第6話 狭い我が町
俺の母さんが、食後にと言って手作りのケーキと珈琲を持って部屋を訪れる頃、俺はマルガリータの純情を痛いほど感じ取っていた。昼間あったこと、ハンニバルと年上のミカンさんとのことを、マルガリータに洗いざらい打ち明けてしまうべきかどうか悩んでいたのは、たとえ俺に飛び蹴りを食らわすような奴でもやっぱり身内であるマルガリータのことを大事だと思うからだ。
勿論、打ち明ければ、どういうことになるかは分かっていた。思っていたよりずっと身持ちが固く堅実な考え方をするとしても、マルガリータの勝気な性格が生来のものである以上、彼女が黙って引き下がるなんてことはあり得ない。最悪学校での振る舞い通り、手下の女子たちを引き連れて、ミカンさんに手を引けなんて脅しをかけないという保障はどこにもないわけだ。そんなことをしでかせば、確実にハンニバルに嫌われるだろうという計算ができないわけじゃないんだろうが、それでもそれをやりかねない奴だということは分かっていた。
だけど、確かにハンニバルとミカンさんがお似合いでないとは思わないけど、ミカンさんには何も恨みなんてないけど、マルガリータとミカンさん、どちらかの味方をしなければならないとしたら、俺が選ぶのは考えるまでもなく身内であるマルガリータだ。
「手作りだから、形はちょっと変なんだけど、たぶん味はいいと思うから食べてね」
うちの母さんが、マルガリータにケーキの皿を渡しながらそう言った。
「いえ、叔母さんが作るケーキは美味しいから、いつも楽しみにしているの」
マルガリータは、お世辞ではなく本当に嬉しそうな顔をしてそれを受け取った。
俺とマルガリータはお互いにカーペットに直接座ってだらしなく話をしていたから、俺たちはケーキを受け取るとそのまま床の上でそれを食べ始めた。正直、母さんの作るケーキは美味い。店売りのケーキの倍はあろうかという大きな生クリームの塊が、うっかり床に落ちないかということを気にしながらも、俺たちはしばらく黙って食べることだけに熱中した。
「ほんと、あんたのママって料理上手よね。
毎日こんな美味しいケーキが食べられるなんて羨ましいわ」
皿の上のケーキをほとんどたいらげてから、マルガリータはやっと口を開いた。
「善し悪しだぞ。器用だけどセンスはないから飾りつけは毎回変だし、たまに新メニューを考えたとか言って、何だろうと見たら、ニンニクが丸ごとケーキに乗っていたりする」
俺は答えた。
「ニンニクかあ。ニンジンとかならありそうだけど」
「たぶん、自分はセンスがあって独創的だってことを家族に主張したいんだろうが、どんなに料理の腕が上達しても、料理本通り作るべき人間ってのはいるんだよな」
「でも、いいじゃない。被害は家族にしか出ていないんだったらさ。
それにそれを毎回やるってわけじゃないんでしょ」
「まあね」
「それより変なケーキと言えば、あのお店知ってる? 五番街通りのケーキ屋さん」
「いや、知らないけど」
「そこって、ケーキの味はまずまずなんだけど、やっぱり形が変なのよ。変って言うか、ダサい感じ。作ってる職人さんにセンスがないってことがよく出てるの。
都会じゃまず売れないだろうなあって思うんだけど、この町にはケーキ屋さん自体が少ないから、何とか経営できてるって感じの店なのよ」
「ふーん。まあ俺は、ケーキは買ってまで食おうとは思わないからなあ」
「でも、その店が有名なことと言ったらね、ケーキよりは、別の話でなの」
そこでマルガリータが不意に声をひそめたので、たぶんよからぬ悪口か何かなんだろうと俺は思ったが、案の定だった。
「そのお店は、もともとマフィアの愛人がやってるお店だったんだけど、今はその子供たちがやっているの」
「へえ、そいつはまた」
「実際、その店をやってる長男ってのがまたチンピラみたいな奴でね。顔はいいんだからエプロンでもして愛想笑いのひとつもしていれば、奥様たちのアイドルになれそうなものなのに、終日レジのとこで、胸の開いたシャツに金のネックレスなんて服装で凄んでるんだって。それで余計に客が寄りつかないってことを分かっていないのよね」
「うーん。ま、俺にしてみればどうでもいい情報だな。
とはいえ、客が寄りつかないのになんでおまえはそんなこと知ってるんだ?
分かっているとは思うが、妙な世界に首を突っ込むもんじゃないぞ」
「分かってるわよ。あたしのチアリーディングのチームの一人にピーチって子がいるんだけど、その子の家だからちょっと知ってるだけ」
「そんな物騒な奴とつきあうなよ」
「擦れているのは認めるけど、そんなに悪い子じゃないのよ」
少しして、珈琲のおかわりを持って来た母さんが、そのついでを装ってマルガリータに進路についての質問をした。勿論、俺がいるってことを意識した上で、わざわざそんな話題を振ったことは分かっていた。
「進学を考えています、って言うか、パパがそうしなさいって。
学者の娘が大学に行かないと、世間体が悪いからと」
マルガリータは少々澄ましてそう答えた。
母さんは相槌をうった。
「そうよね、マルガリータちゃんのパパもうちのパパも学者さんだから、やっぱりできればそうして欲しいのよ。
でも、わたしたちは何も強制しようとしてそう言っているわけじゃないのよ。ただ親としての希望を伝えているだけのことで」
「ええ、分かります」
「フォレストにも随分そう言っているんだけど、それなのにこの子ったら、もう何ヶ月もこうやって意地を張っているの。
進学するのが嫌なら、何か他に自分のやりたいことを決めて、そのことを頑張りなさいって言っても、考えていることを何も言わなくて困っているの。好きなギターを頑張りたいならそれでもいいのに言わないのよ」
母さんが、俺に対して聞こえよがしに言っているのが分かりやすすぎて、怒る気にもならなかった。俺は別に、ただ今はまだ将来のことなんて考えたくないだけなのに、そのことを理解しないことが頭に来るんだ。
でも、母さんのことを嫌いなわけじゃない。
親父のことだって、別に嫌いってわけじゃない。相当苦手ではあるけど。
母さんが部屋を立ち去った後で、マルガリータは不思議そうな顔をして俺を見た。
「あんたも変な奴よね。フォレストみたいな適当な奴ほど、執行猶予とばかりに大学に行きたがるもんだと思うのに。
もしかして、勉強についていけないかもとか思ってる?
でも大学って、今どきぬるい試験で誰でも入れるわよ。入ってからのことは知らないけど、少なくともバカのあんたでも余裕で入れるわ。出るのは大変そうだけど」
「うるせーなあ。俺はただ、誰かの思い通りにはならないんだよ」
「ああ、なるほど、分かったわ。
あんたパパと仲悪いもんねえ、要するに、何となく逆らいたいだけなのね。
あんたには何か胸を張れる特技とか、あんたのパパを唸らせるだけの将来への展望なんてなくて、本当は何も考えてないだけなのにそれを認めるのも嫌で、だからと言ってパパの言いなりになるなんてもってのほかで、それで突っ張っちゃってるってわけね」
「う…、うるせー馬鹿」
「馬鹿!?」
「ああ、そうだよ。マルガリータ、おまえはそうやって余計なことを言う可愛くない性格だから、ハンニバルの眼中に入れないんだよ。女なら、もっとしおらしくしてろ。
ルックス的にはハンニバルの女に負けてねえし、若さじゃ勝ってるのに、相手にされないってのはおまえがどうしようもない生意気な女だからだ。
いいか、男ってのは基本的には……」
マルガリータの顔色が変わったことで、俺は自分がいま口走った内容に気づいた。
「ハンニバル君の女?」
マルガリータが俺に事の経緯を吐かせるために、何かプロレス技をかけようとしてゆらりと立ち上がりかけているのが俺には判った。