象なのかはまだよくわかんないよ」
アルベルトがニヤリと笑った。
「私たちは、まだ出会ってから一か月弱だ。
これから気長に攻めていくさ」
****
瑞希は今、アルベルトと共に午後のお茶会の席にいた。
国王と王妃、ソニアとミハエルの姿もある。
ソニアのお茶会を断って暇になった瑞希が、王妃からお茶会に呼ばれたのだ。
出向いた先が王族全員参加のお茶会だった。
「えっと……ねぇソニア、大丈夫?
怖いなら無理をしなくてもいいんだよ?」
未だにどこか怯えを見せるソニアは、それでも柔らかく微笑んで見せた。
「お父様やお母様もこの場には居ますし、私にも王女としての矜持があります。
私はミズキさんを理解できるようになる必要があるのです」
「そっか、王女も大変なんだね」
アルベルトが楽しそうに微笑んで瑞希に告げる。
「他人事のように言っているが、ミズキはこれから私の許嫁、第二王子妃、王太子妃、王妃へとステップアップしていく。
お前こそ大変な道のりだぞ?」
「だ! か! ら!
私はまだそれに頷いたわけじゃないし!
それを務めあげる自信なんてないってば!」
「だがミズキなら必ず立派な王妃となる。
それは私と父上、そして母上も納得して出した結論だ。
そう不安がる必要はない」
王妃が優しい微笑みで瑞希に語りかける。
「ミズキのことは、陛下やアルベルトから色々と聞いているわ。
巷では好き勝手な噂が飛び交っているけれど、芯の強い優しい女性だと確信しているの。
あなたなら問題なく、王妃を務め上げることが出来るわ」
国王が頷いた。
「シュトルム王国との緊張状態が続く中、アルベルトの妃となれるのはミズキだけだ。
ミズキにも納得して我が王家に嫁いできてもらいたいと考えている。
――アルベルト、必ずミズキの心を落としてみせよ」
「はい、父上」
アルベルトがしっかりと頷いた。
瑞希には理解できなかったが、どうやら国王たちの信頼がカンストしているらしい。
首を傾げながら紅茶を飲む瑞希に、ミハエルが明るく語りかける。
「僕もミズキさんが姉上となる日を楽しみにしています!」
「え、ミハエルは私が怖くないの?」
「ミズキさんのことはあの後、色々な話を兄上やヴォルフガング先生から伺いました!
とても立派な方だと思います!」
「えーっと……私はそんな褒めてもらえるような人間じゃないんだけどな……
私は護衛として活用してもらって、クラインかアリシアさんにお嫁さんに来てもらう方がいいと思うよ?」
王妃が楽しそうに口元を隠して笑った。
「それが、クラインには断られているし、アリシアもあまり乗り気ではないみたいなの。
悪い所はないはずなのだけど、ミズキも含めて、アルベルトは許嫁候補から逃げられてばかりね?」
瑞希がため息をついた。
「アルベルトは面倒見が良すぎるんだよ。
クラインはそれを嫌がってるだけ。
アリシアさんはマイペースなだけじゃないかな。
どっちも、説得すればお嫁さんに来てくれると思うよ?
二人の方が王妃様として相応しいでしょう?」
国王が首を横に振った。
「いいや、クラインもアリシアも、現在の状況を乗り越える王妃としては、力が足りないと思っている。
彼女たちには、己の手を汚してでも我が国を守り切ろうとする覚悟はない。
ミズキと同じ魔導の才能があったとしても、志願して野盗退治に参加するほどの気概は持てないだろう。
そこは、高位貴族令嬢として教育を受けてきた者の限界でもあるね。
――ソニアの為にも、なぜ野盗退治に参加しようと思ったのか、君の口から聞かせてくれないか」
瑞希が俯いて紅茶の水面を見つめた。
「……私はあの日、霧の神に言われるがまま『この国を救う奇跡』を願った。
その結果、シュトルム王国八千人以上が死ぬ『死の権能』が発動した。
私が間接的に八千人を殺したんだ。
私にはまだその時、失われた命の重さを実感することができなかった。
でも『不可抗力だった』と、命が失われた事実から目を背けることもできなかった。
だから実際にこの手で人の命を奪って、一人一人の命の重さを知りたかっただけだよ。
手を汚した今は、自分がどれほど多くの命を背負ったのかを自覚できた。
『八千人』という数字じゃなく、失われた命一つ一つに思いを馳せることが出来るようになったんだ。
それでようやく、私はあの日奪った命を背負うことが出来たんだよ」
国王が頷いた。
「ありがとうミズキ。
これがクラインやアリシアであれば、『命を奪うのは兵士の役目』と割り切っただろう。
自分の言動で人の人生が左右される事の意味を、ミズキほど深く理解しようとはしなかったはずだ。
その気概は国を導く為政者として、立派に務まるだけのものだと私は評価しているよ。
――どうだいソニア。お前は、ここまでの考えと覚悟を、持つことができるかな?」
ソニアは真剣な表情で瑞希の言葉に耳を傾けていた。
国王に問われ、迷うように口を開く。
「……私には、そんなに強い心はありません。
きっと人の命を自らの手で奪うことに、心が耐えられないでしょう」
アルベルトが神妙な顔でソニアに告げる。
「ミズキだって、本来ならそれに耐えられる心など持っていなかった。
ミズキが生まれ育った国は、戦乱から縁遠い平和な国だったそうだ。
身近で人が殺される事が稀なほどにな。
実際、私やヴォルフガング先生は耐えられないだろうと思っていた。
――だが、ミズキは耐えて見せたんだ。
弱い己を克服してみせた。そんな在り方を、ソニアは持てるか?
我々王侯貴族は、言動一つで国民や領民の人生を左右する人間だ。
その意味を正しく理解しようと、ミズキほど真摯な態度で臨むことができるか?
ミズキのように、己の手を汚す真似までしろとは言わない。
だが我々の言動は、手を汚すのと同じく、人の命を簡単に奪うことが出来るんだ。
これは王族教育を受けてきたお前なら、言葉としては理解しているはずだ」
ソニアの目が、紅茶を見つめる瑞希の顔を静かに見つめていた。
視線に気が付いた瑞希が顔を上げ、ソニアの目を見て苦笑した。
「私はそんな立派な人じゃないよ。
自分が潰れない為に、必死だっただけなんだ」
ソニアが瑞希の目を見つめ返しながら応える。
「……ミズキさんがどんな方なのか、私にもようやく理解できました。
王族教育は受けて参りましたが、私にはそこまでの覚悟を持てていませんでした。
教えられてきたことの本当の意味を今、ようやく理解したように思います。
――ミズキさんを姉様と呼べることを、今は誇らしいとさえ思います」
瑞希が困ったように微笑んだ。
「だーかーらー! 私は婚約者には頷いたけど、婚姻には頷いてないってば!
その婚約者だって、『護衛に最適だから』って説得されたから渋々だよ?」
ソニアが心の底からの柔らかい微笑みを浮かべた。
「ご両親にも『こちらの世界で幸せに暮らす』と宣言なさっていたじゃありませんか。
それなら、兄様と婚姻なさるのがもっとも確実な道だと思いますよ?
朝も言いましたが、兄様程の優良物件は滅多にありませんからね?」
楽しそうに言葉を交わす瑞希とソニアを、国王たちは頬を緩め、静かに見守っていた。




