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第8話 友人の家庭事情

ハンニバルの母親は、礼儀知らずにも夜の九時過ぎに訪問した俺とマルガリータを、嫌な顔ひとつせず豪邸の二階のハンニバルの部屋に通してくれた。

図体のでかいハンニバルの母親らしく、彼女は女性としては大柄だったが、決して太っているというわけではなく、どちらかと言えば骨太といった感じだった。それに清楚で優しげな雰囲気をしていて、その点はあのミカンさんと非常に重なり、俺はマルガリータの分の悪さを実感せずにはいられなかった。


「ハンニバルは無断で外泊をしたことはないし……、たぶん、じきに帰って来ると思うわ。ゆっくりしていってね」


ハンニバルの母親は、見るからに高級そうなケーキやら冷たい飲み物やらを俺たちに用意しながら、そう言って微笑んだ。

それに改めてよく見ると、ハンニバルの母親というのは雰囲気だけじゃなく、控えめな微笑み方とか、髪の色合いまでがミカンさんと似通っていて、俺は何とも言いづらいハンニバルの秘められた願望と言うか、性癖と言うか、まあありていに言っちゃうとマザコンチックな女の趣味を思い知らされた思いがした。


「ああ、本日二個目」


嬉々としてケーキを頬張るマルガリータをよそに、俺は冷たいジュースを飲むのが精一杯だった。俺は自分が小食な男だと思っているわけじゃないが、ケーキみたいな甘ったるいものを腹いっぱい食べるなんてことは、ほとんど苦行に近いことのような気がする。

俺の分のケーキを無言でマルガリータの席のほうへ動かし譲ってやる頃、部屋の扉が開き、子供の個人部屋としては信じられないほど広くて贅沢な部屋の中に、黒尽くめのいかにも柄の悪そうな女が入って来た。

ハンニバルが帰って来たのかと思い、弾かれたように顔をあげた俺としては、正直視線をどこにやったらいいのか分からない気分にさせられるほど、その女の胸の辺りはぱっくり開いていて俺は早朝の駅の挙動不審者のように視線を彷徨わせた。

暑い夜のこととはいえ、かろうじて胸の先端が隠れているというだけの服装で外を歩ける女の神経は度し難い。男たちがどんな目で自分を見ているかということを知っているならなおさらだし、知らないのであればご愁傷様という意味だ。


「あれ、フォレスト君じゃない。あれえ、隣にいるのは彼女かなー? 可愛いわねえ」


少々酔っ払っているその柄の悪そうな女は、ハンニバルの姉さんのアマリアだった。

化粧が濃いだけじゃなく、不良娘たち特有のあのどぎついメイクはなんて言うんだ? とにかくあの清楚な母親から生まれたとは到底信じられない擦れっぷりである。

彼女が随分前からこのようにぐれていることは知っているが、それ以前はいかにも金持ちの家のお嬢さん風だったのを知っている者としては、この変化はやはり見ていてつらい。

金持ちの家に生まれ、豪邸で暮らして、親には社会的な地位があり、しかも献身的で優しそうだ。何ひとつ不自由なことなどない人生だろうに、何が面白くなくてこんなふうになってしまったのだろう。そのことについて彼女にインタビューしてみたいと、俺は彼女を目撃するたびに常々思っているのだが、実際そんなことを聞いたら余裕で殴って来そうな気がするので今回も自粛しておいた。

可愛いと言われたことで気をよくしているマルガリータの単純さを横目に、俺はソファに腰かけたままアマリアを再び見上げた。


「いや、彼女じゃないけど……あの、ハンニバルが何処に言ったか知りませんか?」

「あー、帰ってないんだ。部屋に灯りがついていたから、帰って来たのかと思って覗いてみたんだけど。じゃああいつ、泊まる気なのかな」

「泊まる? 何処へ?」

「ん? 言っちゃっていいのかな?

それが傑作でね、あいつあたしの遊び仲間の妹とできててさあ、まあその妹はハイスクールの同級生だったんだけど、まずそもそもが」


もったいぶって前置きが長い上に、酔っぱらいの要領を得ない証言を要約すると、こういうことだった。

五番街ケーキ屋でケーキ職人をやっているミカンという娘とハンニバルはできている。

アマリアはミカンさんのマフィア兄貴と友人で、本日、ハンニバルがミカンさんと店で会っているのを見かけた。よさそうな雰囲気で羨ましかった。


「つかミカンって人のお兄さん、ガチで悪い人なんですか? 五番街のケーキ屋って、レジにチンピラがいるっていう店のことですよね」

「そそっ。悪い人って言うか、某組織の構成員かな。まあそんなとこ」

「ほんとですか……。んで、ハンニバルはそのマフィアのお兄さんを持つミカンさんって人と出来てるってことなのか」


俺が言うと、アマリアは平然と頷いた。


「ええ、そうみたいね」

「なんでそういうことになったんだろ。あんまり接点なさそうなのに」

「ミカンはむかあし、あたしの友だちだったのよ。あたしが自分に目覚める前のことだけど」


自分に目覚める前、と言うのは、恐らく清楚なお嬢様だった頃ということのようだった。


「うちってお金はあるけど、家庭は崩壊しているも同然だからね。

まず両親は正式に結婚していないし、親父はチンピラ。もっとも、世界一いかしてるってあたしは思うけど、うちの家風じゃないことは確かなのよ。

まあドラマとかでよくある話なんだけど、生粋のお嬢様だったうちのママが、チンピラ男にのぼせちゃったのが運の尽きね。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんがそんな男と結婚なんて駄目だって大反対して、結婚させなかったまではいいんだけど、結婚しなかっただけでこっそりやることはやっちゃって、二人の間にはあたしを含めて子供が三人もいるし。

お祖父ちゃんが元気だった頃は、いつも猟銃を持ち出して親父と対決してたわ。親父がこの家に住み着くようになってからは、家の中が嵐みたいだった。

あんたも知っているでしょうけど、うちのママもお祖母ちゃんも育ちがいいから、外面をよくすることにいつもものすごく神経を使う人たちだからね。あたしもある時期この土地の名士の娘らしく、いつもきちんと上辺を取り繕わないといけないことだけに集中していたわけ。

ハンニバルはそれで、寂しい思いをしていたのかもね。あんたはガキだったからまんまと外面が立派なことに騙されていたけど、ミカンはうちが本当は荒れてるってことに気づいたみたいでさ。だからハンニバルは最初、ミカンに甘えていただけだったと思うけど……、それがそのうちそういう方向に行っちゃったんじゃないかなあ。

ほらミカンも兄貴がチンピラで、共通する苦労もあっただろうから余計にね」

「そんな事情があったのか」


俺が言うと、アマリアは唇を微笑みの形にして頷いた。


「そっ。だから、今夜はお泊りかなあってね」

「それ、確かなんですか?」


しばらく蚊帳の外に置かれていたマルガリータが、憮然として言った。

その問いかけに、アマリアはもっと不満そうな顔をした。メイクのせいか、それともマフィアのお友だちなんてのがいる反社会的なバックグラウンドが見えたためか、非常に怖いお姉さんの睨みは、正直俺ですら縮み上がるものだった。


「ええ、確かよ。何、あんたあたしの言うことを疑うわけ? でもこんな嘘をあんたらについてもしょうがないし」


するとそこでマルガリータがいきなり席を立ち、そのまま勢いよく部屋を飛び出して行ったのだった。やはりここで引き下がったり泣いたりするような気の弱さなんていうものを、マルガリータは持ち合わせてはいないわけだ。

これまでにも対立する気の強いクラスメイトの女どもを、ぶっ潰すことで現在の権力を手に入れた女の気迫と言うものは半端なものではない。もっともアマリアが更に怖かったから、逃走したということもあるかもしれなかったが。


「彼女、どしたの」


アマリアが、マルガリータが飛び出して言ったドアを指差して言った。


「ああ、んと、あいつは実はハンニバルに会いに来たんだ。つまり俺の彼女じゃなくて、マルガリータはハンニバルに惚れてる」

「ああ、なるほど。そりゃお泊りなんて聞いたら……、ぶち切れだわね」


特に悪びれるでもなく、ため息混じりにアマリアは言った。


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