表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転移事故事例14号  作者: 北見鷹多
Ⅰ 生存
2/14

Ⅰ-Ⅱ 対立

 目覚めたら、そこは檻の中だった。

 ガタガタと振動する荷台の上の、檻の中である。太陽は既に沈んで真っ暗だが、周囲からは松明のものと思しき光と音が来ていた。

 拘束は檻のみならず、手錠と足錠によっても成されている。鎖の間隔は狭く、食事や歩行には困らないが、拳を振りぬくのは無理だろう。

 具合を確かめるために鎖をじゃらんと動かすと、荷台の上にいた小鬼が剣を突き入れてきた。


「動くな、バルバリ」


 無視することにした。檻に手をかけ、力任せにこじ開けんとする。しかし、檻はビクともしなかった。驚いた俺に、小鬼が嘲りの声をかけてくる。


「この世を去られた、アウェンティネンシス帝の作り出された神鉄の檻だ。お前の馬鹿力でも壊せんようだな」


 それを聞いて、もしやこちらもなのかと手錠を力いっぱい引っ張る。手錠もビクともしなかった。手首に痛みが走っただけだ。これでは足錠も壊せないだろう。

 物質創造の異能によるものということか、と一人得心する。

 マニュアル記載の転移事故事例の中にも物質創造能力を得た転移者の記述があった。その事例では、土から鉄を、しかも同体積だけ得ていた。

 最初は土を泥にして刀剣の形に成形し、鉄に変性させて武器を得ていたらしい。

 同量の原子を化学反応させても同量の原子の塊にしかならないという質量保存の法則をまるっきり無視しているし、核融合で土の主要元素である酸化ケイ素を鉄に変えたとしても、同体積の鉄にはなりえない。

 文字通り錬金術チートと呼ぶべき現象。

 しかし彼女に出来たのはあくまで錬金術であり、作れた鉄の武器も鉄の性状以外は持っていなかった。俺の腕力ならば鉄など簡単に曲げられるはずなのだ。

 神鉄というのは、俺にさえ破壊できない剛性を与えられた物質なのだろう。それは別にいい。


 問題は、他の異世界転移者がいるという事実である。

 チート能力の根源は世界間移動に伴う落差からくるエネルギーである。落差があるという事は、異能を持っているアウェンティネンシス帝というのが他の異世界から来た転移者なのも明らかだ。

 何故他の世界からと確信できるかというと、俺の世界から来た転移者であるならマニュアルの事故事例に記載があるはずだから。しかし俺の記憶にはそんなチートの記述はない。俺は俺の記憶力に全幅の信頼を抱いている。

 そういえば、と気付く。小鬼の言葉からすると皇帝は代替わりをしていて、今は居ないと言う事ではないのか?

 彼――皇帝というからには男だろうし――は他基底からの迎えに応じてそこへ帰ったのだ。転移者なのに皇帝まで出世するとは行儀の悪い、と舌打ちが出る。

 雲行きが良くない。仮に神鉄で作られた剣で攻撃されていたら、さっきの戦いは首を撥ねられて終わりだった。背筋にゾッと寒気が走る。

 そして、他の基底現実からの降着者がいるという事は、在野のチート能力者に出会う可能性もあるという事だ。気を引き締めて掛からねばならない。


 さて。

 とにかく脱出だ。檻は檻で、手錠は手錠だ。どちらも鍵穴がある。

 檻番と思しき小鬼から鍵を奪って逃げることに決めた。逃げ先はどこでもいい。とりあえず森に引き返すのもアリだ。

 問答無用で剣を向けてくる野蛮なエルフが住む森に帰るのはどうだろうと思わなくもないが、檻の中でまんじりともせず座っているだけというのは性に合わない。

 つらつらと今後の展望を考えつつ、檻から両手を出す。片手で小鬼の胸倉を掴み、もう片方の手で小鬼の体をまさぐる。

 鍵は見当たらなかった。

 

 顔をひきつらせた小鬼が、反対側を歩いていた人馬を指さした。小鬼を台車に置いた俺がそちらを向くと、人馬は首下げ紐に括りつけた鍵を取り出して見せた。表情からして、俺と言葉を交わすのが不愉快で仕方が無いという様子だった。


「鍵はこちらだ、バルバリ」


 流石に、荷台上にいた小鬼とは違って、遠間の人馬には手が届かない。仕方ない、降参だ。行儀は悪いが胡坐で座ることにした。


「それで、この台車はどこに向かう予定なんだ」


 この数分で初めて口を開くと、周囲の4体がげんなりした雰囲気になった。

 さきほどの騒ぎでは我関せずと台車を引き続けていた竜でさえも。

 それどころではないという雰囲気で俯いて歩いていたドワーフも。

 なんだ、人が喋っただけで失礼だな。

 鎧を脱いで肌着になっている――先ほど俺が鎧を潰してしまったからだろう――小鬼が、キンキンと高い声で俺を指弾した。


蛮族バルバリ訛りのエルフめ。貴様のような者と誰が話すか!」


「なるほど」


 俺が攻撃された理由が分かった。

 正しいラテン語ではない蛮族訛り(っぽい喋り)のせい、いうことらしい。俺の使うラテン語は2000年以上の歴史を経て変質している。

 それがラテン語を母語とする4体には耐え難い訛りとして聞こえているのだろう。

 挨拶が挑発と取られてしまったのだろう。最初に交戦したエルフといい、対話しようという姿勢が悪い方に出てばかりいる。

 まあいい、原因が分かれば対処もできる。


「聞き苦しい言葉で申し訳ありませんでした」


 できるだけ発音と格変化に気を使って喋ると、小鬼は気勢を削がれたように鼻白んだ。

 俺は決して喧嘩がしたいわけではない。仲良くできるならそれが一番良いのだ。

 そのためならば多少の面倒は受け入れよう。そう思って丁寧に喋ったわけなのだが、小鬼は恐縮した様子でこちらを見ている。

 言葉使いだけでコロコロ態度が変わる奴だなと思って眺めていると、今度は人馬が声をかけてきた。


「我々が向かっているのは、第1イタリカ軍団の基地だ」


 軍団基地。ということは、俺の推測は正解で、こいつらは正規軍というわけらしい。

 俺を基地に連れて行ってどうしたいのかが謎だが、とにかく、正規軍とするならおかしい事がある。


「軍団の行動単位が4人というのは少なくありませんか?」


 空気が軋んだのを感じる。じろりと睨んでくる両脇の2体。加えて、今度は新しい反応もあった。


「あの森に減らされたのよ」


 今まで黙っていたドワーフが、根元から引き抜かんばかりの力強さで、髭をしごきながら口を開いたのだ。


「あの森は神域じゃ。やはり手を出すべきではなかった」


 発音がなんとなくドイツ語に似ている。大丈夫だろうか? 小鬼は正当ではないラテン語を嫌うらしい。訛りのあるドワーフの発言に、小鬼が怒り出したりはしないだろうか。

 ドワーフに対して、小鬼が口を開く。その口調は俺が推察したそれと違って侮蔑の色が感じられないものだった。


「ケントゥマルス、気持ちは分かるが、言葉には気を付けろ」


 付け加えるように、人馬が続けた。こちらも理性的で、ドワーフを慮る様子が伺える。


「指揮官への反逆は死刑だ。お前を殺したくはない」


 竜は黙したまま、荷台を運んでいる。

 要は、仲間内なら多少の訛りも見逃すのか。まあ、あの好戦的なエルフが住む森から出てきた俺を度外視するのは当然だが。憮然として座る。どうせやることもない。

 台車のガタガタ言う音が響く。どうやら鉄車輪の台車らしく、ゴムタイヤに慣れた現代人の俺にはやや厳しい揺れである。

 身体チートがあるのに酔いそうだ。どんなに体が頑丈になっても、脳が揺れるのは避けられないらしい。


「マーレに加わったわしの氏族も、私を残して全て死んでしまった。

 あそこは神域じゃ。禁足地じゃ。誰も生きては出られぬ神魔の森じゃ。

 そう言っておったのに、調査せよと命じおった軍団長が、わしは許せぬ。

 皆死んだぞ。エルフの手になるでもなく、四脚狼に食われて皆死んだのだ。あんなもの、兵士の死に方ではない」


 小鬼と人馬の静止を無視して訥々と語り続けるドワーフ。

 黙々と台車を引き続ける竜。

 俺は、小鬼の発言から、この4体の属する集団は森のエルフたちと敵対していると分かった。エルフは俺の言葉を聞いて激昂したのも、4体と同じような言葉を操る俺が敵であると早合点したためであろう。

 車酔いならぬ台車酔いの中で、徐々に高まる緊張を感じながら、俺は逃げ場がない事を察していた。前門に軍隊、後門にエルフだ。どうしようもない。

 ドワーフがブツブツと怨嗟の声を上げ、小鬼がそれを止めようと様々に声をかける。しかし、それはドワーフの慰めにはならないようだった。

 小鬼がおろおろとしていると、台車が音を止めた。竜が歩行を止め、俺へと振り向いたのだ。


「貴様の氏族は戻らんが、仇は討てるぞ、ケントゥマルス」


 他3体も俺の方に顔を向けた。


「あの森の急所はこの者が知っている。そうだろう、奇怪な蛮族よ」


 突然水を向けられて内心で慌てる俺を無視して、竜は開かれた門へと台車を運んでいく。


「基地に入るぞ。戦友の命に見合うだけの話をしてもらう」





 檻に入れられたまま、広場へと引っ立てられて来た。夜中だというのに周囲は敵性生物に囲まれており、誰もが槍を持っていた。

 見たところでは誰も彼もがオークやゴブリン。マニュアルにおいては等級が高いものの、危険生物の中で括るならば決して高ランクの危険性とは言い難い生物だ。

 しかし、俺にはとてもそうとは思えない。あのオークたちの丸太のような腕を、ゴブリンたちの引き締まった筋肉を見るがよい。

 マニュアルでのゴブリンやオークの評価は訓練を施されていないものどもの評価だ。実際に見てみると、鍛え上げられた彼らの評点は、俺の記憶にあるよりも遥かに高くなるだろうと思われる。

 鍛え上げられた肉体に対して、精神性の方は俺が知っているオークやゴブリンのそれであるように感じる。

 爛々と輝いた目、剝き出しにした歯。

 欲望剥き出しの顔ではないか。ゴブリンの老人じみたしわくちゃの顔や、オークの豚面という醜い顔つきがそう思わせるだけかもしれないが、しかし、この場に彼らが求めているのは死者への弔い合戦ではなさそうだと、俺は思ってしまった。


 それ以外にも気付いたことがある。人間がいない。

 人間という生物を危険等級に当てはめると、高ランクの強い生物では決してない。

 しかし、ゴブリンより弱いかといえば、そんなことはない。兵として用いるならば、ゴブリンよりも人間の方が優れている。

 それは背丈、体重、手足の長さという決して埋められない種族の差による優位性によるものだ。分かりやすく例えるならば、男が十分に居るのに女を兵士として訓練するだろうか?という話である。訓練でゴブリンを人より強くするより、人を強くするほうがコストパフォーマンスも良い。

 なのに、この基地に人間が見当たらない。

 この寒い地域だから特別に人間が少ないということも考えにくい。どこにでも生息するのが人間だからだ。

 以上から結論できる結論はただ一つだけ。

 この世界には人間がいないのだ。


 思わず顔を覆って空を見上げる。そうしなければやっていられない気分になったのだ。

 ――だからか、俺に森の急所を聞こうなどと言っているのは。俺をエルフだと思い込んでいるのだ。

 顔立ちも髪色もまるで違うだろうと思ったが、人間というものを知らない彼らにとっては、俺の容貌は概ねエルフで間違いない。

 美しさや耳の長さは遥かに劣るが、豚面や老人顔などの特徴が無い顔立ちはエルフのそれだ。各種族の美的感覚からすると、エルフと人間の区別など付かないのだろう。

 ということは、俺がエルフの立場――と誤解されているだけだが――で「軍団にしては数が少ない」と言ったのは煽りになる。

「俺は何もしてないけど、いつの間にそんなに減ったの?」と捉えられてしまったわけだ。知らず知らずのうちに喧嘩を売ってしまった。

 これから始まるのは森の情報を吐かせるための尋問となるだろう。しかし、基底現実生まれ基底現実育ち、つい先ほど降着したばかりの俺に吐ける情報などない。

 森のことなんか知らねえよ、と叫びたいが、そうもいかない理由がある。

 どうしたものか。考える俺を乗せて、台車はガタガタと進んでいく。





 竜が広場の中央に台車を下ろすと、周囲に篝火が置かれ、俺を強く照らし出した。

 すると、兵士の群れの中から、肌着の上に、立派な鎧を装備した小鬼が出てきた。

 体格は俺を運んできた4体のうちの1体である小鬼よりも良く、腕も足も、この場の平均の小鬼からすると1.5倍ほどはある。顔がゴブリンのそれでさえなければ、鍛え上げた人間かなと思うほどだ。こいつが軍団長だなと察した。


「正直に言え、バルバリ。あの森の弱所はどこだ」


「教えません」


 流暢なラテン語を聞いてゴブリンの軍団長が鼻白む。

 対する俺は、何も話さないという選択肢を取ることにした。あくまでエルフを演じ、しかし決して森の事は教えないという態度を固める。

 あの4体が仲間を失い、仇討ちを求めている事はなんとなく分かったし、気付かずにとはいえ、不慮の事とはいえ、傷口に指先をつっこんで弄り回すような事をした相手である彼らにならば、俺が知っている限りの事を教えてやりたいと思った。

 しかし、ここのゴブリンやオークたちはどうだろう。あの目つき、剥き出しの歯。あれから読み取れるのは戦意だけだと俺は思った。

 戦意。その後の略奪への期待。それが明け透けに見えているギラついた視線が俺を刺す。

 略奪が俺の預かり知らぬ所で起こるならまだしも、止められるものなら止めたいものだ。

 そもそも、俺はあの森に転移してきただけで、大したことは知らない。彼らが俺と同等の身体能力を持っているならまだしも、無理矢理突っ切って来ただけの俺のやり方を教えたところで役には立つまい。

 俺がつらつら考えている横で、軍団長が片手を上げる。それを合図に兵士たちが槍を構えた。


「これでもか」


 俺は、首を傾げて答えた。


「それが何ですか?」


 怒りと思しき形相の軍団長が片手を下げると、360°の槍衾やりぶすまが勢いよく俺に迫る。

 しかし、俺の肌に触れるなり全ての槍がへし折れる。昼のドワーフとの一戦と同じく、俺は全くの無傷である。

 神鉄の穂先に刺されたらどうなるんだろうな。それを気にせず挑発したのは軽率だった。

 だが、分かった事がある。

 こいつらは話すに値しない。野蛮と言うならこいつらこそだ。

 檻には俺が立てるだけの背丈があり、今は胡坐をかいているより立ち上がった方が威圧感を与えられる場面だ。慄いて腰が引いている兵士たちを尻目に、俺はのっそりと立ち上がった。あの4体が居る方向を見ないようにしながら、軍団長に迫る。


「私はあなたたちに何も教えない。あなたたちには私に口を割らせる手段もない。では、どうしますか?」





 奴隷として売られる事になった。

 手足に加えて檻で拘束されているので、目の前でとんとん拍子に進んでいく段取りを前に何もできなかった。何もしなかったと言ってもいい。

 奴隷生活そのものは生存の上では最悪の状況とは言えないからだ。仮に残飯みたいな食事しか与えられないとしても、食事は食事だ。馬小屋のようなところに押し込められるとしても、寝床は寝床だ。

 だから奴隷として売られるのは大丈夫なのだ。どうせ途中で逃げられるだろうし、という目論見もある。


 しかし、奴隷商はこの僻地まで来ないらしく、俺を檻に乗せてきた4体が、そのまま俺を運んでいくことになったのは良くない。

 彼らの所属する部隊がほぼ全滅してしまったので、部隊編成の間に遊ばせておくのも良くないから任務を与えようという理由で、彼らに俺の護送役が与えられた次第である。


 そして、死んだ空気の中で台車に揺られ始めて半日が経った。異世界に来て概ね二日経つが、いまだにまともな寝具で眠っていない。基底現実の羽毛布団が恋しくなる。

 今後もまともな寝具は期待できないと思うとげんなりする。しかし、今だけは、この4体から離れたところで眠りにつけるなら寝床は地面どころか氷雪でもいいという気持ちで一杯だった。とにかくこいつらと顔を合わせたくないのだ。


「なぜ話さなかった?」


 竜が文字通りに口火を切った。灼熱の怒気を吐きながらの単刀直入。俺が一番恐れていた状況である。


 ――マニュアルでは、基底現実の存在を明かすことは禁忌なのだ。


 基底現実は、他の異世界よりも、異世界の存在を知っているという点で先進的だ。

 異世界を外部から観測できる技術を持つことや、異世界からのサルベージ技術を持っている事からもそれが分かるだろう。

 それだけならばよいのだが、問題は、異世界文明との接触が発生してしまった場合である。

 より先進的な文明である基底現実の存在を異世界が知ってしまったらどうなるだろうか。

 基底現実からの侵略を想定して軍事力を高める方向で発展するだろうか。

 あるいは、より先進的な基底現実を元に追いつけ追い越せで加速的な発展をするかもしれない。

 どうあれ、異世界の自然な発展が阻害されてしまう事には変わりがないのだ。それを許容するのは基底現実が通り過ぎて捨てようと努めている帝国主義的態度であり、許容したが最後、汎世界的モノカルチャー化――あらゆる世界の文化文明が基底現実のそれへと収斂してしまう。

 異世界からすればそれで問題ないのではないか、一段跳びで進歩を進められるのだし、と最初は思っていたが、その一段跳びが良くないのだという。

 技術の系統樹を考えて欲しい。正円を作る技術があった場合、車輪が先に作られるのか、水車が先なのか、どちらだろうか。

 それは地理と付帯条件によるだろう。今俺が運ばれているこの道のように、舗装道がある地域ならば車輪が先だろうし、川が近くにあって歯車の技術があるならば水車が先に来るかもしれない。

 系統樹の選択は土地柄によって変わり、土地柄が変われば最終結果が変わってくるかもしれないのだ。

 それがモノカルチャー化を避ける理由である。異世界が本来の形で発展してメタ世界技術を獲得した場合と違って、基底現実の存在を明かした場合は、世界間貿易や技術交流で得られる新技術が少なくなってしまう。

 異世界にとってはもちろん、基底現実の未来のためにも、基底現実の事を知らないまま自然な発達をしてもらわなければならない。


 そういうわけなので、俺が基底現実人であることを明かすわけにはいかないのだ。

 口八丁嘘八百で乗り切る必要があるのだが、仇討ちを熱望する彼らに対してそうするのは気が引けるなんてものじゃない。胃が締め付けられる思いだ。基底現実生まれ基底現実育ちだから教えたくても教えられないと言えればどれほど楽だろうか。

 そうもいかないなら、どうにか言葉を捻り出すしかない。俺は『エルフのアキラ』を演じることを意識して、竜へと言い放った。


「あなた方が同胞の仇を討ちたいとお思いならば、同胞を危険に晒したくないという私の気持ちも分かるでしょう」


 竜がシューと低い呼気を漏らした。蛇の威嚇音に似ている。

 怒らせたようだ。当たり前だ。戦友を失って気が立っている所に正論をぶつけられてイラつかないはずがない。

 正論が人を傷つけたことはあっても救ったことはない、名言である。

 しかし、正論が正しいのは反論の余地がないからだ。このまま正論をぶつけ続けてやりこめさせてもらおう。


「侵略先の相手に弱点を訪ねるほど困窮しているのでしょう。諦めて撤退してはいかがですか?」


「冗談ではない!」


 人馬が叫んだ。意外だ、俺の事を侮蔑の目線で見ることはあっても、激昂するような不安定さは伺えなかったのに。

 その印象は他の3体にとっても同じだったようで、全員の視線を集めた人馬は咳払いをした。


「属州ダキアは犠牲を払って占領した土地だ。今更おめおめと撤退などできるものか」


 よほどクリティカルな発言だったのだろう、人馬の声はまだ震えている。

 この路線で攻めれば話が閉じてくれそうだ、と感じた俺は、次の矢を放つことにした。

 4体の中で最も冷静であろう人馬を刺激し、他の3体になだめさせる。そうすれば話は俺を詰問する方向から逸れていくだろう。


「撤退した方がいいでしょうね。これ以上に犠牲が増えるのは確実ですから」


「なんだと?」


「特に訓練されてもいない私を相手にしただけで、あなたたちの内3体が昏倒させられたことを忘れないでいただきたい。あなた方は戦えば負けるのです」


 空気が凍る。先日の戦闘を思い出したのだろう。俺からすれば4体の連携にしてられたという印象なのだが、3体を気絶せしめたのも事実である。

 その場面を思い出したのか、皆一様に怖気だっている様子だった。小鬼などは腹をさすっている。俺の掌はあそこに当たったらしい。


「あなた方では我々には勝てない。やめておく方が無難でしょう」


 当然だが大嘘である。

 俺があの森で生まれ育った蛮族だと思っている彼らは、俺が蛮族の平均だと思って引いてしまったのだろう。

 しかし、事実は勿論そうではない。森の蛮族はチート持ちではないから、戦争になればいい所まで行けるのではないだろうか。

 両方と交戦した者の立場から客観的に評価をすると、攻め手であるモンスター側が負けるとは思っている。

 森の蛮族は森の中に棲んでいるけれど、こちらの世界のモンスターは森に攻め入る事さえできていないのだ。戦場が森の中になるだろうことを考えれば、どちらが勝つかは明白だ。


「だとしてもだ」


 怒りと恐怖の天秤で、なお怒りが勝っているらしい人馬は、ぞっとするような声色で、一言だけ呟いた。


「父の死を無駄にするわけにはいかないのだ」


 居心地の悪そうな小鬼と、虚無の表情になっているドワーフ。竜も鼻で一息ついて、黙って台車を引いていく。

 ふと冷静になってみると、この流れも良くない気がしてきた。これからどれだけ一緒に行動するのか分からないのに、煽って話を終わらせようというのは良くないだろう。


 今更だが。


 どうあれ、人馬は先ほどの独白で気を静めたらしい。これ以上は詰問して来なかった。

 俺もまた、これ以上彼らを刺激することは避けたかった。俺がどんなボロを出すかわからないし、傷ついた彼らに塩を塗るのも止めにしたい。何も考えず、景色の変化を楽しむことにした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ