ディープ・スロート
数日後、新たな仕事。
ウラヌスはリムジンの中でくつろいでいた。
「海だよ、海。みんなあそこから来たんだ。水面がキラキラ輝いていたな。しかし奥へ潜れば、きっと深くて冥い景色が広がっている。あくまで推測だが、私たちの先祖はそれがイヤで地上へ出てきたんだろう。クジラたちと同じだ」
休暇がよほど有意義だったのか、表情が明るい。
俺はなにげない態度で尋ねた。
「ターゲットの特徴は?」
「いま言っただろう。三十二歳。男性。通称『ディープ・スロート』」
「たとえば経歴なんかは?」
「知る必要があるのか? これまで通り、発見次第ヤるのだよ」
彼らは通称で呼ぶから、ディープ・スロートが早川秀俊かどうか確証が持てない。
もし別人ならいつも通りやるだけだし、本人なら逃がせばいいだけの話ではあるが……。
まだ午前だが、曇り空のせいで薄暗かった。
リムジンが停まったのは郊外のアパート前。畑の中にぽつんと立った老朽化した建物だ。ターゲット以外の住人はいないらしい。
ほかにはバイクが見えるのみ。
野良犬が先に乗り込んでいるのだろう。
「ふたりはここで待ってて。先行して中を確認する」
佐々木双葉とジョン・グッドマンを待機させ、俺はひとりでアパートへ近づいた。
老朽化しているから、階段をあがるだけでカツカツ足音がする。これで気づかれないわけがない。
合鍵はウラヌスから事前に受け取っている。土地の所有者から合法的に入手したものらしい。どう説得したのかは知らないが。
しかし鍵を使う必要はなかった。
施錠されていなかったのだ。
俺は慎重にドアを開き、薄暗い玄関に足を踏み入れた。サイキック・ウェーブは感じられない。青村放哉はいるはずなのだが……。
盗聴されないようヘッドセットをドアノブにかけ、俺は土足のまま廊下へ。
床がギィギィ音を立てた。
リビングを覗き込むと、青村放哉がいた。段ボールだらけの部屋だ。彼はそのひとつに腰をおろしている。床にはジュラルミンのケース。
「来たか」
「それが例の?」
「マテリアルだ。オメーらの薬剤で変異するかは分からねーが、ま、足りなきゃ俺らのサイキック・ウェーブで追い込むまでだ」
「早川さんは?」
「さあな」
うまく逃げたことを祈るしかない。
俺は注入器を手に、ケースを開いた。
手遅れだった。
そこに詰め込まれていたのはマテリアルなどではなく、切断された人間の腕だった。ゼラチン質のなにかでかためられている。断定はできないが、おそらく早川秀俊のものだろう。
青村放哉が舌打ちした。
「ハメられたようだな」
「誰に?」
「知るかよ。こっちのヤツか、そっちのヤツか……。それさえ分かんねーよ」
ディープ・スロートといえば、ウォーターゲート事件における告発者のコードネームだ。つまり今回のターゲットは、なんらかの情報を流していることが露見し、それがバレて制裁を受けたのかもしれない。
俺は溜め息をついた。
「あとはこっちでやっとくんで」
「駆除しねーのか?」
「見りゃ分かるでしょ。ただの殺人事件だ。俺たちの仕事じゃない」
「クソ……」
青村放哉はベランダから出て行った。
俺はヘッドセットを装着し、ウラヌスへ告げた。
「死んでる。というか、腕しかない」
『知ってるよ』
これだ。
裏で俺たちが結託していたのを知っていて、わざとこのクソ仕事を流しやがったに違いない。
「それで? 俺たちは反省文でも書けばいいのか?」
『戻りたまえ。話がある』
「了解」
リムジンに入ると、ウラヌスは何食わぬ顔で俺たちを出迎えた。
「誰とでも仲良くできるのは、あるいは美徳かもしれないな。しかし品のない二重スパイは嫌われる」
「だから殺したのか?」
「別動隊がやったのだろう。キャンセラーを使う必要のないターゲットは、彼らが駆除することになっている」
別動隊? もしかして米軍か? もちろん米軍の総意ではあるまい。対策本部でさえ三つに分裂しているのだ。米軍の中でも世界派と提携している一部の連中が、こうして作戦に協力しているのだ。
俺はクーラーボックスからビールを取り出した。
「あの腕は、俺たちへの警告だと?」
「上はそのつもりなんだろう。ま、私の趣味じゃないがね」
溜め息しか出なかった。
リムジンが走り出したので、俺は背もたれに身を預けた。やわらかな革張りのソファだ。
少し走っただろうか。
ウラヌスが前傾姿勢になり、いつになく神妙な顔でこう切り出した。
「ここへ来るとき、私は海の話をしたな? そこになにがあったと思う?」
「は?」
新大陸でも発見したのか?
こいつが休日になにをしているかなんて、知ったこっちゃない。
彼の話はこうだ。
「阿毘須と言えば分かるか? プロジェクトが本格的に始動した土地だ」
「それが?」
忘れるわけがない。俺たちの戦いはそこから始まったのだ。
ここにいるジョン・グッドマンも一緒だった。しかし佐々木双葉はきょとんとしている。ウラヌスだって知らないはずだ。
彼はフッと笑った。
「フォークロアはお好きかな? あの辺りには、竜に関する伝説があるのだが……。おっと、笑うんじゃないぞ。きちんと専門家が調査した話だ。レポートによれば、体を変異させて水中と地上を自在に行き来する一族がいたらしいのだ。本当だぞ」
あまりにカルトじみている。が、俺はあえて口を挟まなかった。
カルトだというのなら、そもそもの話からしてバカげている。なにせ一代のうちに魚類から人類へ進化する変異体が実在し、そいつらはいまもそこら中に生息しているのだ。なんなら俺たち人間だって受精卵で「進化」している。
ウラヌスは顔をあげ、こう続けた。
「一族の消息はすでにつかめないが、埋葬地は見つかってね。当時、業界の異端とされていた赤羽教授が、そこからサイキウムを発掘したんだ。それが現存してたってことは、死後まもなく摘出されたか、生前摘出されたかしたのだろうな。ともかく、それはあった。サイキウムにエネルギーを与えてみたところ、サイキック・ウェーブが励起状態となった。そして彼は論文を作成し、まもなく出資者が現れ、研究所が作られた」
そういえば赤羽義晴が第一人者だったな。
俺はそこでようやく言葉を返した。
「なぜその話を?」
「ディープ・スロートが雇用主を吐いたのだよ。誰だと思う?」
「二重スパイっていうくらいだし、『世界派と教団派』でしょ?」
「なるほど。答えが『世界派と主流派』でなかった点だけは評価しよう。しかし違う」
主流派はパワーゲームしかしていない。動きが怪しかったのは教団派のほうだ。
しかしこれが不正解となると、いったいなにが事実なんだ?
「正解は?」
「『対策本部と赤羽』だ」
「は?」
「争いはもっと上のレイヤーで起きていたのだよ。つまり一連の騒動は、対策本部の主導権闘争ではなく、厚労省内部の主導権闘争だったのだ」
「もっと分かりやすく説明してくれないか?」
彼の説明によれば、経緯はこうだ。
対策本部と赤羽は、かつては協力関係にあった。しかし技術を有する赤羽側が、対策本部の影響を退け、利益を独占しようと動き始めたことで関係が軋み始めた。
赤羽としては、技術を商売に応用すればいくらでも金になるのに、対策本部にあれこれ指示され、行動を制限されるのがおもしろくなかったわけだ。
対策本部としては、赤羽の事業を上から監督することで、権利をチラつかせて甘い汁を吸える。
そこで赤羽は厚労省の切り崩しにかかった。対策本部の、さらに上に対して癒着を持ち掛けたのである。
かくして厚労省は、対策本部と赤羽の二派に別れ始めた。政府主導で強圧的にコントロールすべきという一派と、赤羽に買収された一派だ。
やがて赤羽派は奇策に出た。対策本部を分裂させて、内部抗争させるというものだ。そのためにディープ・スロートを使い、あることないこと吹き込んで対立を煽った。すると対策本部は見事に扇動され、意味不明な殺し合いを始めたというわけだ。特に教団派はフットワークが軽かったらしい。
ウラヌスはやや渋い表情を見せた。
「つまり私たちは、まんまと踊らされていたというわけだ」
やれやれ、という顔だ。
ふざけるなと言いたい。
「そのせいで、無関係な人間が理由もなくターゲットにされたのか」
「無関係ではない。少なくとも当時は必要と判断されたものたちだ」
「待てよ。あんたらのその判断で、俺たちは奪う必要のない命を奪ったことになるんだぞ。いまさら『判断ミスでした』で済むかよ」
俺がいま判断ミスで誤射したら、こいつはなんて言うつもりなんだ。
彼はしかし演技じみた様子で肩をすくめた。
「なら率直に言う。私たち惑星は、いまから世界派と手を切り、君たちに寝返る」
「はっ?」
「連中のバカさ加減にうんざりしてるのはこちらも一緒だ。蘇生したくもないのに強制的に蘇生させられて、政争の具にされて」
「あんたは復活できて喜んでたんじゃないのか?」
「まさか。生は一度きりだからこそ美しいのだ。もっとも、私が復活してしまった以上、ガイアの復活だけは遂行させてもらうがね。これは惑星としての使命だ。ほかに生きる意味もないしな」
哀しい男だ。
気持ちは理解できなくもないが。そればかりやっていた人間がふたたび生を得たのだ。やるだろう。
俺は話を促した。
「分かった。けど、そう簡単に寝返ることができるのか?」
「もちろん難しいさ。しばらくは世界派として働くしかない。品のないスパイとしてね」
「事実なら歓迎する」
「信用がないのは理解している。今後は行動で返すとしよう」
どうやら本気のようだな。
佐々木双葉は「ほぼイミフなんだけど」と困惑顔だが。
*
センターに帰ると、鐘捲雛子がシスターズになにかを配っているところだった。お菓子でもあげているのだろうか。
俺たちが構わずシャワールームへ向かおうとすると、彼女はこちらへ駆け寄ってきた。
「ちょっと待って。みんなのぶんもあるから」
「えっ?」
彼女が手にしていたのはお菓子ではなかった。小さなお守りだ。やや膨らんでいて巾着みたいな形をしている。「これは二宮さん、これはグッドマンさん、これは佐々木さん」と個別に配布された。
「どうしたの急に?」
「いいから。神頼みじゃないけど、こういうのあると気持ちが強くなるっていうか……。いらなかったら、ロッカーに入れといてもいいから」
鐘捲雛子もエプロンにつけている。
チームのシンボルみたいなものか。士気は高まるかもしれない。コソコソなにをしているのかと思ったら、こういうことだったのか。
戦いに参加できないぶん、これで貢献しようと考えたのだろう。
ジョン・グッドマンがさっそく身に着けた。
「頼もしい。これでいつでも仲間と一緒でござるな。ニンニン」
佐々木双葉はしかし空気を読まない。
「あ、でもこのあと惑星の連中もウチに来るっぽいけど。ま、あいつらの分はいっか」
「……」
鐘捲雛子が固まってしまった。
やっとの思いで全員分作ったと思ったのに、まだ増えるというのだから。
俺は笑いをこらえてこうフォローした。
「まだ予定の段階だから。そんなすぐには合流しないよ」
「……」
もうコソコソ作業することもないのだし、これまでよりは楽だろう。
彼女は「えーと、うん、分かった」と小声でつぶやいている。
ともあれ、ウラヌスのおかげで真相が見えてきた。
駒として使われるのはもうおしまいだ。
そろそろ自己主張させてもらう。
(続く)




