掃除屋
俺が朝倉の家に居候し始めて1週間が経った夜のことだった。
「…掃除屋?」
「別に儲けたかったからじゃない。貴方のためでもあるし、少しは私のためでもある。どうですか?」
「掃除とは何をする?掃除――か?」
「部屋を綺麗にするとかじゃなくて、要らない人間をこの世から排除、ゴミとして掃除する」
一体どうかしたのであろうか。朝倉はこんなことを平気で言えるような奴だった、ということか?俺が見た限りでは、殺生は好まない性格に見えたのだが。もしかして―
「お前、何かあった?」
彼女の顎をつかみ口元を引き寄せる。初めて会ったときよりも濃い化粧。少し腫れた目元。
「…泣いた?」
「っ、離して」
「離さない」
顎を掴み、唇を奪う。軽いキス。愛情なんて無いけれど、黙らせるにはもってこいの方法だということを俺は知っている。
「やめて。貴方には関係ない」
「…男、か?」
女が泣く、自棄になる。この原因はほとんど男関係だ。自分の母親がその良い例だ。愚かな母親だったと今でも思う。
「…殺したんだよ。自分で」
「は?」
「自分の母親」
「え…」
「あの時の記憶だけは今もまだ鮮明に、色褪せ無い」
「…」
「どうして殺さなければいけなかったのか、そんなのは分からない。俺は母親のことが大嫌いだった。なのに…」
頬を生暖かい液体が伝う。あれ、俺は、泣いている…?
「何で泣くの、ねぇ…っ」
「泣いてなんか、無い」
「泣いているじゃない…これじゃあ、泣きたいのに泣けない」
「お前だって、泣いてる」
その夜は二人してずっと泣いた。俺の心が、目覚め始めた瞬間だった。
それから俺達は話し合い、『掃除屋』を始めた。
掃除屋始動一日目。もちろん仕事なんて無くて、朝倉が掃除屋を利用してくれそうな友達と探している横で俺はただひたすら本を読み耽るだけ。暇で仕方が無い。久しぶりに
「えっ、本気で殺して欲しい人がいる?掃除屋を利用したい…」
ようやく第一の客が見つかったようだ。俺は本を閉じ、机に置く。
「いくら?」
朝倉は送話口を押さえて聞いてくる。
「十万で二人」
これは俺が勝手に決めたこと。簡単に言うと一人殺すのに五万。そこらの女が洋服に費やす金と同じくらいの金で、一人の命を自由に奪えるのだ。残酷な世の中だ。
「オーケー、商談成立ね。今宵二時ごろ向かわせてもらう」
そう言って朝倉は電話を切ったようだった。ふん、五万、なんて冗談で承諾するなんてな。まあいい、『掃除屋』として初めてのヒト殺しだ…集中していこう。俺はテーブルの上の銃に優しく触れた。まるで壊れ物を扱うような手で…そして気付いたのだ。素手で銃に触れていることに。
「…っ」
怖い、怖い、怖い。この銃で千単位の人間を殺めて、そいつの人生を笑ってきた。汚れている、俺の手は。ヒトの血を奪い去り生きている…体が冷たくなっていくのを感じる。俺は強く目を瞑って、そのまま眠りに落ちた。
『…!ほら、学校に遅れるだろう、行きなさい』
『はいはいっ、行ってきます!』
…夢だ。これは…いつ頃の記憶だろう。最近よく見る夢は、全て昔の記憶だった。制服らしき服を着ている。…学生時代、か。また一つ頭のメモ帳にメモが増えた。俺は学生時代はまともに、人間として過ごしていた、と。…ああ憂鬱。俺は歩く。壁に沿って。…壁?今見えている世界の中に壁など存在していない。先も見えない。白い世界が続いているだけ。それでも俺は進んでいく。止まれ!…自分の声を無視して歩き続けていく。右、左、右、左。急に俺は立ち止まる。足下には黒い渦。あと少しで吸い込まれそうだった。俺は右足をさしだそうとする。やめっ、落ち…た。耳元で風邪を裂く音が聞こえる。暗い、暗いトンネル…落ちたのは遥か深く、記憶の底。記憶の糸を辿ってたどり着くのは一つの大きな扉だった。とても印象的な扉。地獄の門によく似たつくりになっていた。俺は無言で扉を押す。扉の向こうに見えるのは…
「起きて、時間だから」
「…朝倉?」
すぐに夢から覚めたのだと理解した。
「仕事。酷い顔をしていたけど、大丈夫?」
「…多分」
少し嘘だ。頭が痛い。くそ、夢のせいか。俺は顔を歪めた。
「…無理なら延期するけれど」
「いい、行こう」
俺は無理矢理体を起こし、身支度をし始めた。グローブをしっかりはめる。素手で銃を触るのはもう懲り懲りだ。ちら、と時計を見れば時刻は23時。まだ街は賑わっているはずだ。気怠いが仕方ない、行こう。俺はジャケットをはおり、朝倉の彼の形見を着る。…俺がもらって良いのだろうか。…まあいい、彼女が俺に、と言ったのだ。それにこれからの季節に必要不可欠となるだろう。俺は靴を履き、家を出た。そのまま朝倉の車へと向かう。
「ターゲットはタレントの志歩、25才」
「…タレント?そんなもの殺したら話題になるに決まってる。やめておけ」
「それを利用するのよ」
朝倉が運転席のドアを思い切り閉めた。夜の住宅街に音が響く。俺は既に助手席に乗り込んでいたので、幸い耳には響かなかった。
「利用する、とは?」
この女が何を考えているのか興味深かった。その上彼女は少しニヤニヤしているのだ。俺は彼女が何か彼女的に面白く、人間的に酷いことでも考えているのだろうと予測した。
「あなたの名前を売り出すの」
売り出す、名前を?俺の予測は外れた、と思う。売名行為なんて…俺を殺す気か?
「嫌だ」
「どうして?いい話だと思うけれど」
「ならお前の名でも売っておくがいい。俺は反対だ。……帰る」
エンジンも何も掛けていない状態でシートベルトをしていただけだったので、すぐに車から降りた。
「ちょっ…と!仕事は?!」
「これからはターゲットの職業、年齢や交友関係まで重要になってくる。しっかり下調べでもしてから依頼を引き受けるんだな」
俺はコートを風に靡かせながら振り向いて呟いた。
「はっ、人間なんて…」
そして足早に部屋へと戻った。掃除屋をするのは面倒くさい。辞めてもらおう。そう思いながら部屋のドアを閉めた。