異世界転生して研究者になったけど、チートを使ったことを後悔しています。
ズルはしない方が良い。
例えそれが異世界であってもだ。
正直者は馬鹿を見るが、短絡的な愚か者は悲劇を招くのだから。
異世界に転生したボクの“お手軽チートで楽な人生”と言う楽観的な期待は早い内に打ち砕かれた。
ボクが転生した時には既にエンジンの叩き台が出来あがっていて、一〇になる頃には既に実戦的な工業利用が大陸中で試みられていた。エンジンのような精密な機械が作れると言うことは、数学を筆頭とした様々な技術は十二分に発展している。高校生程度の知識は高度な知識であったとしても専門家達にとっては常識であることが殆どで、転生者としてのアドバンテージは殆どなかったと言って良かった。
一般的な男子高校生の知識よりも、転生した先の元貴族で現在は海洋運搬会社を営む両親の権力の方がよっぽどボクの生活を彩ってくれたように思う。
結局、個人の知識なんて、世の中の金とコネの前には無意味なのだろう。
しかしボクの二回の人生の教訓とは裏腹に、新しい両親はボクに学識と学歴を求めた。具体的に言えば、国立大学を卒業せねば、会社を引き継がせることは出来ないと主張したのだ。まだまだ国民全体に教育が行き届いていない時代であるから、大学卒業と言うのは前世の日本では考えられないステータスに数えられていた。
そして同時に、入学と卒業の難度も日本とは大違いだ。勿論、高い方に。
しかし幸いなことに、日本の一般的な教育は割と高度だったのは前述の通り。馴染みのないこちらの世界の歴史や古典には苦戦したが、その他の科目ではなんとか落ち零れることなく、可もなく不可もなくと言った成績を維持できた。
あと、数学が出来ればそれだけで頭良い奴扱いもされた。
そして肝心の卒業論文には、サヤマメのシワを選んだ。
これはグレゴール・ヨハン・メンデルが発見した“メンデルの法則”を異世界で再発見しようと言う目論みだ。この世界にエンジンはあっても、“遺伝の法則”は発見されていなかった。正直、遺伝の発見がどれだけの発見なのかはわからないが、中学生の教科書に載るほどの発見であるのだから卒業には十分な論文が出来あがるだろうと思い、大学の卒業が目標になってからボクはこの構想をずっと温めていた。
渾身の異世界チートにしては、あまりにもしょぼい。これで億千万と稼ぐことは到底不可能だろうし、世界を変えるにはまるで足りないだろう。
ただ、結論から言えば、その考えは甘かった。この論文は世に出すべきではなかったのだ。
だがこの当時のボクがそんな事を知るはずもない。親の会社にコネ入社し、脛を齧り甘い汁を啜ることしか考えていなかったのだから。
ボクの“アルフィーサヤマメの種子の形状の遺伝について”と言う論文は、目論み通りに教授の眼に適った。と、言うか琴線に触れたと言った方が正確かもしれない。現代日本なら中学生でも知っている法則に目を輝かせる教授は、この研究を共同研究にしたいと言い出したのだ。教授との共同研究となれば、まず間違いなく成果は全て教授の者になるだろう。だが、研究者としての名誉を欲していないボクはそれに頷いた。卒業さえ出来れば何も問題ない。
…………はずだったのだが、卒業後のボクは八年間も研究室に助手として囚われることになった。まったく新たな概念である“遺伝”について一番詳しいボクを大学が手放さなかったのだ。三〇になり結婚すると同時、ボクは最年少の助教授となり、新たに専門の研究室を与えられ、大陸中の注目を集める遺伝学と進化学の第一人者としての生活を余儀なくされた。
予定とは違ったが、まあ、これはこれで悪くない人生だったと思う。
しかし、アルフガレア労働者党党首アイン・クーガーの登場がボクの幸福な人生を破滅に追いやった。
既に若手政治家の星として時代の寵児であった彼は、あろうことか進化論を政治利用したのだ。
遺伝学や進化論を政治利用なんて意味がわからないかもしれないが、簡単に言ってしまえば『最も進化した人間』なるものが存在し、その至高の種とはアルフガレア人であるらしい。そして最も素晴らしい能力を持つアルフガレア人こそが劣等種たる他の人種を導かなくてはならない、アイン・クーガーは大衆をそう煽ったのだ。
勿論、そんな考えは進化論の中に存在しない。
進化とは優劣ではないのだ。
生態系は弱肉強食でもない。
少し考えればわかるはずだ。
もし、強い者しか残らないのであれば、優れた能力しか必要ないのであれば、どうして微生物や昆虫、ネズミや小鳥が世の中に溢れているのだろう? 地球上が実力主義であるならば、生命はどうして一種に収斂しないのだろう? 草食と肉食の間に優劣があるだろうか? 人の優れた知能は、飢えた獣の前でも万能だろうか?
そうではない。
この世界は合理的に美しく一つになることを決して求めていない。この世が美しく正しく見えるなら、それは人間の勝手な思い込み以外の理由はない。生命は場当たり的に出鱈目に拡散することで繁栄して来たのだ。人間が感動するほど賢くもなければ偉大でもない。
ただ必死だっただけだ。
だから、進化論の後にも先にも秩序だった支配はない。
進化とはただ混沌とした可能性の塊なのだ。
だが、アイン・クーガーはボクの研究を曲解した。最も進化した優れた種なんて幻想を産み出し、優秀な存在こそが大衆を支配するの自然だと主張し、それが神生命の本質だと大げさに語った。
ボクを含める多くの科学者はアイン・クーガーの発言を科学的根拠のない妄言だと批判したが、しかし大衆は彼の意見を受け入れてしまう。
時代が悪かったのだろう。何年と続く冷夏による食糧不足。終わらない諸外国の戦争。工場化による人員の削減。北風が運んで来る感染症。様々な要因から、豊かなアルフガレアには移民が流れ込み、溢れていた。
言葉も常識も通じぬ移民達は、当然と言うべきか多くのアルフガレア人にとって鬱陶しい存在だった。職にもつけぬ彼等は、良くて浮浪者や物乞いで、悪ければスリ等の犯罪者になることが殆どで、著しい治安の悪化は紛れもなく移民が原因だった。
自分達の納めた税金が、余所からやって来た浮浪者達への炊き出しに変わるのに納得しない市民は多かった。どうして自分達先祖代々の土地で、言葉も知らない異国人に怯えなければならないのだろうか? それは我慢ならない事態だろう。
そう言った不満がアルフガレアには充満していたのだ。
そんな中、アイン・クーガーは、アルフガレア人こそが最も進化した優れた種だと主張した。その言葉に異を唱えるアルフガレアの市民は殆どいなかった。そして多くの者が、アイン・クーガーが語る“弱肉強食の摂理”を認め、優れたアルフガレア人が、偉大なるアルフガレアの言葉も文化も知らぬ劣等種を導くと言う馬鹿馬鹿しいスローガンに賛同してしまった。
大衆はそれほどまでに移民にストレスと危機感を覚えていたし、隠さずに言えば邪魔だからどっかに行って欲しいと思っていた。
熱狂の中行われた選挙の結果、アルフガレア労働者党は最大与党となり政権を手にした。アルフガレア人のためだけの政治はおおむね好評で、多くのアルフガレア人は『誇りを取り戻せた』と喜び、与党支持率が八〇%を切る月はなかった。
その裏で、多くの移民が強制送還され、犯罪を犯した移民は些細な罪でも大袈裟に裁かれ、裏路地では移民への私刑が行われ続けた。
過剰にまで膨れ上がった民族的な優越感と、自分達が正義で裁く側だと言う強い意識が、良心のタガを外してしまったのだ。いや、良心とはそもそも、そう言う類のものだったのかもしれない。
より優秀な人間が支配すべきと言う思想は、段々と細分化されて行く。大学教授や政治家、大きな商家には特権が与えられ、貴族制であった時とはまた違った階級意識が出来あがる。市民達は上流階級に憧れ、より優秀な人間だけと付き合うことを望み、人々は常に互いを比較し合った。
同時に、社会的弱者に対する強い拒否感は膨れ上がった。特に顕著であったのは、身体障害を持った人達だ。彼等は劣悪な遺伝子を持つとして忌み嫌われ、その親族達は障害者を恥のように隠し、酷い時は殺害することすらあった。
異常なまでの連帯感と差別意識が交わるアルフガレアで、アルフガレア労働者党は二度目の政権を圧倒的な得票率で維持した。その数カ月後に、ボクには勲章が贈られた。彼等の支配を盤石にした遺伝学と進化学を発見した功績を称えてただ。
金色に輝く勲章に、ボクは吐き気を覚えた。
この歪な社会を産み出しすのに、ボクの研究が使われいるのだ。おぞましく、そして恐ろしかった。
それから三年後、ボクは妻子を連れて海を隔てた合衆国へと移住した。アルフガレアでは最上位国民として生活していた家族は最後まで移住に渋ったが、殆ど無理矢理に連れだした。ボクだって二度目の故郷に愛着があるし、可能な限り故国を救いたかった。
だが、アルフガレア労働者党と付き合う中で、それは不可能だと理解してしまった。
彼等は本気で自分達が選ばれた存在だと信じ、それ以外を見下していたのだ。
彼等は詐欺師として国民を騙していたのではなく、思想家として自身を騙していたのだ。
まだ、詐欺師であって欲しかった。利益のために国民を騙す連中であれば、利益での対話が出来る。だが、自分すら騙してしまう愚か者には、どんな正論も通用しない。自身が正しいと言う誤った判断で埋め尽くされた脳味噌は、理論よりも誇りと感情を優先するだろう。
最早、アルフガレア労働者党の政治は痴呆老人の戯言だ。
移住から四年後、アルフガレアは宣戦布告もなく他国に侵攻し、世界中を震撼させた。移民や外国人に対する待遇が国際的な問題となり、アルフガレアは幾つかの国からの輸入に制限がかけられて困窮していたことが原因だ。
自分達が選ばれた民と信じる彼等は、劣等な他者から奪うことに何の躊躇もなかったようで多くの無辜の民が犠牲となった。傲慢は容易く犠牲を許容する。
この一方的な侵攻を機に、世界は大きく動き始めた。
旧アルフガレア帝国圏の国々と、それ以外の非アルフガレア系人との九年に及ぶ長い戦争は、後にこの世界で初めての世界大戦と呼ばれることになるだろう。
ボクは激しく後悔している。
この悲惨な戦争が起きた要因の小さな一つが、ボクの論文から始まっている気がしてならないからだ。
性質は遺伝する。
たったそれだけの事実が、一人の政治家に利用された結果、多くの犠牲を産んでしまったのではないだろうか?
ボクがズルをしなければ、世界はもう少し平和だったと思わずにはいられない。