平日
夕刻、呼び出しがあった。
場所は市内のファミレス。
俺は武器も持たず、タクシーを呼んでそちらへ向かった。こちらは一名。先方は二名。
「よう。呼び出して悪かったな」
「話ってのは?」
俺は青村放哉に尋ねた。
彼も武装はしていない。たぶん。こんな街中で銃なんて持ち歩いていたら、どんなことになるのか分かったものではない。
俺の問いに答えたのは、青村放哉に隣に座った男性だった。
「助けて欲しいんです……」
初対面ではない。前の仕事で、主任の下で働いていた助手だ。
店内にはほとんど客がいなかった。
メシを食っている会社員がひとりと、友人で集まっているらしい私服の若者グループがふたつ。あとは俺たちだ。
彼は早川秀俊と名乗った。
「早川さん……。生きてたんですね」
「あの事件の直前、所長に呼び出されてセンターを離れてたんです。それで命拾いしました」
それは運がよかった。じつは俺も心配していたのだ。
彼は切羽詰まった表情でこう続けた。
「た、たぶんですけど、私、次のターゲットになると思います……。それでなんですけど、あの、お願いです、見逃してもらえませんか? お金ならあります……」
買収というわけか。
オレンジジュースをすすり、俺はこう応じた。
「うちで見逃したとしても、別のチームでヤるらしいですよ。買収するつもりなら、現場じゃなくて雇用主に掛け合ったほうがいいんじゃないですかね」
「策はあるんです。聞いた話では、ターゲットを変異させてから始末するんですよね? 私のクローンがあります。あ、クローンといっても、マテリアル状になってて、まだ生命と呼べるものじゃありませんが。それを私の代わりに使って頂ければと……」
まあアイデアとしては悪くない気もするな。
分厚い封筒を差し出してきたので、俺はそれを突き返した。
「やりますよ。ただしお代はいただけません」
「えっ?」
「こっちは金のためというより、自分たちのためにやってることなんで」
「ホントに?」
「ホントです。詳しい計画を教えていただけますか」
*
助手だけ先に帰宅させ、俺と青村放哉は店に残った。
俺はビールをオーダーしたが、彼はバイクだからとウーロン茶を飲んでいた。
「オメーが話の分かるヤツで助かったぜ」
「成功するとは限らないよ」
「まあな。かなりうまく逃げなきゃ、結局はターゲットに指定されちまうだろうけど」
その通りだ。ガイアは死者の魂もコレクションしている。肉だけ転がしておいても、そのうちバレる可能性がある。
俺はポテトをつまみ、こう切り出した。
「ところで、一連の騒動についてだけど」
「大統領の話なら聞かねーぞ」
「いや、教団派の動きが気になってね。あいつら、両方とつながってる可能性があるから。いちおう教えておこうと思って」
「俺だってべつに信用しちゃいねーよ」
彼はそう言ってストローの袋を丸めた。そんなつまらない話はしたくないとばかりに。
俺に説教されるのは面白くないとは思うが。
「世界派はガイアを復活させようとしてる。なんの意図があるのかまでは分からないけど」
「どうせ研究だろ? あいつら、三度のメシより研究好きだからな」
「まあ確かにね。ビルではさんざんデータを取ったのに、結局は殺っちまったわけだし」
「増やしてバラしてデータとって、そんでまた新しいの作ンだよ。いつものことだろ」
連中は、ほとんどそれ以外のことをしていない。
青村放哉はポテトを鷲掴みで食った。
「おい、二宮。オメー、いまいくら金あんだよ?」
「は?」
「パーッと遊ばねぇか? もちろんオメーの金でよ」
「いまそんな気分じゃないよ」
「つめてーな。俺たちの仲だってのによ。ま、そんな気分になったらいつでも声かけてくれ。予定空けとくからよ」
本気なのかジョークなのか分からないな。
彼はそれだけ告げると、立ち上がって行ってしまった。
*
コンビニでお菓子を買って帰った。
もうシスターズは寝ているだろう。そして俺はこの袋を鐘捲雛子に没収されて眠りにつくというわけだ。
センター前の路肩でタクシーをおりた。
遠ざかるテールランプ。車がいなくなると、ほとんどなんらの音も聞こえなくなった。
施設は暗闇の中にぽつんと建っている。
生活スペースの明かりは外部に漏れないようになっているから、ここからは外灯の寂しい光しか確認できない。
やけに静かで、中に誰もいないのではないかという錯覚さえおぼえる。
靴が地面をこする音、コンビニのビニール袋の音、そして自分の鼻をすする音だけが、いちいち大仰に聞こえた。
湿度が高いせいか、外壁の表面に水滴が垂れていた。
正面エントランスにはシャッターがおりており、中は覗けない。
俺は裏手へ回って鍵を開けた。
白い通路を蛍光灯が照らしている。
施設の間取りはシンプルだ。一階にはエントランスと執務室、そして倉庫がある。倉庫といっても段ボールが積まれているだけの普通の部屋だが。
二階は大部分が生活スペースだ。キッチンやシャワールームなどもこのフロアに併設されている。
あとはなにもない屋上と、地下射撃場があるだけ。
「ただいまー」
俺は小声でそう呼びかけた。
が、鐘捲雛子の姿はない。
シスターズはそれぞれの布団で眠っている。
キッチンを覗いてみたが、姿はナシ。俺はそこに袋を置いて生活スペースへ戻った。
まさかシャワールームやトイレを覗くわけにもいかない。こんな夜中に洗濯していることもなかろう。散歩でもしているのかもしれない。
俺は敷かれている布団に罠がないかを確認し、そのまま眠ることにした。
*
朝、騒がしさで目を覚ました。
事件だ。
といっても笑って眺めていられる事件だが。
俺が買ってきたお菓子を勝手に食った罪で、佐々木双葉がシスターズから裁判にかけられていたのだ。簀巻にはされていないが、正座してみんなからワーワー言われている。
鐘捲雛子の姿もあった。何食わぬ顔で洗濯物を運んでいる。
いったい昨夜はどこにいたのやら。
俺は顔を洗うなどしてから一階エントランスへおりた。
いい朝だ。
時間が早いからか、湿度もそんなに気にならない。ぐっと伸びをして、少し体を動かした。
早川秀俊は、郊外のアパートに潜伏しているのだという。おそらく次の現場もそこになるのだろう。中にはマテリアルが置かれているはずだから、俺はそいつに薬剤を注入する。変異したところを駆除。それで任務完了だ。
ま、違うターゲットを指定される可能性もあるが。
なんせ連中の情報は錯綜している。想定通りに事が運ぶとは限らない。
俺が初夏の空を眺めていると、後ろから五代まゆが来た。
裁判をやっている途中だと思ったのだが。
「どうした? 終わったのか?」
すると彼女は溜め息をついた。
「お菓子ごときでケンカして、バカみたいよ。私はあんな子供みたいなの付き合えないから」
「また買ってくるよ」
「私にはケーキにして? イチゴが乗ってるのがいいわね」
「売ってたらな」
赤ん坊もいるから、姉妹全員に同じものというわけにはいかない。が、それでもなるべく差をつけたくないから、たくさん売っているものを買うことになる。
五代まゆも両手を広げて深呼吸をした。
「やっぱり地球の空気はいいわね」
「宇宙はどうだったんだ?」
「べつ変わらないけど……気分の問題よ」
衛星内部にも、生態部品が呼吸するための酸素はあったはずだ。
それにしても、あの衛星はいまどうしているのだろうか。機械の姉妹がコントロールを掌握したままだとしたら、アメリカとしては面白くないだろう。あるいは「制御不能」という建前がまだ通用しているのか。
「ところで二宮さん。私、ちょっと気になることがあるんだけど……」
「なにか?」
すると彼女はこちらへ振り向きもせず、どこか寂しげにこう続けた。
「なんかね、このところ鐘捲さんがコソコソなにかやってるっぽいんだ」
「コソコソ?」
「うん。前は家事が終わるとすぐみんなのところに来てくれたのに、いまはどこかに行ったきりしばらく戻ってこないの」
「それはいつからだ?」
「最近だよ。ここ数日。二宮さんに撃たれたから、仕返しのために藁人形でも作ってるのかも」
「あの人はそんなことしないよ」
しないと思いたい。
ともあれ、昨日の夜もそれで姿が見えなかったのかもしれない。となると倉庫にでも行っていたか。装備品の入ったロッカーと、山のように積まれた段ボールのシチュー以外になにかあったろうか。
*
生活スペースへ戻ってみると、たしかに鐘捲雛子はほとんど姿を見せなかった。
まあ個人的には、まだ裁判が続いていることのほうが気になったが。
餅に至っては「魔女は火あぶりよ!」と物騒な言葉を連呼している。どれだけ締め上げる気なんだ。
「みんな、もう許してやりなよ。また買ってくるからさ」
俺は思わず仲裁に入った。このままでは佐々木双葉の心が折られてしまう。
機械の姉妹はしかしつめたい表情だ。
「ホットケーキの懲役刑を申し渡したのですが、拒否されてしまいまして」
佐々木双葉の弁明はこうだ。
「勝手にキッチン使ったら鐘捲さんに殺されちゃうでしょ! あたしまだ死にたくない!」
分かる。
だがまあ、今日は大丈夫だろう。
「じゃあ俺がホットケーキ焼くから、それで許してやってくれ」
「……」
一同、沈黙。
まあ食えるとなるとおとなしくなるのが彼女たちのいいところだ。
粉がどこにあるのかは把握している。鐘捲雛子も私用で忙しいようだから戻ってこないだろう。さっと作ってさっと片付ければ証拠も残らない。
機械の姉妹はうなずいた。
「閉廷です」
*
焼き上がるまでわりと時間がかかってしまったが、鐘捲雛子は本当に姿を現さなかった。少なくとも調理中は。
「少し焦げてますが、まあ許容範囲ですね」
機械の姉妹はなにもつけずに食うタイプのようだ。
デキはよくないが、ちゃんと火は通ってるはず。
一方、餅と五代まゆはバターと蜂蜜を塗りたくっている。
「大丈夫! 蜂蜜まみれにすれば味なんて同じなんだから!」
「品のない駄肉ね。ビチャビチャじゃないの」
「あんたこそバター使いすぎじゃない! 牛になるわよ!」
「なるわけないでしょ。あんたじゃないんだから」
「私は牛じゃなくてスライムよ! じゃなくて美肉よ!」
今日も仲がよくてなによりだ。
その場へ鐘捲雛子が戻ってきた。俺が勝手にホットケーキを焼いたことには気づいた様子だったが、やはりなにも言ってこなかった。
姉妹が行儀よくしているのを見届けて、彼女はまたどこかへ行ってしまった。
本当に、いったいなにをしているのだろうか……。
(続く)