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レイヴン

 また仕事が回ってきた。

 ターゲットは、廃墟と化した教会に住む六十八歳の男性。通称「レイヴン」。もしワタリガラスのことを言っているなら、北欧神話では特別な働きをした。しかし今回はどうだろうな。まさか老人が変異して空を飛ぶなんてことはないと思うが。

「エドガー・アラン・ポーの『大鴉ザ・レイヴン』はご存じかな? 物語のあるじとカラスは対話のさなか何度もこう繰り返すんだ。『ナッシング・モア』あるいは『ネバーモア』とね。喪失というものは、怒りや恐怖さえ捨象してしまう。じつを言うと、私はこれが大嫌いでね。ただ単に、とてつもなく完成されている、というだけの話だから」

 今日も今日とてリムジンに揺られ、ポエム男の演説を聞かされている。

 仕事前だけどビールを飲んでもいいかな。

 俺はなるべく笑顔でこう尋ねた。

「いつもみたいに、後ろからヤれば終わるんでしょ?」

 するとウラヌスは神経質そうな眉をひそめ、やや血走った眼球をこちらへ向けた。

「ヤる? 嘆かわしいね。下品な脳からは下品な言葉しかでてこないのか? いや、言わなくていい。答えはイエスだからな。そう。バックからヤれば終わる。君の趣味はすこぶる不愉快だな」

 はい。

 俺はいろいろ言いたいことを飲み込み、さらに尋ねた。

「飼い犬はいるのかい?」

「いない」

「じゃあ野良犬は?」

「つまらない質問だな。いるかいないか分からないからこその野良犬だろう」

「すべて了解した。ブリーフィングはもう結構」


 *


 海外のホラー映画にでも出てきそうな廃教会だった。

 日本にもこんな場所があったのか。

 しかしカラスはいない。曇り空ではあるが、初夏だから空は眩しく輝いている。まるで銀幕のようだ、などとポエム野郎みたいなことを言ってもいいが。

 一雨来そうだ。


 周囲には住宅さえない。

 本当に、ぽつんと小さな教会が建っている。建っているというか、崩れかけている。雑草もすねの半ばまで伸びている。


 建物に近づくと、ゴロンと瓶の倒れる音がした。

 中に誰かいて、そいつがまだ生きているのは間違いないようだった。

 そいつは「なんだ、客か?」とつぶやいた。

 もう気づかれているらしい。サイキック・ウェーブはなるべく抑えているのに。まあ草をガサガサ言わせていれば、誰だって気づく。

「入れぇい。鍵は開いてる」

 老人のしわがれた、しかし強そうな声が聞こえた。

 鍵がどうこう言う前に、そもそもドアが外れかかっているのだが。もしかすると、とっておきのジョークだったのかもしれない。愛想笑いでもしてやったほうがよかったか。

 慎重にドアを開くと、中で老人がふんぞり返っていた。周囲には酒瓶。もう使われていないとはいえ、教会で酒盛りとは、なかなか愉快なご老人だ。


 しかし彼はひとりではなかった。

 横に青村放哉が倒れている。もちろん死んではいない。酔っ払って寝ているだけだ。まあ表にバイクがあったから、いるとは思っていたが。これじゃ野良犬なのか飼い犬なのか分かったもんじゃないな。


 ターゲットは落ち武者のようなヘアスタイルの老人だった。が、不法侵入の酔っ払いにしては面構えがいい。かつてはひとかどの人物だったのかもしれない。

「まあ座れ。少し話でもしようや」

 俺とアイシャは言われるまま腰をおろした。鐘捲雛子は刀に手をかけたままだが。

 老人はふんと鼻で笑った。

「だいたいの話はこいつから聞いた。厚生省の連中が内部で争ってんだってな? いや、えーと、いまは厚生労働省だったか。ま、とにかく古巣だ」

 この老人、以前は官僚だったということか。


 十字架はどこにも見当たらない。ここを引き払うときに、良識ある連中が取り外したのかもしれない。おかげでただの集会所だ。


 俺はこう応じた。

「主流派と教団派、世界派ってのに別れて争ってるんです」

「あんだって? いや、待てよ。教団派? どこの教団のこと言ってやがんだ?」

「『進化の祝祭』ですよ」

「てことは五代の小僧か! あいつはカルトのくせに、とにかく頭だけはいいからな。どうせいまもブイブイ言わせてんだろ?」

「もう死んでますよ」

 しかもヤったのは俺たちだ。

 彼の情報はかなり古いらしい。

 老人は不意を突かれたような顔になった。かと思うと、いきなりガハハと笑い出した。

「そうか! 死んだか! やっとだな。あいつのせいで、俺たちゃ肩身の狭い思いをさせられてたんだ。いやー、いいニュースを聞いちまった。そうか、死んだのか。じつに愉快だな。つまりこれで、ようやくまともな研究が進められるってワケだ」

 彼の知識は、どこで止まっているのだろうか。研究が進むどころか、すでに取り返しのつかないフェーズに入っているというのに。

 すると老人は急に寂しげな顔を見せた。

「だが残念だな。世界の行く末を見届けることができねぇってのは。ま、あとは若い世代に任せるとしよう。老兵はただ消え去るのみ、だ。最後に一杯やってもいいか?」

「どうぞ」

 すると彼は下卑た笑みを浮かべ、床の酒瓶をとって一口やった。満足げに息を吐き、また一口。

「いやぁ、いい日だ。じつによ。こんなに気分のいいことはねぇよ」

 いつでもいい、とでも言わんばかりの態度だ。

 するとアイシャが立ち上がり、俺に注入器インジェクターを差し出した。なぜか泣き出しそうな顔になっている。

「ごめん。私、もうこの仕事やめる……」

 声が震えている。

 以前もそうだった。老人のターゲットを始末したとき、一日中ふさぎ込んでいた。老人を殺したくない理由でもあるのかもしれない。

「分かった。君は車に戻っていてくれ」

 俺は注入器インジェクターを受け取った。


 アイシャが足早に教会を去ると、老人は不審そうに眉をひそめた。

「おいおい、湿っぽいのはナシにしてくれや。こっちはひとりで盛り上がってるってのによ。あ、なんだったらお前も飲むか? まだ口をつけてねぇのがあるはずだ」

「あとでいただきます」

「謙虚なヤツは嫌いじゃない」

 俺は注入器インジェクターを脇に置き、Cz75で狙いをつけた。

「なぜレイヴンと?」

「ハハ、そんな名前で呼ばれてんのか? ま、海外とナシつけようとしてたからかもな。日本だけで手に負える研究じゃなかった。それに、こいつは人類全員に関係する話だ。俺たちだけが勝手に進化するワケにもいかねぇだろ」

 世界をまたぐワタリガラス。

 つまり、彼は世界派の人間ということだ。主流派じゃない。

 いや、あるいは世界派でさえない。俺たちの言う世界派というのは、アメリカとしか取引していない。彼が考える世界は、この地球全体のことだ。はるかにスケールがデカい。

 なぜ世界派は彼の死を望む? 考えが違うからか? 放っておいたらなにか問題なのか?

 俺たちは、本当に主流派を攻撃しているのか?

「おーい。いつまでもそんな物騒なモンをこっちに向けてんなよ。ヤるならヤる、ヤらねーならヤらねー、どっちかにしろ。さすがに怖ぇだろ」

「失礼しました」

 俺はトリガーを引き、老人の頭部を撃ち抜いた。それから注入器インジェクターに持ち替え、老人の死体へ打ち込んだ。

 変異はすぐに始まった。

 ぐにゅ、ぐにゅ、と肉体が膨張。しかし意志がないせいかそれは形にならず、スライム状になって床に伸びた。


 騒音で青村放哉が目を覚ました。

「あ、やべ。もう終わってんじゃねーか」

「寝坊だよ」

「先に来たのは俺だってのによ。クソ、このまま帰ったら飲酒運転だぜ」

「際限なく飲むから」

「そうは言うが、こんなにあるんだぜ?」

 まあそうだ。

 俺は未開封のをひとつ拝借し、そのまま教会を出た。


 *


 役場に連絡を入れたのだが、職員はなかなかこなかった。

 リムジンからウラヌスが出てきた。すでに初夏だというのに、まだスーツのジャケットを着用している。

「カラスはついに故郷へ……といったところかな。ふむ。しかし手順が逆じゃないか? これでは、駆除してから変異させたのが明白だよ。ま、プロが見れば、だけどね」

 相変わらず不快な物言いだ。

「なにか問題が?」

「少しは察したまえ。レポートを書くのはこの私なのだ。事態の把握が必要なのだよ。なにかウェットな理由でもあったのかね?」

「室内のアルコール濃度が高すぎて、作業員が判断を誤った、とでも書けばいいのでは?」

「なるほど。それは名案だ。酒は人を狂わせるからね」

 シラフでこのザマなのもいるけどな。

 まあいい。

 とにかく終わったのだ。

 雨はまだ降っていない。


 *


 帰りのリムジンはじつに静かだった。

 ウラヌスも空気を読んだのか、あまりゴチャゴチャ言ってこなかった。


 アイシャが口を開いたのはセンターに到着してからだった。

 シャワーの後、ろくに髪も乾かさずに生活スペースに入ってきた。鐘捲雛子は家事を始めているから、彼女の会話相手は俺しかいなかった。


「私、子供のころ、紛争地域にいたんだ。家族もね」

 うつろな目をしている。

 俺は言葉を遮らないよう、かすかに「うん」と返事をした。

「じつの祖父はもういなかったけど、近所に仲のよかったお爺さんがいたんだ。いつも読書しながらコーヒーを飲んでいてね。遊びに行くと、いろいろお話ししてくれたんだ。もうどんな内容だったのかさえ覚えてないけど……。なのに、ある日いきなり爆弾が降ってきて、街がめちゃくちゃになっちゃった。私は助かったけど……。そのおじいさんがね……」

 そこで溜め息をつき、彼女はムリに笑みを浮かべた。

「ま、とにかく、お爺さん見ると思い出しちゃうんだ。私はもう戦えない。悪いけど、チームを抜けるよ」

「分かった」

 今後も同じような仕事が入ってくる可能性がある。ムリなら早めに判断してもらったほうがいい。


 さて、そうなるとチームは俺と鐘捲雛子だけということになる。敵には射撃の名人がいるから、こちらにも相応の人員が必要だ。まあ射撃の名人といったって、隙だらけなのが救いだが。

 それにしても――だ。青村放哉が先乗りしているということは、あきらかにこちらの行動が読まれている。ウラヌスの野郎、いったいどう考えているのだろうか。

 ターゲットはプロジェクトの関係者ばかりのはずだし、ある程度の予想は立てられるのかもしれないが。

 じつは主流派と世界派が裏でつながっていて、わざと俺たちを争わせている、とか。いや、殺したいだけならあまりに方法が回りくどい。単に世界派の動きが読まれているだけなのだろう。あるいは内部に裏切り者がいるのかもしれない。

 下請けの俺としては、とっとと問題に対処しろとしか言えないが。


 なんであれ、戦力を増やさねば。それも射撃のできるヤツ。

 いっそジョン・グッドマンにアサルトライフルを持たせるか。忍者だって飛び道具は使うはず。問題は倉庫にアサルトライフルがないことだが。まさか手裏剣や吹き矢を持たせるわけにも……。


(続く)

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