パワースポットと熱々のかぼちゃ
フーッと一息ついて体を伸ばしながら視線を動かして周辺を確認致します。わたくしの前方には揺れる多彩なチューリップの紅色と、遠くにそびえる富士山のくすんだ水色のコントラストが広がっております。往来するまばらな人々もこの曇り空は残念に思っている事でしょう。
「通子さん!あの山凄く大きくて、こんなに離れているのに、不思議な力を感じます!」
少し掠れたような、けれども若さの有る声が耳に入ってきて思わず振り返ると、何ともアンバランスな男女がわたくしのすぐ後ろに居ました。小柄でポッチャリとした体型で黒髪のいかにも日本人という平坦な顔立ちの女性と、ヒョロリと背が高く赤髪で目鼻立ちのハッキリとした西洋風の男性です。
パチリと合った青年の瞳は、今日の富士山と同じくすんだ水色ですね。同じ色なのに、とても美しく感じるのはこの青年の魅力ゆえの事でしょうか?
「ねぇ、それはあの山の絵?すごく上手!遠いからあんな色なの?それとも本当に木が生えていないの?あぁ、でも木々の気配はやっぱり感じないなぁ……」
目が合った瞬間にわたくしのキャンパスを覗き込んだかと思えば、物凄い勢いで話しかけられます。ええっと、何を聞かれたのでしょう?顔に似合わず流暢な日本語でしたけれど、勢いが良すぎてわたくしの理解が追い付きません。
「ごめんなさい。素敵な絵に興奮してしまって。その、あの山に木々の気配がない理由を知っていたら教えてほしいんだ」
ポカンと固まってしまったわたくしに、ゆっくりと問いかけ直した青年の足元には五羽のカラスが整列していて、まるでお辞儀をするように首を振りました。女性の方は手を合わせて小さく口を動かしていますが、この男性がわたくしに話しかけるのを止める気はないようです。一体どの様な関係なのでしょう?
「……標高が高すぎると、酸素濃度や気温の関係で植物が育ちにくいのと、火山灰が堆積してできた山なので土に含まれる養分や水分が足りなくて植物が育ちにくいという二つの理由が重なっているので、植物が少なく、遠くから見たときに青く見えるのだと聞いた事がありますが、専門家ではないので正確な所は分かりません」
「火山灰?じゃぁ、あの山も火山なの?マグマっていうエネルギーが埋まってるの?」
そうか、なるほど、と青年は一人で納得して何度も頷いております。なんだかよく分かりませんがこのままここに居ても落ち着いて続きを描くこともできなさそうですし、集中も途切れてしまったので片付けて帰りましょう。道具類を仕舞おうとした所で、青年が描きかけのキャンパスをガシリと掴みました。
「すごく素敵な絵、正確な色彩で整えられてるのに、どうしてあの山だけ、見えた通りの色と違うの?」
「晴れた日ならこういう色に見える、日もあるんです。せっかく描くなら一番綺麗だと思う姿を描きたいじゃないですか」
「なるほど。じゃあ、今、貴女の目にあの山はどんな色に見えてるの」
「あなたの瞳と同じ色です。……あの、もう良いですか?」
富士山の色を一般的な青色で描いてこんなに険しい顔をされたのは初めてです。まさか絵の批判までされるのではと思い、青年に掴まれたキャンパスをぐいっと引っ張って取り返しました。こんどこそこの青年から逃げたいです。
「あー、ごめんなさいね。彼少し常識知らずな所があるけど、悪い子じゃないのよ。その貴女に教えて欲しい事があるみたいで、申し訳ないんだけど少し付き合ってあげてくれないかな?」
青年がわたくしに話しかける間ずっと、一歩後ろで黙って五羽のカラスと青年を見比べていた小柄でぽっちゃりした女性が動いたと思ったらそんな事を言われたのです。あら?そういえばこの五羽のカラス達?
この人達とこのカラス達に少しだけ興味が沸いて青年を見上げると、何とも情けない顔でわたくしの手の中のキャンパスを見つめていました。
「ごめんなさい。昨日教えて貰ったんだ。女性に話しかける時は、とにかく自分の気持ちを全部伝えるのが良いって。勢いよく話しかければ大体は提案に乗ってくれるって」
「あー、セファース、昨日の男の人が行ったことは全部忘れな。見ての通り、あんたが習ったそれは、怖がらせるだけよ」
さらに情けない様な表情になった青年が、ごめんなさいと頭を下げると、五羽のカラス達も整列して頭を下げました。このカラス達はどれ程賢いのでしょうか。そして、昨日の男性とらは、この純粋そうな青年に一体何を吹き込んだのでしょうか。
北山通子さんと名乗った女性が、青年セファースさんの事を説明してくれて、今からの予定を話してくれました。お二人はパワースポットである富士山を見に来たそうで、ここはお二人共通のご友人が以前から薦めていたから来てみたのだそうです。
わたくしも松本由宇と名乗り、一応画家だと自己紹介しました。わたくしはこの辺りの景色の色彩が好きで、富士山や富士五湖の景色を主な題材にしています。
お二人揃ってわたくしに、今日一日富士山を眺める散策に付き合って欲しいと改めて仰有られました。
お二人の関係を尋ねたら、セファースさんが、それはそれは嬉しそうに親子のようなものだと言って笑われます。わたくしが一緒に行動しても恋人同士の旅行を邪魔する訳ではないようでホッとしました。
「あの、その、この辺りのご案内をしたら、わたくしにこのカラス達の事を教えてくれますか?」
どう見てもお二人が飼っている様にしか見えないカラス達の事を、お二人もよく知らないと言われますが、分かる限りの事は教えて下さると言うし、抱っこの了解もカラス達から取り付けて下さったので、わたくしはお二人と一緒に今日を過ごすことに致しました。
花畑の美しい公園から少しだけ移動をして、通子さんのご厚意で昼食をご馳走して頂くことになりました。この辺りは観光地なのでそれなりにオシャレな洋食屋さん等も有るのですが、チェーン店のほうとう屋さんに入ります。
ほりごたつの様になっている座敷席に座りました。そう言えばセファースさんほうとう食べるのにお箸で苦労したりしないのでしょうか?
通子さんはスタンダードなかぼちゃほうとうが好きだそうです。わたくしは豚辛口ほうとうを、セファースさんはうんと悩んでから茸ほうとうを頼みました。
熱々の鉄鍋が届いた時、セファースさんが盛大に顔をしかめて通子さんが笑い出しました。
「この国の人の口の中ってちょっと頑丈過ぎるんじゃないかな」
取り皿に少しずつ麺とスープと具を移して、慎重に冷ましながら、不服そうな表情でセファースさんはほうとうを食べています。かぼちゃなんて箸で四つに割って、それに息を吹き掛けているのです。相当な猫舌の様ですね。
わたくしは元々熱さに強いのもありますから、鉄鍋からほぼそのままズズっと頂いております。一応、スープを飛ばさない様にする為木のお玉に乗せて口元に持っていきますけれど、息を吹き掛けたりはしません。
食品そのものの温度と、お味噌の効果と、キムチの辛味でどんどん体が温まって、ものすごく汗をかいてはおりますけれども、ペースも表情も変わらずにパクパクと食べるわたくしをセファースさんがじいっと見ています。そんなに熱いものを食べれることは不思議ですか?わたくしにとっては、西洋人のセファースさんが流暢な日本語を喋って、お箸を上手に使っている事の方が不思議ですけれど。
ほうとう屋さんを出ると、雲が晴れて目の前の湖の反射が眩しいほど、太陽が強く輝いてました。わたくし達は強力なパワースポットである青木ヶ原樹海に向かって移動します。
わたくしは自分の軽自動車に乗り込み、白いサイドカーが付いたシルバーの大型バイクの後ろを付いていきます。サイドカーに乗るセファースさんの赤い頭がユラユラと揺れているのは、なんでしょう?バイクにもカーラジオってついているのでしょうか?
信号待ちで止まると、遊園地からものすごい悲鳴が聞こえてきて、同時にセファースさんの肩がピクリと跳ねました。大勢の声だとしても、あのボリュームの悲鳴って驚きますよね。
四十分ほど車を走らせて、氷穴近くの青木ケ原樹海の遊歩道入り口に着きました。相変わらず、ここの木々は深くて美しい色を湛えています。わたくしはとても好きな場所の一つですが、通子さん曰く、「初めて来る人同士で歩くのは不安だった」だそうです。実際にはきっちりと遊歩道が整備されていますし、遊歩道から逸れなければ普通の森林浴スポットだと思うのですけれど、イメージは良くないのでしょう。
「松本さん!松本さんも絶叫マシンなんて物に乗るの?!」
目的地に着いて、車から降りた瞬間に駆け寄ってきたセファースさんから尋ねられます。あぁ、遊園地の悲鳴を聞いた後、何度も振り返ってこちらを見ていると思っていたら、そんなに気になったのですね。
「はい。わたくしは慣れてしまったのであのように叫ぶことはありませんけれど、乗るのは好きです。凄く高いところから眺める富士山も良いものですよ」
「ほら、セファース。あれは嫌がらせをされている訳じゃないんだよ」
セファースさんは小さく口を開けて、目を見開いた状態で固まってしまいました。
わたくしは、あくまで個人の考えだと前置いてからお話を致します。あの悲鳴は平和の象徴なのだと。何者にも脅かされない安全で平穏な暮らしをしているからこそ、時おり刺激が欲しくなるのだと思うのです。わたくしの考えを伝えると、セファースさんは一応の納得をして下さいました。
遊歩道の入り口から樹海に入っていきます。時刻は十四時前でまだまだ日が高く明るい時間帯ではありますが、木々の繁った樹海はほとんどが日陰で、お天気が曇りにでもなれば一気に暗くなる事でしょう。遅くとも十六時迄には戻ってくるようにしなければなりません。
しっかりと踏み固められた土の遊歩道はかなり歩きやすい道です。これだけ湿っていれば苔や落ち葉で滑りやすい場所が有るのが普通なのに、本当にしっかりと整備されています。
数メートル毎に枝に括られている目印のリボンがわたくし達を案内してくれます。ふふっ、今日もここの木々はカラフルな緑色で華やかですね。歩くだけで楽しい気持ちになります。
「ねぇ松本さん。松本さんにはここの木々の葉っぱは、何色に見えてるの?」
セファースさんがわたくしの横にならんで、少し上半身を屈めてから小声で尋ねられました。歩きながら上半身を屈めるなんて器用なものですね。出会ったときから色を気にしていたセファースさんは、わたくしと同じ悩みをおもちなのでしょうか。
「この樹海の木々は三十色くらいの色が煌めいているように見えます」
「やっぱり?松本さんは、この辺り出身なの?ご家族も同じように見える人たち?」
セファースさんはこの色彩感覚は遺伝だと思っているのでしょうか?残念ながらわたくしの家族達はここの景色を見ても、葉っぱの色はせいぜい五色くらいだと答えると思います。わたくしは幼い頃から絵を描く度に「見た通りに塗りなさい」と言われ続けていましたから。そんな事を話しつつ、そう言えば母の家方の従姉が同じように色を見ていた事を思いだし、その子が住んでいる県を教えました。
緩やかな下り坂を下りて行くと、少し開けた場所に出て、そこに小さな洞窟があります。昭和の頃は洞窟の中も入れたらしいですが、今は危険だと閉められています。
地面から少し穴を掘ったような洞窟の入り口に小さな祠があり龍神様が祀られているのでセファースさんとお参りをします。通子さんはなんとなく怖いと言うことで、穴の上からわたくし達を見守ってくれています。
「そう言えば、セファースさんのお友達?あのカラス達の羽の色すごくカラフルですよね?あの子達はどこから連れてきたのです?雑じり気のない黒い羽の子が五羽のボスみたいですし、本当に賢い子達ですね」
立ち入り禁止の柵を越えて奥に行きたがるセファースさんを止めて、何とか地上に引きずり出してから尋ねました。セファースさんも、通子さんも時が止まった様にポカンとされています。
「え?カラスの羽の色が違うの?」
バサバサっとどこからともなく降りてきた子達の、わたくしの目に映る色を伝えていきます。
漆黒の子、緑がかった子、青みがかった子、赤みがかった子、紫がかった子。あら?よく見たら顔立ちも違っていたのですね。見分けがつくと言った瞬間に、カラス達がわたくしの足に頭をこすりつけてきました。
少しは懐いてくれたのでしょうか。わたくしにとって良い休日になりました。