新たな出会いの鯛茶漬け
道端で赤い髪を靡かせる背の高いシルエットを見た瞬間、俺は後悔の渦から放り出されたのだと思う。フロントガラスの向こう側、目立つ色彩の人影を元彼女に錯覚した俺は、急いで車を停めて歩道を走っていって、その人に声をかけた。結局は性別すら違う全くの別人だったんだけど。
『恐竜』と書かれたスケッチブックを持った赤毛の青年とその足元には五羽のカラス。頼りなさげに見える雰囲気に、俺はまた騙されるかも、とも思ったけど声を掛けずにはいられなかった。その瞬間まで元彼女の事を思ってたせいか、口から出たのは俺らしくない一言だった。
「こんにちは。高名な魔法使いさん。行き先は勝山で良いのかな?」
ハッと驚いた表情で俺を見つめる顔は、彫りが深いのに爽やかな感じで、しかも瞳が青かった。いつだったか、元彼女が面白そうに話してた、ヒッチハイクを拾ったら外国人で英語できなくて困った、って状況かと思って、焦りと期待が半々な気分だ。
「あの?ボクを魔法使いって呼んだのは、コレのせいですか?」
ものすごく流暢な日本語。少しだけガッカリしたけど、赤毛の青年が指差す足元には五羽のカラスが居て、心なしかキラキラとした目線を俺に向けている気がする。え?なに?カラスめちゃめちゃ可愛いじゃん。ってか初めて鳥に好かれたかも?もしかして、これは自慢できるくらい面白い事を拾ったのかな。
「うん。カラスと仲良くなったら魔法が使えるって言ってた人がいてね。その人はいつも、どんな鳥にもつつかれてたけど」
そう言えば、まっすぐに首を向けてる状態で視線が合う。っていうか俺が少し見上げてるくらいか?この人の身長何㎝なんだろう?元彼女と話してた時もこんな視界だったかな。
「そうなんですね。ボクがこの国に来たときにまるっきり同じ言葉をかけられたんです。そんな事を言う人は他に居ないと思ってたんですけどね」
まるっきり同じ言葉を言う人を、俺も知ってる。だって、今俺はその人の事を想像しながらこの青年に近付いたんだから。むしろ俺が心に思い浮かべてた人じゃないなら紹介してほしいくらいだ。今更だし、聞かないけど。
「そうなんだ?それで、乗っていく?勝山まで?」
「いえ、できれば勝山以外の恐竜の化石が出てる場所に向かいたいんです」
「俺の知ってる所は、足跡の化石しかないけど?そこでも良い?あと、物凄く遠回りするんだけど、構わないかな?あと、カラス達も車に乗るの?」
嬉しそうに笑った青年と握手をして、車へと歩き出せば、後ろからトットットと跳ねながらカラス達も付いてくる。セファースと名乗った青年が言うには、あれはカラスのスキップみたいなもので、車に乗れる事をすごく喜んでいるらしい。カラスの気持ちが分かるなんて、やっぱり魔法使いかな?元彼女に話したらきっと凄く羨ましがるだろうな。もうそんな機会は二度と来ないだろうけど。
「え?三日もかかるんですか?」
「遠回りするって言ったでしょ?直行すれば明日の朝には着くと思うんだけどさ。それともセファースさんは急いでるの?」
「急いでは無いですけど……」
「ひとり旅に出てみたのは良いけど、寂しかったんだ。少し付き合ってよ」
座席を倒して広い荷台状態になった後部ではカラス達が大人しく座り込んでいる。高速道路に入って車の揺れも安定しているので、力を抜いて座れているらしい。俺にはカラスの気持ちは分からないから、セファースさんに聞いてるんだけど。
「大島さんはなんでひとり旅に出たんですか?」
「まぁ、その、あれだよ。傷心旅行ってやつ?」
「失恋したんですか?なんで?大島さんの話し方なら教育に悪いってわけでもないですよね?」
「それ、どんな人の失恋話を聞いたのさ?俺は、まぁ。何も言わなすぎたのが良くなかったんだけどね」
セファースさんの知り合いは軽薄すぎて、子供を連れて奥さんが出ていったらしい。しかもその人は自殺しようとしていたとか。俺は自殺までは考えなかったなぁ。恋人と奥さんじゃ重みがちがうせいかな。
福井でセファースさんとカラス達を拾ってから約三時間。カーナビが休憩しろというのを無視して走っていたけど、お腹も空いたし休憩をしよう。
まだまだ明るいけれど夕方近くになった時間帯。米山サービスエリアに車を泊めた。ゴールデンウィークと夏休みの間のウィークデーのサービスエリアは静かなものだ。
「少し早いけど、晩御飯のつもりで食べておこう」
「こんなに早い時間に晩御飯ですか?」
「夜食もちゃんと調達するからさ。俺は昼飯食べ損なってもう腹ペコなんだよ」
車から降りたら、カラス達は一斉にどこかに飛んでいった。セファースさん曰く、気が済んだら戻ってくるし、最悪置いていっても飛んで付いてくるから問題ないらしい。飛んで付いてくるって、いくら俺の車が赤くて目立つ色だからってそんな事あるのかな。
サービスエリアの建物に入って、フードコートじゃないレストランの方へと向かう。たまにはちょっと良いもの食べたいしね。
「大島さん、なにか目当ての料理があるんですか?ボクも同じの食べます」
セファースさんにメニューを渡して、決めるのを待ってたらそんな風に言われたから、鯛茶漬け午前を二人前注文する。
「そう言えば、セファースさんは、何でヒッチハイクをしてるの?」
「ヒッチハイクで旅行をしたら、色んな人から色んな事を学べるって、オッチャンが教えてくれたんです。ボク知らない事だらけだから、一人旅するよりいいかなって」
「本物の旅人だね」
そんな会話をしていたら、注文していた料理が運ばれてきた。上りのサービスエリアで食べれる物より少し高級感があるらしいって、聞いていた通りの雰囲気を感じる。お膳の上には丼、茶瓶、漬け物、サラダと一品料理が乗っている。一品料理も品よく盛り付けられている。
丼のなかは、鯛めしを覆い隠す様に鯛のお刺身がグルリとならんでいる。茶瓶の出汁を丼にかければ、刺身が白くなると同時に香ばしい出汁の香りの湯気が立つ。
「せっかくのお刺身……」
「一口そのまま食べてからでも良いけど、出汁茶漬けも美味しいよ」
切り身とご飯を匙で掬って口に運べば、海の香りが広がる。いやこれは鯛の香りか。半生の刺身がプリっとした歯応えで、それからご飯の中に隠れている鯛のふわっとした食感も楽しめる。
セファースさんは最初の一口を刺身でご飯を巻いて食べて、幸せそうに口許を緩めた。
俺はワサビを少し乗せて二口目を食べる。ツンとした刺激の後を追いかける鯛の甘味に高級感を感じる。俺が普段の旅行で食べる物にこんな味はない。
セファースさんも出汁をかけて食べ始めた。食べる手順はまるっきり俺の真似をしている様だ。お互い無言で食べ続ける。
海に落ち始めた太陽の光が窓から差し込んで、少し眩しい。目を細めて窓の外に視線を移すと、佐渡島の影が見えた。食べ終わったら、写真撮っておこう。
「セファースさん、少し散歩しましょう」
レストランを出て、少し高台の様になっている展望所へと向かう。緩やかな坂道をゆったりと歩いているうちにフッと風が吹いてセファースさんの髪の毛がフワリと持ち上がった。髪の隙間から見えた耳の天辺が尖っている様に見えてびっくりした。魔法使いと言えば鷲鼻って思ってたけど、そう言えば整った顔と特徴的な耳の形の魔法使いが出てくる話もあったよな。でもカラスと仲が良いのは鷲鼻の魔法使いのイメージだったんだよな。
「あれが、多分佐渡島。金鉱山で栄えた島」
展望所の手摺に凭れながら、海の向こうを指差して話す。晴れているのに靄がかかってはっきりと見えない佐渡島は、まるで神様に隠された宝の島みたいだ。
「金鉱山?洞窟があるのですか?」
「あるよ。行ったことないけど。セファースさん洞窟に興味あるの?」
「はい。洞窟は、不思議な力が溢れている様に感じるんです」
「よかった。明日は洞窟にも行きたいと思ってたんだ」
何枚か佐渡島の方にレンズを向けて写真を撮ったけれど、肉眼で見たほど、佐渡島とわかる写真は撮れなかった。夕日が照らす海の写真としてはまぁまぁキレイなほうかな。
フードコートでサバサンドを七つテイクアウトして車に戻ると、どこからともなくカラス達が舞い戻ってきた。いや、天井に降りるのは勘弁してほしい。鳥の爪って案外鋭くて傷になるじゃないか。
「そこは乗っちゃダメだって」
セファースさんがカラス達に呼び掛けるとサッと地面に降りてきた。セファースさんが素早く後部座席のドアを開けると、カラス達が慌てた様に飛び乗っていく。あれ?俺天井に乗らないでって声に出てたかな?
「顔に出てましたよ。でもカラス達も地面が暑くて地面に立ちたくないみたいだったので」
「地面があつい?」
「彼らは裸足ですから」
そうかと言ったものの、車の天井だって熱い筈なのにと不思議な気持ちになりながら、車を再び発進させた。助手席のセファースさんは、どんどんと色が変わる夕暮れの海を眺めながら、小声で歌を歌っている。そう言えば元彼女もよく一人で歌ってたなぁ。
「ねぇ、俺の事はカズって呼んでよ。三日間も一緒に過ごすんだし、名前で呼んでくれても良いんじゃないかな?」
「カズ?呼び捨てで?」
セファースさんの赤い髪と、何気ない仕草と、雰囲気がやっぱりどことなく元彼女に似ていて、未練たっぷりの俺は、セファースさんの中に元彼女の身代わりを求めていた。だからどうしても名前で呼んで欲しくなったし、俺も違う名で呼びたくなった。
「呼び捨てで。それとも呼びにくい?あと良ければ俺も、セフって呼びたいんだけど?」
瞬きを二つしてニコッと笑ったセファースさんの本心は分からないけれど、言葉ではその呼び方を了承してくれた。
阿賀野川サービスエリアに寄ってソフトクリームを買いつつ、少し急ぎ気味に福島県に入った。そうして今夜の目的地、道の駅喜多の郷にはどうにか八時前に着くことができた。旅には温泉が欠かせないでしょう。
車は物産館の前に止めて、エコバックに必要なタオルと着替えを入れて、奥にある温泉施設へと向かう。セフにもエコバックを一つ貸して同じように準備をしてから向かった。
一時間しかないと思ったけれど、すこし熱目の温泉に浸かるには十分な時間だった。
「カズ、このお風呂はめちゃ、気持ちいい、な?」
呼び方のお願いをしたときに、話し方もタメ口にしてと頼んだのだが、セフにはそれが少し難しいらしくて、おかしなイントネーションになっている。語尾に悩んで結果疑問形っぽくなってるとか、可愛らし過ぎだろう。
「そうでしょう?温泉て気持ちいいよね」
温泉から出て、車に戻ったら、ハッチを開けて車中泊の準備をする。カラス達には助手席と運転席に移動してもらって、後部のスペースを寝台に整えていく。不思議そうな顔をしているセフに、このままここで泊まると言ったら、荷物から不思議な形のコートを出して、地面にゴロリと横になった。コートは掛け物になっている。
「ちょっと!?なんで、地面に寝るの?せっかくお風呂入ったのに!」
俺の叫びを聞いたカラス達がバサバサっと飛び出して、二羽でコートを取り上げて、あとの三羽でセフを突っつきだした。だめなの?としょんぼり起き上がったセフを説得して寝る支度が整った時には十時半を回っていた。夜食を食べるには良い時間かな。
ハッチを開けて、足をダラリと垂らしながら、セフと並んで夜空を見上げる。普段見ている夜空より星の光がハッキリ見えるのは、街灯が少ないからかな。
「そう言えばセフの故郷って何て国?」
「メジェボルーケ」
「へぇ、どんな国なの?海はある?」
米山サービスエリアで買ったサバサンドを袋からだして、紙を捲ってから渡す。
「国には海があるけど、ボクの故郷は山の中だよ。ってか、カズはメジェボルーケを知ってるの?」
「ん?知らない。知らないから聞いてるじゃん?顔立ち的にヨーロッパの人っぽいけどどの辺にあるの?地球にある国全部なんて把握できないよ」
「地球にメジェボルーケなんて国はないよ」
「じゃあセフは宇宙人か!うん。納得だね。あ?宇宙人じゃなくて異世界人?」
サバサンドは左手に持って、右手でセフの耳を引っ張ってみた。湯冷めした後の、冷たい耳は、俺の耳と変わりないさわり心地だな。こっちを向いたセフが驚きなのか怒りなのか判断の難しい表情をしている。
「カズはボクの事を知ってるの?」
「今日初めて会ったばかりで知ってるわけもないけど、この半日で、一緒にいて楽しい人だってのは理解したよ?もし本当に異世界の魔法使いなら、もっと楽しいだろうなぁとも思ってる」
異世界の魔法使いの故郷の話を聞くのに、一晩という時間は足りなくて、俺たちが眠りについたのは、空が白み始める頃だった。