存在
帰宅すると、シスターズがホットケーキを食べていた。鐘捲雛子も一緒に小さなテーブルを囲んでいる。例の仕事があってから、彼女はシスターズに対して少しあまくなった。仲良くしていないと不安なのかもしれない。
まあ、目の前でヤったからな……。
結局、青村放哉も現場には来なかった。
仕事を断ったのか、あるいはそもそも仕事が回ってこなかったのかは分からない。内通者が仕事をしなかった可能性もある。
*
その晩、夢を見た。
久々の花園だ。
抜けるような青空、穏やかな海、そしてやわらかな草原。思い思いに過ごす姉妹たち。
いったい誰が俺を招待してくれたのだろうか。
キョロキョロしていると、白い木製のテーブルについている大人の女性と目があった。大統領だ。
俺は対面の席に腰をおろした。
「お久しぶりです」
現実世界では白いマネキンのような外見であったが、ここでは五代まゆの成長した姿をしている。少し機械的な印象を受けなくもないが。すっと鼻筋の通った美人だ。
すると彼女は薄く笑みを浮かべた。
「元気そうですね」
「なんとか。お招きいただき感謝します」
「いえ。いつもこちらの都合で呼び出してすみません」
まあそうだろうな。用があるから呼んだのだ。本来、ここはシスターズ以外は入ることができない。
「なにかご用でも?」
「惑星が復活しました」
「会いましたよ。死んだ人間が生き返るなんて、ちょっと信じられませんが」
「死者の魂は、それぞれ似たような性質同士で引き合うようです。善き人は善き人同士、悪しき人は悪しき人同士。それが天国や地獄の正体なのかもしれませんね」
だからシスターズもシスターズ同士でいられる、というわけか。
見渡すと、先日見かけたラ・ピュセルもいた。姉妹となにかお喋りしている。
俺は心の底からほっとした。自分で命を奪っておいて、勝手なことを言うようだけど……。
大統領は静かにこう続けた。
「惑星は惑星同士で集まっていたようですね。これがなにを意味するかお分かりですか?」
「さあ」
「ガイアが支配する領域がある、ということです」
ガイアというのは、衛星にいた個体のコピーだ。両者はほぼつながっていて、同一人物のように振る舞っていたが。いちおうは別個体ということらしい。
「彼女がなにか問題を起こすつもりだと?」
「いまのところはまだなにも。ただし今後、なにか仕掛けてくる可能性があります。注意しておいたほうがいいでしょうね」
ウラヌスが世界派である以上、惑星も俺たちの味方ということになる。あくまで形式上は。つまり今回、ガイアは敵ではない。
大統領は研究における「唯一の成功例」だけあって、既存の人類より多くの情報を扱える。だからもっと有益な情報を与えてくれてもいいはず。なのだが、俺の想定内の情報だけよこして、もう黙り込んでしまった。
俺は他愛ない話をしつつ、様子をうかがうことにした。
「死んだ人間の魂は、ずっと残ってるものなんですか?」
「いいえ。基本的には溶けて混ざります。この空間でも、すでに消え去った姉妹が何人かいますよ。ただし、サイキック・ウェーブの強さによっては、こうして人格を保ったままでいられるようです。いつまでいられるのかは分かりませんが」
「へぇ」
なら俺もそうなる可能性があるってことか。死後も記憶だけが残るなんて、あまり想像したくはないが。せめて同居人くらいはまともであって欲しい。
俺は向きを変えて姉妹たちを眺めつつ、つとめてなにげない態度でこう尋ねた。
「そういえば青村さん、なんで敵側についたんだろうなぁ……」
我ながら大根役者だ。
とはいえ、大統領から言い出しづらいことがあるとすれば、おそらく青村放哉のこと以外にない。彼はマネキンとヤっていた。そして大統領はいつも監視カメラを覗いていた。きっと目撃しているはずなのだ。
大統領はかすかに溜め息をついた。
「私のせいです」
「えっ?」
まさか、彼女が敵側につくようそそのかしたのか?
大統領はそっと目を伏せた。
「惑星を蘇生させる技術がある、ということは、私を蘇生させることも可能ということです。彼は主流派に貢献することで、報酬として私の蘇生を要求しているようなのです」
「あー……」
俺はまさに「言葉に詰まる」という体験をした。
なぜ思いつかなかったのだろう。
もちろんそうなのだ。惑星が生き返ったのだから、大統領だって生き返る。
俺の気持ちもゆらぎ始めた。
もし大統領を蘇生させることができるのなら、俺だって協力したいくらいだ。あんな終わり方を迎えてしまったことは、青村放哉だけでなく、みんなが後悔している。
大統領はしかしかぶりを振った。
「彼を止めてください」
「な、なぜ……」
「私は地上での役目を終えました。本来、こうしてお話しすることも避けるべきなのです。私は蘇るべきではありません」
「よく分からない。なぜダメなんです? みんな待ってますよ?」
「それでもです。私のような存在は、いまこの時代に生まれてはいけなかったのです」
たしかに彼女はテクノロジーで強制進化させられた存在だ。しかし、だからといって存在まで否定されてしまうのか。
「誰がそんなこと決めたんです?」
「判断しているのは私です」
「そんな……」
他者に否定されているならともかく、当人が拒否しているのであれば、もはや俺に言えることはなくなる。しかしそれでも「なぜ」が消えない。俺には理解できない理由なのか。
彼女は哀しげな顔をしている。
なぜそんな顔を……。
とはいえ、もし、類人猿しかいない時代に、ひとり俺だけが放り込まれたら……。仲良くなれる可能性はある。しかしそれでも「孤独」は常に付きまとうだろう。
彼女は人間に比べれば高潔だが、彼女の種としては平凡な存在かもしれない。あまり超人的な判断ばかりを求めるわけにはいかない。
「分かりました。大統領の意思は尊重します。青村さんは俺が止めます」
「感謝します。できれば皆さんが互いに争うような状況は避けたかったのですが……」
「安心してください。言葉で説得しますよ。俺、そういうの得意ですから」
できる気はしないが、俺は堂々とフカした。大統領は、あきらかに自分を責めている。自分のせいで俺たちが争っているのだと。この場にはウソが必要だ。
当然、彼女は俺のウソなど見抜いている。それでもかすかに笑みを見せてくれた。
「お願いします」
*
少し早めに目を覚ました。時刻は朝五時。
布団から出て、俺は顔を洗った。
初夏の朝もやの向こうから、強めの日差しが出ている。
これぞ朝、といった感じの朝だ。ラジオ体操をするにはうってつけだろう。少し体を動かして、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
なんとしてでも青村放哉を止めなくては。
できれば言葉で。
ムリなら銃で。
大統領はずいぶん難しいオーダーを出した。そう。彼女は、もちろん死者が出る可能性だって想定している。そうまでして蘇生したくないのだ。ワガママではない。もし彼女が生き返れば、彼女をめぐってもっと大きな抗争が起こる。実際、かつて俺が閉じ込められた研究所では、数えきれないほどの死者が出た。
青村放哉のことは、殺してでも止めるしかない。
木刀を手にした鐘捲雛子が出てきた。
「おはよう。早いのね」
「おはよう。腹の調子はどう?」
「もう治った」
そっけない返事だ。
俺の放った弾丸は、防護服の防弾繊維のおかげで致命傷を与えずに済んでいた。が、だいぶ内側までめり込んだおかげで、鋭いアザをつけてしまった。
彼女は黙々と木刀を振るっている。アスファルトの上なのに裸足だ。根っからの体育会系なのだろう。
俺は彼女の背に声をかけた。
「天気がよくなったらさ、みんなとピクニックでも行ったら?」
「えっ?」
「行ってないでしょ、最近」
「そうだけど……」
不審そうな目で見られている。なぜだ。親切で言ってるのに。
彼女は素振りを再開し、こう続けた。
「二宮さんも来るの?」
「いや、俺はいいよ」
「来たらみんな喜ぶと思う」
「でもいいよ。なんか邪魔になりそうだし」
「そう……」
たしかに姉妹は喜ぶとは思う。が、鐘捲雛子自身がそれを望まないだろう。俺が姉妹と仲良くしていると、いつもつめたい目で見てくる。深い意味はないのかもしれないが。
俺がエントランスに戻ろうとすると、彼女は素振りをやめてこちらを向いた。
「あなたが買ってきたお菓子、みんなおいしいって言ってた」
「ああ、前の。あげたんだ?」
「捨てたらもったいないから……」
「なるべく控えるよ」
「べつに。たまにならいいと思う」
そしてまた素振りを開始。
怒ってるわけでもないのだろうか。
*
生活スペースへ戻ると、機械の姉妹が「なるほど」と言いながら近づいてきた。
「なにが『なるほど』なんだ? またなにか盗聴してたのか?」
この少女はじつに信用ならない。
というか全部知られてるし、いまさら警戒するのもバカらしいレベルだが。
「これは嫉妬ですね」
「嫉妬?」
「といっても男女間の面倒なアレではありませんよ。たいしてシスターズの世話をしていないあなたが、たまにふらっとやってきてお菓子ひとつでシスターズを喜ばせるのが面白くなかったのでしょう」
「鐘捲さんのこと?」
まあ、そう言われるとそうなのかもしれない。俺も子供のころは、日常的に世話をしてくれる親より、たまに来てお小遣いをくれる祖父母になついたものだ。
機械の姉妹はうんうんうなずいた。
「シスターズは彼女に感謝していますよ。それを口にもしていますが……。まだどこか不安のようですね」
「急にいなくなるとでも思ってるのかも」
「私たちはどこにも行きませんよ」
当人はそうなんだろう。しかし外部から大きな力が加われば、当人の意志などお構いなしに関係は破壊される。これを守りたいと思ったら、戦いを続けなければならない。
俺は話題を変えた。
「大統領に会ったよ」
「はい。私も遠くから観察していました」
「なにか助言はないか?」
「ありませんね。ご自分の中で、すでに答えが出ているのでは?」
「その答えを変更したいんだ」
「あなたが、あなたの判断によって行動したことを、シスターズは批判しません」
なにもかも把握しているかのような物言いだな。いや、あるいは大統領が余計なことを吹き込んだか。俺が青村放哉を殺すかもしれないことを。
「それでもなにか言葉をくれ」
「私はネットワークを駆使したサポートをできますし、必要であれば資金も提供できますが、それ以外のことについてほとんど無力です。人の心の問題については特に」
物言いはドライだ。
しかし、なにかしたいと思ってくれていることは分かる。そうでなければこんなに頻繁に話しかけてこない。彼女なりに俺を励ましてくれているのだろう。
「分かった。ありがとう。あとはこっちでなんとかカタをつけるよ」
「はい」
頭をなでると、年相応の笑みを見せてくれた。
なんでもできるように見えて、彼女はまだ少女だ。不器用なところもある。
さて、俺もフカしたぶんの努力はしなければ。後悔しないよう、可能な限り準備をするのだ。すべての問題を解決することはできないかもしれないが、被害を最小限にとどめることはできるはずだ。
(続く)