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異世界転移事故事例14号  作者: 北見鷹多
Ⅰ 生存
3/14

Ⅰ-Ⅲ 対話

 旅程の初めは、針葉樹が目立つ寒冷地らしい景色が続いた。寒々しい景色の上は雨雲の灰色で染まり、今にも泣き出しそうな空からは白い欠片が舞い落ちてくる。風は肌を突き刺し、吐く息は白い。

 端的に言って寒い。身体チートは生理的恒常性ホメオスタシスにも及ぶらしく、今のところ風邪のような症状は出ていない。だが、寒いものは寒いのだ。

 既存の転移事故事例から見られる異世界の技術レベルからは考えられない事だが、俺たちが行く道は石畳で整備されていて、道の側には点々と宿が並んでいる。しかし俺たち一行はそこには立ち寄らず、道から少し外れた土の上で野宿しながら旅を続けていた。


「なぜ宿は使わないのですか?」


 と問うのも、俺を運ぶ4体のうち、特に小鬼が寒そうにしているからだ。爬虫類のような竜こそ寒さに弱いのではないかと思ったのだが、彼はどうやら火竜の類いらしく、寒さとは無縁の様子である。

 観察している限りにおいて、もっとも寒そうにしているのは小鬼であった。考えれば当然で、体毛がない上に体積が小さい彼が最も寒さに弱いのである。


「宿は使わない。お前は知らないだろうが、宿には二種類あるんだ。綺麗な方と、汚い方。綺麗な方は皇帝陛下の許可が無いと使えないし、汚い方を使うのは軍団の名誉に関わる。それなら、野宿をする方が兵士らしく剛毅だろう」


 心配の相手である小鬼がそう返すので、余計な気遣いはやめた。


 旅が始まって一週間が経つ。その間に彼らを観察して分かったのは、俺が相当に嫌われているという事である。

 竜とドワーフは無口な方ではないらしいのだが、俺とは一切口を効こうとしない。

 人馬に至っては俺が口を開くたびに嫌そうに睨んでくるのだ。この会話でもじっとりと睨んで来ている。出会いが最悪だし、その後に挽回も出来ていないので仕方ないが、こうも嫌われると俺だって気分が悪い。

 そうは言っても、俺を売りに出す以上は食事をさせない訳にはいかないらしかった。身の回りの世話は専ら小鬼が担当している。彼も俺の事が嫌いらしい(初対面で呼吸困難にさせているのだから当然だ)が、小鬼は自分の感情より義務を優先できる実直な兵士だった。

 食事が冷めないように出来立てのものを渡してくれるし、通りかかった風呂(驚くべきことに、この異世界には風呂がある。これも既存の転移事故事例にはない文化だ)から湯を貰って体を拭かせてくれたりもした。

 下の世話までしてもらっているのは恥ずかしいが、それさえも嫌な顔一つせずにしている彼に対しては、親愛どころか尊敬の念さえ抱いていた。

 そういった流れから、俺の雑談相手も小鬼だけである。


「次の料理はニンニクが入ったものだと嬉しいです」


「ニンニクか。俺も好きだが、お前は伝説に聞くエルフよりも俗っぽいな」


「体が温まります。あの森で暮らしていた私にとっても、この吹き晒しは堪えるのですよ」


 元より防寒性能が無い寝間着の上に、今は第1イタリカ軍団で滅多刺しにされたせいで服はズタボロである。全裸の方がまだマシだろうと思って脱ごうとしたら小鬼に怒られた。

 曰く、全裸は神にのみ許される至上の美態なのだとか。どんな文化だと思ったが、そういう文化ならば仕方あるまいとボロボロのパジャマのままである。着替えは用意できないらしかった。合うサイズのものが手持ちになく、売られてもいないのだ。


 閑話休題。


 調理番は持ち回りらしいが、最も俺の舌に合う料理を作ってくれるのが小鬼なのだ。ドワーフと竜は切って焼くだけ煮込むだけの雑料理だし、人馬は魚醤を多用する癖があった。俺は魚醤の魚臭い風味があまり得意ではない。小鬼も魚醤は使うが、彼はチーズを使って臭みを巧みにごまかしてくれる。

 俺が小鬼の料理で最も良いと思ったのは、平たいパンに魚醤を塗ったものに塩漬けの豚肉の柵切りを乗せ、保存用の硬質チーズを削って乗せたものだ。

 基底現実で言うならピザである。発酵された魚醤の臭みは熱でマイルドになり、芳醇なチーズ――基底現実のそれと遜色ない美味さのチーズだ――と塩漬け豚肉の旨味が混然一体となり、非常に美味い。

 特に塩漬け肉に対する気遣いが好ましいのだ。ゴロっと切った豚肉の食感はどうしたってパンとは合わないが、彼は丁寧に細い柵切りにするのである。

 脂の少ないハムやベーコンとでも言うべきそれを、別の調理器具でカリカリに焼いてからパン生地に乗せるのだ。一つ一つの食材に対する気遣いの巧みさ、細やかさは、もはや兵士にしておくのが勿体ないと思わせるようなものだった。

 このように俺は小鬼こそ名料理人と思っているのだが、そんな彼がどのようなニンニク料理を出してくるのかが楽しみなのである。


「ニンニクは了解した。カビが生える前に使っておきたいのは俺も同じだ。だが寒さは耐えろ。1週間後には緩む予定だ。山を越えれば暖かくなる」


「山ですか」


 前方を見ると、結構な高さの山が聳えていた。思わず唾を飲む。本気でここを通るつもりなのか? 今でも寒いのに?


「あそこは相当な荒れ山でな。かつてあったのは大規模な東征を可能とするほど強大な国家だったのだが、我々マーレが征服してからは、そこの者は住みよい南へと移り住んでしまった」


 げえ、と思った。食料の調達に難儀しそうだからだ。通ってきた道にも集落はあったのだが、どこもかしこも寒村だったのである。

 この寒い土地では食えるほどの小麦が育たないらしく、村々の主食は主にライ麦。

 これで作ったパンは硬く酸っぱい黒パンで、食べるたびに基底現実が懐かしくなるわびしい味わいなのだ。俺の身体能力チートは咬合力にも及ぶので嚙み切るのに手間は無いが、兵士4体はスープに漬けたりしゃぶったりして柔らかくしないと食べられないようだった。竜は除く。

 そんな村しかない状態では徴発はもちろん食料の買い出しもできるはずがなく、兵士4体は手持ちの食料を使い切る前に貨幣取引ができる地域に行かなければならないようだった。

 盗み聞いた旅程の通りならば2~3日の余裕をもって到着できるだろうとの事だったが、どうせトラブルがあって遅れて腹を減らすことになるんだろうな、と俺は悲観するのだった。





 寒冷地は生活の余裕が少ない。生活の余裕がないと教育の余裕もない。一生農民として生きていくならばそれでも問題はないのだろうが、問題は農業が出来ないほど困窮してしまった場合である。寒さに強いライ麦でも絶対に実るとは限らないのだ。

 病気や虫害、常なる税。様々な理由で食うに困るタイミングが生まれる。

 食うに困ったらどうなるか。

 野盗になるしかないのだ。


「見た事ねえ氏族だ! 奴隷市で高く売れる!」


「置いてけ! そいつは俺らが貰った!」


 20体ほどの群れで、犬の顔をした二脚のモンスターが襲ってきた。マニュアルでいう所のコボルドだ。彼らの動作は俊敏で、武器を扱う知能と鋭い牙を持つ危険な生物である。

 しかし、教育を受けていないだけあって、コボルドたちは手を出してはいけない相手というものがわかっていなかった。野党は全員が食い詰めた農民なので、装備はとても貧弱だ。剣こそ持っているが、鎧も着けず貫頭式の上衣そのまま。

 対する4体は、今回は全員が武装した状態である。いつ俺が暴れ出してもいいように備えていた彼らの対応は迅速だった。


「4匹だけだ、囲んで殺っちまえ!」


 と叫んだ頭目リーダーの頭蓋に、素早く抜き放たれた人馬の矢が突き刺さる。物言わぬ死体となった頭目を目の当たりにして怯んだコボルドたちを襲ったのは、残り3体による容赦ない蹂躙であった。

 身の丈より大剣を振り回す小鬼によって首を落とされるコボルド、ドワーフの槍で胸を貫かれるコボルド、竜の一太刀で両断されるコボルド。隙を見て放たれる人馬の矢も手伝って、20を数えたコボルドたちは十分もかからずに全滅していた。

 守られた形の立場で感じてはならないことだが、正直、俺は引いていた。

 最初から戦力差があることは明白だった。殺さずに捕まえることもできたと思うのだ。


「やりすぎではありませんか?」


 相も変わらず、俺の問いに答えてくれるのは小鬼だけである。

 彼はコボルドの服で血糊を拭きとりながら、苦々しげに言ってきた。


「仕方あるまい。担当地域を巡回し、盗賊を見つけたら征伐する。これも我々、補助兵の仕事だ。平和の維持とはそういうものだろう」


「裁判は受けさせないのですか? 今までにどのような罪を犯したのかをはかり、然るべき刑を与えるべきでは?」


 小鬼の不快はいや増し、ついには吐き捨てるように言ってきた。


「殺しの罪は殺しで贖わせる。それが法だ。第一に彼らは我々を殺そうとした。第二に初犯とも思えない。故に殺した」


 納得したか? とばかりに気を吐き、剣を鞘に納めて、街道から離れたところに集まっている3体の方へ向かって行った。


 小鬼が正論だ。今度は俺が黙る番になった。

 過剰防衛のきらいはあるが、ああやって野盗を討伐することで、こうはなるなよと睨みを利かせているのだ。必要な仕事というのも納得できる。

 頭を掻く。湯を借りたばかりなのでフケも落ちないが、強く掻きすぎて少しばかり血が出た。俺が、何が気に食わなくて小鬼に突っかかっているのか分からないのが気に食わないのだ。

 こういう時は脳内会議に限る。

 第一者、疑問に思う俺。


「そもそも、南に移らず寒冷地に留まっているということはだ。金が無くて南に移住できないということだろう。うん? それってどういうことだ? ああそうか、金が無いと南に移住しても土地を買えないし小麦の種も買えないのか。移住しても農業をやれない。うん? それなら商人をやればよくないか?」


 脳内会議の出席者が拍手する。そうだそうだ、確かにその通りだ。

 それに対して否を唱える第二者、分析する俺。


「街道を通って移動しているのに行商と出会っていないのが気になる。この地域では商業が発達していないんじゃないか? ほら、宿も皇帝が許可したものか汚いものしかないと小鬼が言っていただろう。商人が通るなら宿場も発達しているはずなんだよ」


 だからどうした、関係ない話をするな。

 俺のいらえを無視して第二者が続ける。


「ここでは物々交換が主なんだと思う。貨幣が機能していないんだよ。そんな土地で行商をやろうって発想が出るか?」


 ああ、分かってきた。俺が気に入らない物の正体。

 俺が言う。


「このコボルドたちは、行商をやるとか別の土地に移り住むとかの選択肢を与えられてない。いや、選択肢はあるけど、その選択肢は定住より魅力的に見えてないんだ。それ自体はいいよ、選択だし。でも、食い詰めた農家に食料の補助を出すでもなく、強盗やるしかないくらいまで追いつめてるのは政治だろ。なら、コボルドたちは被害者だ」


 竜が道端に穴を掘り、他3体がテキパキと埋めていく。それを見ながら、俺の脳内会議は大体の結論に至っていた。


「被害者が強者の理屈で蹂躙されている。俺が気に食わないのはそこなんだ」


 俺の中で、三人目がぼそりと呟いた。


「だったら、チート能力もちの俺だって、俺の理屈を使っちゃダメだろ」


 糾弾する気持ちが一瞬で萎えた。

 俺が俺の理屈で小鬼たちを叱るのだって、全く同じ強者の理屈の押し付けだと理解した。

 都合の押し付けと言うならば、俺の都合で小鬼たちとの対話を打ち切っている状態も良くない。基底現実の事がバレない程度にぼやかして、知る限りの森の中の事を教えなければ筋が通らない気がしてきたのだった。





 翌日、言えることと言えないことを整理した俺は、昼には覚悟を決め、森について話すことにした。


「森の事をお話しします」


 台車の音が止まった。竜がハンドルを下ろし、俺へと振り向いたのである。

 振り向いたのは竜だけでは無かった。全員が同時に俺の方を見ていた。


「何のつもりだ?」


「よくよく考えてみれば、私が話した方が争いを止められそうだと思ったのですよ」


「撤退した方が良い、などという戯れ言をまた言うなら話はこれまでだ」


 憎々しげな表情で俺を見る人馬。竜もシューシューと赤熱の息を吐いている。

 竜がハンドルを持ち、台車の運行が再開される。

 各々が常の様子に戻ってしまった。ドワーフは相変わらず黙然とし、人馬は侮蔑の一瞥を投げてから歩行を再開した。小鬼は他3体と俺を交互に見て様子を伺っている。

 聞く意思があるのは、あって小鬼だけのようである。

 構わない。伝えたいから伝えるのだ。

 第1イタリカ軍団の基地の士気の高さを見るに、彼らは決して戦争を諦めていない。

 そうなれば、この4体も再び斥候として巨大樹の森へ送られるに違いない。

 あそこは人外魔境だとドワーフは言った。俺もそう思う。巨大な樹を支える巨大な根の織り成す迷路、襲い来る巨大狼の群れ。エルフの拠点がどこにあるのかは分からないが、彼らが襲ってきた場合も死者が出るだろう。

 森から脱出できたのは俺の身体能力があってこそで、鍛えられた程度の敵性生物モンスターでは易々と殲滅されてしまう。

 だからどうした、と思っていた。

 だがもう、それは見過ごせないと俺は思っている。

 昨日彼らが殺したコボルドのようには、この4体はなって欲しくない。

 俺はあぐらのまま、4体――いや、4人を見回した。


「皆よ」


 小鬼が口火を切った。

 他3人が振り返り、小鬼を見ている。その視線を受けて少したじろんだ彼は、しかし落ち着き払ってこう言った。


「聞いてやらないか? お前たちは努めて無視していたから知らんだろうが、このエルフはなかなかに見聞がある」


 人馬は舌打ちした。

 竜は長い首をもたげて俺と小鬼をためつすがめた。

 ドワーフは相変わらず同胞を失ったショックから抜け出しきれていないようで、しかし瞳には暗い情熱の火が見えた。復讐の切っ掛けならばと、話を聞く態度に見えた。

 残念ながらその期待は外れる。俺は深呼吸し、努めて平静に語り出した。


「あなた方に出会った場所は森の辺縁です。あそこより、あなたたちの足で7日ほど進んだところに森の中心となる集落があるのです」


 ドワーフが脱力した。


「あそこが端っこじゃと……?」


 おおお、と地面に突っ伏して嘆くドワーフ。人馬と小鬼はどうどうとなだめて彼を立たせたが、ショックの色合いは2人にも見受けられた。

 俺は少し驚いていた。帰りの段階では巨大狼に襲われなかったので、4人との交戦場所となる小広場までは楽に辿りつけたものだと思っていた。そこから森の深部へ移動し、巨大狼の群れに襲われたのだろうと。

 ぞっとする。単純に運が良くて巨大狼に襲われなかっただけなのだ。襲われていたらどうなっていたか。4体はなすすべもなく殺され、俺は自由が利かない状態で巨大狼に群がられて飢え死にする所だった。


「続きは?」


 冷静な声色の竜が促すので、思考の沼から脱出して話を再開した。


「森の中心となる集落までは、辺縁部よりも遥かに大きい、巨大樹で作られた天然の要塞です。これは森の辺縁よりも遥かに危ない」


「要塞とは大きく出たものよ。木が大きくなっただけだろうが」


「樹の高さは、竜のあなた……」


 竜はシューと息を吐き、俺へと視線を向けて言ってきた。


「我が名はアウルス・ドラゴス・ピソ。ピソと呼べ」


「では、ピソ。深部の樹は、立ち上がったピソを4人ほど縦に重ねたより高いのです。それだけの巨大樹を支える根はいかほどの太さになると思いますか」


 人馬が、閃いた(エウレカ)と言わんばかりに閃いた様子で瞳を輝かせた。


「私の2倍ほどの直径となるだろう。ああ、言いたいことが分かって来たぞ」


 ドワーフもショックから立ち上がったらしく、おそらくは恐怖で、ぶるぶると震えながらも俺の話に同意を示す。


「森の深部は根の織り成す迷路になっているのじゃな」


「その上、四脚狼と出会うのも変わらないのか」


 頷く俺。

 脱力しながらため息を吐く4体。


「これだけではないです」


「まだあるのか」


「エルフとの交戦が待っています。エルフの戦闘能力は私のそれを見てご存じの通りですね」


 竜が舌を出し、瞑目した。


「頸をグラディウスで斬り付けても平気な顔をしているお前のようなのが、巨大樹の森を行く大長征アナバシスの先に待っていると」


 まあ俺に比べたら桁違いに脆いはずなので大嘘だが、深刻な表情をして、ゆっくりと頷いて見せた。

 ドワーフが震えている。


「わしは、わしは嫌じゃ。そのような恐ろしい地には征きたくない。言ったろう、禁足地じゃと。踏み入るべきではないのじゃ」


 小鬼が、肩を支えながらドワーフを叱責。


「背反に聞こえる事をを口にするなと言っているだろう! 逃げるのではなく、正当に森の危険性を訴えるのだ。我々は実際に偵察してきた。だから我々の発言には大きな価値がある。最初にドワーフ氏族が訴えた状況とは違い、全滅という結果が付いてきている。今度は聞き入れてもらえるはずだ」


 なだめすかして説得され、そうか、そうだなと納得した様子のドワーフ。

 どうにか彼らが撤退する方向に話が進みそうだ、と胸をなでおろした俺は、しかし人馬がいる事を忘れていた。


「巨大樹の森を制圧せねば、ダキアの制圧は成らぬ。北方にエルフの脅威が控えた状態だぞ? 許容できん」


 人馬が苦々しげに言う。

 頭では分かっている、という様子だった。このままでは自分がただ死ぬだけだと。

 しかしそれでも、彼には撤退だけは許せないようだった。


「ケントゥマルス、お前の氏族が皆死んだように、私の父も死んだのだ。制圧を中断するのは、死した兵士たちの命に対する冒涜であろうが」


 氏族の事を引き合いに出されて、また悲しげな顔をするドワーフ――ケントゥマルス。対して、小鬼は怒りも顕わに人馬に食って掛かった。


「お前の父が死んだのは東方の制圧戦だろう! なぜそうもダキアの北に拘る? 我々の命がかかっているというのに!」


「お前たちこそが怒るべきだろう。ダキア属州の南、モエシアのピソ! ダキア属州の西、パンノニアのケントゥマルス! 首都マーレのキケロ、お前だから分からぬのだ。ダキア属州の征服のために死んでいったのはドナウの民の父祖なのだぞ!」


「分かっているとも」


 激昂する人馬に、ピソがぴしゃりと叩きつけるように言う。

 しかしそれは、更なる激昂をもたらすだけだった。


「何が分かるというのだ、ドラゴス……!」


 シューと気を吐いた竜は、静かな調子で語り出した。


「お前が何に不満なのか、だ」


 ぴくりと肩を震わす人馬。

 対するピソは、矢継ぎ早に言葉を投げつけていく。


「田舎者の私だが、東方シリアから戻って来た第1イタリカ軍団に配属された補助兵に変わりはない。戦の顛末も噂には聞いている」


 変わらず台車を引き続ける竜の言葉は、それこそ地勢の把握に必須となる知識だった。俺と直接のかかわりはないかもしれないが、ピソの属する国家マーレの動向はきっといつか役に立つ。


「泥沼だったそうではないか。ペルシアンとの戦争は膠着し、戦線の背後となる東方各地でジュデッカの反乱が巻き起こった。仕舞いには皇帝インペラトールたるアウェンティネンシス様が病で崩御。そしてここより西方のドナウ流域でも蛮族が蜂起し、北方の海を隔てたブリタンニアでも蛮族の襲来があったというではないか。今上のトニトリウス帝が皇帝へ昇格したから事は済んだが、それが不満なのだろう?」


 ぐちゃぐちゃだな、と思った。

 頭に地図を思い浮かべる。詳しい地図は見ていないし、見せてもらえるわけがないので、簡単に円形の領土を想像。

 まず東方、円の右側で戦争が起きた。そのすぐ左で内乱。

 そして西方、円の左側で蛮族が蜂起。

 さらにさらに北方、円の上側で蛮族が襲来

 4正面作戦。どれだけ指揮に秀でていようが破綻して当然だ。それで指揮官が死んだ――別基底に帰還して不在となったので死亡したとカバーストーリーを流した――となれば、どうしたって指揮系統に混乱が生じるだろう。

 それなのに、今はむしろマーレが攻め込む立場である。どうすればそうなるのだろう。

 考え込む俺に気付いたのか、竜が水を向けてきた。


「奇異なる蛮人バルバリ、アキラよ。今上のトニトリウス帝はどのように事態を収めたと思う?」


 初めて名前を呼ばれた。急にピソとの距離が縮まったな、と思いながら考える。


「そうですね……」


 ガラガラ、ゴトゴトと回る鉄車輪の音と振動を感じながら、俺は脳を回していた。

 まず、先ほどのピソの発言から俺の誤解を訂正しなければならない。

 皇帝と聞いて思い出したのは、基底現実における神聖ローマ帝国の選挙による皇帝任命である。

 かの国では、選帝侯という少数の貴族によって、彼らを支配する皇帝が任命されていた。


 どうやら、このマーレは違うらしい。

 皇帝とは軍権のトップなのだろう。だから、そこが空位となった時には下位の指揮官が皇帝インペラトールとなる。そういうシステムなのだ。

 冷や汗が出る。複数人が同時に皇帝になったらどうするつもりなのか。絶対に皇帝の座を巡った内乱が起こるだろう。


 ――別の方向に逸れた脳を無理矢理軌道修正。


 先帝が崩御したということは、トニトリウス帝とやらは戦地で即位したことになる。皇帝が軍団のトップであると仮定すると、即位前のトニトリウス帝には、彼と同格の将軍が複数いた事になる。

 第一に避けるべきは指揮系統の混乱。

同格の将軍から一人抜きんでた地位に就いたトニトリウス帝をやっかみ、指揮に従いながらも内心で反発していた者がいてもおかしくない。

 俺なら他の将軍を追放するだろう。そして後背地で起こったジュデッカ(氏族か地名かは知らない)の反乱を抑え、指揮官としての地位を確立する。

 追放というやり方には大いに問題がある。まず、単に政敵を排除しただけだと誰にでも分かる。誰にでも分かるやり方で排除したのでは、そもそも先帝の死が今上トニトリウス帝によるものではないか、みたいな疑惑も生まれる。

 そうなっては指揮権の確立どころの騒ぎではない。内乱へ向かってまっしぐらだ。

 上手く政敵を排除するには……いや? 政敵ではなく、『政敵になりうる部下の将軍』と見れば簡単か。

 部下を指揮官として派遣するなら角が立たない。

そして、派遣先となる戦地は2か所もある。


「ドナウとブリタンニアの戦地に将軍を派遣する、でしょうか」


 と口にして気付く。これは良くない。

 ペルシアンとかいう国との戦争はどうなる? 北方と東方の蜂起を抑えても、戦争をするための兵力が無くなる――と、ここで気付く。


「そしてペルシアンとの間に講和を結んだのですね。だが、それはマーレの都合で戦争を打ち切る形だ。占領した土地を返せと言われても受け入れるしかない」


 だから人馬は怒っているのだ。父が戦死したような重大な戦争の結末で、その戦果である土地を放棄したのだから。


「その通りよ」


 台車を引きながらも感心したように振り向いて見てくるピソとは別に、人馬が低い声で肯定した。

 わなわなと震える拳は怒りの証左だ。


「私は、シリア戦線を放棄したトニトリウス帝の方針が気に食わぬ。そしてこうも思っている。ダキアでも同じことをするのではないかと」


「ダキアを放棄すれば、防衛線を短縮できるからな」


 へえ、ダキアは防衛線の邪魔になる土地なんだ、と脳にメモする俺。

 ぼそりと呟いた小鬼をキッと睨みつけて、人馬は続けた。


「そんな事は許されない! 私が死ぬのはいい。仲間が死ぬのも仕方がない。しかし、兵士の命を使うと決めたからには、征服は成して貰わねばならぬ。そうでなければ、私は彼を最高指揮官インペラトールとは認めない」


 彼の苦渋は分かった。だが、俺もまた譲る気はなかった。

 わざわざ死地に行かせないためにこそ、俺は話したのだ。

 俺は一か八かの言葉を吐くことにする。


「相互不可侵。それでよいのではありませんか? 我々エルフは森に棲めればそれで良い。領土的野心などありませんよ。森の外はあなた方が征服すればよろしい。森の中には手を出さないでいただきたい」


 ハッタリだ。

 エルフが領土的野心を持っていないかは本当に分からない。全く根拠のないハッタリに過ぎない。

 加えて、エルフと一切関係のない俺が「エルフは領土的野心が無い」と口にしたのも道義的に考えて大減点だ。

 ――いいんだよ、嘘でもなんでも。彼らが死なずに済む理由を作れればそれでいい。


「あなたたちに、死んでほしくない」


 人馬が頭を掻いた。

 彼の吐く息は白く、拡散して消えていく。


「巨大樹の森は、ダキアより北に広がる未開地だ」


 絞り出すように、人馬が言う。


「そこの蛮族エルフと講和を結べるのならば、ダキア属州を放棄する理由は無い、か」


 飲んだ。

 祈るような心地で説得の矢を放った俺は、内心で安堵のため息をついていた。

 いやしかし人馬すげえな、いまだに名前を知らないけど。

 気性は激しいが理性が強い、と感嘆する。

 あれだけ気を吐いたのに、説得一つで収めるとは。

 小鬼がパンと手を叩く。


「腹が減ったな。そろそろ野営と晩飯にしようではないか」


 小鬼が、人馬に声をかける。


「アメテュストゥス、鍵を貸してくれ」


 なんだと? 俺も人馬――アメテュストゥスもギョッとして目を丸くした。

 まごまごする人馬に焦れたのか、彼へ駆け寄った小鬼は、するりと首提げの鍵を掏摸スリ取って、俺を入れた檻の鍵を開けてしまった。


 なに?


 え?


 なに? 狂った?


「おい、アキラ! 前から思っていたが、これから奴隷として売られる者が、食事を用意されるだけというのは気に食わん。今日からお前が料理当番をしろ」


 ピソも、ケントゥマルスも目を丸くして小鬼の愚行に驚いている。

 なにしてんだこいつ、俺が暴れるとか考えないのか?

 そう思って小鬼を見つめていると、彼は頬を掻きながら言ってきた。


「なに、お前が暴れないことくらいはもう分かっているとも。あれだけ従順で、しかも何故だか我々の文化に精通している。無礼を働くこともあるまい」


 いやまあ、確かに俺はもう彼らに何をする気もないが。


「アー、なんだ、くそ、繕いの言葉がもう出ない。私の出では語彙がな。

なあ、アキラよ、ピソよ、ケントゥマルスよ、そしてアメテュストゥスよ。友を監禁するのは気が引けると思ってはいけないのか? 私はアキラと宴のひとつもしたい気分なのだが」


 友。

 胸の中に熱が灯る。そうか、小鬼は俺を友人だと思ってくれていたのか。

 彼は俺の事を嫌っていると思っていたが。

 ドン引きして固まった3人、いや俺も含めた4人は、恥ずかしげに頬を掻く小鬼を見て、なんだかおかしくなって、笑ってしまった。

 いやピソの笑顔怖いな。歯を剝き出しにした竜ってのは威圧的だ。

 思う様笑った俺は、立ち上がって檻から出て、じゃらんと鎖を鳴らして立ち、恥ずかしそうに顔を紅潮させる小鬼へと手を差し伸べた。


「我々エルフは、こういう時に握手をする。あなた方はどうですか? あー、」


「セクストゥス・ゴブリウス・キケロ。お前にはセクストゥスと呼んで欲しい。

マーレもこういう時は握手と決まっている。――意外な所が似ているな?」


 ニッと笑う小鬼と握手をし、俺は檻ごと台車を持ち上げて、アメテュストゥスの指示する野営地の方向へ運んだ。





 その夜は宴会となった。

 セクストゥスが「こんな夜に糧食などというしみったれた物は似合わん!」と豪語するので、俺が肉を獲ってくる運びになった。

 十数分で、近くの森からイノシシを獲って来た。そんな戦果に彼らは驚いている。

 イノシシを手早く血抜きして加食部を取り出すアメテュストゥスとケントゥマルス。手際が良かった。

 手早く簡易の陣営を作ったピソは、口から火を吐いて焚火を起こし、人馬とドワーフの手伝いに回る。

 俺はセクストゥスの指示を受けて、血抜きしたイノシシの肉を手で千切り分けていく。

 ナイフも使わずに手で……と驚愕するアメテュストゥス、ケントゥマルス、セクストゥスの3人に向けて得意な顔を一つして、塩とハーブを揉み込む俺。

 料理番をやれと言っていた小鬼が、結局は自分でニンニクのスープを作る。

 俺は木の枝の皮を落とし、串にしたものに肉を刺していく。

 そして、焚火の横に串を刺す。遠赤外線焼きの構えだ。

 火の上にかけねば熱が通らぬだろう、と苦言を呈すピソに、いやいやこの方が美味いんだと返す俺、そしてセクストゥス。

 時間はかかるけれど、と付け加えると、ピソは早い方が良いのになぁ、と不精がりながら、中身を洗ったイノシシの内臓を生で貪り出した。小腹が減っているらしかった。

 じりじりと焼ける肉から滴る脂の香り。たまらず涎を垂らす俺たち。

 やっちゃうか、とセクストゥスが飲み物を取り出した。葡萄酒だ。

 子供工場チャイルドファクトリーを卒業していない以上、酒を飲んだことが無いのは当たり前のことである。とはいえ、あそこには酒が無かっただけで、飲酒を禁じるルールも無い。俺は気にせず、セクストゥスから葡萄酒が入った杯を受け取った。

 それは酸っぱくて、初めての酒としてはよろしくない味わいだったが、しかし、最高の酒だった。

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