黄昏
その翌朝から、あるニュースでもちきりだった。
匿名の人物が、フェスト治療の理論を完成させたというのだ。特殊な機械で「メッセージ」という波を浴びせることで、フェストの特徴が収まるのだという。まずは動物などで実験をおこない、早ければ半年後にも実用化させたいとのことであった。
しかし世間では、これはなかばデマだと思われたようだ。
厚労省が公式発表したにも関わらず。
まあいい。結果はすぐに出る。ぐちゃぐちゃにされかけた進化を、この技術で抑制することができるのだ。すでに変異してしまったものがもとに戻るわけではないが、症状の悪化は防げる。
午後、憤慨した様子で風間菖蒲が乗り込んできた。
「わたくし、しばらくこちらでご厄介になります! 父には心底呆れました! お金の計算ばっかり!」
さすがの黒服たちも、今回ばかりはやや困惑気味だ。
応対した各務珠璃もちぢこまっている。
「あ、あの……本日はどういった……」
「例のニュース、ご覧になりました? どこのどなたか存じませんが、じつに素晴らしいおこないです。この地上に暮らすすべての生命にとっての福音たりえましょう。なのに父と来たら、あれは本来うちで独占するはずだったとかなんとか。はぁ、いやだいやだ。お金というものは、人の心を狂わせますね……」
金持ちでもそう思うのか。
俺にはまったく理解できないが。
「どこから流出したんでしょうね」
あえてそう尋ねると、彼女は首をかしげた。
「サッパリ分かりません。うちで研究していたデータが流出したのか、それとも別の研究機関が出したのか。ともあれ、いまさら状況はくつがえりません。世界は一歩前進したのです」
もしそれが事実なら、やった甲斐があったというものだ。
一連のテクノロジーを、俺もようやく「祝祭」と呼べそうな気がする。
彼女は静かに茶をすすった。
「どうせ治療システムには赤羽の製品が採用されるのですから、父にとってもいいニュースのはずですのに。ソフトウェアを無料で配布して、ハードウェアをライセンス販売するというのは、悪い手ではありませんよね?」
同意を求められても困る。
俺にその手の商才はない。
彼女は興奮気味で言葉を続けた。
「ああ、それと。先日の依頼の件もありました。二宮さんを罠にハメようとして……。こちらのセンターは、わたくしの大事な提携先なのです。そこを攻撃するだなんて、わたくしを攻撃するも同然。ぜひとも徹底抗戦いたしましょう! 絶対に許しませんから!」
俺たちより怒ってる。
金に正義感がくっついているのは悪いことじゃない。支配階級にとっては邪魔でしかないかもしれないが。
各務珠璃が妙なことを言い出さないうちに、俺は勝手に承諾をした。
「同意しますよ、完全にね。力を貸していただけるというなら、こちらとしても断る理由がありません。とても心強い」
「ふふ、あなたがやる気のある方でよかった。いま発明家に頼んで、侵入者を自動で攻撃するサイキック・ブラスターを開発中です。これはドローンに搭載することも可能で……。ああ、ご安心を。きちんと試験してから導入しますから」
自衛隊が出動しないレベルで頼むよ。
*
生活スペースでは、佐々木双葉がガイアに言葉を教えていた。
「もう覚えたよね? はい、双葉ちゃん」
「ふたばちゃん……」
「かわいい」
「かわいい……」
妙なことを教えている。ふたりは上司と部下の関係ではなかったのか。
付き合わされているガイアもきょとんとした顔だ。
すると佐々木双葉は、俺の姿を見つけていたずらっぽく笑った。
「あの人は?」
「にのみや……」
「どんな人?」
「かわいい……」
彼女たちとは、あとで少し話し合う必要がありそうだ。
俺はベンチに腰をおろし、本日の姉妹たちを眺めた。
ひとりでサッカーをするアッシュ、じっとしている機械の姉妹、赤ん坊、ママたち、そして絵を描きながら口論する餅と五代まゆ。
いつも通りだ。なにもかもが。
姿の見えない鐘捲雛子は、きっと洗濯物でも干しているのだろう。外ではジョン・グッドマンがバンをいじくり回しているはず。
世界に平和が訪れた、と、結論してもいい。
風間派はいまでも俺を消したいと思っているかもしれないが、風間菖蒲が味方についた以上、あまり過激な態度もとれまい。
この素晴らしい日常に、人間もオメガ種も関係ない。
ガイアは災厄を引き起こさない。
キャンセラーで抑えつける必要もない。
誰かが適切な言葉を与えさえすれば、彼女たちは正しく理解する。災厄のように振る舞っていたのは、周囲の大人たちが誰も彼女に言葉を与えなかったせいだ。
知恵はあとからでも身につく。
俺たちが、大人たちにしてもらったように。
*
朗らかな秋晴れのある日。
俺はジョン・グッドマンの操縦するボートで、祝祭の島「阿毘須」を訪問した。
「ようこそ、祝祭の島へ!」
錆びついたアーチにはそう描かれていた。
伝聞によれば、ここで研究が始まったころ、赤羽義晴が造らせたものらしい。
あの男は研究狂いのクソ野郎には違いないが、人類がここから新たな一歩を踏み出すのだと、本気で信じていたのだろう。彼なりの喜びの発露だったのだ。
実際、ここからすべてが始まった。
彼の研究も、俺の災難も。
細い道を抜けると、なつかしい景色が見えた。
小さなホテルと、そして事務所。
かつて俺たちはここに閉じ込められた。あるいはこの先のジオフロントに。もっとも、そのジオフロントは爆破で埋め立てられてしまったが。
いまや野放しとなったマネキンたちが、やる気もなくそこらをうろうろしている。
襲われることはない。
サイキック・ウェーブを使えば、害意がないことを伝えることができる。
足を踏み入れたホテル内部にも、マネキンたちが生活していた。
エントランスのソファにも一体。彼女は秋物の服を着用していた。スーツ以外の格好を見るのは初めてだ。
「お招きいただき感謝します、大統領」
すると彼女はほぼ無表情のまま、ガラス玉のような瞳でまっすぐにこちらを見た。
「もう大統領ではないのですが」
「シスターズはまだ次の大統領を選んでませんよ」
「困った姉妹ですね。ああ、彼なら上にいますよ」
そう。その「彼」に会いにきたのだ。
望まない人間を、自分の都合で蘇生させた大悪人だ。
丸椅子に腰をおろした青村放哉は、俺たちが姿を見せる前からホールドアップしていた。
「おいおい、勘弁してくれよ。俺たちの愛の巣に押しかけてきやがって」
「いまどき愛の巣なんて言ってる人、青村さんしかいないよ」
「言葉狩りは感心しねーぞ、二宮。後ろの忍者も分かってるよな? こっちは無抵抗なんだ。暴力はなにも生まねーぞ?」
勝手放題しておいて、ここでも自分勝手なことを言うつもりか。
まあそれこそが青村放哉という男だが。
俺はひとつ咳払いをした。
「話は聞いてますよ。大統領からも、あんたを攻撃しないよう言われてます」
「さすがは俺のファム・ファタールだ」
「いちおうレポート書く都合があるんで、当時の状況を聞かせてください。機材はどこで入手したんです? マテリアルは?」
個人的な趣味で聞いているわけじゃない。風間菖蒲からの依頼だ。
青村放哉は自分に都合のいい話しかしなかったが、各所からの情報をつなぎ合わせるとこうなる。
彼は島田高志を脅し、抽出器を強奪した。その後、この島へ乗り込み、マテリアルを現地調達したらしい。サイキック・ウェーブでなんとか加工したのだとか。
そして大統領を蘇生させ、必至でかくまっている。軟禁とも言うが。
しかし皮肉なことに、大統領のサイキック・ウェーブをガイアが拾ってしまい、今回の件が発覚した。だからいまのところ情報をつかんでいるのはセンターのみだ。
*
帰路、俺は昼過ぎの気だるい日差しを浴びながら、ぼうっと秋の海を眺めた。
キラキラの水面。
ベテベテとやかましいモーター音。
容赦なく襲い来る波しぶき。
センチメンタルを満喫できるような環境ではなかったが、それでもいろいろ考えないわけにはいかなかった。
青村放哉はあの島に住むことを決めたらしい。まあ不法占拠になるから、いずれ問題になりそうな気もするが。
ともあれ、隔絶した環境を選んだのは、やましい気持ちがあったからではなかったのだとか。
大統領の希望なのだ。姉妹たちと距離をとるために、わざわざ不便な場所で暮らすことにした。
彼女はすでに、未来をシスターズに託している。
シスターズが新しい時代を作るまで、自分の出番はないと感じているのだ。
進化した人類が登場するためには、世界もそれに対応していないといけない。
しかるべき歳月が経過し、しかるべき発展がなされ、しかるべき必要性が生じたときに、はじめてそれは現れる。
たとえば俺たち人間が、類人猿の群れに放り込まれても生きてはいけないように。
*
センターに帰ると、餅と五代まゆがノートを手に猛ダッシュで突撃してきた。
「ちょっと二宮さん! これ見て! 林檎よ! どう見てもお姉さんでしょ!」
「控えなさい、駄肉。梨よ。こっちがお姉さん。間違いないわ」
残念ながら岩石のクリーチャーにしか見えない。
この子たち、あまり絵は得意ではないようだな。
「いや、これさ……。ちゃんと実物を参考にしたほうがいいよ。ちょっと怖いからさ」
「な、なによ! どこからどう見ても林檎じゃない! 上の葉っぱ見なさいよ! 葉っぱ!」
「尖りすぎじゃない?」
「短所を責めるんじゃなくて、長所を褒めて伸ばして! 不幸よ! 世界が滅ぶわ!」
餅は地団駄を踏んでしまった。
自信を失ったのか、同レベルの絵だった五代まゆもそっとノートを閉じる始末。
たしかに餅の言う通りかもしれない。褒めて伸ばすことも必要だ。俺はどうしても細かいところばかり気にしてしまう。
「悪かった。かわいいよ」
「かわいいのは分かってんのよ! 絵を褒めて! 絵を! あと私のこともあらためて褒めて!」
「あとでね」
キレてるのかなんなのか分からないが、まあ元気なのは分かった。
俺は二人の頭をなでて、その場を振り切った。
壁の一角に和装の風間菖蒲が腰をおろしている。両脇には黒服。
このゾーンだけ雰囲気が異様だ。
「戻りました。ぶじ彼らに会えましたよ。レポートはのちほど提出します」
「お疲れさまでした。あなたのレポートを参考にして、必要であれば、あの一帯を買い上げることになると思います」
「了解……」
スケールが違いすぎる。
俺は冷蔵庫からビールを回収し、そのまま屋上へあがった。
三時半の秋の空。
昼というには暮れているし、夕方というには明るすぎる。
椅子に腰をおろし、缶を開いた。
いつもの薄い味。かすかな苦み。少し遅れてアルコールが染みてくる。
毎日が大変だ。誰かがなにかの問題を起こす。そして対応に追われる。けれども俺は、そんな日々に幸福を感じてもいた。
疲れていても、みんなの顔を見ると苦労が報われる。仕事のあとにはビールもある。家族で過ごす時間と、ひとりで過ごす時間と、それぞれある。
スマホにメッセージが来た。
鬼塚明菜が飲みに行きたいらしい。たぶんまたおでん屋だろう。なぜか俺はあの店にしか呼ばれない。まあいいんだが。
冬が来る前に、またバーベキューをしてもいい。そのときは彼女も誘って。
やることがいろいろある。
いろいろだ。
いろいろ……。なのだが、新しい時代とやらに貢献できそうなことはなに一つしていない気がする。食って、飲んで、寝て、起きて、そして走り回るだけ。
俺の先祖も、たぶん似たようなものだったろう。
呼吸をしているだけで日は暮れる。
ぼうっとしているとビールの気も抜ける。
こちらの都合などお構いなしに、「いま」は勝手に過ぎ去ってしまう。
未来の世界を見たいのならば、生きていればいい。ただ、生きてさえいれば。
(終わり)




