乙女の解呪
「髪の毛、やばくない?」
美海の声で呼びかけられる。彼女は少し高い位置へと目を配り、そのまま下へと落とす。じっと見つめられて少し気恥ずかしい。
「ショートカットだからそこまで気にしてないんだ」
「それにしてもさ、寝ぐせが気になるんだよね」
「まあ、石鹸で洗ってるだけだし。軋むのはしょうがないよ」
私の髪を撫でつけていた美海は目を見開きそのぱっちりとした目を瞬かせた。ありえないという心情がありありと前面に出ている。それもそうだろう、彼女は非常に可愛いのだ。きちんとお手入れされた髪にスキンケアを毎日しているのであろう肌。自らを高めているだけでなく、彼女は元々の顔が良い。もちろん彼氏持ちなのだからこうして私と友人なことが非常に不思議である。私もそういうことに興味はあるが、なんとなくそういうものに手を出すのは怖いのだ。変に手を出して馬鹿を見ることになるのは嫌だ。
「石鹸って、固形のアレ?リンスとかしてないの?どうりでばさばさの髪してるなとは思った」
少し咎めるような口ぶりで私の手をつかんでくる。可愛い女の子の香りが鼻腔をくすぐり、なんだかドキドキしてしまう。彼女はまた私の髪を撫でたかと思うと、机に乗せてあった私の鞄を手渡してきた。
「今日の放課後は私とデートしよう!元々予定ないって言ってたもんね、ちょっとくらいいいよね?」
「いいけど、どこにいくの?」
「駅向かいのドラッグストア。あそこ結構ヘアケア系置いてあるから」
私が鞄を肩にかけたのを見計らって柔らかな手を絡ませてくる。彼女の手を包み込むように握ると、彼女はこちらへと振り返りはにかむように笑った。
私たちが普段通う駅のいつも使う出口とは反対側に、少し小さめのショッピングセンターがある。私はいつも生活雑貨や輸入食品辺りにしか足を向けないので、珍しさで思わず周りを見回してしまう。そんな私とは対照的に、美海は慣れたような足取りでシャンプー類へのコーナーへと向かっている。
「触った感じ相良ちゃんは固めの髪をしているから、結構柔らかくするやつとかもいいかも。どんなのがいいとかある?」
「じゃあそうだなぁ、石鹸で洗っているのもあるけど元々くせがあってうねりやすいからそのあたりをカバーできるやつとかある?」
「了解!じゃあ私のオススメを紹介するね」
彼女は私にそう告げると、目的のものを探すようにしてヘアケアの棚をぐるりと見回した。やがて目的のものを見つけたらしく、繋がれたままの手をくいっと引かれる。彼女に誘われるまま歩を進めると、洒落たパッケージの前でその動きは止まった。
「これね、ミカエラっていうシリーズなんだけど私が個人的に好きなんだ。いろんな種類があって、多分相良ちゃんにもいいんじゃないかなって。黒、灰色、白、黄色、ピンクのボトルが売っててね、カラーをしてる髪とか髪の癖で自分に合うやつが変わってくるんだよ!」
上ずった声でシャンプーの種類を語る彼女の話に耳を傾ける。どうやら一番の推しどころは香りらしい。にこにこと笑いながら説明をする彼女の揺れる髪の毛に目が行ってしまう。気を付けているだけあって、サラサラとしたそれは彼女の可愛さに磨きをかけている。私の視線に気づいたらしい彼女は繋がれていた手をそのまま髪の毛へと動かした。
「触ってみてよ、ヘアオイルも付けているからいい匂いがするんだよ」
「そう、じゃあお言葉に甘えて」
彼女に導かれるままに柔らかな髪を一房掬い上げる。すん、と呼吸をすれば、香りが鼻を打つ。花のような甘い香りは彼女にぴったりだ。
「いい匂いだね」
「そうなの、ね、このシャンプーとリンス使ってみない?髪の毛の通りが良くなると朝の寝ぐせ直しがすごく楽になるんだよね」
「まあ、お小遣いもあるしなぁ。興味はある。でもなぁ私が使ってもさ、なんか勘違いブスに思われそうなところあるじゃん」
「そんな周りの悪口なんてどうでもよくない?だって別にそういう悪口を言ってくる人のために身だしなみを整えてるわけじゃないし。……そもそも私の知ってる相良ちゃんはブスじゃないし、そんなこと言ってる人って見る目無いんじゃないの?ね、私とお揃いにしようよ。とりあえずお試しだけでも、ね?」
美海の言葉に少し戸惑ってしまう。自分の悪口をたまたま聞いたことはあれども、こういう風な言葉を耳にしたのは物凄く久方ぶりだからだ。そう言われるとなんだかちょっとだけあんな人たちに遠慮しているのが馬鹿らしくなってしまう。私のことをよく知る友人のことを信じたい。彼女は売り場のそばにあった小さいケースを覗くと、いくつか手のひらサイズのパックを持ってきた。
「これはね、一日用のシャンプーとリンスがセットになったものだよ。多分相良ちゃんには灰色か白のものが合うと思うんだ。ピンクのはこのセットがないから試せないけど、一日二日くらいでいいから使ってみて欲しい。もしも少しでもいいな、欲しいなって思ったらまた一緒に買いにこよう?その時はまたヘアケアの話しようよ。まかせて、これでも美容師の娘なんだしね!」
美海に覗き込まれ、彼女の甘い香りに圧倒される。少しくらい試してもいいんじゃないだろうか。別にそうすることで誰かに殺されるわけでもない。それに彼女が美容師の娘なのは事実だ。この話には信用性がある。まだこちらを見つめている彼女に緩く頷く。なんだかすごくドキドキしてしまう。恐れというか、興奮というかなんとも言えない感情が食道を逆流しているようだ。彼女からお試しのパックを受け取り、レジへと歩む。
「二点で二百十六円です」
三百円をトレーへと置く。なんだか焦っているような心地だ。どうしてだかわからないけれど、とても恥ずかしい。
「八十四円のお返しです、ありがとうございましたー」
早歩きで美海のもとへと戻る。別のものを物色していたらしい彼女は私を認めると、ここへ来た時のようにお互いの手を絡め、にっこりと笑った。
「ね、まだ時間はあるんだしここのショッピングセンター見て回ろう。私、コスメとか見たいな」
勿論と彼女に返答すると、今日一番の見惚れるような笑みを見せた。それにつられるようにして顔が緩んでしまう。私は彼女に手を引かれるまま、言いようのない満足感を覚えていた。