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異世界転移事故事例14号  作者: 北見鷹多
Ⅱ 社会
7/14

Ⅰ-Ⅶ 皇帝-①

 一目散に丘の上へ、そこに建つ、一際目立つ住居へと向かう。

 行く道は屋根の上だ。目立つのは避けたいが、速度を出すためには路地を行くのは回避すべきだと判断した。

 跳躍し、着地で木屋根を鳴らし、再び跳躍してと繰り返すこと数度、ようやく状況を飲み込んだと思しきエスィルトが声をかけてきた。


「アッ、アキラ少年ッ! あなた一体何者? いや、それよりこれからどうするの!?」


「皇帝に直談判します。私たちが奴隷身分から解放されるようにと」


 だから、俺は丘の上の、皇帝の住居と思しき壮麗な建造物へと向かっているのだ。

 俺の発言に対して、エスィルトが沈む太陽の反対側を指さす。東? 東に何があるのだ?

 そちらにちらりと視線をやって、今はいいか、と跳躍と着地を続ける。

 跳び続ける俺に痺れを切らしたように、エスィルトが叫んだ。


「行き先が違うの! トニトリウス帝はカピトリノの丘には住んでないから! 行くならティブル、東に行かなきゃ!」


 なに?

 俺は急制動をかけ、屋根を軋ませながら動きを止めた。衝撃に耐えかねてエスィルトが苦鳴を漏らす。

 失敗した。遅まきながら気付いたが、エスィルトは俺より遥かに脆い。彼女が死んでは意味が無い。

 休憩もかねて、今は彼女の話を聞くべきだろう。

 俺はてっきり、皇帝は最も大きな住居に住んでいるものと思い込んでいたのだ。あの建物が皇帝の宮殿ではないというなら、彼はどこにいるのか?

 分からない。

 分からないなら、訊くべきだ。

 エスィルトを下ろし、俺も座る。

 無言で続きを促すと、彼女は訥々と語り始めた。


「丘の上のあれは黄金宮殿ドムス・アウレア。60年ほど前のネリウス帝が建造した私邸で、今は国立公園になっている場所だよ。そんな場所に今上の皇帝が住むわけにはいかないだろ?

 彼は別の所に私邸を作っているのさ。それがティブルって都市にある。ここから東に、半日もせずに辿りつけるところにあるらしいよ」


 眉が上がる。感心したのだ。

 彼女の事を馬鹿にしていたわけではないが、そこまで詳しく知っているとは驚きだ。性交業従事者として隔離された生活を送っていただろうに何故――いや、考えてみれば当然だ。彼女の客は世情に通じた元老院議員なのだから。


「トニトリウス帝でしたか。彼はティブルという所にいるのですね?」


 エスィルトは体に巻いた長衣を弄って、頭髪を隠すように被りなおす。左を見上げ、目を閉じたり開きながらしながらも淀みなく言葉を吐きだし続ける。


「いや、ごめん、もうそこには居ないはず。彼はマーレ帝国を視察して回ってるらしいんだよ。視察先で事が上手く行ったら、最後に居た場所の景勝地を浮き掘った貨幣を作るようにしてるらしい」


 と言って、彼女が取り出したのは1枚の銀貨。主の持ち物が挟まっていたのだろうか。デナリウス銀貨にセクストゥスとの苦い別れを思い出し、グッとこみ上げる物を飲み込む。


「造幣の件は、ルキウスとの閨事ねやごとで聞いた話だから確かな話さ。造幣権を持っている元老院に命令が届いて、型を作って造幣が始まるまで3ヵ月。ってことは、3ヵ月前にトニトリウス帝がどこにいたか、貨幣を見れば分かる」


 なるほど。

 銀貨の浮き彫りを観察する。

 掘られているのは川だろうか。相当に幅広の大河が刻印されているように見える。彼女の言葉の続きを促す。


「これはドナウ川。だけど、流域が広すぎて詳しい居場所は特定できないね。

 ルキウスが言うにはダキア西部では戦争になったけど、ダキア東部とは講和で事が済んだらしい。てことは、トニトリウス帝は別の所に向かっているはずだよね」


 私が分かるのはここまで、とエスィルトが言い、掌を俺に向け、期待を込めた目で見つめてくる。

 ルキウスというのは、ルキウス・オルクス・トゥルスのことだろう。先ほど本気で殺そうとした相手の発言が材料として出されるというのは奇妙な気分だが、それが方針策定に一役買っているというなら是非もない。

 俺は頭を回していた。材料はある。

 取っ掛かりは、檻の中でのピソとの問答。


『今上のトニトリウス帝はどのように事態を収めたと思う?』


『ドナウとブリタンニアの戦地に将軍を派遣する、でしょうか』


 興味深げに俺を覗き込んできたピソの反応からすると、この予想は正しいと見て良いだろう。既に将軍を送ったのにトニトリウス帝がドナウに行ったならば、その理由は何だ。

 送った将軍の処置を視察するための事だと考えて良い。

 ドナウの視察は済んだ。ならば次はブリタンニアに向かうはず。

 行き先を定めた俺はエスィルトを背負い、再び立ち上がる。

 俺の首に両手を絡めてしがみつきながら、エスィルトが問うた。


「皇帝の行き先が分かったのかい?」


「恐らくは。ブリタンニアに向かっているはずです」


 俺の襟元を握る力が強くなるのが分かった。

 痛みに耐えているのだと分かった。これからの旅路は彼女にとって帰還であり、それは同時に辛い記憶を思い出させるものである。だが、エスィルトを放棄しない事に決めた以上、例え彼女が辛い思いをするとしても、連れて行かない選択肢はない。俺から離れたが最後、彼女はまたエルフの血統を求める者たちに群がられて、この60年と同じ生活を繰り返すことになってしまうから。それが彼女の本意でない事くらい、俺にだって分かる。

 不意に、背中で大きく体重が移動した。

 エスィルトが俺の肩を足場にして、俺の頬を挟んで掴み、さかさまの位置から俺の顔を覗き込んできたのだ。

 視界一杯に、さかさまのエスィルトの美貌が広がる。

 見惚れるとはこういう感覚だろうか。えくぼの浮いた口元。細めた目。彼女の笑顔は沈む夕陽を受けて輝くようで、気遣いは無用だったかと勘違いしそうになった。その手が小刻みに震えているのは、帰路が過去を思い起こさせるからだというのに。

 無理矢理に笑うエスィルトは、相手が俺じゃなければ潰れているような危ない姿勢のまま、明るい調子で喋り出した。


「少年、道は分かるのかい?」


「さっぱりです。案内は頼みましたよ、エスィルト」


「任された。とりあえず北だね。もう冬になるし、途中で毛皮を手に入れないと2人して凍えっちまう」


「イノシシか熊を狩ります」


「あ、そいつらに勝てるんだ……いや、今更驚きゃしないけど」


 彼女はまだ無理をしていると思う。今でも震えているその手がそれを伝えてくる。俺の選択は酷なものだ。

 賭けとも呼べない思いつきに付き合わせて辛い思いをさせるのはどうなのだろう? そんな迷いが少しだけもたげる。

 少しうつむいた俺の頬を、エスィルトが張った。バランスを崩して落下しそうになった彼女を背負いなおすと、顔が見えなくなったエスィルトが、落ち着いた声で囁いた。


「自由になれたら、いつか帰りたいと思ってた。だからアキラ少年が気に病む事はないよ。君が私の事を考えてくれているのもよく分かってる。皇帝に直談判ってのは無謀な気もするけど、君ならなんとかできるんだろ?」


 体中に力がみなぎる。彼女から信頼されているのだ。俺は何としてもそれに答えなければならない。未だに脳の片隅に居座る迷いを蹴飛ばして、俺はエスィルトが示す北の方角に向かって跳躍した。





 移動は、最初は上手く行かなかった。エスィルトが耐えられないのだ。

 上下動が激しい上に、俺の衝撃吸収が下手なため、背負っているエスィルトにも衝撃が加わってしまう。

 解決する必要があった。エスィルトが大丈夫だとしても、激しい振動が高頻度で胎児に負担がかかった場合、子供が死んでしまう可能性がある。

 エスィルトを助けると決めた以上、彼女には何も諦めさせない。

 旅立って2日目に、俺はエスィルトを休ませて、走りの訓練をすることにした。

 異世界で生じた疑問の答えはマニュアルにある。

 異世界転移した競争選手の記述があったのを思い出したのだ。彼は、転移した世界で、魔王と呼ばれる存在への対抗組織の一員として働くことを選んだという。具体的には、薬水や清潔な水が入った樽など、前線への兵站役として重宝されていたらしいのだ。

 大跳躍すれば樽が砕ける。最初のうちはそういった理由から固体食糧ばかり運んでいたと書いてあった。

 しかし彼はランナーである。チートによって得た身体能力を加味した運動方法を見出し、後進のために残しておいてくれた。


 曰く、斜め上に跳ぶのではなく横に跳べ。

 そもそも斜め上に跳ぶからいけないのだ。

 跳躍するような走りは上下動が大きくなり、進行方向の移動距離が短くなる。

 三角関数だ。斜めに移動したなら、その水平成分は必ず移動距離より短くなる。だから距離を稼ごうとすれば跳躍の頻度を上げざるを得ず、背負い荷へのダメージも多くなる。

 これを避けるための走り方が、滞空時間を短くする超低空跳び走りである。

 物理的に、そして人体の構造的に、一切の体重移動なしに横方向の移動を行うのは無理だ。重心の上下は多少なりとも必要になる。だから、彼は次善の手を編み出した。

 重心を落として上下動を減らし、更に一歩当たりの距離を長く取る。そうすることで背負い荷へのダメージを減らす。言葉にすれば簡単な理屈だった。

 実現にあたって、問題が一つ。

 滞空時間が短いので、跳躍後の二の足を踏みだすのが難しいのである。

 最初のうちは、理屈を実践できずに足がもつれて転ぶことがしばしばあった。

 何度も土を体にまぶして、理屈と実践を突き合わせていくのは楽しかったが、エスィルトの身柄と未来を預かっている以上は楽しんでいるだけともいかない。

 真剣に取り組んで気付いたのは、肝心なのは筋肉の使い方だということ。

 蹴り足を強く蹴り出す腸腰筋と内転筋、着き足を強く引き戻すハムストリングスと大臀筋。これらの筋肉群を意識することが肝要だった。蹴り足を出すと同時に着き足を大きく伸ばす。コンパスを開くイメージだ。着いた足で体を強く引き戻し、そのまま蹴り足と交換する。この動きは、腰を下げたまま行うには腰回りの筋肉を意識しなければならないというわけだった。これを意識するように心掛けてみれば、数時間後には体得できた。





 そんなわけで、エスィルトの体力が持つ限り、一日中走る生活が続いている。時速はだいたい100km/h。最初はビュンビュンと鳴る風の音に怯えた様子だったエスィルトだが、慣れてからは楽しそうですらあった。

 マーレ帝国は街道を敷設しているので、走る場所も街道を選んだ。というか街道沿い以外の道筋はエスィルトが知らないし、迷ったら皇帝に出会えず終わりになる。もとより街道を行く以外の選択肢はなかった。

 街道から逸れるのは、食事のための狩り目的で森に入るときだけである。


 狩りも二度目となれば、エスィルトも驚きを見せない。獲物を解体する手つきは慣れたもので、彼女こそがチート持ちなのではないかと思うほどに手際よく、熊の死体が皮と肉と内臓に分別されていく。

 それを見ながら、俺は弓切り式の着火装置で火を起こしていた。こんな着火作業、俺がチート持ちでなければ実現できなかっただろう。

 火を起こしたら燻製の準備だ。

 燻製には複数の効果がある。

 第一に殺菌。生体中には雑菌が無いが、死体には雑菌が繁殖し始める。これを燻煙で燻し殺して保存期間を延ばすという意味がある。

 第二に防菌。燻煙が肉の表面に付着すると、それが樹脂膜の働きをして、雑菌の侵入を防ぐのだ。

 第三にして最も大事な理由が味付けだ。薫香は食欲を増し、味気ない移動に彩りを添えてくれるだろう。

 さすがに燻製器作りは道具がないと難しい。実は、生肉の加猪の死体まるごとを農村に渡した時、5デナリウスの代金を断る代わりに、革鞄、伐採用の手斧や、防寒着にと毛皮、加えて、体毛があるとはいえ全裸に長衣を巻いているだけのエスィルトのために、麻の下衣を何着か貰ったのだ。

 明らかに逃亡奴隷だと分かる俺たち相手でも取引をしてくれる思惑がよく分からず疑ったが、エスィルトに言われて理由が分かった。

 俺が立ち寄ったのは農村であり、農奴から小作農に、つまり自由市民に昇格した人たちの集落だったのだ。同じ枷を負わされた者に対する共感のようなものだと考えれば、特段疑う必要もなかった。

 そんな相手に迷惑をかけるわけにもいかない。俺たちは1日ばかり走って、つまり合計で500kmほどの距離を稼いだ辺りで森に入り、3度目の獣狩りと、初めての行動食作りに勤しんでいるという次第である。

 手斧を使って木板を作り、箱を組む。その際に、後で組み込むザルを嵌めこむ窪みを作っておくのを忘れない。その後は材木を粉砕してチップを作る。後は箱を作りがてら組んでいた木材でザルを作る。そこにチップを乗せれば燻製の準備は完了だ。


「エスィルト、解体の調子はどうでしょうか」


「できてるよ」


 手渡された肉は、掌サイズに切り分けられてある。これを木箱に吊るし、50℃前後の燻煙が肉にかかるように高さを調整。俺の手にある熱感センサーも特別製だ。火を焚く時に熱気と火からの距離の関係式を出しておいたのである。

 俺は膝立ちになって、木箱に火を仕込んでいく。解体を終えたエスィルトは、小川で肉の血抜きをした後に、焚火に手を当てて乾かしていた。焚火の位置まで運んでくる力仕事は俺が担当。

 燻製作業は、肉の量を考えるとこれから1日仕事だ。野営もこの場所ですることになる。火が絶えないように木1本を折って持って来たが、薪割りはまだしていない。やらなくては。

 手順を頭に思い浮かべながら、別の思考を回す。

 俺たちに追手はかかっていると思う。俺の値段と、そこから予想されるエスィルトの値段を考えれば当然のことだ。トゥルスの面子を文字通り潰した事も怒りを買っているだろう。しかし、追手が俺たちに追いつく心配はしなくていい。

 第1イタリカ軍団と港湾都市アトナテスまでの移動速度が日に50kmほどだったことを考えると、マーレ帝国の移動距離も大体その程度と想定できるからだ。訓練された兵士の移動距離がそうだったと考えれば、それより遅い可能性もある。

 俺とエスィルトは既に彼らの10日分を進んでいる。2日目に走りの練習で1日を潰し、4日目に食料作りで1日を潰しているが、1日で10日分を稼いだのだから、これからもどんどん差が開いていく。気にしなくていいはずだ。

 ここで追手を撒ききるための腹案もあるのだ。

 そんなことを考えながら、川沿いに積まれた熊肉の山を焚火に移し終える。


「エスィルト、私は薪を追加してきます。燻製作業の続きはお願いしてもよろしいでしょうか?」


「わかった。熊肉、全部燻製しちゃっていい?」


「お願いします」


 と言ってエスィルトに背を向け、折って来た木を細かく枝打ちしていく。枝は使うが、広葉樹の葉は水分が多すぎて使い物にならない。枝に付いた葉をざっと取って捨て、枝をエスィルトが作業する焚火の側に持っていく。肉を焙り焼くための串にするのだ。

 そんな俺を横目で観察しながら燻製作業を続けるエスィルト。何か話したい事でもあるのだろうか?

 ひとまず気にせず、丸太まで戻る。斧が壊れないように慎重に、しかし大胆に皮付きの丸太を寸断していく。これを縦に割って初めて薪の完成だ。

 折りたての丸太は、中にたっぷりの水分を含んでいる。その状態でもしっかり火がつくように、薪は努めて細くした。

 その分作業には時間がかかるが、俺の体は特別製だ。斧が壊れない限界の速度で作業し続ければ、丸太が薪に変わるまで2時間もあれば十分だった。

 一抱えの薪を持ってエスィルトの元へ向かう。


「お疲れ、アキラ少年。燻製は調子いいよ」


「ありがとうございます、エスィルト。もうそろそろ日も沈みます。今日はここで野営にしてしまいましょう。打った枝を置いておいたので、食べる分を焼き始めて貰えませんか? 私は内臓を埋めてきます」


 血の匂いは獣を引き寄せる。食べない分は埋めて獣を寄せ付けないようにするのが野営の際には重要だ。寝ている時に襲われたら、俺はともかくエスィルトが死んでしまう。

 地面を手で掘り込み、分けられていた内臓を放り込む。穴を埋めれば野営準備は完了だ。小川で手を洗い、エスィルトの隣にあぐらで座り込む。

 生木が爆ぜ、パチパチと音がする。表面を焙られた熊肉が、汗のように脂を吐き出している。なんとも空腹を誘う光景だった。


「作業が早いねえ、アキラ少年」


「大したことはありませんよ。エルフなら誰だってこれくらいできます」


「そっか、ハイエルフって凄いんだね。あー、これとか良い焼け具合じゃない? ほらどうぞ」


 エスィルトが差しだしてきた枝を受け取り、思わず舌鼓を打った。熊脂が美味い。乳香のような香りが食欲を誘う。

 食感も良い。筋を切っていないので筋張っているが、それがまた肉を食っているという実感を与えてくるのだ。冬眠前の熊を狩れたのが良かったのだろう、たっぷりと脂が乗った肉が極めて美味だ。


「美味しそうだね、私もいただこうかな」


「食べてください、これだけ加熱すれば寄生虫の心配もないでしょうから」


 豪快にかぶりついたエスィルトの顔がほころぶ。楽しんでくれていて何よりだ。

 強いて言うなら野菜と一緒に鍋にしたいところだったが、鍋がないからには焼肉とするしかない。


「アキラ少年さ」


 一つ目の串を食べきり、串を火に投じる。次の串に手を伸ばし、かぶりついたタイミングでエスィルトが声をかけてきた。


「なんでしょう」


「君、エルフじゃないでしょ」


 むせた。

 俺の頭にあったのは、何故の一言だけ。偽装が完璧だったとは言い切れないが、何故エスィルトに露見したのだろう?

 というか、バレたからにはエスィルトを殺さなければならないのか?

 いや、違う。ヒステリックになるな。

 バレたという事実の評価をしよう。エルフではない事がバレた。だが、俺が吐いた嘘の全てがバレた訳ではない。

 基底現実出身。先進文明人。バレたら不味いのは、先進文明人であるという事。それが露見しない程度に欺瞞チャフを撒こう。

 いや、待て。そもそも、エスィルトはどうして気付いたことを俺に伝えた?

 彼女はと言えば、俺の悩みを一顧だにする様子もなく、熊肉を口に運び続けている。指に付いた油を舐めとる姿が俺の視線を掴んで離さない。


「お父様がエルフだったから、木を大切にしろって何回も言われたもんさね。だから、木を丸太にしたり薪にしたりするアキラ少年がエルフじゃないって分かった」


 そこか。俺は思わず額を打った。行動が軽率すぎた。エスィルトの近親者にエルフが居るのは間違いない以上、偽装カバーも徹底すべきだった。

 そうだ、この世界に来た時に交戦したエルフの事を思い出すべきだった。彼は俺が樹木を折った事に激怒していたではないか。

 エスィルトは、妙に高い身体能力が変だとは思っていたけど、と言葉を継いで。


「エルフじゃないなら、君はどういう氏族なの?」


 最も訊かれたくない問いがやってきた。

 訊いてくれるなよ、と心の中で叫ぶ。隠しているのは訊いて欲しくないからだ。それを汲んでくれよと思って――俺が悪いだろうという、内心の叫びを受け入れる。

 俺が嘘を吐くから悪いのだ。訊かせた俺が悪い。俺が嘘を吐かなければ彼女が疑問を持つことはなく、今までのややこしいあれこれも起こりえなかった。そうだ、俺が悪い。

 だから、白状することにした。


「私はヒトです。ヒトという氏族なのです」


「ヒトぉ? それって、皆が君みたいにエルフに似た姿をしてて、バカみたいに力が強いってわけ?」


「いいえ。――ですが、そうだとも言えます。私のいた場所から来たヒトは、皆バカみたいな力を得てしまう」


 エスィルトが目を丸くする。

 その瞳に映っている俺の顔は、これ以上嘘を吐かなくて良くなったと、晴れ晴れした様子だった。


「いた場所って、巨大樹の森? じゃあないよね」


「別の世界、と言って分かるでしょうか」


 俺の言葉を受けて、エスィルトが串で空を指す。

 夕陽が沈み、星々が輝き始める。


「それって、あの中にある?」


 何が言いたいのか考え、夜空に輝く星々を指しているのかと気付く。

 かなり違う。首を振って否定すると、エスィルトは困惑したように顎に手を当ててしまった。

 どう説明したものか分からず、とりあえず基底現実時代に教わった仮説をそのまま伝えることにする。


「まず上の世界と下の世界があります。何かの拍子で上の世界から弾き出されると下の世界に落ちてしまう」


 水平にした左手で下の世界を、同様の右手で上の世界を示す。右手を握って左手に落とすと、エスィルトが半信半疑と言った様子で声を上げた。

 ギリギリの説明だ。これはチート能力付与の説明にはなるが、進んだ文明が異世界に存在する事にはならないはず。


「空から落ちてくるみたいなことだよね。潰れて死ぬでしょ」


 言われてみればそう考えるのが妥当だが、実際のところ潰れて死ぬことは無い。

 落下のエネルギーは全てチートに転化される。


「この落下距離の分だけ、我々ヒトは力を得られる。そういう風に考えておいてください。あと、このことはくれぐれも内密にお願いしますよ」


「分かった。分かったけど……そっか」


 アキラ少年は、エルフじゃないんだね。風に乗せるように呟いたその声が、俺の罪悪感を掻き立てる。

 良い機会だ、この際に嘘を吐いたことも謝ろうと思って、グッとこらえる。

 それは俺が楽になりたいだけだ。

 俺はきっと、状況が違っても嘘を吐いただろう。

 それを悪いと思いながらも説明を放棄しただろう。

 生存のためだ、帰還のためだ、と嘯いて。

 なんて卑しい確信犯。謝ればエスィルトは許すだろう。だが、俺のような確信犯が謝罪で楽になるなど、俺自身が許さない。

 行動の償いは行動で返すべき。

 エスィルトとの会話で自覚した。俺はいずれサルベージ部隊に回収されて基底現実へ帰還するのだ。そうなった時、もう知らんとエスィルトを放置することはできない。いずれ来るタイムリミットまでに、彼女に、皇帝の庇護という盾を与えなければならないのだ。


「でもアキラ君さ」


 俺が決意を固める横で、エスィルトが、再び星々へと串を差し向けて、自分語りのように呟いた。


「元々は空にいて、凄い力がある。それって、デウスみたいだよね」


 デウス? またも知らない単語が出てきた。

 暗くなってきたからだろう、エスィルトは俺の疑問の表情に気付かず、デウスとは何かと言いつのろうとした俺に、串焼きを手渡しながら言った。


「ま、いいさ。アキラ少年はヒト、だけどエルフの真似をしている。その理由は内緒。そういうことだよね?」


 串を受け取って、無理矢理に思考を閉じる。これ以上の夜更かしは明日に響く。俺は問題ないが、背負われるエスィルトに無理は禁物だ。

 北を見上げる。そこには、明日超えるべき山が聳えていた。


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