ベラドンナ
雨の日が増えた。
そろそろ梅雨入りかもしれない。
今回の仕事にはシスターズの同行を求められた。強力なサイキック・ウェーブが発生している現場なのだという。
よってジョン・グッドマンはお休み。
代わりに俺、佐々木双葉、餅の三名でリムジンに乗り込んだ。みんな黒の防護服だ。餅は「この服かわいくない」と不満だったが、仕事なのでなんとか我慢してもらった。
本日は立会人にも変更があった。
ウラヌスではなく、白い服を着た亡霊のような女がソファにぐったり寝そべっていたのだ。
かつてビルで遭遇した人物だ。子供がどうだとか言ってきて、俺の目の前で破裂して死んだはず。
「えーと、たしか……」
俺が頭の中で名前を探っていると、彼女はかすかに笑みを浮かべた。
「名前が思い出せない……? ネプチューンよ……」
「そうだったね。失礼。ウラヌスさんは?」
「有給休暇……」
ちゃんと有給休暇を取得できる職場だったのか。意外とまともな勤務形態らしい。
すると彼女は、ギョロリと眼球を動かして餅を凝視した。
「この子がシスターズ……? ガイアによく似てる……かも……」
それにしても冥い目だ。
餅は委縮してしまって、俺の陰に隠れようとしている。怖がらなくてもいいのに。あとで頭をなでくり回してやろう。
俺はネプチューンに尋ねた。
「で、今日のターゲットは?」
「血を見たくてうずうずしているの……? 通称は『ベラドンナ』……。三十二歳……。女性……。サイキック・ウェーブに囲まれて暮らす……一風変わった趣味の持ち主……」
「趣味なのか?」
「とにかく早く殺してね……。私があなたに望むのは……それだけ……」
やっぱちょっと怖いなこの人。
*
リムジンが到着したのは老朽化した山荘。いや、サナトリウムだろうか。なんだか分からないが、とにかく朽ちかけの木造建築物だ。ほかには木々しかない。
だいぶ距離があるのだが、わりと強めのサイキック・ウェーブを感じる。体感でレベル3といったところか。まったく防衛手段がなければ、ちょっとした映像を見せられてしまうだろう。
内部はもっと危なそうだから、俺でもキャンセラーが必要かもしれない。
餅はずっと俺の裾をつかんでいる。
「あの人、なんか怖かったね……」
「悪い人じゃないんだけどね」
ボソボソ喋るし、表情も暗いから、あまり印象がよくないだけだ。個人的にはそんなに嫌いじゃない。少なくともウラヌスのポエムを聞かされるよりはマシだ。
俺は佐々木双葉に向き直った。
「佐々木さん、悪いんだけど、変異が始まっても二秒待ってくれないか。すぐヤるとよくないみたいなんで」
「オッケー! いいよん!」
ぐっと親指を突き出してきた。返事が軽い。
さて、建物に近づいてみて分かったのだが、どうもターゲットはすでに変異しているようだった。ギィギィと明らかに人間でない声がする。というか、山荘の窓から白い触手のようなものが飛び出している。
今日はただの駆除業務だな。注入器の出番はなさそうだ。
ドアを開くと、内部はみっちりと白い肉に覆われていた。膨張は止まっているようだが、足の踏み場がない。というより、足を踏み入れたらたぶん瞬殺される。
「これは厄介だな……」
拳銃とナイフでどうにかなるレベルじゃない。
どちらかというと火炎放射器が必要なレベルだ。もちろんクライアントが許可するとは思えないが。
餅がぐいぐいと袖を引っ張ってきた。
「どうした?」
「この人、話したがってる」
「対話しろってことか。分かった。少しだけ応じよう」
今日の参加者はみんなサイキック・ウェーブを扱える。過剰に気を使う必要がない。
波を同調させると、映像が来た。
おそらくベラドンナのものではない。もっと大きな存在。
そこは街だった。
駅ビルがあり、広場があり、高架があり、商店街がある。場所は日本だと思われるが、俺の記憶にあるどの景色とも違った。標識や看板もあるのだが、文字が歪んでいて微妙に読めない。
それに、景色だけは立派なのに、まるで活気がない。
ベンチにはうなだれた人間たち。
誰も彼もがうつろな目で虚空を見つめている。
見知った顔もあった。剥製師、ブラック・ウィドウ、レイヴン、オクトパス、ドクトル、美食家……。俺たちが駆除してきた連中だ。となると、この中にベラドンナもいるのかもしれない。
「なんだか寂しい場所」
餅が後ろからしがみついてきた。
上書きされた記憶があるから、街がどういうものか彼女も知っているはずだ。普通はもっといろんな音があるし、賑わいもある。
佐々木双葉は「おーい」と呼びかけた。
「誰か話せるひとーっ! おーい! おーい!」
両手をぶんぶん振っている。
が、もちろん反応ナシ。
俺の感じた限りでは、これはおそらく死後の世界だ。死後というか、地球に堆積したサイキック・ウェーブの一部。惑星やシスターズのように、彼らだけが集められた場所なのだろう。
ふと、上空から巨大なサイキウムが降ってきた。
内部に紫の波を激しく揺らしている。
ガイアだ……。
まるでこの世界の支配者のように、悠然とこちらを見下ろしている。
佐々木双葉の表情が変わった。
「なるほど。あたしらのクイーンが住んでるってことは、ここが例の墓場ってワケね」
ここが惑星のテリトリーということだ。
なぜ駆除対象がいるのかは不明だが。
きっと彼らはここに来る予定ではなかったのだろう。おそらくはガイアが強引に引き込んだのだ。
球体は静かに回転している。
言語化されていないが、彼女のメッセージは伝わってきた。
すなわち「もっと殺し、死肉を捧げよ」だ。
突如、映像が消え去った。
俺たちは山荘にいる。
そして気づいたことがある。ベラドンナはとっくに死亡している。なのにサイキック・ウェーブが発生している。
この感じから察するに、内部でサイコ・フラッシャーが駆動しているに違いない。人格を上書きするための装置だ。しかし精神を深く変質させることで、肉体まで変質させるおそれがある。
「ふたりはここにいてくれ。ちょっと中を見てくる」
俺は靴のまま肉の床に踏み込み、内部を目指した。
いやな感触だ。
波が強くなってきたので、俺はキャンセラーのスイッチを入れてさらに進んだ。
発生源はすぐに見つかった。両開きのケースに入った、持ち運び可能なサイコ・フラッシャーだ。スイッチを切ると、波はすぐに消失した。
それにしても、なぜここにこんなヤバいものがあるのだろうか。
ケースを閉じてみると、カバーに「フェスト治療システム」と書かれていた。
治療どころか、フェストに感染するだけだと思うのだが……。製造業者は「赤羽メディカル工業」とあった。これは俺の知ってる「赤羽」だろうか。もしそうならちょっとした事件だ。
*
「ガイアに会った……? 本当に……?」
帰りのリムジン――。事実を伝えると、ネプチューンは怪訝そうな表情を見せた。
佐々木双葉はムキになってソファをバンバン叩いた。
「ウソじゃないから! ちゃんと会ったの! なんか駅前みたいな場所で……」
「駅前……」
「あんたもちょっと前までそこにいたんでしょ? だったら分かるはずじゃん!」
「いた……けど……ガイアは……」
「クソデカボールが降ってきた」
「じゃあ……そう……なのかも……」
いまいちハッキリしない返事だ。
これには佐々木双葉も「なんで分かんないの!」と不満顔だ。
*
センターに戻った俺はシャワールームへも行かず、ふたりと別れてまっさきに執務室を目指した。
「失礼。ちょっといいかな?」
「あ、はい。どうぞ」
各務珠璃はいた。こちらが勢いよく乗り込んだせいか、やや困惑気味だ。
俺は構わずソファへ腰をおろし、現場で回収したケースをテーブルに置いた。
「こいつを見てくれないか?」
すると彼女は腰をあげ、デスクを迂回してこちらへ来た。
「なんでしょう? フェスト治療システム? そんなものが出てるのですか?」
「これが現場でサイキック・ウェーブを放ってたんだ。おかげでターゲットが変異してて……。作ってるのは赤羽メディカル工業だって。なにか知らない?」
「赤羽……」
赤羽義晴という男がいる。例のプロジェクトを牽引していた博士だ。このセンターでもアドバイザー的なポジションだったはずだが、長らく姿を見ていない。
「あの博士はいまどこにいるんだ?」
「さあ。お体も不自由ですし、特別な用があるとき以外は、ご在宅だと思いますが……」
彼は研究の事故で四肢を失っている。介護人がいないと日常生活を送るのも難しい状態だ。
俺はケースを置いたまま立ち上がった。
「ひとまず各務さんに預けるよ。なにか分かったら教えて欲しい」
「分かりました」
*
生活スペースに入ると、機械の姉妹が近づいてきた。
「赤羽メディカル工業の情報を集めました」
どうやら執務室の様子を監視していたようだ。そこら中に監視カメラを仕掛けているのだろう。かなり問題な気もするが。
「やはり赤羽義晴が?」
「はい。起業したのは赤羽博士の親族ですが、博士自身も役員として名を連ねています。また、厚労省の天下り先にもなっているようです」
ズブズブじゃねーか。
厚生労働省といえば、特定事案対策本部の上位に位置する省庁だ。つまりは例のプロジェクトの親玉である。
あまり深入りすると、よりデカい連中を敵に回しそうな気もするな。
「あの装置についてはなにか分かったか?」
「いえ。民生用、業務用ともにプロダクトの一覧には記載がありませんでした」
「裏メニューってところか」
「政府からの特注品かもしれません」
となると配布したのも政府ということになる。
現場で見つけたのは今回が初めてだし、今回の騒動と関係あるかは不明だが。
ただしターゲットが郊外にいた理由はなんとなく分かった。おそらくではあるが、彼らの大半はフェスト患者なのだ。だから他者との接触を避けて郊外にいた。
これまでターゲットとされてきたのは、主流派の資金源、または教団派の政敵、または末期のフェスト患者といったところか。俺たちの雇用主は、抗争と肉集めを同時進行でやっているというわけだ。肉集めは他の連中にやらせて欲しいところだが。
ともあれ、話がきな臭くなってきた。
面倒なことにならなければいいが。
(続く)