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006  作者:
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幕開け




街をフラフラ歩いていく。こうしていると雑音が自分をかき消してくれるようで楽だからだ。…最後に来たのは昨日の夜だったな。俺は確か─任務をこなしに…いや、あの研究所のことは忘れよう。とりあえず、服を探しに行かないと、任務用の真っ黒なスーツではどうも目立つ。この街を何十年見てきただろうか。自分が生きている感覚さえ分からなくなって、ただ今日まで彼処に居た。人間は過ちを犯してからでないと、過ちに気付くことが出来ないのだ。と、昔親が言った。まだ俺は幼くその意味を理解しきれなかったが、今ならよく分かるような気がする。…なんて思ったその時、誰かと肩をぶつけた。

「きゃっ…」

女の声がした。どうやら若い女とぶつかったようだった。

「ああ、すみません。お怪我はありませんか?」

「あっ、大丈夫です…」

倒れた女の手を取り立ち上がらせてやる。しかし、女は立ち上がったと同時に逃げていった。…何かしただろうか。俺の頭に、先ほどの少しの時間が蘇る。何か危害を加えた覚えはない。そう思い、また道をゆく。そして気付いたのは、すれ違う人々が俺の顔を見ていたことだった。…何かが付いているようだ。腕で頬を擦れば、くっきり付いた血。─成程、さっきの返り血か。先程起きた銃撃戦での返り血を浴びたままだったようだ。…まあいい、それで周りが迷惑する訳ではあるまい。俺は適当に目に付いた男物の服屋へと入っていった。

 「いらっしゃいませ」

店員は俺の顔を見て顔を強ばらせる。

「…全身コーディネートを頼みたい。そこらにいる若者のような感じで」

「か、かしこまりました…」

自分だって若者じゃないか、そう言いたげな店員は、店内をばたばたと走る。若者、か。今の俺の見た目は20代前半と言うべきであろうか。実年齢は幾つかすら分からない。俺があの研究所に何年籠もっていたのかすら数えなかった。だが、周りにいる研究員の顔はどんどん変わっていった。そう考えると、半世紀はあの研究所にいたのだ。そういえば、他の奴らはどうしているだろうか…

「お客様、こちらでどうでしょうか」

店員が俺に声を掛けてきた。コーディネートが終わったらしい。適当に服を受け取り、試着室を借りて着替える。ここで着替えなくてはどこで着替えればよいのか分からなくなるからだ。服代はとりあえずカードで払う。このカードは研究所を出るときに所長室から盗んできたものだった。

「ありがとうございました」

紙袋を手に来た道を戻り、適当な部屋を探す。部屋の探し方はもう考えてあった。なるべく都市中心部に近くないほうがいいし、若い奴の方がいいであろう。俺のこの足も少しは役に立つらしく、人の足では1時間以上かかるところまで5分でやってきた。そこで、ちょうど良さそうなアパートを見つけた。オートロックでは無い。郵便物を抜き取り、年齢を推測すると、106号室と302号室の住人が最適かと思われた。早速106号室へ向かう。休日ということも合ってか、部屋から明かりがもれているのが見えた。

「すいません」

『…どちら様ですか?』

若い女の声だった。

どうやら最近の親もそういうところはきちんと言いつけているようだ。

「俺に名は無いから名は名乗れない」

すると、ドアが少し開いた。まだチェーンが付いている。

「何の用ですか?」

「俺をここに置いてくれないか?もし置いてくれるのなら君が憎んでいる奴を排除してやる」

「…はぁ?何を言っているんですか」

「寝泊りさせてくれるだけでもいい」

「…寝泊りだけなら、どうぞ。…というか私、明日から出張なので半年は帰らないと思います」

そう言ってチェーンは開けられた。こんな軽い言葉でドアを開けてしまうのだ、そういうところは親が教えておいた方がいい。いずれこの女は後悔するときが来るだろう。女はさっきまで見ていたようなのとは違う、”可愛らしい”や”清楚”などという言葉が似合いそうな女だった。この女、何かを背負っている感じがする。ドアを開けたということは、誰か消して欲しい人間がいるということだ。こんな虫をも憎まない性格をしていそうな女が、一体誰を憎んでいるのか?そんなことを思いながらも、家に上がる。部屋は綺麗に掃除されていて、見たところ平和に暮らすOLといった感じだった。部屋を見回していると、椅子へと促されたのでおとなしく座った。

「で、誰を消して欲しい?”消す”といっても、相手の親類がいれば、いずれは判明するだろうが」

「この人です…。」

彼女は一枚の写真を取り出す。場面からして、盗撮したものだと分かった。

「岸本徹二です。つい3ヶ月前、私の彼氏を殺した犯人です」

「何故分かっているのに自分で行動に起こさない?」

「私にはそんな勇気はありません…」

なんだか気の弱い女だったようだ。でも一度言ってしまった以上、嘘は吐けない。嘘を吐いたら、アイツラと同じになってしまうからだ。

「…分かった。それより、お前の名前は何?」

「朝倉奈緒子です…貴方は何と呼べば…?」

「006―それが俺のナンバー。名は思い出せない」

「そう、ですか…あの、岸本、よろしくお願いします」

「…」

そして俺は立ち上がった。時計を見れば深夜零時。

「あの、どちらへ…」

「岸本を消しに行く。お前が案内しろ」

「私が…?」

「ああ。俺は相手の家まで知らないし」

「…分かりました」

朝倉は着替えをしに行った。さて、俺も着替えなければ。今着ていた服を脱ぎ捨て、紙袋からいつもの任務用の服を着る。ワイシャツに、黒いネクタイ。黒い靴、ベスト、スーツにハットと、殆どが黒で染められている。これを身にまとえば色を持つのはシャツと肌と栗色の髪だけ。そう、まるで心も黒々と塗りつぶすかのような。そして俺は「漆黒のキラー」となる。「漆黒のキラー」、それは俺に付いたタイトル。006は改造人間としての俺のナンバー。黒に包まれた死刑執行人─それが俺たち改造人間の役目だった。

「準備出来ました…」

 朝倉がコートを羽織立っていた。そうか、今は冬─か。季節感さえも感じなくなってしまった自分は、やはりどこか狂っていたのだ。

「コート…着ますか?」

彼女が差し出したのは男もののコート。…着ろということか?しかも黒だ。

「あー…いいのか?」

「はい、彼の形見、ですけど…」

「わかった、ありがたく着させてもらう」

コートを受け取り、袖を通す。結構暖かく、スーツを来ていてはむしろ暑いくらいだった。

「行くぞ」

朝倉の部屋を出て、真冬、しかも深夜の街に出る。俺はこの時間帯が一番好きだ。出歩く子ども(ガキ)も居ない。真面目な大人は直帰する。ふざけた大人とだらしない中高生がフラフラしているだけだ。生憎今日は曇り空で、星なんて見えなかった。雨が降り出しそうなくらい。…まぁいい、晴れていないのは殺しには絶好のチャンスだ。ああそうだ、そろそろ銃弾(タマ)を補給しなければならない。俺は着崩したスーツのポケットから小さな箱を取り出す。…朝倉が不思議そうな目でそれを見ている。

「気になるのか?」

「あっ、いや…ちょっと、」

「…開けてみれば?」

朝倉に箱を渡し、またスタスタと歩き始める。嗚呼、女って厄介だ。別にそんなもの、気にしなくたっていいじゃないか。その箱に入っているのは10発の弾。まぁ闇で出回る殺人弾だ、早々お目にはかかれないだろうな。

「これ、返します」

「中身、何だった?」

「そんな顔して、酷いです」

俺に箱を渡し、朝倉は静かに俺を睨んだ。別に怖くも何とも無い。軽くははっ、と笑いながら箱をコートのポケットへと突っ込む。

「…ここです」

古びた木造建築の家、それが岸本の家だった。とても汚い。周りは雑草が生い茂っている空き地、明らかに孤立している。まぁ、きっと岸本は可哀想な人間なのだろう。そんな検討を立てながら、俺は革の黒いグローブをはめた。汚いモノには触りたくない、この手でヒトを殺めたくない、弱い俺。グローブに描かれているのは十字架と006の文字。あの研究所を出てもこの服を着てしまうのはやっぱり俺は寂しいヤツだというのを示しているのだろうか。そう思い目を細めた。そんな俺の横で、朝倉はインターホンを押した。

ピンポーン…

「はい」

がちゃ、と扉があく。汚い老人。こんな奴が若い男を殺すのか。この世の中はやっぱりおかしい。

「こんな時間に何か用ですか?」

「旅行中なのですけれど、宿を取り忘れてしまったのです。どうか少し休ませていただけませんか?お礼はきちんと致します」

「お礼、とは?」

「こちらを」

くしゃくしゃにした1万円―ちなみに偽札―を2枚ほど差し出す。これは俺たちキラーにとってのお約束。大抵、2万も見知らぬ奴に渡されたら簡単に家に招き入れる。老人だと余計、だ。

「…何なんですか?要りませんよ、そんなもの」

「お願いします、30分休ませてもらうだけでいいのです、もう寒くて!」

「…仕方ないなぁ、5万。5万出していただけるのならいいですよ」

岸本は口角を上げて笑う。気持ち悪い笑い方だった。スーツのポケットに手を入れ、予備があったかどうか確認する。…くそ、1枚しかない。後ろを向いて朝倉に2万出してもらう。朝倉の持っているものは本物だ。

「ほお、じゃあどうぞ」

俺は岸本の家へと上がり、部屋の中を物色する。…いかにも老人が住んでいそうな家だ。必要最低限の家具、無駄な装飾が無い古来の家。なかなかこんなのも良いと思った。朝倉は岸本の背中を強く睨んでいた。俺がしばらく朝倉を見つめていると、バチリと目が合った。行け、そう口パクで伝える。朝倉は一瞬と惑ったような顔をして、俯いた。俺が声をかけようとすると、いきなり顔を上げて、やります、そう言った。俺の横を朝倉が通り過ぎる。俺は銃を取り出し、コートのポケットに隠す。そして言った。

「行けっ、朝倉!」

その瞬間、朝倉が岸本を突き飛ばした。さすがは老人、簡単には立ち上がれないようだ。俺は銃を取り出し、岸本から見えるように引き金に指をかける。すると岸本は銃の存在に気付いたようで、顔を青くして後ずさる。後ろに壁は無いけれど、朝倉が真横にいるし、さっき突き飛ばされた衝撃で腰が抜けてしまったようだった。

「な、何者だ…!」

「ああ、自己紹介がまだだったかな。俺は漆黒のキラー。殺し屋だよ」

「こ、ろしや…」

俺は手を持ちあげて銃口を岸本の頭に向けた。さあ、止めだ。ロックを外し、人差し指に力を込める。哀れ、だな。俺はそう呟いて、引き金を強いた。


 その帰り道、朝倉は一言も喋らなかった。目の前でヒトが死んだ、そんなことは彼女の人生の中で初めてのことだったのだと思う。俺も、初めてヒトを殺した夜はこんな風に何も喋る気がしなかった。


 『俺は殺し屋、漆黒のキラー。今宵の犠牲者は貴方だ』

重い重い鉄の銃口は、俺の心に突き当てられているようだった。殺す、殺される、殺す、殺される。目の前にいるものをこの世から消し去ってしまえば、俺もこの世から消えるのではないか、なんて考えていた。手は震えていて、額からの冷や汗が流れる。ターゲットは俺が撃たないと思っているようだ。ソロソロ動き始めている。

『…くそっ』

銃を持つ右手に左手を添える。銃を構えなおして、ターゲットを追う。―包丁、だ。ターゲットの手には数本の包丁。ヤバイ、コロサレル。そんな考えが頭をよぎって、必死に指に力をこめた。いけっ、俺は死刑執行人だ、やらなきゃいけない―ターゲットは床を這いずって俺に手を伸ばす。来るな、俺に近寄るな。―殺される、殺される、コロサレル―頭に一発、撃ち込んで、走って逃げた。後ろも確認しないで、ただひたすら闇の中を駆け抜けた。改造された足は、すごい速さで空気を裂く。

『どこだ、ここ…』

気がついたら、周りは見覚えの無い景色。時計を見ればもう午前4時で、もう日が昇りそうだった。そろそろ研究所に帰らないと、な。その時、俺の頭の中に先ほどの映像が蘇る。噴き出した血に塗れたターゲット。這いずって追いかけられる、殺される。頭が痛い、助けてくれ、俺はもう…そこで俺の機能はシャットダウンされた。


 懐かしい、今から何年前の話だっただろう。俺はハットを深く被りなおした。前を、先を見ないように。もう過去は思い出したくない、こんな悲しい思いをするのは懲り懲りだ。ヒトを殺すとき、俺には感情なんてものは無い。いつから消え失せたのか、それすらも分からないくらい何も感じない。最後に感じるのは、ああ、哀れ。ただそれだけだ。汚れきった心に、一つの制裁を下す。死刑囚だろうが殺すべきターゲットだろうが、結局はそれまで生きてきたうちで罪を犯した者であることに変わりは無い。俺は罪を犯していない人間には近づかない。それが俺の掟。意味の無い殺生はしないのだ。そうすれば俺は何か救われるような気がして、自分の罪が軽くなるような気がして。

「…貴方は、これで何人の人を殺めてしまったのですか?」

…朝倉はぽつりと呟いた。『殺めてしまった』という言い方は彼女なりの気遣い、なのか。人を殺したことは俺の責任では無い、そう言っているのだろうか。

「正確な数字なんて覚えられないくらいだ」

「…貴方が望んで人を殺めたのは?」

「一度も無い。むしろ毎回感情がコントロールされているように感じる。やはり俺は本当の人間では無いと感じさせられるくらいに

「人間じゃない…?」

「ああ。俺は改造されている。元はお前と同じ、普通の人間だ」

「どういうこと、なの?」

「…知りたいのか?」

別に、知られて困るようなことも無いし、これを聞いて彼女自身が困ることも早々ないであろう。

「寝泊り、するんでしょう。教えてくれてもいいじゃないですか」

「…それもそうだな」

俺はゆっくりと口を開いた。まさか、この話を他のヤツに話す機会が来るなんてな…

それを話した朝、朝倉は会社へ行って辞表を出した。


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