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目が覚めると、覚えのある天上が俺を見下ろしていた。眠たい目を擦り、ぼうっとした頭に『朝がきたぞ』と活をいれる。
昨夜俺は、月を眺めようと家からそう遠くない近所の丘へ足を運んだ。いつものように何も言えず、苦虫を飲み込み帰宅するものだと思っていたのだが、そんな俺を抱きしめた彼女は一体何者なんだろう。
(……ヤバ‼)
顔がカッカと熱を帯びた。平常心だった心臓が、全力疾走後のように激しく動いている。昨夜は突然の事で頭が回らなかったが、俺の頭辺りに当たった柔らかい感触はおそらく胸。
彼女の鼓動は『大丈夫』と語りかけてくれているものの、女性に免疫力のない俺に甘い香りがとどめをさしていた。俺の思考回路が全て停止となり、あの嫌な味も家までの足取りも、全てが曖昧な渦の中に溶けて消えている。
そろそろ学校へ行かなければ間に合わないのだが、どうしたものか体が外にでるのを拒んでいた。
(まっいいか……)
そう思い直すと再びベッドへ寝転んだ。制服で寝転んでしまったためゴワゴワと背中が気持ち悪い。静かな空間に時計の秒針が刻々と時を重ねていく。いつもなら気にならない音も、今はかなり耳障りなものだった。
しかめっ面をしつつ逃げるかのように体の向きを横にする。
受験生となった中学生は、とにかく勉強が仕事だと周りの大人は言う。俺は、家から一番近い公立の高校を受験しようと考えているが、今から夢を持っている人間というものは、志望校も明確で仮の道筋もきちんと整っているらしい。何もかもが中途半端な俺とは雲泥の差で、現実とは残酷なものだと思う。
ピンポーン
こんな時間に呼鈴がなった。というのも、今現在朝七時五十分。通勤、通学ラッシュよりも若干遅い時間だ。両親はとうに働きにいってるはずだし、俺が通う中学校までは徒歩四十分以上もかかる。だからこんな時間に訪ねて来る人間なんているはずがない。
学校に行くふりをして適当にあしらってしまえば問題はないはずだ。固唾を飲んで玄関の扉を開けてみた。
「……はい」
扉をわざとゆっくりと開けた。今のご時世危険はいつ迫ってくるかわからないのだ。あくまで落ち着いて。そして頭の先から足まで警戒は怠らず。更に、学校に急いで行かなければならない演技。悪い想像が頭の中をグルグルとめぐり、心臓が嫌なくらい煩く鼓動する。その度に『落ち着け俺』と自分に言い聞かせた。
「……あの」
扉の先に見知らぬ女性がいた。多分、俺と似たり寄ったりの年だろう。事件とかそういう関係ではなさそうなのである意味ほっとする。変な力は抜けたが、新たな疑問が浮上する。この子は一体誰だろう? 学校でもないし、近所でもない。ましてや親戚でもない。
「ゴメン。俺、急いで学校行かなきゃいけないから‼」
「え?」
「本当にゴメン。それじゃあ‼」
正直、学校に行くつもりなんて頭の毛先程もなかった。ただ、少しでも会話の口数を少なくし、『お前に興味はない』と相手に連想させる為である。もし、関わりを持った事で何かに巻き込まれてしまい、何かの縁だと思われてなつかれでもしたら……。
自分に不利益な事が起こると過程するには情報が足りなすぎるが、とにかく面倒事には関わりたくないし、関わりたくもない。ならば、できる事は限られていた。
彼女とは一切目をあわさないようにカニ歩きをし、なるべく早く家から離れる事。
俺が横を向いた事で、不思議がる彼女の視線が背中にささる。カニ歩きをしている俺は、彼女からしてみたら不審者に映っているだろう。でも、今はそんなことに構ってはいられない。
一目散に学校へと走る俺。そんな俺を悲しげに見つめる彼女の瞳が心の隅っこの方にしこりを誕生させてしまっていた。