オープニング
仮にそれが二秒前にできたものであろうと、あるいは数十年かけて成立したものであろうと、状況が揃えば一瞬で壊れる。
郊外にひっそりたたずむアトリエのガレージには、濃い春の夕闇が溜まっていた。
床には変異しかかった肉と、バケツでぶちまけられたような鮮血。
俺たちサイキストは変異体の駆除を専門にやる民間の業者だ。殺人者ではない。もっとも、変異していなければ、変異させてから駆除するだけだが……。
いま目の前に転がっている肉も、少し前まで人の形をしていたような気がする。
死んでしまえばただの怪物だが。
ターゲットは通称「剥製師」。年齢は四十七歳。「マネキン」の皮を剥ぎ、楽器や家具に加工していた猟奇的な職人だ。つい数分前まで、人間の上半身の形をしたバイオリンを弾いていた。
俺たちは「主流派」と呼ばれる連中と敵対している。彼は敵側の関係者であったため、このたびめでたく変異し、死体となった。
手口はシンプルだ。
指定されたターゲットの居場所へ押しかけ、まずは専用の銃で「薬剤」を注入する。変異を確認したら殺す。
これは殺人ではない、ということになっている。政令で定められた「特定動物」の駆除だ。俺たちは地域住民の通報を受けて駆け付けたという格好になっている。
「これはじつに……じつに素晴らしいね。精神が頂点に達するよ。すなわち……すなわち、いわく言い難い『なにか』だ」
なにも言えない、ということを、こんなにもったいぶって言う必要があるのか?
この痩せこけてうつろな目をしたポエム男は、「主流派」と対立する「世界派」の構成員だ。自称ウラヌス。以前どこかで会って、しかも死体になった気がするのだが、なぜか生きている。
まあいい。
いまは彼が俺たちの雇用主だ。
戦闘員じゃないから武装していない。仕立てのいい格子柄のスーツを着ている。
「役所の人、まだ来ないの?」
窓際に寄りかかり、そうつぶやいたのはアイシャ。
黒の防護服を着ていても分かるスタイルのよさだ。つややかな黒髪を指先でもてあそんでいる。
射撃の腕は正確無比だし、戦闘も得意なのだが、このところ目に見えてやる気を失っている。
金払いの悪くない仕事ではあるが、内容はといえば、なんとか合法に見せかけているだけの非合法な仕事だった。しかもターゲットは、俺たちとは関係の薄い人間ばかり。敵対している組織の関係者、というだけの存在だ。
もっとも、「主流派」も「世界派」も政府内の派閥だ。表立ってドンパチやるわけにはいかないらしく、それでこうした遠回りな「工作」を続けるしかないのであった。
鐘捲雛子は無言で日没を見つめている。
彼女はチームの主力。日本刀を携えた、おさげ髪の小柄な女だ。
成人しているが、一見すると高校生にしか見えない。それを言うと怒られるので、絶対に口にしてはならないが。
そして戦闘の得意なアイシャと鐘捲雛子を率いるリーダーが、たいして戦闘の得意でない俺だ。リーダーというよりは、位置情報を確認したり、本部と連絡をとったり、ほとんど雑用係だが。さっきも役所に連絡をいれた。
この「特定動物」の管轄は自治体となっているため、地域の役所に連絡を入れ、担当者に現場を確認してもらうことになっている。だいたいは保健所の人間が来る。
俺たちは特別な許可を得た準公務員という扱いになっているから、武装していても通報されたりはしない。ほぼ必ずぎょっとした目で見られるが。
*
その後、保健所のおじさんたちに現場を任せ、俺たちは撤収した。
帰路はリムジン。誰も頼んでいないのに、ご立派な車を用意してくれる。
俺はソファにふんぞり返り、遠慮なくビールをもらう。シャンパンもあるようだが、お上品すぎて性に合わない。
「じつにいい仕事ぶりだったよ、サイキストの諸君。あの手際……興奮さえおぼえる。まるで機織りを眺めているようだった。縦の糸と横の糸が交錯したかと思えば、すばらしい生地が織り上がっている。いわば死の生産だ。一見矛盾する現象ではあるが……しかしやはり生産と言わざるを得ないだろう。人の営みとはかくもいわく言い難い」
ビールは賞賛すべき人類の発明だ。横でこんなクソみたいな話をされても、たいして味がマズくならないんだから。ま、この男がいなければもっとうまかったろうとは思うが。
自称ウラヌスは目を見開いた。
「特に君! 鐘捲くんと言ったかな? 星の瞬くような一閃……。鍛冶屋が火花を散らす瞬間の力の表象。いや、あるいは風が空間を切り裂くような……。ともかく、展覧会を眺めているような気分だよ」
「……」
鐘捲雛子は沈黙している。呆れているのではない。なにを言われているのか分かっていない顔だ。
だが男はなにかを勘違いしたらしい。
「そう! その瞳! 虚無を絵に描いたような、なにも映さぬガラス玉の瞳! 君には命が命に見えていないのかもしれないね……」
「え、あの……」
「いや、いいんだ。なにも言わなくていい。それこそが本質というものだ。私たちは、それが命だと言われれば、命だと思ってしまうものなんだ。しかし君は違うね。もっとこう……抽象的なモノでさえ、しいて物質的に捉えている。違うかな?」
「……」
普段から目つきが鋭いから、なにかを強烈に捉えているように見えるが、必ずしもそうではない。彼女はぼうっと洗濯機を眺めているときも、ホットケーキを焼いているときも、こんな目をしている。
アイシャがふんと鼻で笑った。
「素晴らしい考察だね。よかったら一杯どう?」
さかさまにしたワイングラスを指に挟み、男へ差し出した。ひとまず口を閉じろ、という意味だろう。
が、男は肩をすくめた。
「そうしたいところだが、まだ勤務中でね。このあとレポートを書かないといけないんだ」
「レポート? きっと抒情詩みたいな芸術作品なんだろうね」
「そのように心掛けているよ。上からは理解されていないがね」
こいつのポエムノートを業務日報と称して上に投げているわけか。「世界派」とやらはそれでいいのか。
そもそも「世界派」などと大仰に名乗ってはいるが、アメリカと癒着しているだけの一派に過ぎない。
それでも、彼らは権限と金を有しており、俺たちは現場でのノウハウを有している。そして共通の敵と戦っている。利害関係だけは一致しているのだ。手を組む相手としては悪くない。
*
ポエム男とは本部で別れた。
本部は「進化ダイバーシティ研究センター」なる第三セクターだ。名前だけは立派だが、なにも研究していない。ここはおもに、強制的に進化させられた少女たちを保護するために用意された施設だ。
返り血を流すため、俺たちはまっさきにシャワールームに入った。
この数週間で四名のターゲットを片付けた。アイシャが気配を殺して潜入し、薬剤を打ち込む。変異すれば総攻撃。そうでなければ、俺がサイキック・ウェーブで変異させる。その後は躊躇なく命を奪う。
今回の剥製師は主流派の資金源の一部だったから、報復としては効果がある。なのだが、いくら敵とはいえ、薬剤を打ち込んでいるのだから、俺たちが忌み嫌っていた連中と同じことをしていることになる。
いや、俺たちは主流派にハメられて消されるところだった。仲間のひとりはまだ留置所から戻っていない。すでに戦闘状態だ。敵はデカい。組めるヤツとは組むしかない。
無地の浴衣に着替え、俺は通路へ出た。女性陣はまだシャワー中らしい。俺はふたりを待たず、センター長のいる執務室へ向かった。
飾りっ気のないオフィスに、スーツ姿の各務珠璃が待っていた。
「お疲れさまでした。お怪我はありませんか?」
ほわほわした印象の女性なのだが、ここ数日は神妙な表情を見せることが多くなっている。いま受けている仕事をあまり歓迎していないようだ。
「みんな無事だよ。押し込み強盗みたいなもんだし、相手は丸腰だから」
「ええ……」
変異したものは怪物と化し、とんでもない力で暴れることになる。ヘタすると怪我ではすまない。だから少しでも変異が始まったら、完成を待たずに仕掛ける。変異は死後も続くから、なんなら薬剤の注入と同時に殺してもいいくらいだ。
彼女はなにか言いたげであったが、ムリに笑みを浮かべ、こう続けた。
「問題ないようでしたら、今後も依頼を受けますね。ところで、このあと打ち合わせが入ってまして、もうすぐ出ないといけないのですが……」
「またお偉いさんと?」
「はい。なので申し訳ありませんが、ご意見などはのちほど」
どこで誰と折衝しているものやら。
俺はソファから腰をあげた。
「いや、いいんだ。終わったことを報告に来ただけだから。これで失礼するよ」
「すみません」
謝る必要はない。
まあそれはともかく、だいぶ疲れているようだし、彼女にも少し休息が必要なのではないかと思うな。
*
生活スペースに入ると、シスターズが集まってお喋りしていた。
シスターズというのは、主流派の研究所で製造された特別な変異体だ。人間の姿を保っている。たまに人間でなくなるが。
五代まゆという少女の遺伝子を複製し、サイキック・ウェーブで変異させ、強制的に進化させたものだ。だからみんな顔は同じ。しかし性格や個性はそれぞれ異なる。髪型も、それぞれ見分けがつくようにしている。
「あ、二宮さん。ちょっといいでしょうか」
体からケーブルを伸ばした少女、機械の姉妹が手を振ってきた。
姉妹の団欒に混ぜてくれるというのか。あったかくて涙が出るよ。
俺が「どうした?」と近づくと、彼女は無表情のままこう続けた。
「以前より、二宮さんをめぐって、姉妹間でもめ事が発生していたのはご存じの通りです。まあ私には各務さんがいるのでいいのですが、他の姉妹はそうではありません。そこで、解決策を講じました」
「解決策?」
シスターズは研究所の地下深くに放置され、孤独に蝕まれていた。そこへ、サイキック・ウェーブという能力を扱えるようになった俺が出向き、対話を試みたため、彼女たちはほぼ初めて誰かと対等に対話するという経験を得た。おかげでずいぶんなつかれてしまったのである。雛鳥のインプリンティングみたいなものだ。
機械の姉妹のように、俺以外になついているものもいる。
彼女はこう続けた。
「あなたの遺伝子を複製し、サイコ・フラッシャーで人格を上書きするのです。これで二宮渋壱という人間を量産できます。資金は私のほうで提供しますので、あなたは身体を提供してください。これで解決です」
「いや、待ってくれ……」
まあたしかに技術はある。例の研究所では、実際そうやってひとりの少女をもてあそんだわけである。しかし人格の上書きは必ずしもうまくいくとは限らない。想定外の怪物を生み出してしまう可能性もある。
すると姉妹たちは「どんな姿でも受け入れるから!」だの、「むしろ、少し壊れてるくらいがちょうどいいわね」だの勝手なことを言い始めた。餅みたいなドロドロの肉になる可能性もあるというのに。
俺は思わず顔をしかめた。
「待ってくれ。俺はイヤだぞそんなの。自分が何人もいるなんて。しかも壊れ気味で……」
言ってる途中で失言であることに気づいた。
この指摘は、そのまんま彼女たちにも当てはまる。同じ遺伝子を有する壊れ気味の存在。それがシスターズだ。
が、気分を害した様子はなかった。
五代まゆを自称する少女が、「ほらね」と目を細めた。
「やっぱり問題よ。それに、二宮さんはひとりだからこそ尊いのよ」
すると餅がばんばんとテーブルを叩いた。
「なによそれ! 自分が言い出したんじゃないの!」
「本人の意思を確認したかっただけよ」
「ウソばっかり! 二宮さんは私とタピるだんだから! あなたはコピーで我慢しなさいよ!」
「本音が出たわね、駄肉。やっぱり私にコピーを押し付ける気でいたんだわ。脳味噌まで駄肉なんじゃないの?」
「誰が駄肉よ! この根暗!」
また不毛な争いが始まってしまった。
俺は立ち上がり、ふたりの頭をわしわしなでた。
「ケンカしてるとまた鐘捲さんに怒られるぞ」
「……」
彼女の名を出すとおとなしくなる。
鐘捲雛子はここを管理しているから、彼女の心証を損ねると、ホットケーキにありつける回数が減るのだ。シスターズにとっては死活問題だ。
むくれる姉妹たちを残し、俺は壁際のベンチに腰をおろした。
こういった騒ぎに巻き込まれていると疲労感をおぼえはするのだが、それ以上に気分がまぎれた。もしひとりで帰宅し、ひとりで行動していたら、昼間の仕事を思い出し、自責の念にさいなまれていただろう。
しかしやめるわけにはいかない。敵は俺たちの口を封じようとしている。戦いを放棄したところで逃げられるわけではないのだ。
これは殲滅戦だ。
生きるためには、勝利し続けるしかない。
(続く)