消耗
クソ疲れているのに、センターには赤羽誠子が待ち構えていた。
おかげで俺はシャワーを浴びる暇さえなく、執務室へ呼び出されてしまった。どうも各務珠璃は自分ひとりで応対したくなかったようだ。
「二〇〇一年にインドで発生した『ケーララの赤い雨』をご存じでしょうか? 細胞が、雨に混じって降ってきたのです。パンスペルミア説を援用して、生命が宇宙から飛来したと説く人もいますね。私としては、それがどこから来たものであれ構いませんが。大事なのは、いままさに、この星に生命が存在するということです。調査のし甲斐があるとは思いませんか?」
議論なら、ご自分の研究所で専門家と好きなだけやって欲しいところだが。
俺は各務珠璃の茶を勝手にすすり、喉をうるおした。なにせ俺のぶんがなかった。
ギロリと眼球を動かしたのは赤羽誠子だ。
「それで、あなたはいつまでぼうっと座っているつもりです? 報告に来たのではなかったのですか?」
「俺の上司はあんたじゃない。命令するのはよしてもらおう」
すると各務珠璃が弱ったような顔でこちらを見つめてきた。
「あの、せっかくですので報告をお願いします」
「現地で暴れてたゴリラ野郎、よりによって植物のサンプルを取り込んでやがった。おかげでずいぶん手こずったよ」
これに赤羽誠子が乗ってきた。
「取り込んだ? それは興味深い現象ですね。どうなりました?」
「どうもこうも、合体だよ、合体。どうせ監視カメラの映像残ってんでしょ? あとで好きなだけ鑑賞してくださいよ」
「私は現場の感想も大事にしたいのです。それに、サイキック・ウェーブで発生する映像はあまり鮮明に記録できませんから」
逆を言えば、不鮮明ならある程度は記録できるってことか。ずいぶん技術が進んでいる。
俺はテーブル上のまんじゅうを開封しながら応じた。
「惑星の二人が、サイキック・ウェーブで赤いスープに変えたんだ。たぶんだけど、ガイアの力を使ってた。けど殺せなくて、今度は俺とアッシュで仕掛けた。それでようやく倒せたんだ。というより、最終的にはフェイルセーフで駆除したわけだけど」
敵の幹部に情報を開示するのもおかしな話だが、この女には話しても構わないような気がした。策略よりも研究に興味があるように思えたからだ。とはいえ、その研究が現場に投入されて、結局は俺たちが苦労するハメになるのだが。
彼女は「ふぅん」と値踏みするような目になった。
「やはりあなたの能力は、弊社で活用すべきかもしれませんね。もしご希望でしたら特別待遇をお約束しますよ」
「お断りだ。これは金の問題じゃない。気分の問題なんだ」
「少し想像してみてもらえませんか? こちらのセンターが解体され、弊社がオメガ種を保護した場合のことを。部外者のあなたは、彼女たちに面会することさえできないのですよ。しかし、もし弊社に就職し、しかるべき権限を有していれば、彼女たちの世話をすることもできるはず。いかがです?」
大企業に就職できる上、シスターズの保護にも参加することができる、というわけか。悪い話じゃない。しかし最大のネックは、こいつの命令に従わねばならないということだ。
俺はふっと笑った。
「ところで、お兄さんはご健在で?」
「兄? 研究者に参加していますよ。ほかに取り柄もありませんしね。彼がどうかしましたか?」
「シスターズに会いたがってるんじゃないかと思って」
すると彼女は不快そうに眉をひそめた。
「どういう意味です? あの男に近づけるつもりはありません。オメガ種については、あくまで私のチームが対応します」
まあそうすべきだな。ヘタに近づけると二秒でバブバブし始める。
俺はまんじゅうをむさぼり、茶で流し込んだ。
「なるほど。じゃあ、あのサンプルを作ったのはお兄さんのチームか」
「……」
すごい目で見られてしまった。
心外だな。
赤羽義晴はオメガ種の研究から外されている。赤羽誠子とは別チーム。しかし研究そのものは継続しているという。生物がダメなら植物。
ただの消去法だ。
「俺はあんたらの研究に詳しいわけじゃない。ただ、いろいろ見てきた。正体不明のキノコも食ったし、花に襲われたこともあった。動物、植物、キノコ類、およそ生命に関連したものはなんでも変異した。それもサイキック・ウェーブ……とりわけメッセージと呼ばれる外部からの信号によって。今日、あのゴリラが細胞レベルにバラされたのを見て分かったよ。この地上の生命は、どれも、誰かのメッセージで姿を変えてきたんだ。それを神だと結論するつもりはないが……」
二人が固まってしまったので、俺はそこで演説をやめた。
少々スピリチュアルに過ぎたかもしれない。だが、いままで見てきた限り、そうとしか説明のしようがなかった。
俺はまんじゅうを数個回収し、席を立った。
「ひとりで食うわけじゃない。シスターズにあげるんだ。構わないかな?」
「ど、どうぞ……」
各務珠璃がコクコクとうなずいた。
*
生活スペースでは、アッシュが横になってぐったりしていた。消耗が激しかったらしい。
「大丈夫か? まんじゅうあるけど……」
俺がテーブルへ置くと、アッシュは無言で首を横に振った。
これは重症だな。
餅がこちらを見つめてきた。
「大統領に会ったの?」
「ああ。けど、会話はしてない。俺たちを手伝ってくれただけだ」
あの場にいた彼女は、生命を反転させた「死」そのものに見えた。プラスとマイナスが打ち消し合うように、怪物の生命を急速に消費させていた。
シャワーを浴びると、虚脱感はさらに増した。まるで重力が倍になったようだ。ベンチに腰をおろすときも、ストンと落ちた。
ところが佐々木双葉は、なぜかもう回復している。
「いやー、今日も活躍しちゃった。見た? あたしのグランドクロス!」
「見たよ。けど倒せなかったじゃないか」
「あー、分かってない。あたしがやってなかったら、もっと大変だったんだから。それより、いつ車出してくれるの? サイキウム取りに行くんでしょ?」
イチゴ狩りみたいな気軽さだ。
「そのうちね」
「出た! そのうち! あたしの苦しみが分からないからそんなこと言えちゃうんだ。いっぺんキマってみなよ? 最高よ?」
「ビールのほうがマシだ」
「分かってないなぁ。てか、なんか元気なくない? 大丈夫?」
「大丈夫じゃない……」
俺も少し休息をとる必要がありそうだ。
体を休めるだけでなく、心も。
*
餅に起こされた。
クッションを枕にしてシスターズを眺めているうち、眠りに落ちていたらしい。夢は見なかった。
「まだ眠い? みんなご飯食べるけど……」
「ああ、悪いな。食べるよ」
「うん」
基本は米とレトルトだ。あとは鐘捲雛子が気分で味噌汁を作ったり作らなかったりする。今日はない。
いつも出しっぱなしのシスターズ用のテーブルの隣に、大人用のテーブルが出ている。
「さめるから早く食べて」
姿勢よく正座している鐘捲雛子が、横目でそんなことを言った。
片づけをするのも彼女だ。あまり待たせてはいけない。まあ俺が自分で片づけをしてもいいのだが、彼女は誰にも手伝わせない。餅が申し出ても拒否するくらいだから、なにがなんでも一人でやりたいのだろう。
アッシュも回復したらしく、おとなしくシチューをすすっている。
食事中はみんな静かだ。大家族の食事のようにワイワイしない。なにせメニューに制限があるから、「ソース取って」とか「醤油取って」とかいう会話も生じないのだ。うるさいのはホットケーキのときだけ。
*
食事を終えても、まだ疲労感が残った。
なにもしたくない。
言い知れぬ虚脱に浸っていると、気分までネガティヴになってきた。
誰かを追い回して殺す。それだけの日々を繰り返している。
青村放哉はまだ合流してくれない。プルートは幽閉されたまま。ガイアはいつ復活するのか分からない。赤羽はなにかを企んでいる。議員や官僚は利権の確保に忙しい。末端の俺は、言われたことを言われた通りにやるだけ。
ぼうっとベンチに腰をおろしていると、餅が隣に腰をおろした。
「どうしたの? 寂しそうな顔」
「なんだか疲れちゃってな……」
「そうなの? じゃあ、あんまり話しかけないほうがいい?」
「いや、そんなことないよ。君と話してると気がまぎれる」
声を聞いているだけでも安心感があった。
一人でいると、余計なことを考えてしまう。
以前もそうだった。あの研究所の地下深くで、俺はどうしようもなく行き詰っていた。すると餅は近くに来てくれた。なにをするでもなく、ただ隣にいた。
ふと横を見ると、餅のつむじが見えた。俺はその頭をなでた。
「えへへ」
目を細めて猫みたいだ。
本当なら、今日頑張ったアッシュもなでてやるべきなのかもしれない。
シスターズはみんなかわいい。守ってやりたいと思う。できれば現場に出したくない。特にアッシュみたいなブレーキの効かない子は。見ていて不安になる。
もっとも、今日はそんな彼女に命を救われたわけだけど。
手に負えない事態に遭遇すると、つい、ありもしないことを考えてしまう。
ヒーローみたいなヤツが颯爽と現れて、悪いヤツを退治し、すべてを丸く収めてくれないだろうか、と。
もちろん分かってる。そんなことは起きない。ぜんぶ自分たちでやらなきゃいけないのだ。少なくとも、できる範囲のことは。
いまは赤羽を攻撃し続けるしかない。そうすれば人間同士の抗争はいったん終わる。細かいことを考えるのはそのあとでいい。
*
翌日、久々に街へ出た。
鬼塚明菜とアイシャの飲み会に、オマケで参加させてもらえることになったのだ。この二人は何度か一緒に飲んでいるらしい。
「各務さんも誘ったんだけど、忙しいって言われちゃってさー」
誰かの代わりに呼ばれたのだとしても、それでもよかった。
もう夏だから、みんな薄着だった。特にアイシャは惜しげもなく長い足をさらしているから、通行人がみんな二度か三度は見た。
彼女はしかし気にしたふうもなく、涼しげなまなざしだ。
「今日もおでんだよ」
例の店か。ずいぶん昔のことのように感じる。
店は混んでいなかった。夏におでんを食いたがる人間はあまり多くないのだろう。
ビールで乾杯し、俺は一杯目をすぐに飲み干した。
「なになに? 二宮さん、そんなに喉渇いてたの?」
鬼塚明菜のからかうような言葉に、俺は苦笑いで応じるのがやっとだった。酒で気分を紛らわせるのはよくないと思いつつ、それでも飲みたかった。
しばらく飲んでいると、鬼塚明菜が「あっ」と声をあげた。
「そういえば、聞いたよ! 二宮さん、いまこっちに住んでるんだって? 言ってよ!」
するとアイシャも「ごめん、言っちゃった」と悪戯っぽい笑みだ。
そういえば埼玉在住ということになっていた気がする。
俺は苦し紛れにビールを一口やった。
「あー、ごめん。流れでそうなってて。いまは第三セクターで働いてて……」
「それも聞いた」
「じつはIT系じゃないんだ」
「身寄りのない子供たちを支援してるんでしょ? 知ってる。偉いよね」
「まあ仕事だから」
ボランティアでやってるなら偉いかもしれないが、対価としてカネを受け取っているのだ。他の仕事と変わらない。
しかし仮に対価がないとしたらどうだろう。
それでも今回の件は引き受けていたと思う。あのセンターだけは絶対に守らないといけない。特に、赤羽からは絶対に守らなければ。研究所は彼女たちを「失敗作」として放置したのだ。それがいまごろになって必要などと。誰かの命を、自分の都合で捨てたり拾ったりするようなヤツらだ。隙を見せるわけにはいかない。
ふと、鬼塚明菜が人差指で俺の額を押してきた。
「おーい、眉間にしわが寄ってるぞー。なに? そんなにハードなの?」
「ああ、いや、ちょっとね。ごめんごめん」
「もっと気晴らしが必要? なら、このあともう一軒行く? あ、でも明日の仕込みが……」
「ありがとう。大丈夫だよ。もう少しおでん食おうかな」
「食べな食べな。大変なときはパワーつけないとね」
この無暗な勢いは見習うべきだろう。いちいち細かいことを考えてドツボにハマるのは俺の悪癖だ。メシこそパワー。それでいいじゃないか。
「ちょっとトイレ」
鬼塚明菜は席を立った。彼女も少し酔っているようだ。
俺はおでんを頼むべくメニューを開いた。するとアイシャも顔を近づけてきて、声をひそめてこう切り出した。
「もしかして、かなりピンチだったりする?」
「えっ? いや、どうだろうな……。精神的な消耗はあるかもしれないけど」
「そう……」
もしかしてチームを抜けたことを気にしているのだろうか。
いや、人にはそれぞれ事情があるのだ。強制させるつもりはない。もともと彼女は、銃の扱いがうまい助っ人みたいな立場だった。参加するもしないも自由だ。
彼女はかすかに溜め息をつき、ぽろっとこうこぼした。
「お金の問題なら解決できるんだけどなぁ……」
「お金? でも君、借金あるよね?」
「私はね。でも私にお金貸してる子、びっくりするくらいお金持ちだから。言ったら助けてくれると思う」
「借りても返すアテがない」
「大丈夫、大丈夫。返さなくても怒らないから」
怒る怒らないの問題じゃない。
彼女は余裕の笑みでこう続けた。
「私がちょっとアレしたらすぐ貸してくれるから。そっちの用事があったらいつでも言って?」
「うん……」
アレとはいったい……。
ともあれ、幸いカネには困ってない。いざとなれば機械の姉妹の謎の資金もある。さらに言えば、もし赤羽に対抗しようと思ったら、数千万程度ではどうにもならない。
ポンと十億くれるってなら、少しは作戦の立てようもあるかもしれないが……。それでも俺は、札束を使った戦術を知らない。トーシロが手を出すべき分野ではなかろう。
いまの俺には、メニューの中からおでんを選ぶことさえできないのだ。
また玉子でも食うか……。そういえば卵黄って、一個の細胞でできてるんだっけ。調理前ならサイキック・ウェーブで変異するんだろうか。
(続く)




