好物の新たな一面
随分久しぶりになってしまいましたが、物語は前話の直後からです。
風の精霊が頬を突っつき、光の精霊が行く道を照らす……なんて景色はないけれど、大島さんの運転する車で揺られてボクはぼんやりと穏やかな快感に身を任せていた。カーラジオから流れるメロディを口ずさみながら、さっき呪文ではなく歌で魔法を起動させていたら、ちゃんと魔術になったかな、なんて考えたりして。
「セフ?この歌好きなの?あっ、そろそろ高速入るから窓閉めるよ」
ウィーンと閉められる窓に、少しの寂しさを感じる。特にこの場所に思い入れなんかなかった筈なのに。
あの洞窟は本当に不思議な場所だった。久しぶりに体の中を魔力が巡るのを感じられた。洞窟の外に出たら、全く魔力は感じられなくなったけど。不思議な力を感じた他の場所では、体の中を巡る感覚は無かった。あの場所が他の場所と違ったのは何故だろう?
そう言えば、カズも不思議な力を感じてる節があるし、あの場所を特別だって言ってた。魔力のないこの世界の人の筈なのになんで力を感じているのだろう?
そう思うと、隣で真面目な顔してるカズが一番不思議な存在かもしれない。
「返事もしないで、何見てるのさ?」
窓を閉められて、外の風を感じられなくなって、変わりにカズの顔を眺めてたら、ものすごく怪訝な表情をされた。
「カズに出会えて良かったと思って。ありがとね」
今まで、隠れるようにして生きてきたから、人と話すのは相変わらず苦手だけど、こうして肩を並べて、思ったままを言葉にできる事はなんて幸せな事だろうと思う。特にカズは、裏なんてものがなくて、しかも同性で、何でも受け入れてくれる大きな器の持ち主だ。一緒に居てリラックスできる。
「疲れてるでしょ。買い物する時は起こすから寝てていいよ。俺はセフが料理してる間にでも寝るし」
カズのその言葉は催眠魔法の合図かのようで、ボクは抗えない睡魔に引きずり込まれた。
*******
『ねぇ、あなたお名前は?シェインに似てるけど違うわね?』
祖父の名前を呼びながら、木の枝を飛び回るリス……の様な姿の姿の精霊たち。懐かしいリズムが聞こえる。あぁ木の精霊よ、そんなに揺らさないで。枝からボクを落としたいのかい?役立たずなボクを。決して君達との約束を忘れた訳じゃないから、待っていて。
『みんなと仲良くなるには、たくさん頑張るしかないのよ』
『困っている人は少しでも多く助けて』
『食べ物は美味しい方が幸せになれるわ』
『美しさは心を穏やかにするんだ』
『…………』
口々に言いたいことを言う精霊たちに、色々と聞きたい事は有るけれど口が開けない。水の精霊だけとても悲しそうな顔をして何も言わないのは何故だろう?
*******
揺れが収まって目を開くと、緑色ではなく灰色の天井が見えた。あれ?シートを倒した覚えなんてないけど。
「よく眠れた?」
「うん。懐かしい夢を、子供の頃の思い出を見てたよ。『食べ物は美味しい方が幸せになれる』って木の精霊が言ってた」
「じゃあ、俺も幸せにしてよ。ほら、ここで野菜を買おう」
カズに言われて車を降りたのだけど、カラス達は何故か車の中で動かず座り込んで寝たままだった。そんなに寝るほどあの洞窟のあった山で何をしてたんだろう?
カズに案内されて、サービスエリアと一体になった道の駅の産直コーナーを見て回る。凄い!葉野菜の種類が豊富で目移りしてしまう。
「あー、流石にもう、かき菜はないか」
何種類かの香味野菜とほうれん草や変わったニンジンなんかを篭に入れた所でカズがすごく残念そうに呟いた。振り返ったら「仕方ない」みたいな顔して小松菜を手に持ってる。ボクの予定では小松菜を使う料理はないんだけどなぁ。まぁ、何か考えれば良いか。
「かき菜って?」
小松菜を何かの代わりに見立てたいなら、その様に料理しなきゃと思ってどんな野菜なのか尋ねる事にした。僕の問にカズは少し困った様に眉を下げる。でも口元は笑ってる様に見える。何か思い出のある野菜なのかな。
「うーん。春の野菜で、小松菜より少し固くて、小松菜よりもう少しハッキリした味の葉物?苦味もあるんだけど、それだけじゃない深い味わいの野菜。群馬以外で売ってるのを見たことがないんだ」
もう夏が僕らの周りにへばりついてるのに、春の野菜を食べたいなんて無茶を言う。
「へぇ。それはボクも食べてみたかった」
小松菜の味わいを深くするなんて、ボクの腕前じゃできるわけないけど、まぁ頑張ってみようかな。ボクの好物は勿論カズにも食べてもらうけどね。
ん?下仁田ネギ?いつも見るネギと様子が違う。なんて言うか、ふてぶてしい。存在感の主張が強い。あぁ、このネギも特産なのか。ネギには違いないだろうし、これで良いか。
蒟蒻や椎茸と、明日の朝用のパンも買って、道の駅での食糧調達は終わった。道の駅で無かった食材を途中のスーパーで買いたいって言ったら、カズはめちゃめちゃ困った顔をしたけど、最終的にはボクの希望を聞き入れてくれた。
そうして、目的の宿泊施設に着いたのはチェックイン時間ギリギリになった。カズは案外疲れが限界に達していたらしくて、部屋に入るなりベッドに直行して寝始めた。車の中で宣言した通り、ボクが料理する間は休憩するらしい。カラス達は車の中で過ごすらしいので、後で晩御飯を車に持っていこうと思う。
まずは小松菜なんだけど、多分食感は残した方が良さそう。わざと苦味を強調する調理方法なんてあったっけ?もう悩んでる時間も勿体ないし、大きめに切って炒めよう。味付けはどうなるかわからないけど、カラシと味噌でいこう。
ご飯は炊くと時間かかるからレトルトのご飯を活用して、アランチーニもどきを。揚げるのは大変だから、パン粉を着けてフライパンで焼く。ちゃんと色が付けば大丈夫。揚げるより温度が低いから僕も食べやすい。
それから煮物と、納豆ネギ巾着と味噌汁も作る。煮物のニンジンはいつもの癖でついつい花形に切ってしまったし、蒟蒻もついつい結び蒟蒻にしてしまった。うん、見た目が混沌とした食卓になった。
調度全部できたタイミングでカズが起きてきたんだけど、タイミング良すぎない?本当に寝てたのかな?
テーブルに並べた料理を見たカズはすごく驚いたらしくて、目を丸くして口をポッカリ空けて僕に振り向いた。その驚いた顔を見たら何だか僕も嬉しくなった。
二人で向かい合いに座って、「いただきます」と挨拶してから箸を持つ。僕は当然納豆ネギ巾着を真っ先に自分の取り皿に確保したんだけど、カズは小松菜の炒め物を一口食べてから、お皿ごと自分の前に持っていた。
「セフ、かきなとは違うけど、この炒め物美味しいよ。シャキシャキしてるのに野菜の青臭さがなくて、んー?この辛味は何?」
「カラシで味付けしてみたんだ。気に入ってくれて嬉しいけど、僕のオフクロノアジも食べて欲しいな」
僕が勧めたら、カズは何故か煮物に手を伸ばした。改めてアランチーニの香りが本当の故郷の家の食事に似てることと、こちらの世界のオフクロノアジである納豆ネギ巾着を勧める。
ちなみに、いつも青ネギで作っていた納豆ネギ巾着と、下仁田ネギで作った納豆ネギ巾着は結構違う味になった。ちなみに僕の好みはネギの主張が強めの下仁田ネギで作る納豆ネギ巾着。
食事をしつつもカズに色々聞いてみる事にした。
「ねぇ、カズがあの場所を特別に思っているのはなんで?」
「えっ?どういうこと?俺があそこを特別に思ってるのは……なんとなく。ごめん具体的な理由は説明できないんだけど、セフは何が気になったの?」
シャキシャキという音が言葉に混ざって聞こえるんだけど、お行儀悪くない?そういう僕も口から納豆の糸が伸びてるしおあいこかな?
半分まで食べた巾着を取り皿に下ろして、口の中のネギの香りをすっかり体に取り込んでから返事をする。
「あの洞窟の中だけ、魔術……に近いものが使えたんだ。魔力を感じた他のどの場所でも全くダメだったのに」
「えっ?やっぱりあれはセフの魔法だったの?」
そんな事を言いつつ、カズは箸で摘まんだニンジンを見て、不思議そうに首を傾げた。あっ!一つだけ梅の花にしたやつだ!その首は花の形が違うことに気付いたの?それとも魔法に対する疑問?
首を傾げたまま、一口で梅型のニンジンを食べた所を見るに、魔法に対する疑問の態度だったらしい。
あぁ、僕の力作が……大根の牡丹は自分で食べておこう。
「言い切れないけど、多分。微かにだけど、精霊の返事が聞こえた気がしたから」
「そっかー。精霊ってあのカラス達じゃないの?」
「カラス達もそうかもしれない。けれど精霊はどこにでも、沢山居るから、洞窟の返事の主かどうかは分からない」
僕だって、あの不思議なカラス達の正体を何回も考えて、もちろん精霊の可能性だって考えた。でもそれにしては意志疎通がジェスチャーだけというのはおかしい。仮にカラス達が精霊なら、彼らは力を封じられている。理由は分からないけど。
「そっか。それで、セフはあそこで魔術を使えた理由を知りたいんだね?今までに魔術が使えそうって思ったけど使えなかった場所はどこだった?」
僕が考え事をしている間にカズの前の皿が空になってた。えっ?僕小松菜食べてないんだけど……。今日は諦めてまたいつか作ってみよう。
「最初は石見銀山の洞窟の中だった。銀山の近くの山もそういう力を感じた。あとは青木ヶ原樹海と、東尋坊の岸壁の上かな」
「うわぁ」
なんか、カズの顔が見たことないほど歪んだんだけど、一体何なのか。まぁ料理が口にあるタイミングじゃなかったから、僕のせいではないと思う。
「なに?」
「なんでもない。でもその三ヶ所?四ヶ所?と入水鍾乳洞で明らかに違う所があるよ」
一度小さく首を振ってから、ヒタリと僕に視線を合わせてくる。ついでに箸も下ろした。真面目な話だね。僕も姿勢を正して問い返す。
「水。 セフが水に浸かりながら魔法を使おうとしたのは初めてなんじゃない?」
言われてみたら確かにそれは、今までと今日の大きな違いだと思う。そう思うと、夢の中で水の精霊が悲しそうな顔だったのは、僕が気付かなかったせいなのかな?と思えてくる。
答えが出た処で箸を持って食事再開。
バジルの風味を噛みしめつつ、アランチーニの皿を眺めながら考え込んでいたら、カズが僕の見ていたアランチーニを箸で摘まんで持っていった。そのまま目できつね色のボールを追いかけて、ニコニコしてるカズと目が合った。
「だからさ、例えば海とか川とかに入ってみたり……うーん温泉なんかも良いんじゃないかな?」
言い終わると、パクりと一口でアランチーニを食べる。いや、揚げてないとはいえ、それは熱くないのかな?モグモグと何事もないように食べてるけど。
「温泉?」
「うん。知らない? 地底深くから湧き出る色んな成分を含んだお湯。箱根とか熱海とか道後とか有馬とか、あっ、蔵王も有名だね。他にも色々あるよ」
そう言えばおっちゃんも温泉の話はしてたっけ?たった二日の事なのに、随分懐かしく感じる。おっちゃんは新婚旅行で箱根に行って、奥さんを怒らせたんだったっけ?
「俺からも聞きたいんだけど、セフは遠くに瞬間移動する魔法でこの国に来たんでしょう?じゃあさ、時を戻る魔法なんかも有ったりする?」
アランチーニを三つ食べてから、また真面目な顔をしたカズに聞かれて、僕も真面目な顔で考える。
「時を戻る?……うーん、聞いたことも考えた事もなかったな。そもそも、遠くに瞬間移動するのだってボク一人では作れないくらい奇跡的な魔法だったし。カズは過去に戻りたいの?」
「そうだね、戻りたい。まぁどこに戻ったら上手くいくかも分からないんだけどね」
そんな会話をしながら、あの時チンジャムが完成させた、僕では考え付かなかった部分の魔方陣が頭に浮かんできた。そう言えばあの指定の仕方だと……場所じゃなくて時間を移動する場合もあるのか?まさか。
「セフ、急に難しい顔になってどうしたのさ?そんなに時を戻る魔法は難しいの?」
「うん。僕には難しい!」
話をごまかしたら、「ご飯を食べたら眠気がきた」とか言い出したカズはあっと言う間にベッドに潜り込んだ。そんな頭から布団被ったら息苦しくならないのかな?
僕はカラス達に食事を運んで、さっきの思い付きをポツポツと話した。もしもカラス達が精霊で、僕の側にいつも居たせいであの魔術に巻き込まれたのだとしたら、何か教えてくれるかも、なんて期待をして話した。けれど、黙々と納豆ネギ巾着をツツクばかりだった。
翌日、朝御飯を食べてすぐに出発して、僕の目的地だった恐竜の痕跡の残る場所に来た。ものすごく山奥の、カーブの横の岸壁。そこにアンモナイトと一緒に残るのが恐竜の足跡だった。
「ここが海だったなんて信じられないよね」
確かに、こんな山奥に海に住んでいたと言われる生物の化石があるなんて、どちらかと言えば、このアンモナイトが何かの間違いじゃないかと思うだろう。
でも僕はここが海だった事が分かるし、どうしてこんな山奥になってしまったのかも、分かる。この足跡の恐竜が、違う個体かも知れないが倒れ、そして海水が煮えたぎり、土地が動いていく。その景色が何故か見えてしまったし、僕にその景色を見せた犯人が僕をじっと見つめている。
「セフ? 大丈夫?なんかものすごく具合が悪そう」
「大丈夫。具合は悪くない。ちょっと色々ビックリはしてるけど」
『帰る時には呼んでね。帰れるならだけど』
カラス達が一斉に飛び立って、方々散り散りに飛んでいった。えっ?僕を置いていくの?ここまでずっと一緒に居たのに?
「セフ?カラス達は自由行動?もう次に移動しようと思ってたんだけど」
「うん。もう僕との旅は終わりなんだって」
結構寂しくて、思わず俯いた僕に対して、カズはこの国に残る伝承話をしてくれた。
カラスは導き手であり、そして姿が見えなくても見守ってくれる存在なんだと。だから、僕の事もどこかで見守ってる筈だって。
その伝説が残る場所もこの国の有名なパワースポットだと言われて、そこへ行ってみようかという気分になるのだから、僕も現金なものだ。
「セフ、電車旅も良いものだよ。セフなら一人旅をしてても、良い出会いに恵まれるとおもうから、ここからは電車旅をおすすめするよ。まさか電車の乗り方を知らないなんて事はないよね?」
そう言いながら、一冊の本を差し出してきた。
「会う人みんな同じことを言って、親切に電車の乗り方を教えてくれたから、大丈夫だよ。ところで、これは?地図?」
「そう、行き先に悩んだら開けてみて。俺が知ってる限りのパワースポットの情報を書いておいたから。まぁ、布団の中という暗くて狭くて息苦しい場所で書いたからいくつか間違ってるかもしれないけどね」
すこし角がヨレてる地図を持って、僕は初めて一人旅に出ることになった。