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異世界転移事故事例14号  作者: 北見鷹多
Ⅰ 生存
1/14

Ⅰ-Ⅰ 降着

 異世界転移は、珍しくはあれど、幻想ではなくなった。

 世界線移動、つまり異世界転移の大本である現象ならば、誰でも経験済みの陳腐化した現象になったのだ。

 例えば、居室に帰って教科書を机の上に置いたのに、起きたら机の引き出しに仕舞っておいてあった、といった現象に覚えがないだろうか。それが世界線移動によるものなのだという。教科書を机の上に置いた世界から、引き出しに仕舞った世界に意識が転移したのである。

 このように、文明や年代、そして地域が同じ世界線束の中ならば、簡単に転移が起こってしまう事が分かっている。俺も経験済みだ。朝になったら課題をやっていなかった世界線に飛ばされていて嘆息したものだ。

 前置きはここまでにしておこうか。

 どうして世界線移動の話をしたのかというと、これが異世界転移の原因だからだ。世界線移動では基本的に意識のみが移動するため、物理身体は元の世界に残される。しかし、稀に物理身体ごと世界線移動することもある。では、その時に何が起こるのか。物理身体はその世界線からはじき出され、近い異世界に落ちてしまう。





 そういう経緯で、俺はたった今異世界に放り出された。

 子供工場チャイルドファクトリーの個別教室から帰って居室に入り、寝間着に着替えた所で転移事故に巻き込まれてしまったのである。

 しかし焦ることはない。数々の帰還者から得られた情報から、異世界転移事故に遭った者は必ず何かしらのチート能力に目覚めることが分かっている。

 先ほどは異世界に『落ちる』と表現したが、その落差の位置エネルギーが源となり、異能が備わるという仮説が提唱されている。そういう訳で、例に漏れず俺にもチート能力は目覚めていた。

 身体能力が大幅に向上しているのだ。これは膂力パワーに限らないようで、鼻で嗅げば獣の匂いが、耳をそばだてればその息遣いが聞こえてくる。出力はどのくらいかと、試しに獣に向けて軽く石を放ってみた。

 ギャンと鳴き声がした後に、その向こうにある木が音を立てて倒れた。この木だが、決してチャチな木ではない。基底現実(元の世界の事だ。転移先と転移元を区別するために用いられている)において世界最大の植物と名高いハイペリオンもかくやと言わんばかりの尋常ならざる巨木である。

 出力は上々といったところ。実験に満足した俺は、倒れた樹を検分しながら次の手順を思い出していた。

 異世界転移は既知の現象だ。既に何度も転移事故は発生しており、異世界からのサルベージも行われている。その経験から、マニュアルも作られているのだ。

 第一に現地をよく知る事。地理や地勢を知りましょう、だ。

 異世界転生が現実的に起こりえる事、そして危険が伴う現象であると周知されてからは、大抵の基底現実の人間は汎世界測位システム用のタグを奥歯に埋設している。

 これはGPSのようなもので、転移先の異世界と基底現実との相対座標が分かる。プライバシー的に問題が無いではないが、GPSと同じ程度のプライバシー侵害しかできないとも言える。こいつこそが助けがやってくる保証なのだ。だから、帰還方法を考える必要はない。生き延びることが大事だ。

 救助までの具体的な日時はケースによって様々だ。世界間距離――専門用語で言うメタ世界座標が遠く、世界と世界の間に大きな落差がある場合は、観測が出来ても救助の到着に時間がかかる。

 数日だけ生き残ればOKとは限らない。長期的な視野でもって生存戦略を立てる必要があるわけだ。現地を良く知れ、というのは、現地に溶け込んだり一人で生き延びたりといった、生存戦略を立てるための前提情報を得ろという意味なのである。

 どうしたものか。最初は手持ちの装備で生きのびなければならない。寝起きで転移したため、俺は特段の装備を持っていなかった。服装は寝間着で、凍えるような寒さの森の中では少々辛い。足は裸足だが、皮膚の硬さも強化されているので、下生えに隠れた枝を踏みつけても傷一つつかない。

 どうとでもなりそう、と油断しかけた気持ちを引き締める。

 過去の転移事故事例では、敵性生物モンスターに出会わなかった事例がない。この世界も例に漏れないだろう事を加味すれば、転移時に備わるチートじみた能力あっても危険である。特に、俺に発生した能力は身体機能の拡張に留まっていることを忘れてはならない。

 他の転移者は、身体機能の拡張は当然として、魔法めいた異能に目覚めていた。雷や炎の発生、時間操作や死に戻り。それでも単独での生存には非常に難儀していたらしい。いかにチートがあっても人は人だ。食事と寝床が確保できなければ生きるのは難しい。

 それを合わせて考えると、単独での生存は俺には厳しそうだ。どうにかして人里にたどり着くことを考えた方が生存確率は高いだろう。





 現状の把握に移る。

 俺は森の中にいる。それも、日差しが差し込まないほどに深い蔭森だ。日光が御来光の如くに葉の間から差し込んでいるので、日が出ている時間帯なことだけはわかる。周囲の木は幹が太ければ根も太い。先ほど手遊びに倒した巨木がこの森の標準サイズであり、周り一面を巨木に囲まれている。根の太さは俺の身長の2倍ほどで、壁の如くそそり立っている。

 加えて、ここは山地でもあった。歩いて脱出しようと思ったら根の迷路で相当に難儀するだろう。しかも、マニュアルによると、こういう人里離れた場所には狼や人狼のような俊敏なモンスターが多い。地上は危険エリアというわけだ。

 更に気温も低い。体感では0℃も無い。気温が低いという事はこの場所は高緯度だ。更に高緯度方面に向かうと生活が難しくなる。俺にとってそうならば、この世界の現地住民もそうであるはずだ。高緯度帯に向かえば人が少なく、低緯度帯に向かえば集落に出会う可能性が高い。

 進むべきは低緯度帯だ。しかし、どうやって方向を知ればいいのだろう?

 答えはマニュアルにある。

 近くの木に対して水平に手刀を入れる。太い幹が綺麗に切断され、年輪が露わになった。森の中で方角を知りたくなったら年輪を見れば良い。山地に限り、年輪は赤道方面、つまり低緯度帯に向けて広くなるのだ。

 この木をコンパス代わりにしようという目論見である。向かって左側の年輪の幅が広くなっている。こちらが低緯度帯――南か北かはどちらの半球にいるかで変わるが――という訳だ。即座にダッシュの姿勢をとる。メキメキと音を立てて倒れる樹が獣どもを呼び寄せるはずだ。


 だが、その初動は潰される。獣より先に人が接触してきた。木の上から飛び降りてきたのだ。

 人が居るなら、その相手の世話になった方が良い。

 話しかけようとしたが、ふわりと飛び降りた彼は、俺を無視して先ほど折った大樹に歩み寄る。

 中途で折れた大樹を撫ぜながら、彼は肩を震わせていた。

 どういう感情なのか測りかねる。だが、何かしらの激情に駆られている事だけは間違いない様子だった。

 彼が振り向く。俺は息を呑んだ。

 その顔立ちは美麗の一言に尽きる。暗い森の中でも輝く白皙の美貌。金糸を束ねたかの如き金髪。瞳の緑はエメラルドのようで、硬く結んだ唇は硬い意志を思わせる。

 体付きは筋肉質の一言だが、毛皮の上からでも分かるほど無駄の無いしなやかなその体は、生きる芸術と言うべきであろう。

 そして、何より特徴的なのが長い耳。

 彼は人というかエルフだろう。

 良かった。エルフは人間の味方だ。ほっと一息ついた俺は、即座に気を張り詰める。

 彼の激情の正体が分かった。それは怒りだった。

 彼が俺と倒れた樹を交互に指さし、唾を飛ばして何かを怒鳴っている。何を言っているのか分からない。まるで聞き覚えの無い言葉だった。しかし、状況からして、俺が大樹を倒した事について糾弾しているのは確かだ。


「申し訳ありませんでした」


 マニュアルにおいて、最初に必要なのが地理の把握で、第二が言語学習だ。「これは何(what)?」を意味する言葉を聞き出し、語彙を増やす方法で言葉を学んでいくのが定石。

 だが、怒っている相手に謝るのは定石以前の常識だ。

 頭を下げて、最低限の誠意として、伝わらないだろうと思いつつ言葉をかける。しかし、俺の謝罪を受けた彼は、わなわなと震えて、腰に佩いた曲剣を抜いた。何故、と思った次の瞬間には、胴薙ぎの剣閃が迫っている。

 初動が遅れた。

 マニュアルによれば、エルフは人間の味方となる種族だ。殺してしまっては人類社会に排斥される可能性がある。だから、決して殺してはならない。

 まずは迫る剣をスウェーで躱す。驚いた表情のエルフ。彼は全力で腕を振りぬいているので体が死んでいる。

 その腕を取り、前腕を両手で掴んで折り曲げた。生木の折れたような音がして、エルフは端正な顔を歪ませて苦痛を叫んでいる。

 近くの枝を折って――この際にも凄まじい形相で睨まれた――折った腕の当て木にしてやった。包帯替わりに下生えの草を使ってみたが、これが思ったより丈夫で、上手いこと支えることができた。開放創はないため、雑菌まみれの草を使っても問題はあるまい。

 苦々しい顔でこちらを見上げるエルフをどうしたものかと思ったが、言葉が通じない相手なのだから放置する以外にあるまい。

 急場は凌いだが、これからどうするか。そう思った矢先に、樹上からの声が聞こえた。

 エルフの後続だろうと察する。ここにはいられないと思って、年輪の示す低緯度帯へ逃げ出すことにした。





 巨大狼の群れに出くわしたり振り切ったりして森のど真ん中を突っ走り続ける事半日、次第に視界が明るくなってきた。

 獣の匂いは感じられない。陽に焙られた葉の匂いや、地衣類の水っぽい匂いがするだけだ。

 これならば、と思い切って一旦停止する。先ほどまでの蔭森は湿った匂いが強かったが、こちらは陽の匂いがする。太陽の元に辿り着けた安心感が緊張をほぐしたらしく、空腹を自覚した。


 食べ物の確保だが、これは意外に難しくない。

 獣が食べられるものは大抵人間も食べられるので(毒耐性は人間の方が優れているため)、彼らの食事を観察していれば俺も食事にありつけるわけだ。

 森ならば木の実が基本的なエネルギー源になるだろうし、手を汚す覚悟と安全の確保さえできれば、森に入って獣を取って喰うのもアリだ。

 逆にキノコ類は良くない。「知らないキノコには手を出すな」とマニュアルにもある。食べられるキノコにそっくりな毒キノコもあるので、生半可な知識しかないならば手を出すべきではないという意味だ。身体能力が格段に上がっているので毒キノコを食べても余裕で消化できる可能性はあるが、自分の命でその辺を確かめたくはない。マニュアルが推奨していない以上はチート身体でも毒は危ないということなのだろうし。

 空を見上げると、太陽は中天からやや南西に傾きつつあるように見えた。おおよそ15時といったところだろうか。食事の他にも、人里に辿り着けなかった場合は寝床の心配もしなければならないから問題は山積みだ。

 木の上に寝床を作るかと悩んでいたら、風に乗って匂いが来た。食べ物の匂いだ。焚火の匂いと、それに焼かれる肉の脂が放つ匂い。小麦か何かを煮る匂い。熱されたチーズの放つ匂いもある。

 涎を拭って風上に向けて歩き出す。飢えているというほど腹が減っている訳ではないが、基底現実人の現代っ子である俺には我慢が難しい程度には腹が減っている。確実に食べられると分かっているものがあるならば是非とも口にしたい。

 さて、どうやって食事を恵んでもらおうか。

 先ほどの展開からして、この世界でも言葉が通じないだろうからジェスチャーしかないわけだが、敵意を感じさせずに食欲だけを通じさせるジェスチャーとはどういったものだろうか、と色々思案しながら匂いに向けて歩を進めて。

 日の差す森の開けた場所に辿り着いて、匂いの元が視界に入ると。

 思案が頭から吹っ飛ぶのを抑えるのに精一杯になった。

 ゴブリンとドワーフと竜と人馬が、火にかけた鍋を囲んでいたのだ。





 まず、音が出ないように気を付けて身を潜める。

 マニュアルにおいて、異世界のモンスターには等級がある。基底現実への帰還者からの聞き取りによって作られたその等級は、異世界転移者の生存戦略において最も重要と言って良いだろう。

 例えば、俺が避けてきた犬などは比較的危険度が高い。どんな病気を持っているか分からず、血液への接触が致命的な事態をもたらしかねないし、狂犬病やら破傷風やら、受傷の際に生じるリスクは異世界での生存に大きく支障をきたすからだ。

 同じ理由で蚊や虻などは更に危険なので、肌を出した服装は避けるようにとマニュアルにも書かれている。このように、モンスターの回避は異世界での生存において非常に重要であり、生存マニュアルの行動指針はこれを基準に設計されている。

 その等級において、犬などよりも危険とされている生物が、ゴブリンや竜などの知性を持った敵性生物だ。狂犬病を持っていても破傷風の危険があろうとも、犬なら避ければ避けられる。吸血昆虫は犬よりも回避が難しいので高等級だが、少なくとも即座に死ぬ可能性は無い。


 しかし知性を持った敵は違う。敵意がある以上は避けても追ってくるし、モンスターに追われながらでは人里に混ぜてもらえない可能性が高い。火を囲んで宴もたけなわのモンスター、つまり空腹の連中を人里に招く形になったが最後、俺は人類社会から村八分を食らうだろう。

 目の前の危機を脱出するための方策を考えなければならない。まず火の周りに4体の敵性生物が座っている。俺に背中を見せる位置にドワーフ。その対面に人馬が座り、火の世話をしている。竜は右手側に、小鬼は左手方に座っている。全員が兜と板金鎧を装備しているが、武器は装備していない。ドワーフが全員分の武器を管理しているようで、剣や槍を背負っている。


 ――逃げるのは人間社会にとって有害である。ならば、ここで皆殺しにするしかない。

 腹を括ってみれば、自分の能力を試せる状況に、高揚感が湧いてきた。

 まず、装備の運搬手が一番近くにいるというのは非常に良い。装備を持っているドワーフを制圧すれば、他の面子とは素手同士で応対できる。となれば俺の独擅場だ。俺の素手は巨木を割って岩を砕くほどに強化されている。竜は俺の2倍どころか3倍近くの身の丈があるが、俺が蹴り砕いてきた巨大な根はこいつらよりも遥かに太かった。

 負ける様子など全く想像できない。俺が巨大狼の群れを避けてきたのは余りに数が多くてキリがないからで、4体くらいなら赤子の手を捻るように制圧できるはずだ。

 一安心したら余裕が出てきた。考える余裕だ。彼らが装備している鎧はどういう来歴なのだろうか? 略奪した品でないことは明白なのだ。何故なら、小鬼、ドワーフ、人馬、竜の4体それぞれがそれぞれにフィットする鎧を着ている。人間から奪った装備を無理に着たならば決してこうはならない。彼らの丈を測り、個別に誂えたと仮定した方が合理的なくらいに、鎧が体に合っている。だから、略奪品ではないのだ。


 ならば――背筋に冷や汗が伝うのが分かる。


 彼らは正規兵なのかもしれない。

 直感的に至ったその結論を精査するが、そう考えたほうが妥当だ。

 人間の国家がモンスターを飼い慣らして部隊を作ったというならば良い。それなら、逃げ出しても人里が襲われることはなく、俺が村八分を食らうこともない。

 最悪なのは、ここがモンスターで構成された国家――卑近な事例で言うならば、魔王の領土だった場合だ。そうなると逃げても人里に辿り着けない可能性がある。俺の命がかかっている以上、楽観視は禁物だ。最悪の状況を想定するべきだろう。


 彼らは、たった4体で野営していることから見て斥候兵と思われる。それが本隊に帰還できなかった場合は、本隊にすり潰される事になると直感する。

 まず、俺が偵察用に斥候を派遣する場面を仮定する。斥候は1隊だけでは意味が無いはずだ。なぜならば、その1隊が帰還できなかったら情報が得られないからだ。未帰還部隊が出たという情報と、帰還した部隊の経路から逆算して初めて、脅威の位置を割り出すことが出来る。

 帰還できなかった斥候班が情報の空白になり、その空白に何かしらの脅威があると判断される。罠か、敵軍か、あるいは強力な敵性生物か。それが本隊に接触する可能性を考えたら、回避か排除が次の選択肢になるだろう。

 この世界における危機が生物由来であろうことを考えれば、概ね排除が妥当な判断となるのではないか。どういった手段で来るとしても生存可能性が大幅に下がるのは明らかだ。

 結論として、斥候と思しき彼ら4体は殺してはならない。


 冷や汗が垂れる。何も考えずにそれを拭い、心の中で(しまった)と叫んだ。

 俺が隠れたのは藪の中であり、身じろぎ一つで音が鳴る場所である。

 案の定、彼らは談笑を中止してこちらを睨みつけている――くそ、逃れられない。

 考えろ。

 ここが魔王の領土内だとしたら、土地勘がある彼らからは逃げられない。後を追跡され、人間の領土に逃げ込んだのを切っ掛けに人とモンスターで戦争が発生してもおかしくない。

 異世界転移者が戦争を起こすだと? そんなことがあってたまるか。

 こうなった以上、取る方法は一つ。どうにかして、あのモンスター達を相手に友好的なファーストコンタクトを行う必要がある。

 危険な知的生物に対して? それはバカな考えだ、危険等級が低い巨大狼のひしめく森の奥に逃げたほうがいくらか安全ではないか――と脳裏で俺が囁いている。

 しかし、と反駁する。危険等級が高くとも、4体の敵性生物に接触したほうが今後の生存に関して都合が良いではないか。

 軍隊である以上は食料に不足が無くなるわけだし、寝床も確保できる。集団の中での生存は生存マニュアルでも推奨された選択肢だ。矛盾した表現だが、知性がある敵性生物だからこそ、敵意を買わなければ友好的に接せられる可能性もあるのだ。


 だから、誤魔化さずにその場で起立した。両手を上げて直立姿勢を取る。表情は可能な限り穏やかに保つ。姿勢はこれでいいだろうか? この世界の作法が分からないので、危険な橋を渡っている。俺に武器が無い事と、攻撃姿勢に移りづらい体勢を取ることで友好的な態度だと見なしてくれれば良いのだが。

 続けて、異世界では通じないだろうが一応、と思い母語で名乗る。


「俺はアキラと言います。空腹なので、食事を分けて頂けませんか」


 彼らはお互いに顔を見合わせ、小声で話し合いを始めた。俺に聞こえないように小声ということなのだろうが、地獄耳の俺には聞こえている。

 最初は何語か分からなかった。かといって、異世界で通例のまるで通じない言語というわけでもない。しかし聞いたことのある語感と発音。

 思い当たる節がある――それらはラテン語だった。


「なんだ、あんたらローマ関係か?」


 異世界なのに、古代ローマの公用語であるラテン語が聞こえた驚きから、つい口走ってしまった。

 過去事例で確認された異世界の国家は中世ヨーロッパのカリカチュアばかりで、言語も文化も基底現実とは違っているものばかりだった。既知の異世界と違って言葉が通じるのがどういう意味を表すのかは分かりかねるが、意思の疎通を取りやすいのは真に結構なことである。

 俺が手を下げて声をかけたとき、彼らは本気の驚きを見せた。異種族でも驚く時は目を剝くんだ、と思うと少し面白かった。面白くないのは、驚きが即座に敵意に変わったことだ。


 それを受けて、俺も戦闘姿勢に入る。腰を落とした前傾姿勢。両手を口に寄せたピーカブースタイル。益体も無い思考が脳裏を駆け巡る――なぜ敵対される? 発言が挑発と取られたか? 口調は確かに良くなかった。ラテン語は格変化が多い難しい言語だ。今回はそれを省略したべらんめえ口調だった。

 しかし、それだけで攻撃されるものだろうか――強く息を吐き、思考を打ち切った。

 相手が初手を放ったからだ。人馬が弓に矢を番え、放って来た。何故だ、装備はドワーフが管理していたのでは。気付いて舌打ちを一つ。背中に弓と矢掛けを装備していたのだと結論。観察ミス。

 放たれた矢を白羽取りの如く掴んで見せる。動体視力と瞬発力のアピール。あわよくば戦意喪失しないかと期待したデモンストレーション。しかし、その目論見は逆効果。

 俺が矢を受け止めている間に、他3体が戦闘準備を完了。ドワーフが小鬼と竜に武器を投げつけて、投げられた2体がそれを受け取ったのだ。

 どれが誰の装備なのか把握しているのか? 体格にそぐわない武器など錘か飾りにしかなるまい、と思ったその油断を、身の丈を遥かに超える大きさの剣を軽々と振るう小鬼が突く。跳躍と回転を利用し、勢いの付いた上段斬りが迫る。


「バルバリ!」


 小鬼のしわがれた声が放たれる。聞きなれない単語、蛮族バルバリという意味の言葉。蛮族? 俺が? 思考を打ち切る。戦闘の最中に考察は無用。

 無論、躱すのは苦労しない。剣の軌道に対して左――死角に入るように、体を縦にして回避。小鬼の側頭部へと勢い付いた左拳を振りぬく――その矢先。

 空気の流れを感知。体の勢いを殺して、ギリギリのスウェーバック。鼻先を矢が掠めていた。

 まずい、死に体にされた―――そして、俺と小鬼の一合に生じた隙を見逃すほど、竜もドワーフも甘くはなかった。

 素早く槍を構えたドワーフが俺の腹を突いた。しかし俺の体に備わったチートは、槍の柄がへし折れるという結果をもたらした。

 痛痒も、血の一滴もない。そうだ、俺にはこの体があるのだ。負けはしない。

 おののいた様にふさふさの眉毛の奥で目を丸くするドワーフへと一歩で踏み込み、右ストレートをお見舞い。

 そうしようとした初動が、右前足に剣を握った竜に潰される。

 戦場を大きく覆う振り回しの一撃。人馬は遠間で弓を番え、小鬼とドワーフは矮躯ゆえに当たらない。当たったのは俺だけだ。

 首に剣が直撃する。俺の体は勢いよく回転しながら吹っ飛ばされ、広場を囲む樹々に衝突。

 肺から全ての空気が出て行った。明滅する視界。





 ――それだけだ。まだやれる。

 木からバウンドして地面に落ちる体を、右手で支えて片手倒立。

 追撃を入れに来たと思しき小鬼の臭いと音に対し、開いた五指を突き出した。先ほどの展開で、突き指などの怪我はしない事が分かった。ならば掌で攻撃し、当たり判定を広く取るのが正着。そして目論見通り、小鬼のどこかに俺の手がヒット。ベコンという音からすると、鎧に当たって凹ませたというところか。

 次なる相手はドワーフ。

 ぜひ、と苦しそうに呼吸する小鬼を残し、逆立ちのまま俺の体をドワーフへ向けて投擲、衝突により容易く撃破。先ほどから相手の動きが悪い。俺を倒したと思ったら反撃されているから、面食らっているのか。

 ――違う。俺の戦闘機動が速過ぎて、付いてこれていないのだ。好機を逃さず竜へと駆け寄り、長い首を抱えて放り投げる。今度は彼が木に激突する番。

 戦闘終了。濃密な時間は、どうやら一呼吸にも満たない瞬時の事だったらしい。肺が空気を所望している。

 深く息を吸い込んだところで、後頭部に強い衝撃。脳が揺れる。体から力が抜ける。明滅からブラックアウトする視界。


 誰が――?


 ああ、そうか。


 人馬の撃破を、忘れていた。

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